『資本論』を読む会の報告

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2008年 11月 11日

第121回 11月11日 第1章 商品 第3節  B 1 展開された相対的価値形態


11月11日(火)に第121回の学習会を行いました。 「読む会通信№312」を元に前回の復習をした後、「第1章 商品 第3節 価値形態または交換価値」の「B 全体的な、または展開された価値形態 1 展開された相対的価値形態」を輪読、検討しました。

●は議論の報告、■は資料、★は報告者によるまとめや意見、問題提起です。
引用は、原則として《》を用いて示し、読む際の便宜を考慮して漢数字を算用数字に変換する場合があります。

■テキストの内容と議論
第1章 商品 第3節 価値形態または交換価値 
B 全体的な、または展開された価値形態



 z量の商品A=u量の商品B または =v量の商品C または =w量の商品D または =x量の商品E または =etc.
(20エレのリンネル=1着の上着 または =10ポンドの茶 または =40ポンドのコーヒー または =1クォーターの小麦 または =2オンスの金 または =1/2トンの鉄 または =その他)

●「展開された価値形態を表すのに、後で出てくる一般的価値形態や貨幣形態のように } を用いていないが、 } を用いるべきでないということなのだろうか」との疑問が出されました。「展開された価値形態では、一つの商品(リンネル)が自分の価値を他のあらゆる商品の現物形態で表すが、それは他の商品と共同して行うわけではない。それは個別商品の私事である。他方、一般的価値形態では、相対的価値形態にあるすべての商品が歩調を合わせて共同行為としてある一つの商品(リンネル)を一般的等価物にする。 } はその共同行為を表現しているのではないか」という発言がありました。一方、「 }にそこまでの意味を持たせているのかは疑問だ。第2形態=展開された価値形態についても{ を用いて表現することはありえるし、そのようにしている人がいたように思う」との発言もありました。

■{ を用いて展開された価値形態を表現している人がいるかどうかを調べたところ、大谷禎之介『図解社会経済学』(69頁)、越村信三郎『新訂図解資本論』(23頁)においては{ を用いた表記がされていました。

1 展開された相対的価値形態

第1段落
・ある一つの商品、たとえばリンネルの価値は、今では商品世界の無数の他の要素で表現される。
・他の商品体はどれでもリンネル価値の鏡になる。
・こうして、この価値そのものがはじめてほんとうに無差別な人間労働の凝固として現れる。
・なぜならば、このリンネル価値を形成する労働は、いまや明瞭に、他のどの人間労働でもそれに等しいとされる労働として表されているからである。
・すなわち、他のどの人間労働も、それがどんな現物形態をもっていようと、したがってそれが上着や小麦や鉄や金などのどれに対象化されていようと、すべてこの労働に等しいとされているからである。
・それゆえ、いまではリンネルはその価値形態によって、ただ一つの他の商品種類にたいしてだけではなく、商品世界にたいして社会的な関係に立つのである。
・商品として、リンネルはこの世界の市民である。
・同時に商品価値の諸表現の無限の列のうちに、商品価値はそれが現れる使用価値の特殊な形態には無関係だということが示されているのである。

★《他のどの人間労働》とは、抽象的人間労働労働のことではなく、具体的有用的労働のことをさしている。岡崎訳では、抽象的人間的労働も人間が行う労働も区別なく「人間労働」とされているが、前者は「人間的労働」という表現で区別を明らかにすべきだと思う。

■《[抽象的労働=人間的労働]労働力支出としての労働とは、人間の力の支出、発揮として見られた活動である。「君はたくさん労働するが、僕はあまり労働しない」、「僕は昨日はたくさん労働したが、今日はあまり労働しなかった」、「これを生産するのには多くの労働が要るが、あれを生産するのには少しの労働しか要らない」などと言うとき、ひとは「労働」という言葉をこの意味で使っている。この意味での労働は、さまざまの具体的形態をもつ現実の労働から労働力支出という共通の質だけを抽象してみた労働だから抽象的労働と呼ばれ、またその共通の質が人間の労働力の支出だから人間的労働とも呼ばれる。抽象的労働の量は継続時間で測られる。その計測単位は、時間(time)の計測単位である、時間(hour)、分、などである。なお「人間の労働」あるいはたんに「人間労働」と言うときには、一般に、具体的労働と抽象的労働との両面をもつ人間の労働のことをさし、「人間的労働」と言うとき、つまり「的」を入れて言うときには、人間の労働の一つの側面である、人間労働力の支出としての労働(つまり抽象的労働)のことを指す 3)。

注3)「人間の労働」あるいは「人間労働」はドイツ語のdie menschliche Arbeit (定冠詞つき)の訳語、「人間的労働」はmenschliche Arbeit (無冠詞)の訳語であって、ドイツ語では両者ははっきりと区別される。「的」の有無に注意してほしい。》(大谷禎之介『図解社会経済学』18-19頁)

★抽象的人間的労働の対象化が価値であり、具体的有用的労働の対象化が使用価値だということができる。

★織布労働=裁縫労働、織布労働=耕作労働、裁縫労働=製鉄労働…とされることによって、 裁縫労働や耕作労働や製鉄労働等々は抽象的人間的労働の現象形態となり、リンネルを織る労働もまた抽象的人間的労働にほかならないことが表現される。

★《商品として、リンネルはこの世界の市民である》とは、単なる使用価値リンネルではなく、価値形態をもったリンネルが商品世界を構成する一部だということだろう。

●注22について、S・ベーリの主張をどう評価するのか。また「リカード学説の急所とは何か」という疑問が出されました。「ベーリは同じ商品のいろいろな相対的表現があることを指摘したが、彼自身には価値概念がなかつたということではないか」「リカード学派の急所とは、価値形態についての分析がなかったということではないか」との発言がありました。

第2段落
・第一の形態、20エレのリンネル=1着の上着 では、これらの二つの商品が一定の量的な割合で交換されうるということは、偶然的事実でありうる。
・これに反して、第二の形態では、偶然的現象とは本質的に違っていてそれを規定している背景が、すぐに現れてくる。
・リンネルの価値は、上着やコーヒーや鉄など無数の違った所持者のものである無数の違った商品のどれで表されようと、つねに同じ大きさのものである。
・二人の個人的商品所持者の偶然的な関係はなくなる。
・交換が商品の価値量を規制するのではなく、逆に商品の価値量が商品の交換割合を規制するのだ、ということが明らかになる。

★《偶然的事実でありうる》とは、いつでも偶然的だというわけではなく、偶然的事実の場合もあるということ。リンネル商品所持者と上着商品所持者という二人の間では、価値量に対応しない割合での交換もありえるということだろうか。

★《二人の個人的商品所持者の偶然的な関係》とはどういう意味か?


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by shihonron | 2008-11-11 23:30 | 学習会の報告


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