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2011年 11月 24日
11月24日(木)に第246回の学習会を行いました。 「第15章 回転期間が前貸資本の大きさに及ぼす影響 第4節 結論」についてレジュメに基づく報告を受け検討しました。 2011年 11月 15日
11月15日(火)に第245回の学習会を行いました。 「第15章 回転期間が前貸資本の大きさに及ぼす影響 第2節 労働期間が流通期間よりも大きい場合」と「第3節労働期間が流通期間よりも短い場合」についてレジュメに基づく報告を受け検討しました。 2011年 11月 08日
11月8日(火)に第244回の学習会を行いました。 「第15章 回転期間が前貸資本の大きさに及ぼす影響」の第17段落から「第1節 労働期間が流通期間に等しい場合」の最後までについてレジュメに基づく報告を受け検討しました。 2011年 11月 01日
11月1日(火)に第243回の学習会を行いました。 「第15章 回転期間が前貸資本の大きさに及ぼす影響」の第1段落から第16段落までについてレジュメに基づく報告を受け検討しました。 2011年 10月 25日
10月25日(火)に第242回の学習会を行いました。 「第13章 生産期間」の第18段落から最後(第24段落)までと「第14章 流通期間」の第1段落から最後(第18段落)についてレジュメに基づく報告を受け検討しました。 以下はレジュメです ⑱一定量の潜勢的な生産資本(生産用に予定された生産手段)----量の多少はあっても貯蔵されて いて,だんだん生産過程にはいっていく。与えられた一つの企業または一定の規模の資本経営で は,この生産用在庫の大きさは,その更新の困難の大小,購入市場の遠近,運輸交通手段の発達程度 などに依存する。これらの事情は,生産用在庫の形で存在しなければならない資本の最小限に影 響を与え,したがって資本前貸がなされるべき期間の長さに,そして一度に前貸しされるべき資本 量の規模に,影響を与える。この資本量の規模はまた回転にも影響する。資本量の規模は,流動資 本が単に潜勢的な生産資本として生産用在庫の形態に固着している時間の長短に制約される。 ・他方では,この滞留が迅速な補塡の可能性の大小や市場関係などにかかっているかぎりでは,この 滞留そのものがまた流通期間から,すなわち流通部面に属する諸事情から,生ずる。 ⑲「手工道具,ふるい,かご,綱,車の油,釘などのようないっさいの備品または付属品は,それを迅速 に調達できる便宜が手近に少なければ少ないほど,ますます即時補充のために在庫として存在し ていなければならない。毎年冬にはすべての手持ち道具を念入りに検査して,それらの補充や修 理が必要ならばすぐにその手配をしなければならない。手工業者や商店が近くにないところでは, より大きな在庫を用意していなければならない。必要な在庫を一度にかなり大量に調達するほう が,通例は,安く買えるという利益が得られる。そうすれば,流動経営資本のうちから,それだけ大 きな金額を引きあげることにもなる。」(キルヒホーフ) ⑳生産期間と労働期間との差は,非常にさまざま。流動資本は,本来の労働過程にはいる前に,生産 期間にはいっていることがありうる(靴型製造)。または,本来の労働過程をすませてからも生産 期間にあることがある(ぶどう酒,穀物の種子)。または,生産期間のところどころに労働期間がは さまることがある(耕作,造林)。流通可能な生産物の大きな部分は現実の生産過程に合体された ままであるが,それよりもずっと小さい部分が年々の流通に入り込む(造林,牧畜)。 ・流動資本が潜勢的な生産資本の形態で投下されなければならない期間の長短,したがってまたこ の資本が一度に投下されなければならない量の大小は,生産過程の種類から生ずることもあり(農 業),市場の遠近など,要するに流通部面に属する諸事情にかかっていることもある。 21労働期間とは一致しない生産期間を労働期間と同一視しようとする試み,すなわち,それ自身がま た価値理論の誤った適用から生じているこのような試みが,マカロックやジェームズ・ミルなどに おいてどんなに不合理な理論を呼び起こしたかは,後に見る(第三部)。 -------------- 22以前に考察した回転循環は,生産過程に前貸しされた固定資本の持続によって与えられている。 この回転循環は多かれ少なかれ何年かにわたるものだから,それはまた固定資本の年々の回転の いくつかを,または一年のうちに繰り返される回転のいくつかを含んでいる。 23農業ではこのような回転循環が輪作式耕作方法から生ずる。「借地期間の長さは,採用された輪作 の循環期間が示すよりも短く決めてはならない。三圃式経営の場合にはつねに三年,六年,九年, 等々というように計算される。純粋休耕を伴う三圃式経営では,耕地は六年間に四回だけ耕作さ れる。ところが.同じ土地でもそれぞれの穀物の種類によって多かれ少なかれ出来高が違ってお り,価値も違っており,したがってまた違った価格で売られる。いま,六年にわたる全循環期間の 年平均収穫高とその平均価格とによって耕地の収益を計算すれば,第一の循環期間についても第 二のそれについても一年当たりの総収益が見いだされる。しかし,循環期問の半分だけの,すなわ ち三年間だけの収益を計算する場合には,そうはならない。というのは,その場合には総収益が違 ってくるであろうからである。これによって,三圃式経営の場合には借地期間の長さが少なくと も六年と定められなければならない。しかし,借地人にとっても地主にとってもずっと望ましい ものであるのは,三圃式経営ならば六年のかわりに12年とか18年とかまたはもっと多くの年数と 定められ,また,七圃式経営ならば7年のかわりに14年とか28年とか定められるということであ る。」(キルヒホーフ) 24{原稿ではここに「イギリスの輪作経営。ここに注をつけること。」と書いてある。} 第14章 流通期間 ①別々の事業部門に投ぜられた別々の資本の流通期間を相違させ,資本が前貸されていなければな らない期間の相違をもたらすような,これまでに考察してきた事情は,固定資本と流動資本との区 別や労働期間の相違などと同じく,生産過程そのものの中で生ずるものである。 ・資本の回転期間は資本の生産期間と通流期間または流通期間との合計。流通期間の長さの相違は 回転期間を相違させ,回転周期の長さを相違させる。 ・回転に変化を与える他のすべての事情が同じで,流通期間だけが違う二つの異なる資本投下を比 較する,または,一資本をとって,固定資本と流動資本の構成や労働期間などを与えられたものと し,流通期間だけを仮に変化させてみる。 ②流通期間の一部分(相対的に最も決定的な一部分)は,販売期間(資本が商品資本の状態にある 期間)から成っている。この期間の相対的な長さにしたがって,流通期間が,したがってまた回転 期間一般が,長くなったり短くなったりする。保管費などの為に資本の追加投下が必要になるこ ともある。商品の販売に必要な時間が,異なる生産部門に投ぜられた諸資本量にとってだけでは なく,同じ生産部門に投ぜられた総資本の独立の一部分をなすさまざまな独立資本にとっても,非 常に違いうる。同じ個別資本にとっても販売期間は,市場関係の一般的な変動につれて,または特 殊な事業部門での市場関係の変動につれて,変動する。この点にはこれ以上立ち入らない。 ・簡単な事実の確認。一般に別々の事業部門に投ぜられている資本の回転期間の相違を生み出す一 切の事情は,すべて,それらが個別的に作用する場合(ある資本家が自分の競争相手よりも速く売 る機会をもっているとか,労働期間を短縮する方法を多く用いる場合など) には,やはり,その結 果として,同じ事業部門にある色々な個別資本の回転の相違を生み出すということ。 ③販売期間を相違させ,回転期間一般を相違させることに作用する一原因は,商品が売られる市場が その商品の生産地から遠く離れているということ。注文生産でない場合には,市場までの旅の時 間の他に,商品が販売のために市場にある時間が加わる。 ・運輸交通機関の改良は,商品の移動期間を絶対的には短縮するが,この移動から生ずるところの, 色々な商品資本のまたは同じ商品資本の中でも別々の市場に行く色々な部分の,流通期間の相対 的な差を解消しはしない。帆船や汽船の改良⇒それは近い港への旅も遠い港への旅も同じよう に短縮する。相対的な差は,減らされることも多いが,やはり残っている。相対的な差は,運輸交 通機関の発達によって,自然的距離には一致しない仕方で変えられることも有り得る。たとえば, 生産地から国内の主要な人口集中地に通じている鉄道は,それよりも近くにはあるが鉄道が通じ ていない国内の地点への距離を,自然的にはより遠い地点への距離に比べて絶対的または相対的 に長くする。