『資本論』を読む会の報告

shihonron.exblog.jp
ブログトップ
2008年 12月 02日

第124回 12月2日 第1章 商品 第3節 C 1

最初に掲載したものには、左辺と右辺が逆になるなど、重要な個所で誤りがありました。以下は訂正したものです。


12月2日(火)に第124回の学習会を行いました。 「第1章 商品 第3節 価値形態または交換価値」の「C 一般的価値形態 1 価値形態の変化した性格」の第4段落から第8段落までを輪読、検討しました。

●は議論の報告、■は資料、★は報告者によるまとめや意見、問題提起です。
引用は、原則として《》を用いて示し、読む際の便宜を考慮して漢数字を算用数字に変換する場合があります。

■テキストの内容と議論
第1章 商品 第3節 価値形態または交換価値 
C 一般的価値形態


    1着の上着     =  ̄|
    10ポンドの茶   = |
    40ポンドのコーヒー= |
    1クォーターの小麦 = |
    2オンスの金    =   |― 20エレのリンネル
    1/2トンの鉄   = |
    x量の商品A    = |
    等々の商品     = _|

1 価値形態の変化した性格

第1段落
・いろいろな商品はそれぞれの価値をここでは(1)単純に表している、というのはただ一つの商品で表しているからであり、そして(2)統一的に表している、というのは、同じ商品で表しているからである。
・諸商品の価値形態は単純であり共通であり、したがって一般的である。

■新日本版では《諸商品の価値形態は、簡単かつ共同的であり、それゆえ一般的である。》、英語版では《This form of value is elementary and the same for all, therefore general. 》となっている。

第2段落
・形態ⅠとⅡはどちらも、ただ、一商品の価値をその商品自身の使用価値またはその商品体とは違ったものとして表現することしかできなかった。

★単純な価値形態(形態Ⅰ)では、一つの商品はその価値を他の一商品の使用価値で表わす。たとえば 20エレのリンネル=1着の上着 というように。この等式の意味は、20エレのリンネルは価値としては1着の上着に等しいということである。あるいは、20エレのリンネルの交換価値は1着の上着であるともいえよう。ここでは、リンネルの価値は上着という使用価値で表現されており、それによってリンネルの価値は、リンネルの使用価値とは違ったもの―上着と等しいもの―であることが表現されている。展開された価値形態(形態Ⅱ)では、一つの商品はその価値を他のあらゆる商品の使用価値で表わす。しかし、それは単純な価値形態の多彩な寄木細工であり、単純な価値形態と同様に相対的価値形態にある商品の価値をその商品自身の使用価値とは違ったものとして表現するだけである。

第3段落
・第一の形態は、1着の上着=20エレのリンネル、10ポンドの茶=1/2トンの鉄 などという価値等式を与えた。
・上着価値はリンネルに等しいもの、茶価値は、鉄に等しいものというように表現されるのであるが、しかし、リンネルに等しいものと鉄に等しいものとは、すなわち上着や茶のこれらの価値表現は、リンネルと鉄とが違っているように違っている。
・この形態が実際にはっきりと現れるのは、ただ、労働生産物が偶然的な時折の交換によって商品にされるような最初の時期だけのことである。

★第1の形態では、諸商品の価値は、統一的に表現されていないと言うことだろう。

■《直接的生産物交換は、一面では単純な価値形態の形態をもっているが、他面ではまだそれをもっていない。この形態は、x量の商品A=y量の商品B であった。直接的生産物交換の形態は、x量の使用対象A=y量の使用対象B である。AとBという物はこの場合には交換以前には商品ではなく、交換によってはじめて商品になる。》(国民文庫160頁・原頁102)

■《それから、このいわゆる偶然的な価値形態は価値形態の歴史的発展の過程と関係づけることができものなのかどうか、という質問ですが、このようなことが問題になるのは、おそらく、同じ『資本論』のなかに次のような記事が見いだされるからだと思います。

