『資本論』を読む会の報告

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2008年 11月 18日

第122回 11月18日 第1章 商品 第3節 B 2・3


11月18日(火)に第122回の学習会を行いました。 「第1章 商品 第3節 価値形態または交換価値」の「B 全体的な、または展開された価値形態 2 特殊的等価形態」と「3 全体的な、または展開された価値形態の欠陥」を輪読、検討しました。

●は議論の報告、■は資料、★は報告者によるまとめや意見、問題提起です。
引用は、原則として《》を用いて示し、読む際の便宜を考慮して漢数字を算用数字に変換する場合があります。

■テキストの内容と議論
第1章 商品 第3節 価値形態または交換価値 
B 全体的な、または展開された価値形態
2 特殊的等価形態


・上着や茶や小麦や鉄などの商品はどれもリンネルの価値表現では等価物として、したがってまた価値体として、認められている。
・これらの商品のそれぞれの特定の現物形態は、いまでは他の多くのものと並んで一つの特殊的等価形態である。
・同様に、いろいろな商品体に含まれているさまざまな特定の具体的な有用な労働種類も、いまでは、ちょうどその数だけの、人間労働そのものの特殊な実現形態または現象形態として認められているのである。

●新日本版では《人間労働一般の特殊的な具現形態または現象形態として通用する》と訳されていることに関連して、ここでは、ヘーゲルの一般・特殊・個別といったことが意識されているのだろうかという疑問が出され、ヘーゲルの一般・特殊・個別について分かりやすく説明して欲しいとの要望が出されました。これについて「訳としては《人間労働そのもの》の方がわかりやすく適切ではないか、ことさら一般・特殊・個別を意識してはいないのではないか」という発言がありました。また、普遍(一般)・特殊・個別については「一般は普遍とも呼ばれる。たとえば果物を普遍とすれば、リンゴは特殊、目の前にあるこのリンゴが個別ということになる。しかし、リンゴを普遍、国光とかデリシャスを特殊ということもでき、普遍と特殊は相対的だ」との発言がありました。

★ここでの特殊的等価形態とは、様々な商品が等価形態におかれるのだが、その中の一つということではないか。単純な価値形態では等価形態にくる商品はただ一つだけであり、それは個別的等価形態である。表題では「単純な、個別的な、または偶然的な価値形態」となっていた。

3 全体的な、または展開された価値形態の欠陥

第1段落・第一に、商品の相対的価値表現は未完成である。
・というのは、その表示の列は完結することがないからである。
・一つの価値等式が他の等式につながってつくる連鎖は、新たな価値表現の材料を与える新たな商品種類が現れるごとに、相変わらずいくらでも引き伸ばされるものである。
・第二に、この連鎖はばらばらな雑多な価値表現の多彩な寄木細工をなしている。
・最後に、それぞれの商品の相対的価値が、当然そうならざるをえないこととして、この展開された形態で表現されるならば、どの商品の相対的価値形態も、他のどの商品の相対的価値形態とも違った無限の価値表現列である。
・――展開された相対的価値形態の欠陥は、それに対応する等価形態に反映する。
ここでは各個の商品種類の現物形態が、無数の他の特殊的等価形態と並んで一つの特殊的等価形態なのだから、およそただそれぞれが互いに排除しあう制限された等価形態があるだけである。
・同様に、それぞれの特殊的商品等価物に含まれている特定の具体的な有用な労働種類も、ただ、人間労働の特殊的な、したがって尽きるところのない現象形態でしかない。
・人間労働は、その完全な、または全体的な現象形態を、たしかにあの特殊的諸現象形態の総範囲のうちにもってはいる。
・しかし、そこでは人間労働は統一的な現象形態をもってはいないのである。

●「《どの商品の相対的価値形態も、他のどの商品の相対的価値形態とも違った無限の価値表現列である。》と述べられているが、ここでの《相対的価値形態》とは相対的価値表現のことであり、相対的価値表現あるいは展開された価値形態とする方が適切だと思う」との発言がありました。

★《どの商品の相対的価値形態も、他のどの商品の相対的価値形態とも違った無限の価値表現列である。》とは、商品Aの展開された価値形態は、A=B、A=C、A=D……であり、商品Bの展開された価値形態は、B=A、B=C、B=D…である。このようにどの商品の相対的価値表現においても、右辺は異なった列になることを述べていると思われる。

★《それぞれが互いに排除しあう制限された等価形態》とは、商品Aの展開された価値形態 A=B、A=C、A=D……において、BやCやDは互いに排除しあう、A=BであるならばA=CやA=Dではない。そして、A=Bは商品Aの展開された価値形態の一部、無数の等式のなかの一つにしかすぎないという点で制限されている。

第2段落
・とはいえ、展開された相対的価値形態は、単純な相対的価値表現すなわち第一の形態の諸等式の総計からなっているにすぎない。
・たとえば
  20エレのリンネル=1着の上着
  20エレのリンネル=10ポンドの茶
などの総計からである。

★この個所の《展開された相対的価値形態》は、「展開された価値形態」のことだと思われる。

第3段落
・しかし、これらの等式は、それぞれ、逆にすればまた次のような同じ意味の等式をも含んでいる。
すなわち
   1着の上着 =20エレのリンネル
  10ポンドの茶=20エレのリンネル
などを含んでいる。

第4段落
・じっさい、ある人が彼のリンネルを他の多くの商品と交換し、したがってまたリンネルの価値を一連の他の商品で表現するならば、必然的に他の多くの商品所持者もまた彼らの商品をリンネルと交換しなければならず、したがってまた彼らのいろいろな商品の価値を同じ第三の商品で、すなわちリンネルで表現しなければならない。
・――そこで、20エレのリンネル=1着の上着 または=10ポンドの茶 または=etc.という列を逆にすれば、すなわち事実上すでにこの列に含まれている逆関係を言い表してみれば、次のような形態が与えられる。

●「展開された価値形態から一般的価値形態への移行に際して、マルクスが《列を逆にすれば》と述べていることに対して批判する人々がいる。しかし、価値形態論の課題は貨幣形態への発展を跡づけることであり、単純な価値形態や展開された価値形態は貨幣形態を分析した結果であることを考えれば、こうした叙述も不思議ではない」との発言がありました。

■日高晋氏は「拡大された価値形態から、次の一般的価値形態への移行を『資本論』では、この形態を転倒するならば、として導いている。しかしそこでは転倒されなければならない必然性などなに一つ説明されてはいないし、また説明されることはできないのだから、この移行のばあいに形式の転倒をうんぬんすることはまちがっている。」と述べている。(法政大学通信教育部発行『経済原論(Ⅰ)』19頁)


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by shihonron | 2008-11-18 23:30 | 学習会の報告


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