また,同じ事情によって,比較的大きい販売市場そのものからの生産地の相対的な距 離が変えられることもあり,このことからは,運輸交通機関の変化につれて古い生産中心地が滅び 新しい生産中心地が興ることが説明できる(そのほか,短距離の運輸よりも長距離の運輸の方が 相対的に安くつくということが加わる)。 ・運輸機関の発達と同時に,空間運動の速度は高められ,空間的な距離は時間的に短縮されるが,た だそれだけではない。交通機関の量が増加。運輸機関の効率が与えられている場合には,絶対的 な速度(流通期間のこの部分)は変えられない。しかし,商品がより短い時間間隔で次々に旅に のぼり相次いで市場に到着できるので,発送されるまで潜勢的な商品資本として大量に堆積して いるということはなくなる。還流もまたより短い相続く期間に配分され,一部分が商品資本とし て流通しているあいだに絶えず他の一部分は貨幣資本に転化される。このように還流が次々と頻 繁に行われることによって,総流通期間は短縮され,回転も短縮される。 ・ある生産地がより大きな生産中心地となるにつれて,運輸機関の機能する頻度,たとえば鉄道の列 車数が増加し,その増加は生産と人口の大集中地や輸出港などに向かって行なわれる。だが,他方 では逆に,このように交通が特に容易であることや,それによって資本の回転が(流通期間によっ て制約される限り) 速められることは,生産中心地やその市場地の集積を促進する。このように 与えられた地点での人口と資本量との集積が促進されるにつれて,少数の手の中でのこの資本量 の集積が進行する。 ・交通機関の変化につれて生産地や市場地の相対的な位置が変化することによって,再び変転や移 動が生ずる。生産地の盛衰。運輸機関の変化によって,商品の流通期間や売買の機会などについ て場所による相違が生み出され,または既存の場所的相違の配分が変わってくる。 ④生産物の性質上おもに地方的販路に頼っている醸造業のような生産部門は,人口の主要中心地で 最も大規模に発達する。ここでは建築用地など多くの生産条件が高くつくが,資本の回転が速く なることがこれを部分的に相殺する。 ⑤資本主義的生産の進歩につれて,運輸交通機関の発達が商品の流通期間を短縮するとすれば,こ の同じ進歩と,運輸交通機関の発達は,逆に,ますます遠い市場のために,世界市場のために,仕事 をする必要を引き起こす。 ・遠隔の地に向かう商品量は絶対的にも相対的にも増大する。それと同時に,社会的富のうちの,直 接的生産手段として役立つのではなく運輸交通機関に投ぜられる部分,また運輸交通機関の経営 に必要な固定資本と流動資本とに投ぜられる部分も,増大する。 ⑥⑦生産地から販売地への商品の旅行の相対的な長さだけでも,流通期間の第一の部分である販売 期間の相違を引き起こすだけではなく,第二の部分,購買期間の相違をも引き起こす。 ・たとえば,商品がインドに送られ,4カ月かかる。販売期間はゼロ。商品は注文によって発送,引 き渡しと同時に生産者の代理人に支払がなされる。貨幣の送還に4カ月。そうすれば,同じ資本が 再び生産資本として機能できるまでに,全体で8カ月。こうして生じる回転上の相違は信用期限の 相違の物質的基礎の一つをなしている。たとえばヴェネツィアやジェノヴァでは海外貿易が一般 に本来の信用制度の起源の一つをなしている。 ・ユーザンス(手形の有効期間)の短縮 ・喜望峰回り。スエズ運河がもたらした革命的大変化(エンゲルス) ⑧商品の流通期間が長くなれば販売市場での価格変動の危険は大きくなる。 ⑨現金で支払われない場合には,手形期限の相違に照応して(一部は同じ事業部門の色々な個別資 本のあいだに個別的に,一部は色々な事業部門のあいだに)流通期間が違ってくるが,それは売 買のさいの支払期限の相違から生ずる。この点は信用制度にとって重要であるが,ここではこの 点には立ち入らない。 ⑩回転期間の相違は商品引渡契約の大きさからも生ずるが,この大きさは資本主義的生産の範囲と 規模とにつれて増大する。商品引渡契約は,市場すなわち流通部面に属する操作であるから,回転 期間の相違は流通部面から生ずるのであるが,それは直接に生産部面に跳ね返って作用する。す べての支払期限や信用関係を無視しても,したがって現金支払の場合にも,そうである。 ・石炭や綿花や糸などは分離性の生産物である。毎日生産される量がそれだけで完成生産物である。 もし紡績業者や炭鉱主が,4週間とか6週間の労働日を必要とする生産物量の供給を引き受けるな らば,資本の前貸し期間に関する限りでは,ちょうど,この労働過程で4週間とか6週間とかにわた る一つの連続的労働期間が取り入れられたようなものである。毎日できあがる量は,契約によっ て引き渡されるべき量の一部分でしかない。この場合,注文された商品のすでにできあがった部 分は,生産過程にあるのではないが,しかし潜勢的な資本として倉庫の中に寝ている。 ⑪流通期間の第二の時期,購買期間(資本が貨幣形態から生産資本の諸要素に再転化する期間)。 この期間には資本は長短の時間貨幣資本の状態に留まっていなければならない。つまり,前貸総 資本中のどの部分かが絶えず貨幣資本の状態にならなければならない。たとえば,ある一定の事 業では前貸総資本のうち n×£100 は絶えず貨幣資本の状態に,つまりその生産部面にではなく その流通部面に属する形態に,あるのである。 ⑫すでに見たように,資本が商品資本の形態に封じ込められている期間が市場の遠いことによって 引き延ばされるということは,直接に貨幣の還流の遅延を引き起こし,貨幣資本から生産資本への 資本の転化をも遅らせる。 ⑬第六章で見たように ,商品の購入に関しては,原料の主要仕入地からの距離があるために,生産用 在庫(生産資本の形態)で準備しておくことが必要。そのために,生産規模は不変でも,一度に前 貸しされねばならない資本量と,前貸しされねばならない期間とが大きくなる。 ⑭⑮比較的大量の原料が市場に放出される周期も,色々な事業部門で同様に作用する。たとえば,ロ ンドンでは3カ月毎に羊毛の大競売が行なわれて,それが羊毛市場を支配する。このような周期は, これらの原料の主要な買い入れ時期を決定し,ことにまた,これらの生産要素のための長短の前貸 を伴う思惑的な買い入れにも影響する。それは,ちょうど,生産される商品の性質が,生産物を長 短の期間思惑的にわざと潜勢的な商品資本の形態にとどめておくことに影響するようなもの。 ⑯流通期間の後半(貨幣が生産資本の諸要素に再転化)----考察されるのは,それ自体として見た この転換そのものだけではない。また,市場までの距離に応じて貨幣が還流するのにかかる時間 だけではない。何よりもまず考察されるのは,前貸資本の一部分が絶えず貨幣形態に,すなわち貨 幣資本の状態になければならない部分の大きさである。 ⑰すべての思惑を別問題とすれば,たえず生産用在庫として存在していなければならない商品の購 入量は,この在庫の更新時期にかかっており,したがって,それ自体また市場関係に左右され,そ れ故原料などが違えば違ってくる色々な事情にかかっている。だから,この場合には時々かなり 大きい額の貨幣が一度に前貸しされなければならない。この貨幣は,資本の回転に応じて遅速は あるが,絶えず少しずつ還流する。 ・その一部分は絶えず再び短期間ごとに支出される。労賃に再転化する部分である。 ・だが,原料などに再転化する他の部分は,仕入のためや支払のために準備金として比較的長い期間 積み立てておかねばならない。だから,この部分は貨幣資本の形態で存在する。もっとも,それが 貨幣資本として存在する大きさは変動するが。 ⑱次章で見るように,この他にも色々な事情が,生産過程から生ずるか流通過程から生ずるかを問わ ず,このような前貸資本の一定の部分が常に貨幣形態で存在することを必要にする。 ・ここで一般的に注意さるべきこと:事業のために必要な資本の一部分が絶えず貨幣資本,生産資 本,商品資本という三つの形態を次々に通って行くだけではなく,同じ資本の別々の部分が,たと えこれらの部分の相対的な大きさは絶えず変動するにしても,絶えず相並んでこの三つの形態を とっているということを,経済学者たちは忘れがちだということ。ことに,経済学者たちが忘れて いるのは,いつでも貨幣資本として存在している部分のことである。ところが,まさにこの事情こ そは,ブルジョア経済の理解のために非常に必要なのであり,また実際上でもその重要さを痛感さ れている。 2011年 10月 18日