第1の形態は、1着の上着=20エレのリンネル、10重量ポンドの茶=1/2トンの鉄 等々のような価値等式を示した。上着価値は、リンネルに等しいものとして、茶価値は、鉄に等しいものとして、というように表現されるのであるが、しかし、リンネルに等しいものと鉄に等しいものとは、すなわちこれら上着と茶の価値表現は、リンネルと鉄とが違っているように違っている。この形態が実際に現れるのは、明らかにただ、労働生産物が偶然的な時折の交換によって商品に転化される最初の時期だけである。》(『資本論』Ⅰ80頁、「貨幣Ⅰ」[20])

 なるほどここには、「この形態」は「労働生産物が偶然的な……交換によって商品に転化される最初の時期」に「実際に現れる」と書かれていますが、ここで「この形態」と言っているのは、左右両辺のどちらにもただ一つの種類の商品がおかれている、等式としての形態であって、これを、商品の価値表現の基本的な形態としての簡単な価値形態と同じだと読んだら、とんでもない間違いになるでしょう。商品の価値形態は、生産物がすでに商品になっており、その生産のために費やされた労働が、社会の総労働の支出の一部として商品の価値を形成していることを前提しているのであって、この商品の価値を、その商品の使用価値から区別して表現する形態が価値形態なのです。ところが、右に引用した個所で問題にされているのは、「労働生産物が偶然的な……交換によって商品に転化される最初の時期」のことなのだから、そこでは、生産物は交換以前にはまだ商品になっていないわけです。したがって、商品の価値形態もまだ問題になりえないはずです。しかし、このことをわきまえた上でなら、価値形態論での形態発展と歴史におけるそれとの照応関係を考えることは、もちろんそれなりに意味のあることだと思います。》(久留間鮫造『貨幣論』91-92頁)


第4段落
・第二の形態は第一の形態よりももっと完全に一商品の価値をその商品自身の使用価値から区別している。
・なぜならば、たとえば上着の価値は、いまではあらゆる可能な形態で、すなわちリンネルに等しいもの、鉄に等しいもの、茶にひとしいもの、等々として、つまりただ上着に等しいものだけを除いて他のあらゆるものに等しいものとして、上着の現物形態に相対しているからである。
・他方、ここでは諸商品の共通な価値表現はすべて直接に排除されている。
・なぜならば、ここではそれぞれの商品の価値表現のなかでは他のすべての商品はただ等価物の形態で現れるだけだからである。
・展開された価値形態がはじめて実際に現れるのは、ある労働生産物、たとえば家畜がもはや例外的にではなくすでに習慣的にいろいろな他の商品と交換されるようになったときのことである。

★《一商品の価値をその商品自身の使用価値から区別》するとは、一商品の価値は、その商品自身の使用価値以外のあらゆる使用価値によって表現され、価値は自分自身の使用価値とはまったく関わりないことを示しているということだろう。
単純な価値形態においては、他の一つの商品の使用価値によって相対的価値形態にある商品の価値が表現されたが、展開された価値形態においては、他のあらゆる商品の使用価値によって表現される。それによって、相対的価値形態にある商品の価値は、よりはっきりとそれ自身の使用価値から区別される。

★《上着の価値は、…ただ上着に等しいものだけを除いて他のあらゆるものに等しいものとして、上着の現物形態に相対している》という表現について。 単純な価値形態 1着の上着=20エレのリンネル であれば、左辺の「1着の上着」はただ使用価値のみを意味しており、右辺の「20エレのリンネル」は上着の価値を表現している。商品上着は使用価値であるとともに価値なのだが、この等式においては、左辺は上着が使用価値であることを、右辺は上着が価値であることを表現している。こうして使用価値―現物形態―(左辺)は、価値(右辺)に相対しているのである。展開された価値形態においても同様である。違いは、展開された価値形態においては、右辺に相対的価値形態にある商品以外のすべての商品がおかれるということだけである。