10月18日(火)に第241回の学習会を行いました。 「第12章 労働期間」にの第21段落から最後(第24段落)までと「第13章 生産期間」の第1段落から第17段落までについてレジュメに基づく報告を受け検討しました。 以下はレジュメです (21)回転の遅いことがイングランドが小借地農業者のもとでさえこのような結果を生むとすれば、それが大陸の小農民のもとではどんなにひどい混乱を引き起こさざるを得ないかは、容易に理解できるであろう。 (22)労働期間の長さ、したがってまた流通可能な商品の完成までの期間の長さに対応して、固定資本がだんだん生産物に移して行く価値部分が積み重なって、この価値部分の還流が遅くなる。しかし、この遅延は、固定資本の投下の更新を引き起こす原因にはならない。機械は、その損耗の補填分が貨幣形態で還流するのが遅かろうと速かろうと、引き続き生産過程で働いている。流動資本はそうではない。労働期間の長さに比例して資本がより長い期間固定されていなければならないだけではなく、また、絶えず新たな資本が労賃や原料や補助材料として前貸しされなければならない。それ故、還流が遅くなることは固定資本と流動資本とに別々の作用をするのである。還流が遅かろうと速かろうと、固定資本は働き続ける。これに反して、流動資本は、まだ売れていない生産物または未完成でまだ売ることのできない生産物の形態に固着しているならば、そしてそれを現物で更新するための追加資本もないならば、還流の遅延によって機能できなくなるのである。―― 「農民は飢えているが、彼の家畜は肥えている。かなりの降雨があって、牧草は茂っていた。インドの農民は太った牛のそばで飢え死にするであろう。迷信の掟は個人にとっては残酷に見えるが、社会にとってはその維持を助けるのである。役畜の維持は農耕の進行を保証し、したがって将来の生計と富との源泉を保証する。残酷で悲惨に見えるかも知れないが、実際、インドでは人間は牛よりも補充しやすいのである。」(『報告。東インド。マドラスおよびオリッサの飢饉』、第四号、四四ページ。) これを『マヌ法典』第一〇章第六二節の次の文句と比較せよ(20)。 「僧または牝牛を維持するための無報酬の献身は・・・・これらの貧しい生まれの種族の至福を保証することができる。」 (23)もちろん、五歳の動物を五年たたないうちに供給することは不可能である。しかし、ある限界の中で可能なことは、取扱方法を変えることによって動物をもっと短い期間でその用途に向くように成熟させることである。このことは、ことにベークウェルによって成し遂げられた。それまではイギリスの羊は、フランスの羊が一八五五年にもまだそうだったように、四歳か五歳になるまではまだ屠殺できるまでに成熟していなかった。ベークウェルの方法によれば、すでに一歳の羊でも肥やし飼いすることができるし、いずれにせよ二年目が終わるまでには完全に成育している。ディシュリ・グレンジの借地農業者ベークウェルは、注意深い淘汰によって、羊の骨格をその生存に必要な最小限度まで小さくした。彼の羊はニュー・レスターズと呼ばれた。 「今では飼育者は、以前一頭の羊を育て上げたのと同じ時間で三頭を市場に供給することができる。しかも、その羊は、最も多く肉のとれる部分が、いっそう幅広く、いっそうまるまると、いっそう大きく発達している。その重量のほとんどが肉ばかりである。」(ラヴェルニュ『イングランド、スコットランド、アイルランドの農村経済』、一八五五年、二〇ページ。) ■【ブロイラー】(英語:broiler)は、肉鶏の一品種。短期間で急速に成長させる狙いで作られた品種である。食肉専用・大量飼育用の雑種鶏の総称。具体的品種としてはチャンキー、コッブ、アーバーエーカなどが主なものとなる。生育がとても早く、数週間で2キロ前後の肉が取れることもあるので知られている。 ブロイラーは徹底した育種改良の研究により、過去50年間で、成長率が1日25gから100gへとあがっている。自然界の鶏は成鶏に達するのに4~5ヶ月かかるところをブロイラーは40日~50日で成鶏に達する。その急激な成長によりブロイラーの30%近くは体を支えることが難しく歩行困難となり、3%はほとんど歩行不能となっている。 もともとはアメリカの食鶏規格の用語で、孵化後2ヵ月半(8-12週齢)以内の若鶏の呼称である。 ブロイル(broil)とは、オーブンなどで丸ごと炙り焼きすることの意味で、ブロイルして売るのに適した大きさの鶏であるためこう呼ばれた。 日本には第二次世界大戦後にくいだおれ創業者の山田六郎によってアメリカから導入された。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC (24)労働期間を短縮する諸方法は、産業部門が違えば非常に違った程度でしか応用できないもので、種々の労働期間の長さの相違を均等化するものではない。前と同じ例で言えば、新たな工作機械の使用によって、機関車一両の製作に必要な労働期間は絶対的には短縮されるであろう。しかし、紡績における諸方法の改良によって毎日または毎週供給される完成生産物が比べものにならないほどより急速に増やされるならば、機械製造における労働期間の長さは、紡績に比べれば、相対的にはやはり増大しているわけである。 第13章 生産期間 ①労働期間は生産期間,資本が生産部面に拘束されている期間である。逆に,資本が生産過程にある すべての期間が必ず労働期間であるとはかぎらない。 ②問題は,労働力そのものの自然的制限による労働過程の中断ではない。工場建物や機械など,固 定資本が労働過程の休止中は遊休しているという事情が,どれほど労働過程の不自然な延長や昼 夜労働への動機の一つになったかは,すでに明らかにした。 ・ここで問題にするのは,労働過程の長さにはかかわりのない,生産物とその生産との性質そのもの によってひき起こされる中断であって,そのあいだ労働対象は長短の期間にわたる自然過程のも とに置かれて,物理的,化学的,生理的諸変化を経るのであり,そのあいだ労働過程はその全体また は一部分が停止されている。 ③ぶどう液----醗酵状態。製陶業----乾燥過程,漂白業----化学的性状の変化,冬作穀物は成熟す るまでに9か月----播種期と収穫期の中間の時期は労働過程はほとんど中断。造林では播種と準 備作業後,完成生産物までに100年----この全期間労働の働きかけは相対的にごくわずか。 ④これらの場合には,生産期間の一大部分,ときどき追加労働が加えられるだけ。生産過程に固定 されている資本に追加資本や労働が加えられなければならないという事情は,ここではただ長短 の中断をはさんでしか生じない。 ⑤これらの場合には前貸資本の生産期間は二つの期間から成っている。一つは,資本が労働過程に ある期間。第二の期間は,資本の存在形態(未完成な生産物という形態)が労働過程にあること なしに自然過程の支配にまかされてある期間。生産期間は労働期間よりも長い。 ・しかし,生産期問がすんでから生産物は完成し,成熟し,生産資本の形態から商品資本の形態に転 化できる。だから,生産期間の長さにしたがって資本の回転期間も長くなる。 ・労働期間を越える生産期間が,穀物の成熟やオークの成長などの場合のように永久的に与えられ ている自然法則によって規定されているのでないかぎり,回転期間が生産期間の人為的短縮によ って多かれ少なかれ短縮されうる。屋外漂白に代わる化学的漂白,乾燥装置,鞣皮業での空気ポ ンプ使用。生産期間を人為的に短縮した最大の実例----鉄生産の歴史(最近100年間における銑 鉄から鋼鉄への転化)。生産期間の短縮と同じ度合いで固定資本の投下額も増大した。 ⑥生産期間と労働期間との不一致の例----アメリカの靴型製造。本来の労働過程にはいる前に,靴 型の木材乾燥に18か月,生産過程にある。この例は,総流動資本の種々の部分の回転期間が,流通 部面からではなく生産過程から生ずる諸事情によって,どんなに異なりうるかをも示す。 ⑦生産期間と労働期間との相違は農業では特に明瞭。温帯では土地は1年に1回穀物を産する。生産 期間(冬作では平均9か月)の短縮または延長は,本来の工業でのように精確に予定され制御される ことはできない。牛乳やチーズなどのような副産物だけが比較的短い期間で連続して生産され販 売されることができる。 ・これにたいして労働期間は次のようになる。「労働日の数は,三つの主要な作業期について次のよ うに見積もられる。春期に50~60,夏期に65~80。秋期に55~75労働日。冬期には,肥料や木材 や市場商品や建築材料などの運搬のような労働が目につく。」(F・キルヒホーフ) ⑧気候がわるければ,農業の労働期間,したがってまた資本と労働との投下は,短い期間に圧縮され る。たとえばロシアのいくつかの北部地方では耕作労働が可能なのは1年に130~150日。もしヨ ーロッパ・ロシアの人口6500万のうち5000万が,すべての耕作労働ができなくなる冬の6か月から8 か月のあいだ仕事なしでいるとすれば,ロシアの受ける損害がどんなに大きいか。 ・ロシアの10,500の工場で働いている200,000の農民のほかに,農村では家内工業が発達している。 すべての農民が代々織物師,なめし師,靴屋,錠前師,刃物師,等々である村々がある。このよ うな家内工業は資本主義的生産への奉仕を強制されている。たとえば織物師には,縦糸も横糸も 商人によって直接か,または問屋の手を経て,供給される。ここでわかるのは,生産期間と労働期 間との不一致が農業と副業的農村工業との結合の自然的基礎をなしており,他方,この副業的農村 工業がまた,最初はまず商人として侵入してくる資本家にとって拠点になる。 ・その後,資本主善的生産が工業と農業との分離を完成するようになると,ますます農村労働者は副 業に依存するようになり,農村労働者の状態は悪化する。資本にとっては,後に見るように,回転 の相違はすべて平均される。労働者にとってはそうはならない。 ⑨本来の工業や鉱山業や運輸業などの部門では,経営は変化のないものであり,労働期間は年々歳々 一様であって,価格の変動や事業の障害などほ異常な中断として度外視すれば,日々の流通過程に はいって行く資本の投下は均等に配分される。同様に,その他の市場関係が不変であれば,流動資 本の還流またはその更新も一年をつうじて均等な諸期間に配分される。 ・労働期間が生産期間の一部分でしかない投資では,流動資本の投下には非常に大きな不均等が生 ずるが,還流は,ただ自然条件によって固定された時期に一度に行なわれる。事業の規模は同じで も(前貸しされる流動資本の大きさは同じでも),労働期間の連続的な事業に比べれば流動資本 が一度により大量により長期間にわたって前貸しされねばならない。 ・ここでは固定資本の寿命と固定資本が現実に生産的に機能する時間との相違も,より大きい。労 働期間と生産期間との相違につれて,充用される固定資本の使用期間も長短の期間に中断される。 農業では役畜や道具や機械。役畜は,飼料などへの支出が必要である。生命をもたない労働手段 の場合には,使用されなくてもある程度の減価が生ずる。だから一般に生産物の価格が高くなる。 というのは,生産物への価値移転は,固定資本が機能している時間によってではなく,固定資本が 価値を失って行く時間によって計算されるから。このような生産部門では固定資本の遊休は,そ れが経常的な費用を必要とするかどうかにかかわらず,その固定資本の正常な充用の一条件をな している。どの労働過程でも,正常な技術的条件のもとで不生産的にではあるが不可避的に支出 された労働力は,生産的労働力とまったく同じに数えられる。労働手段や原料や労働力の不生産 的な支出を減らす改良は,すべて,生産物の価値をも減少させる。 ⑩農業では,労働期間の比較的長い持続と,労働期間と生産期間との大きな差という二つのことが一 体になっている。「農業者のはなはだしい従属状態の主要原因。彼らは一年より短い時間で商品 を市場にだすことはできない。自然的事情の結果として,全国の土地を独占した土地所有者も, 彼らの家来である借地農業者も,国内の最も従属的な人民になる運命から救い出すことができな い」(トマス・ホジスキン) ⑪いろいろな種類の生産物が生産され,一年を通しいろいろな収穫が可能となることによって,一方 では農業での労賃や労働手段への支出が一年じゅうにもっと均等に配分されるようにし,他方で は回転が短縮されるが,このような方法は,前貸しされる労賃や肥料や種子などに投ぜられる流 動資本の増加を必要とする。たとえば,休耕地の必要な三圃式農業からその必要のない輪作式農 業に移行する場合がそうである。 ・フランドル地方の間作の場合もそうである。 「間作では,同じ耕地がまず穀物や亜麻やあぶらな を産し,その収穫がすめば家畜を養うための根菜がまかれる。有角家畜を引き続き家畜小屋に入 れておくことのできるこの方法は,非常に多量の肥料を堆積させるので輪作農業の中軸になる。 砂地地帯では耕作面積の1/3以上が間作に振り向けられる。それは,ちょうど耕地の広さを1/3だ けふやしたようなものである。」 ⑫造林 ----「木材生産が他の生産から本質的に区別される点。木材生産では自然力が独立に作用し, 天然造林にあっては人力や資本力が必要でない。森林が人工造林が行われる場合でも,人力や資 本力の費消は自然力の作用に比べればほんのわずか。穀物生産が引き合わないような地質と地形 でも,森林は繁茂。しかし,造林は,規則的な経営のためには穀物栽培よりも大きな面積が必要。 生産過程は長い期間を必要とし,一個の私経営の計画を越えており,人の一生を越えることもある。 林地の獲得に投ぜられた資本は,長い時間の後に収益をあげるのであり,一部分ずつ回転する。 完全に回転するには木材の種類によっては150年もの期間が必要。永続的な木材生産は,年々の利 用高の10倍から40倍にのぼる生木の保有が必要。ほかに収入もなく広大な森林ももっていない人 は,規則的な林業を経営することはできない。」(キルヒホーフ) ⑬長い生産期間,それ故長い回転期間は,造林を不利な私経営部門,不利な資本主義的経営部門にす る。個々の資本家に代わって結合資本家が現われても,資本主義的経営は本質的には私経営。文 化および産業一般の発達は,昔からきわめて能動的に森林を破壊するものとして実証されてきた が,逆に森林の維持や生産のためにしてきた一切のことは,まったく微々たるもの。 ⑭キルヒホーフからの引用で注目に値する箇所。「永続的な木材生産は,年々の利用高の10倍から40 倍にのぼる生木の保有を必要とする。」つまり,10年から40年以上に一回の回転。 ⑮牧畜でも同様。家畜群(家畜の在庫)の一部分は,他の部分が年間生産物として売られるときにも, 生産過程に残っている。ここでは資本の一部分だけが毎年回転する(機械や役畜などのような固 定資本の場合と同じ)。この資本は,長期間生産過程に固定される資本でありそのため総資本の 回転を長引かせるとはいえ,範疇的な意味での固定資本をなすものではない。 ⑯ここで在庫と呼ばれるもの(一定量の生きている樹木や家)は相対的[本来の在庫と比べれば]に生産 過程にある(労働手段としてと同時に労働材料として)。規則的な経営では,再生産の自然的条件 により,かなりの部分がつねにこの[在庫の]形態をとっていなければならない。 ⑰これと同じような影響を回転に与えるもう一つ別な種類の在庫がある.それは,潜勢的な生産資本 をなし,経営の性質上,現実の生産過程には徐々にはいって行くだけなのに多かれ少なかれ集積さ れていなければならず,したがってかなり長い期間にわたって生産に前貸しされていなければな らないものである。これに属するものは,まだ畑に運ばれていない肥料,家畜の飼育に用いられる 穀物や乾草などの飼料の在庫である。 2011年 10月 11日
10月11日(火)に第240回の学習会を行いました。 「第12章 労働期間」にの第10段落から第20段落までついてレジュメに基づく報告を受け検討しました。 以下はレジュメです (10)生産物または達成されるべき有用効果の独自な性質がその生産のために必要とする労働期間の長短の持続に応じて、流動資本(労賃、原料、補助材料)の不断の追加支出が必要であるが、そのどの部分もまだ流通可能な形態にはなっていないので、どの部分もまだ同じ作業の更新に役立つことはできないであろう。むしろ、どの部分も生産部面の中で生成中の生産物の成分として次々に固定されて行き、生産資本の形態に拘束されている。だが、回転期間は資本の生産期間と流通期間との合計に等しい。だから、生産期間の延長は流通期間の延長と同様に回転速度を減らすのである。しかし、当面の場合には次の二つの点に注意しなければならない。 (11)第一には、生産部面での滞留が長引くこと。たとえば第一週に労働や原料などに前貸しされた資本は、固定資本から生産物に移された価値部分と同様に、三カ月という全期間にわたって生産部面に拘束されたままになっている。そして、まだ生成中の未完成の生産物に合体されているので、商品として流通に入って行くことができない。 (12)第二に、生産行為のために必要な労働期間は三カ月続いて、実際にはただ一つの関連した労働過程をなしているだけだから、絶えず一週間毎に新たな一回分の流動資本が前回のそれにつけ加えられなければならない。だから、次々に前貸しされて行く追加資本の量は、労働期間の長さにつれて増大するのである。 (13)われわれが仮定してきたのは、紡績にも機械製造にも同じ大きさの資本が投ぜられていると言うこと、これらの資本が同じ割合で不変資本と可変資本とに分かれ、またやはり同じ割合で固定資本と流動資本とに分かれているということ、労働日の長さが同じだということ、要するに、労働期間の長さの他はすべての事情が同じだということである。第一週には投下額はどちらにとっても同じ大きさであるが、しかし紡績業者の生産物は売ることができ、その売上げで新しい労働力や新しい原料などを買うことができ、要するに生産を同じ規模で続けることができる。ところが、機械製造業者のほうは、第一週に支出した流動資本を、三カ月後に自分の生産物を完成してからはじめて貨幣に再転化させることができ、こうしてまたあらためて作業することができる。だから、まず第一に、同じ投下資本量の還流が違っている。しかし、第二に、三カ月のあいだ紡績と機械製造とに同じ大きさの生産資本が充用されているのであるが、しかし資本投下の大きさは紡績業者と機械製造業者とではまったく違っている。なぜならば、一方の場合には同じ資本が急速に更新され、したがって同じ作業をまた新たに繰り返すことができるが、他方の場合には資本が比較的緩慢にしか更新されないのでその更新期がくるまでは絶えず新たな資本量が従来の資本量に追加されて行かなければならないからである。