●ここで《展開された価値形態がはじめて実際に現れる》時期についてマルクスは述べており、価値形態の発展と歴史的発展との照応関係を意識しているように思われるが、それをどのように考えるかについては価値形態論全体を終えてからの課題としました。

第5段落
・新たにえられた形態は、商品世界の価値を、商品世界から分離された一つの同じ商品種類。たとえばリンネルで表現し、こうして、すべての商品の価値を、その商品とリンネルとの同等性によって表す。
・リンネルと等しいものとして、どの商品の価値も、いまではその商品自身の使用価値から区別されるだけでなく、いっさいの使用価値から区別され、まさにそのことによって、その商品とすべての商品とに共通なものとして表現されるのである。
・それだからこそ。この形態がはじめて現実に諸商品を互いに価値として関係させるのであり、言いかえれば諸商品を互いに交換価値として現れさせるのである。

★《どの商品の価値も、…いっさいの使用価値から区別され》るとはどういうことか。一般的価値形態においては、左辺に一般的等価物となる商品を除いたあらゆる商品が並び、その諸商品が足並みをそろえて自分たちの価値を、ただ一つの商品=一般的等価物商品で表している。展開された価値形態は、価値は左辺に来るあらゆる商品の使用価値とは違ったもの、上着でも茶でもコーヒー等々ではないもの(区別されたもの)であることを表現している。

●《諸商品を互いに価値として関係させる》《諸商品を互いに交換価値として現れさせる》とはどういうことかという疑問が出されました。「どの商品の価値も一般的等価物にされる商品で表されるということを言っているのではないか」「ここではまだ貨幣が登場してはいないが、諸商品が価格をもつという形で互いに交換価値として現れるのと同様なことではないか」との発言がありました。

第6段落
・前のほうの二つの形態は、商品の価値を、ただ一つの異種の商品によってであれ、その商品とは別の一連の多数の商品によってであれ、一商品ごとに表現する。・どちらの場合にも、自分に一つの価値形態を与えることは、いわば個別商品の私事であって、個別商品は他の諸商品の助力なしにこれを成しとげるのである。
・他の諸商品は、その商品にたいして。等価物という単に受動的な役割を演ずる。
・これに反して、一般的価値形態は、ただ商品世界の共同の仕事としてのみ成立する。
・一つの商品が一般的価値表現を得るのは、同時に他のすべての商品が自分たちの価値を同じ等価物で表現するからにほかならない。
・そして、新たに現れるどの商品種類もこれにならわなければならない。
・こうして、諸商品の価値対象性は、それがこれらの物の純粋に「社会的な定在」であるからこそ、ただ諸商品の全面的な社会的関係によってのみ表現されうるのであり、したがって諸商品の価値形態は社会的に認められた形態でなければならないということが、明瞭に現れてくるのである。

★単純な価値形態や展開された価値形態においては、一商品が自分の価値を表現する(自分に価値形態を与える)ことは、個別商品の私事であり、他の諸商品の価値表現とは無関係にそうすることができた。しかし、ある一つの商品を一般的等価物にする一般的価値形態においては、一般的等価物以外のすべての商品が歩調を合わせることが必要である。一商品が一般的価値表現を行うことが可能なのは、他のすべての商品が自分たちの価値を同じ等価物で表現するからである。

★「個別商品の私事」と「商品世界の共同の仕事」

★一般的価値形態は、諸商品の全面的社会的関係の現れである。
 「商品世界」=「諸商品の全面的社会的関係」

●《諸商品の価値対象性は、それがこれらの物の純粋に「社会的な定在」である》とはどういうことかが問題になりました。「価値対象性とは、商品に抽象的人間的労働が対象化されているということではないか」「商品は価値という性質を持っているということではないか」という発言がありました。そして、価値は物の自然的な性質ではなくて社会的な性質だということを確認しました。

■《商品の価値対象性は、どうにもつかまえようのわからないしろものだということによって、マダム・クイックリーとは違っている。商品体の感覚的に粗雑な対象性とは反対に、商品の価値対象性には一分子も自然素材ははいっていない。それゆえ、ある一つの商品をどんなにいじりまわしてみても、価値物としては相変わらずつかまえようがないのである。とはいえ、諸商品は、ただそれらが人間労働という同じ社会的単位の諸表現であるかぎりのみ価値対象性をもっているのだということ、したがって商品の価値対象性は純粋に社会的であることを思い出すならば、価値対象性は商品と商品との社会的な関係のうちにしか現れえないということもまたおのずと明らかである。われわれも、じっさい、諸商品の交換価値または交換関係から出発して、そこに隠されている価値を追跡したのである。いま、われわれは再び価値のこの現象形態に帰らなければならない。》(国民文庫93頁・原頁62)

★《諸商品の価値形態は社会的に認められた形態でなければならない》ということは、単純な価値形態や展開された価値形態ではこうした要請に応える交換価値とはできず、したがって、より発展した価値形態が必要とされるということでもある。

第7段落
・リンネルと等しいものという形態ではいまやすべての商品が質的に同等なもの、すなわち価値一般として現れるだけでなく、同時に、量的に比較されうる価値量として現れる。
・すべての商品がそれぞれの価値量を同じ一つの材料、リンネルに映すので、これらの価値量は互いに反映しあう。
・たとえば10ポンドの茶=20エレのリンネル、そして、40ポンドのコーヒ=20エレのリンネル。したがって、10ポンドの茶=40ポンドのコーヒ というように。
・または1ポンドのコーヒーに含まれている価値実体、労働は、1ポンドの茶に含まれているそれの4分の1でしかない、というように。

★展開された価値形態では、x量の商品A=y量の商品B、x量A=z量の商品C…という形態でx量の商品Aの価値は商品Bや商品Cを材料として表現される。ここでは、商品Bや商品Cの価値は表現されていないので、商品B=商品Cということはできないのではないか。

第8段落
・商品世界の一般的な相対的価値形態は、商品世界から除外された等価物商品、リンネルに、一般的等価物という性格を押しつける。
・リンネルの現物形態がこの世界の共通な価値姿態なのであり、それだから、リンネルは他のすべての商品と直接に交換されうるのである。 
・リンネルの物体形態は、いっさいの人間労働の目に見える化身、その一般的な社会的な蛹化として認められる。
・織布、すなわちリンネルを生産する私的労働が、同時に、一般的な社会的形態に、すなわち他のすべての労働との同等性の形態にあるのである。一般的価値形態をなしている無数の等式は、リンネルに実現されている労働を、他の商品に含まれているそれぞれの労働に順々に等置し、こうすることによって織布を人間労働一般の一般的な現象形態にする。
・このようにして、商品価値に対象化されている労働は、現実の労働のすべての具体的形態と有用的形態とが捨象されている労働として、消極的に表しているだけではない。
・この労働自身の積極的な性質がはっきりと表れてくる。
・この労働は、いっさいの現実の労働がそれらに共通な人間労働という性格に、人間の労働力の支出に、還元されたものである。

●「商品価値に対象化されている労働の積極的な性質」とはどういうことかが問題になりました。「抽象的・人間的労働を現実の労働から具体的形態と有用的形態を捨象したものとしてとらえるのではなく、いっさいの現実の労働から共通なものとして労働力の支出という性格を取りだしたもということではないか」との発言がありました。

★第5段落では、価値について《リンネルと等しいものとして、どの商品の価値も、いまではその商品自身の使用価値から区別されるだけでなく、いっさいの使用価値から区別され、まさにそのことによって、その商品とすべての商品とに共通なものとして表現されるのである。》と述べられていた。自分自身の使用価値からの区別(使用価値の捨象―使用価値ではないあるもの)としてとらえることは消極的であり、すべての商品に共通なものとしてとらえることは積極的だと述べているように思える。


[PR]

by shihonron | 2008-12-02 23:30 | 学習会の報告


<< 第125回 12月9日 第1章...      第123回 11月26日 第1... >>