だから、資本の一定部分が更新される時間の長さ、すなわち前貸期間の長さも違うし、労働過程の長さに応じて前貸しされなければならない資本の量も(毎日または毎週充用される資本は同じだとはいえ)違うのである。この事情は次のような理由から注意しておかなければならない。というのは、次章で考察される色々な場合のように、前貸の期間が長くなっても前貸しされる資本の量がこの長さに比例して増大することなしに前貸の長さが増すことも有り得るからである。資本はより長く前貸しされなければならず、そしてより大量の資本が生産資本の形態に拘束されているのである。 ★次章の冒頭では《労働期間はつねに生産期間である。すなわち、資本が生産部面に拘束されている期間である。とはいえ、逆に、資本が生産期間にあるすべての期間が必ず労働機関であるとはかぎらない。》と述べている。生産期間は労働期間よりも長いことがあり得る。 (14)資本主義的生産の未発展な段階では、長い労働期間を必要とするためにかなり長期間にわたって大きな資本投下を必要とする諸企業は、ことにそれがただ大規模にしか実行できない場合には、決して資本主義的には経営されない。たとえば共同体や国家の費用による(労働力に関する限りではやや古い時代にはたいてい強制労働による)道路や運河などの場合である。あるいはまた、その生産に比較的長い労働期間の必要な生産物は、ごくわずかな部分だけが資本家自身の資力によってつくられる。たとえば、家屋の建築の場合には、家屋を建てさせる個人は建築業者に前貸金を一部分ずつ支払って行く。だから、この人は実際には家屋の生産過程が進行するにつれて少しずつ家屋の代金を支払って行くわけである。ところが、発展した資本主義時代には、一方では大量の資本が個々人の手の中に集積されており、他方では個別資本家と並んで結合資本家(株式会社)が現われていて同時に信用制度も発達しているのであるが、このような時代には、資本家的建築業者は個々の私人の注文ではもはや例外的にしか建築をしない。彼は立ち並ぶ家屋や市区を市場目当てに建築することを商売にする。それは、ちょうど個々の資本家が請負業者として鉄道を建設することを商売にするようなものである。 (15)どんなに資本主義的生産がロンドンの家屋建築を変革してきたか、これについては一八五七年の銀行委員会である建築業者の行なった証言がわれわれに事情を伝えている。彼の語ったところによれば、彼の若いときには、家屋はたいてい注文で建築され、その金額は建築中にいくつかの建築段階の完了毎に分割して請負業者に支払われた。思惑で建築することはわずかしかなかった。請負業者がそれをやったのは、おもに、自分の労働者を規則的に就業させて手元に集めておくためでしかなかった。最近の四〇年間のあいだにすべてが変わった。注文での建築はごくわずかしか行なわれない。新たな家を必要とする人は、思惑で建てたものかまだ建築中のものの中から探し求める。請負業者はもはや注文客のために仕事をするのではなく、市場目当てに仕事をする。他のどの産業家ともまったく同じように、彼も市場で完成商品をもっていることを余儀なくされている。以前は一人の建築業者が一時に思惑で建築していたのはおそらく三戸か四戸だったが、今では広大な地所を買って(すなわち大陸の言い方ではたいてい九九年ぎめで賃借りして)その上に一〇〇戸も二〇〇戸もの家を建て、自分の資力の二〇倍から五〇倍にもなる仕事をしなければならない。賃金は抵当借入れによって調達され、個々の家屋の建築が進むにつれて貨幣が建築業者に用立てられる。そういう時に恐慌が起きて、前貸金の支払が停止されるならば、全事業が挫折するのが普通である。最善の場合でも、家屋は景気が回復するまで未完成のままでほうっておかれ、最悪の場合には競売に出されて半値で売り飛ばされる。思惑建築、しかも大規模のそれなしには、今日では建築業者はもうやってゆけなくなっている。建築そのものからの利潤はごくわずかである。彼の主な利得は地代の騰貴にあり、敷地の巧妙な選択と利用とにある。このような、家屋の需要を予測した思惑というやり方でベレグレヴィアやタイバーニアのほとんどすべての家屋もロンドンの周囲の無数の郊外住宅も建築されたのである。(『銀行法特別委員会報告書』、第一部、一八五七年、証言、質問第五四一三―五四一八号、第五四三五―五四三六号からの要約。) (16)労働期間がかなり長い大規模な事業の遂行がはじめて完全に資本主義的生産のものになるのは、資本の集積がすでに非常に大きくなっており、他方では、信用制度の発達が資本家に提供する便利な手段によって、自分の資本の代わりに他人の資本を前貸しし、したがってまたそれを危険にさらすことができるようになっているときである。とはいえ、言うまでもなく、生産に前貸しされる資本がその充用者自身のものであるかそうでないかという事情は、回転速度や回転期間には何の影響も与えないのである。 (17)個々の労働日の生産物を増大させる諸事情、すなわち協業や分業や機械の充用は、同時にまた、関連した生産行為の労働期間を短縮する。たとえば機械は家や橋などの建設期間を短縮する。刈取機や打穀機などは、実った穀物を完成商品にするために必要な労働期間を短縮する。造船の改良は、速度を増すことによって、海運に投下された資本の回転期間を短縮する。とはいえ、このような、労働期間を短縮し、したがってまた流動資本が前貸しされていなければならない期間を短縮する諸改良は、たいていは固定資本の投下の増大と結びついている。他方、ある種の部門での労働期間は、ただ協業を拡張するだけでも短縮することができる。鉄道の完成は、労働者の大軍を動員して多くの方面から工事に着手することによって、短縮される。回転期間はここでは前貸資本の増大によって短縮される。より多くの生産手段とより多くの労働力とが資本家の指揮のもとにまとめられていなければならないのである。 (18)それ故、労働期間の短縮は、たいていは、この短縮された期間に前貸しされる資本の増大と結び付けられており、したがって、前貸期間が短くなるにつれて資本の前貸しされる量が大きくなるのであるが、――そうだとすれば、ここでは次のことを注意しておかなければならない。すなわち、社会的資本の現在量を別とすれば、問題は、生産手段や生活手段またはそれらに対する処分力がどの程度に分散しているか、または個々の資本家の手の中にまとめられているか、つまり資本の集積がすでにどれほどの規模に達しているか、に帰着するということである。信用が一人の手の中での資本の集積を媒介し、促進し、増進する限り、それは労働期間の短縮を助け、したがってまた回転期間の短縮を助けるのである。 (19)労働期間が、連続的であろうと断続的であろうと、特定の自然条件によって定められている生産部門では、前述のような手段による短縮が行なわれることはできない。 「より速い回転という言葉を穀作に適用することはできない。というのは穀作では、一年に一回転しかできないからである。家畜については簡単に尋ねたい。二歳羊や三歳羊、また四歳牛や五歳牛の回転はどうすれば速くすることができるか?」(W・ウォルター・グッド『政治・農業・商業に関する謬見』、ロンドン、一八六六年、三二五ページ。) (20)早くから現金を用意しておく必要(たとえば租税や地代などのような固定支払をすますための)はたとえば、家畜が経済的標準年齢に達しないうちに売られたり殺されたりして農業が大損害を受けることによって、この問題を解決する。それはまた結局は肉類価格の騰貴をひき起こす。 「以前はおもに家畜を飼っていて、夏は中部諸州の牧場に、冬は東部諸州の畜舎に家畜を供給していた人々は・・・・穀物価格の変動と下落とによってひどく零落してしまったので、今ではバターやチーズの高価格から利益を引き出すことができるのを喜んでいる。バターのほうは日常の支出をまかなうために毎週市場に持って行く。チーズに対しては仲買人から前払金を受け取り、仲買人はチーズが運搬できるようになりしだいにそれを取りに行くのであるが、価格はもちろん仲買人が自分で定めるのである。このような理由から、そしてまた農業は経済学の諸原則によって規制されるので、以前は酪農地帯から飼育のために南部に送られた子牛が、今ではバーミンガムやマンチェスターやリヴァプールやその他近隣の大都市の屠殺場でたくさんいっしょに、しばしば生後わずかに八日か一〇日で、屠殺されてしまう。ところが、もし麦芽が無税だったならば、農業者たちはもっと多くの利潤をあげて、自分たちの幼牛がもっと年をとって体重が増えるまで手元におくことができたであろうし、またその上に、牝牛をもっていない人々のもとでは麦芽が牛乳の代わりに子牛を育てるのに役だったでもあろう。そして、現在のような恐ろしい幼牛の不足はほとんど避けられたであろう。今もしこれらの小農民に子牛の飼育を進めれば、彼らはこう言うであろう。乳で育てれば引き合うだろうということはわれわれはよく知っている。だが、第一には、現金を出さなければならないであろうが、われわれにはそれができない。また第二に、現金を取り返すまでには長く待たなければならないであろうが、酪農業でならばすぐに取り戻せるのである。」(同前、一一、一二ページ。) 2011年 10月 04日
10月4日(火)に第239回の学習会を行いました。 「第11章 固定資本と流動資本とに関する諸学説 リカード」の第37段落から最後(第41段落)までと「第12章 労働期間」にの第1段落から第9段落までついてレジュメに基づく報告を受け検討しました。 以下はレジュメです (37)ここで特徴的なのは、小麦は、播種用としては生活手段としてではなく原料として役立つとはいえ、それは、第一には、それ自体として生活手段だから流動資本であり、第二には、その還流が一年間にわたるので固定資本だということである。しかし、生産手段を固定資本にするものは、ただ還流の遅速だけではなく、それが生産物に価値を引き渡す特定の仕方なのである。 (38)A・スミスが引き起こした混乱は、次のような結果に導いた。 (39)(一) 固定資本と流動資本との区別が、生産資本と商品資本との区別と混同される。たとえば、同じ機械でも、商品として市場にあれば流動資本であり、生産過程に合体されていれば固定資本である。その場合、なぜある一定の種類の資本が他の種類の資本に比べてより固定的またはより流動的であるかは、全然わからないのである。 (40)(二) すべての流動資本は、労賃に投ぜられた資本または労賃に投ぜられるべき資本と同一視される。J・S・ミルなどはそうである。 (41)(三) 可変資本と不変資本との区別はすでにバートンやリカードなどでは流動資本と固定資本との区別と混同されているのであるが、それがついにはまったく流動資本と固定資本との区別に還元されてしまう。たとえばラムジではそうであって、彼の場合には原料などでも労働手段でもすべての生産手段が固定資本であって、ただ労賃に投ぜられた資本だけが流動資本である。しかし、このような形での還元が行なわれるために、不変資本と可変資本との現実の区別は理解されないのである。 (41)(四) あらゆることをなんとも言い様のない偏狭な銀行員的立場から見る最近のイングランドの、またことにスコットランドの、経済学者たち、たとえばマクラウドやパターソンなどでは、固定資本と流動資本との区別が、money at call(要求払預金)と money not at call(通知預金)との区別になってしまうのである。 ■「money at call(要求払預金)と money not at call(通知預金)との区別」は、長谷部訳では「money at callと money not at callとの(予告なしに引き出しうる預金と予告してのみ引き出しうる預金との)区別」となっている。 【要求払い預金】 要求払い預金は、預入期間が決まっておらず、預金者の要求によっていつでも払い戻すことのできる預金です。いつでも100%現金に換えられるので、現金同様、決済機能を持っています。経済学では、要求払い預金は現金同様貨幣(通貨)に分類されます。日銀のマネーストック統計では、要求払い預金を預金通貨と呼んでいます。 当座預金と普通預金が要求払い預金の代表ですが、その他、貯蓄預金、通知預金、別段預金などがあります。郵貯銀行の貯金は名前は違いますが、銀行の預金と同じです。 要求払い預金は出し入れ自由な反面、利子率は低く、当座預金は無利子です。当座預金を保有していれば、小切手を振り出すことによって商品やサービスの支払いに当てることができ、投資資金の決済に当てることもできます。また、普通預金も口座の振替えによって公共料金の振込みやクレジットカードの決済をすることができます。要求払い預金に対して、預け入れ期間が決まっている預金は定期性預金といいます。(金融用語辞典) http://money.infobank.co.jp/contents/Y300040.htm 【通知預金】通知預金とは、預入後一定期間(据置期間)経過すれば、前もって解約日を申し出ることにより、いつでも解約できる預金のことです。一般的には、据置期間は7日以上で、解約したい日の2日以上前に申し出ることになっていますが、中には、据置期間を1か月以上とする代わりに、金利を優遇するものもあります。利率は、普通預金よりも若干高めに設定されており、解約する日までの日割りで利息がつきます。ただし、据置期間中に解約した場合は、普通預金並みの利率になります。原則として一部解約はできず、全額解約になります。(金融用語辞典) http://money.infobank.co.jp/contents/T300012.htm 【定期預金】定期預金とは、あらかじめ一定の預入期間を定め、その期間満了までは原則として払戻請求を行わないという契約の預金で、貯蓄や中期運用のための商品です。 預入期間により、「定型方式」と「期日指定方式」に分かれます。「定型方式」は、1か月、1年、10年など満期までの期間が一定のもので、「期日指定方式」は預金者が満期日を指定するものです。 また、適用金利で区分すると、預け入れたときの金利が満期日まで適用される「固定金利定期預金」と適用金利が一定期間ごとに見直される「変動金利定期預金」があります。 定期預金には、スーパー定期、期日指定定期預金、大口定期預金、変動金利定期預金などがあります。http://money.infobank.co.jp/contents/T400203.htm 第12章 労働期間 (1)二つの事業部門、たとえば綿紡績業と機関車製造をとり、そこでは労働日は同じ長さで、たとえば十時間の労働過程だとしよう。一方の部門では毎日、毎週一定量の完成生産物、綿糸が供給される。他方の部門では一つの完成生産物、一両の機関車を製造するためには、労働過程はおそらく三カ月のあいだ繰り返されなければならない。一方の場合には生産物は分離性のものであって、毎日または毎週同じ作業が繰り返し開始される。他方の場合には労働過程は連続的で、かなり多数の一日の労働過程を包括していて、これらの労働過程が結合されて、それらの作業の連続性によって、かなり長い期間の後に始めて一つの完成生産物を供給する。この場合、一日の労働過程の長さは同じでも、生産行為の長さには、すなわち、生産物を完成しそれを商品として市場に送り出すために必要な、つまりそれを生産資本から商品資本に転化させるために必要な、繰り返し行なわれる労働過程の長さには、非常に大きな違いが生ずる。固定資本と流動資本との区別はこの相違には何の関係もない。いま述べた相違は、この二つの事業部門で充用される固定資本と流動資本との割合がちょうど同じだという場合にも、やはり存在するであろう。 ★《かなり多数の一日の労働過程を包括していて》は長谷部訳では《より多数の日々の労働過程にまたがっていて》、新日本訳では《かなり多くの日々の労働過程にわたって続き》となっている。 ★どのような生産物を生産する事業部門であるかによって、生産資本を商品資本に転化させるために必要な、繰り返し行われる労働過程の長さには大きな違いある。固定資本と流動資本との区別は、この相違には無関係である。 (2)このような、生産行為の持続の長さの相違は、色々な生産部面のあいだに生ずるだけではなく、同じ生産部面の中でも、供給される生産物の大きさによって生ずる。普通の住宅はより大きい工場よりも短い期間で建築され、したがって、より少ない数の連続的な労働過程を必要とする。一両の機関車の製造に三カ月が必要だとすれば、一隻の装甲艦の建造には一年またはそれ以上の年数が必要である。穀物生産には約一年が必要であり、有角家畜の生産には数年が必要であり、造林は一二年から一〇〇年にわたることもある。田舎道はたぶん数カ月でつくられるであろうが、鉄道は何年もかかる。普通の絨毯はおそらく一週間でできるが、ゴブラン織には数年かかる、等々。要するに、生産行為の持続の長さの相違は無限に多様なのである。 ★ここでは家と工場の建設、機関車と装甲艦の製造、穀物生産と家畜の生産と造林、田舎道の整備と鉄道の敷設がそれぞれ同じ生産部面(建設、製造、農業、交通基盤整備等)として取り扱われている。 (3)生産行為の持続の長さの相違は、明らかに、資本投下が同じ大きさでも回転の速さの相違を、つまり与えられた資本が前貸しされている期間の相違を、生み出さざるを得ない。仮に機械紡績業と機関車製造業とが同じ大きさの資本を充用し、不変資本と可変資本とへの分割が同じであり、資本の固定的成分と流動的成分とへの分割も同じであり、最後に、労働日の大きさも、その必要労働と剰余労働とへの分割も同じだとしよう。さらに、流通過程から生ずる事情でこの場合にとって外的なものはすべて排除するために、糸も機関車も注文によって製造され、完成生産物の引き渡しのさいに代価を支払われるものと仮定しよう。一週間の後に、できあがった糸を引き渡すとき、紡績業者は(ここでは剰余価値は考慮に入れない)投下した流動資本を取り戻し、また糸の価値に含まれている固定資本の消耗分をも取り戻す。そこで、彼は同じ資本で同じ循環をあらためて繰り返すことができる。彼の資本は回転を済ませている。ところが、機関車製造業者のほうは三カ月のあいだ毎週絶えず新たな資本を労賃と原料とに投下しなければならない。そして、三カ月後に機関車が引き渡されてから、はじめて、この期間中に同じ一つの生産行為で同じ一つの商品を生産するために次々に投下されて行った流動資本が、再び、その循環をあらためて開始することのできる形態で現われる。同様に、彼にとってはこの三カ月間の機械の損耗も今はじめて補填される。一方の投下は一週間分であり、他方の投下は一週間の投下の一二倍である。他の事情はすべて同じだと前提すれば、一方の人は他方の人の一二倍の流動資本を動かすことができなければならない。 (4)とはいえ、毎週前貸しされる資本が同額だということは、ここではどうでもよいことである。前貸資本の大きさがどうであろうと、その資本であらためて作業が行なわれるようになるまでに、すなわち、その資本で同じ作業が繰り返されるかまたは別種の作業がはじめられるようになるまでに、一方の場合には資本はたった一週間だけ前貸しされており、他方の場合には一二週間にわたって前貸しされているのである。 (5)回転速度の相違、すなわち、同じ資本価値が再び新たな労働過程または価値増殖過程に役立つようになるまでに一つの資本が前貸しされていなければならない時間の長さの相違は、ここでは次のことから生ずる。 ★《回転速度》という言葉はここで初めて登場する。これまでは《回転期間》と《回転数》として問題にされていた。回転期間が短ければ回転速度は速く、回転期間が長ければ回転速度は遅い。回転期間が1ヶ月であれば1年に12回転し、回転期間が3ヶ月であれば1年に4回転する。前者の回転速度は、後者の回転速度の3倍だということになる。回転速度は、回転期間に反比例し、一定期間における回転数に比例する。 (6)機関車または何らかの機械の製造に一〇〇労働日が必要だと仮定しよう。紡績や機械製造に従事する労働者に関しては、この一〇〇労働日は同じように一つの不連続(分離)量をなしており、仮定によれば、一〇〇の相次いで行なわれる別々の一〇時間労働過程から成っている。しかし、生産物――機械――に関しては、一〇〇労働日は一つの連続量をなしている。すなわち一〇〇〇労働時間の一労働日を、一つにまとまった生産行為を、なしている。このような、多かれ少なかれ多数の相関連する労働日の連続によって形成されている一つの労働日を、私は一労働期間と名づける。われわれが労働日と言うときには、労働者が自分の労働力を毎日支出しなければならない労働時間、すなわち彼が毎日労働しなければならない労働時間の長さを意味する。これに対して労働期間と言う場合には、一定の事業部門で一つの完成生産物を供給するために必要な相関連する労働日の数を意味する。この場合には各労働日の生産物は一つの部分生産物でしかないのであって、それがさらに毎日仕上げられて行って、長短の労働期間の終わりにはじめてその完成した姿を与えられ、一つの完成した使用価値になるのである。 (7)それ故、社会的生産過程の中断や撹乱、たとえば恐慌によるそれが分離の労働生産物に与える影響と、その生産にかなり長い関連した一期間を必要とする労働生産物に与える影響とは、非常に違うのである。一方の場合には、一定量の糸や石炭などの今日の生産に、明日は糸や石炭などの新しい生産が続かなくなる。ところが、船や建物や鉄道などではそうではない。労働が中断されるだけではなく、一つの関連した生産行為が中断されるのである。仕事が続行されなければ、すでにその生産に消費された生産手段や労働は無駄を支出されたことになる。仕事は再開されるとしても、中断期間中は絶えず質の悪化が進行しているのである。 (8)生産物ができあがるまで固定資本が毎日それに移して行く価値部分は、一労働期間全体のあいだ絶えず層をなして積み重なって行く。そして、ここには同時に固定資本と流動資本との区別の実際上の重要性が現われているのである。固定資本はかなり長いあいだ生産過程に前貸しされていて、このおそらくは多年にわたる期間が過ぎるまでは、更新される必要はない。蒸気機関がその価値を少しずつ毎日不連続な労働過程の生産物である糸に移して行くか、それとも三カ月のあいだに一つの連続的な生産行為の生産物である一両の機関車に移すかという事情は、蒸気機関の購入に必要な資本の投下を少しも変えるものではない。一方の場合には蒸気機関の価値は少しずつ、たとえば毎週還流し、他方の場合には、もっと大きな量で、たとえば三カ月毎に還流する。だが、どちらの場合にも、蒸気機関の更新は、おそらく二〇年もたってからはじめて行なわれるであろう。蒸気機関の価値が生産物の販売によって少しずつ還流してくる各個の期間が、蒸気機関それ自身の生存期間よりも短い限り、同じ蒸気機関が幾つもの労働期間にわたって引き続き生産過程で機能するのである。 (9)ところが、前貸資本の流動的成分のほうはそうではない。今週分として買われる労働力は今週のうちに支出されて、生産物に対象化されてしまう。この労働力には今週の終わりに代価が支払われなければならない。そして、このような労働力への資本投下は三カ月のあいだ毎週繰り返されるが、今週のこの資本部分の支出によってこの資本家は来週の労働の購入をまかなうことはできない。労働力への支払には毎週新たな追加資本が支出されなければならない。そして、ここではいっさいの信用関係を無視するとすれば、資本家は、労賃を一週間ずつにわけて支払うのだとはいえ、三カ月のあいだ労賃を投下することができなければならない。流動資本のもう一つの部分、原料や補助材料についても、同じことである。労働の層は次々に生産物の上に積み重なって行く。支出された労働力の価値だけではなく、剰余価値もまた労働過程が続くあいだ絶えず生産物に、といってもまだ完成の姿をもっていないのでまだ流通能力のない未完成な生産物に、移されて行く。原料や補助材料からだんだん生産物に移されて行く資本価値についても、同じことが言える。 2011年 09月 27日
9月27日(火)に第238回の学習会を行いました。 「第11章 固定資本と流動資本とに関する諸学説 リカード」の第27段落から第36段落までについてレジュメに基づく報告を受け検討しました。 以下はレジュメです (27)このようなことは、リカードの価値論とも、事実上剰余価値論である彼の利潤論とも、まったく矛盾している。彼は一般に固定資本と流動資本との区別を、ただ、資本の大きさが同じでも事業部門が違えば固定資本と流動資本との割合が違っているということが価値法則に影響を及ぼす限りで、考察しているだけであり、しかも、この二つの結果としての労賃の暴落がどの程度まで物価に影響するかを考察しているだけである。しかし、彼は、このような局限された研究範囲の中でさえも、固定資本と流動資本を不変資本と可変資本と混同することによって、最大の誤りを犯しているのであって、実際、まったく間違った研究基礎から出発しているのである。すなわち、(一) 資本価値のうち労働力に投ぜられた部分が流動資本の部類に入れられる限りでは、流動資本そのものの規定が間違って展開され、ことに、労働に投ぜられた資本部分をこの部類に入れる事情が間違って展開される。(二) 労働に投ぜられた資本部分を可変資本とする規定と、それを固定資本に対立する流動資本とする規定との混同が生ずる。 (28)はじめから明らかなことであるが、労働力に投ぜられた資本を流動的だとする規定は第二次的な規定であって、この規定では生産過程でのこの資本の種差は消し去られているのである。なぜならば、この規定では、一方では、労働に投ぜられた資本と原料などに投ぜられた資本とが同等になっているからである。不変資本の一部分を可変資本と同一視する項目は、不変資本に対立する可変資本の種差とは関係がないのである。他方では、労働に投ぜられた資本部分と労働手段に投ぜられた資本部分とが互いに対置されるのではあるが、しかし、決して、この二つの資本部分がまったく違った仕方で価値生産に参加するということに関連してではなく、両方の資本部分からそれらの与えられた価値が生産物に移されるのであってただその時間が違っているだけだということに関してである。 (29)すべてこれらの場合には、商品の生産過程で労賃なり原料の価格なり労働手段の価格なりとして投ぜられる与えられた価値がどのようにして生産物に移されるのか、したがってまた、どのように生産物によって流通させられ、生産物の販売によってその出発点に帰されるか、すなわち補填されるか、が問題なのである。ここにある唯一の区別は、「どのようにして」であり、この価値の移転の、したがってまたその流通の、特殊な仕方である。 ★本質的な問題は不変資本と可変資本の区別である。 (30)それぞれの場合にあらかじめ契約によって定められている労働力の価格が貨幣で支払われるか、それとも生活手段で支払われるかは、それが一定の与えられた価値だという性格を少しも変えるものではない。とはいえ、貨幣で支払われる労賃の場合には、生産手段の場合にその価値だけではなくその素材もまた生産過程に入るのとは違って、貨幣そのものが生産過程に入るのではないということは明らかである。ところが、労働者が自分の賃金で買う生活手段が、直接に流動資本の素材的な姿として原料などと一緒に一つの部類に入れられて、労働手段に対置されるならば、それは事態に別の外観を与えることになる。一方の物の価値、生産手段の価値が、労働過程で生産物に移されるとすれば、他方の物の価値、生活手段の価値は、それを消費する労働力の中に再現して労働力の活動によってやはり生産物に移される。すべてこれらの場合に一様に問題にされるのは、生産中に前貸しされた価値が生産物の中にただ再現するということである。(重農学派は本気にそう考えたので、工業労働が剰余価値を創造するということを否定したのである。)前にウェーランドから引用した箇所の中でもそうである。 「どんな形で資本が再現するかは、問題ではない。・・・・人間の生存や慰楽のために必要な各種の食糧や衣服や住居もまた変化させられる。それらは次から次へと消費され、そしてそれらの価値は・・・・再現する。」(『経済学綱要』、三一、三二ページ。) (31)生産に生産手段の姿で前貸しされた資本価値も生活手段の姿で前貸しされた資本価値もここでは一様に生産物の価値の中に再現する。こうして、資本主義的生産過程の完全な神秘化は首尾よく成し遂げられて、生産物の中にある剰余価値の起源はすっかり隠されてしまうのである。 (32)さらにまた、こうして、社会的生産過程で諸物に刻印される社会的な経済的性格を、これらの物の素材的性質から生ずる自然的な性格に転化させるところの、ブルジョア経済学特有の呪物崇拝が完成されるのである。たとえば、労働手段は固定資本である――この、矛盾と混乱に導くスコラ学的規定。労働過程のところ(第一部第五章)では、対象的諸成分が労働手段として機能するか、労働材料として機能するか、それとも生産物として機能するかは、まったくただそれらが一定の労働過程で演ずるその都度の役割によって、それらの機能によって、定まるということが示されたが、――それとまったく同様に、労働手段が固定資本であるのは、ただ、生産過程が一般に資本主義的生産過程である場合、したがって生産手段が一般に資本であり、資本という経済的規定、資本という社会的性格をもっている場合だけである。また、第二に、労働手段が固定資本であるのは、ただ、それが自分の価値をある特殊な仕方で生産物に移す場合だけである。そうでない場合には、それはやはり労働手段ではあるが、固定資本ではない。同様に、たとえば肥料のような補助材料は、もしそれが労働手段の大部分と同じに特殊な仕方で価値を引き渡すならば、労働手段ではないにもかかわらず固定資本になる。ここでは、諸物がそのもとに包摂される定義が問題なのではない。問題は、特定の諸範疇で表現される特定の機能なのである。 ★「第二に」は労働手段が生産資本ではなく商品資本である場合のことか? (33)労賃に投ぜられた資本だということは、生活手段そのものにどんな事情のもとでも備わっている属性である、と言えるならば、「労働を維持する」to support labour{リカード『経済学原理』、二五ページ〔岩波文庫版、上、三三ページ〕}ということもまたこの「流動」資本の性格になる。そこで、もし生活手段が「資本」でないならば、それは労働力を維持しないということになるであろう。ところが、生活手段の資本性格は生活手段に、まさに、他人の労働によって資本を維持するという属性を与えるのである。 (34)もし生活手段それ自体が――資本が労賃に転化した後では――流動資本であるならば、さらに、労賃の大きさは与えられた流動資本量に対する労働者数の割合によって定まる――好んで用いられる経済学的命題――ということになるが、実際には、労働者が市場から引き上げる生活手段量と、資本家が自分の消費のために処分することのできる生活手段量とは、労働の価格に対する剰余価値の割合によって定まるのである。 (35)リカードは、バートン(29a)と同様に、どこでも不変資本に対する可変資本の割合を固定資本に対する流動資本の割合と混同している。それがどんなに利潤率に関する彼の研究を誤らせているかは、もっと後で見るであろう。 (29a) 『社会の労働者階級の状態に影響する諸事情の考察』、ロンドン、一八一七年。これに該当する箇所は第一部、六五五{誤り? 六六〇?}ページ、注七九に引用されている。 (36)リカードは、さらに、固定資本と流動資本との区別とは別の原因から生ずる回転上の区別を、固定資本と流動資本との区別と同一視している。 「流動資本が流通する時間またはその使用者の手に返される時間は、非常に不等でありうるということも、注意しておかなければならない。農業者が播種のために買った小麦は、パン屋がパンにするために買った小麦に比べれば、固定資本である。前者はそれを地中に放置しておいて、一年間はそれを回収することができない。後者はそれを粉にひかせ、パンにして客に売ることができ、そして一週間のうちに自分の資本を自由にして、同じ仕事を繰り返すか、または何か他の仕事を始めることができる(30)。」 (30) リカード『経済学原理』、二六、二七ページ。〔岩波文庫版、上、三四ページ。〕 2011年 09月 20日
9月20日(火)に第237回の学習会を行いました。 「第11章 固定資本と流動資本とに関する諸学説 リカード」の第20段落から第26段落までについてレジュメに基づく報告を受け検討しました。 以下はレジュメです。 (20)これに反して、流動資本という第二次的な、そして労働力に投ぜられた資本部分と不変資本の一部分(原料と補助材料)とに共通な規定が、――すなわち、流動資本に投ぜられた価値はこの資本の消費によって生産された生産物に全部移されてしまい、固定資本の場合のようにだんだん少しずつ移されて行くのではないということ、したがってまた生産物の販売によって全部補填されなければならないということが――、労働力に投ぜられた資本部分の本質的な規定とされるならば、労賃に投ぜられた資本部分も、素材的には、活動しつつある労働力から成っているのではなく、労働者が自分の賃金で買う素材的な要素から、つまり社会的商品資本のうち労働者の消費に入る部分から――生活手段から――成っているということに成らざるを得ない。そうすれば、固定資本は、より遅く消耗ししたがってより遅く補填される労働手段から成っており、労働力に投ぜられた資本は、より速く補填される生活手段から成っているということになる。 (21)とはいえ、消耗がより速いかより遅いかの限界は消えてしまう。 「労働者が消費する食料や衣服、彼がその中で作業する建物、彼の労働を助ける道具、これらはすべて損耗する性質のものである。しかし、これらの種々の資本がもちこたえる時間には大きな差がある。蒸気機関は船よりも長持ちし、船は労働者の衣服よりも、さらに労働者の衣服は彼が消費する食糧よりも長持ちがする(27)。」 (27) リカード『経済学原理』、二六ページ。〔岩波文庫版、上、三三ページ。〕 (22)ここでリカードが忘れているのは、労働者の住むいえ、彼の家具、ナイフやフォークや容器などのような彼の消費用器具のことであり、これらのものはすべて労働手段と同じ耐久性をもっているということである。同じ物、同じ種類の物が、こちらでは消費手段として現われ、あちらでは労働手段として現われる。 (23)区別は、リカードの言うところでは、次のようである。 「資本が急速に損耗するものであって、頻繁に再生産されなければならないか、それともゆっくり消費されるものであるかにしたがって、それは流動資本の項か固定資本の項かに分類される(28)。」 (28) 同前。〔岩波文庫版、上、三五ページ。〕 (24)彼はこれに次のような注をつけている。 「これは本質的でない区分であって、そこでは正確に境界線を引くことはできない(29)。」 (29) 同前。〔岩波文庫版、上、三四ページ。〕 (25)こうして、われわれはどうやら再び重農学派のもとにたどりついた。すなわち、この学派では年前貸と原前貸との区別は、充用資本の消費期間における区別、したがってまたその色々な再生産期間における区別だったのである。ただ、重農学派では社会的生産にとって重要な現象を表わしていて経済表の中でも流通過程との関連の中で示されているものが、ここでは主観的な、そしてリカード自身が言っているところではよけいな、区別になるだけである。 (26)労働に投ぜられた資本部分が、ただその再生産周期、したがってまたその流通期間によってのみ、労働手段に投ぜられた資本部分と区別されるならば、すなわち、一方の部分は生活手段から成っており、他方の部分は労働手段から成っていて、前者はただ消耗がより速いということだけによって後者から区別され、しかも前者そのものがまたいろいろに違う消耗度をもっているとすれば、――もちろん、労働力に投ぜられた資本と生産手段に投ぜられた資本とのすべての種差は消えてなくなるのである。 |
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