『資本論』を読む会の報告

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2008年 12月 09日

第125回 12月9日 第1章 商品 第3節 C 1・2

12月9日(火)に第125回の学習会を行いました。 「第1章 商品 第3節 価値形態または交換価値」の「C 一般的価値形態 1 価値形態の変化した性格」の第9段落と「2 相対的価値形態と等価形態の発展関係」の第1段落から第4段落までを輪読、検討しました。

●は議論の報告、■は資料、★は報告者によるまとめや意見、問題提起です。
引用は、原則として《》を用いて示し、読む際の便宜を考慮して漢数字を算用数字に変換する場合があります。

■テキストの内容と議論
第1章 商品 第3節 価値形態または交換価値 
C 一般的価値形態  
1 価値形態の変化した性格


第9段落
・諸労働生産物を無差別な人間労働の単なる凝固として表す一般的価値形態は、それ自身の構造によって、それが商品世界の社会的表現であることを示している。
・こうして、一般的価値形態は、この世界のなかでは労働の一般的な人間的性格が労働の独自な社会的性格となっているということを明らかに示しているのである。

■《一般的価値形態は、それ自身の構造によって、それが商品世界の社会的表現であることを示している。》は、マルクスコレクション版では《一般的価値形態は、それ自身の骨格によって、それが商品世界の社会的表現であることを明示している。》(104頁)、フランス語版では《一般的価値形態は、その構成自体によって、この形態が商品世界の社会的表現であることを示している。》(41頁)となっている。

●「一般的価値形態が商品世界の社会的表現であると述べられているが、どういう意味だろうか」との疑問が出されました。「展開された価値形態までは一商品の価値表現はその商品の私事、個別的なものでしかなかったが、一般的価値形態では、様々な商品の価値表現は様々な商品の共同行為としてなされている。私事ではなく社会的ということではないか」との発言がありました。

★《それ自身の構造》とは、相対的価値形態にあらゆる商品がならび、ただ一つの商品だけが一般的等価物とされているということを指している。あらゆる商品が共同して一つの商品を等価物にし、そのただ一つの商品(一般的等価物)の現物形態によって自分たちの価値を表現している。

●「《この世界のなかでは労働の一般的な人間的性格が労働の独自な社会的性格となっている》とはどういうことだろうか」との疑問が出されました。これについて「商品生産社会においては、社会の総労働の一環であることが、抽象的・人間的労働であることとして現れるということではないか。商品生産社会において労働生産物が価値という性質を持つことの意味を述べているように思われる」との発言がありました。

2 相対的価値形態と等価形態との発展関係

第1段落
・相対的価値形態の発展の程度には等価形態の発展の程度が対応する。
・しかし、これは注意を要することであるが、等価形態の発展はただ相対的価値形態の発展の表現と結果でしかないのである。

■《ここでは二つの異種の商品AとB、われわれの例ではリンネルと上着は、明らかに二つの違った役割を演じている。リンネルは自分の価値を上着で表しており、上着はこの価値表現の材料として役立っている。第一の商品は能動的な、第二の商品は受動的な役割を演じている。》(国民文庫95頁・原頁63)

■《すでに見たように、一商品A(リンネル)は、その価値を異種の一商品B(上着)の使用価値で表すことによって、商品Bそのものに、一つの独特な価値形態、等価物という価値形態を押しつける。》(国民文庫106頁・原頁70)

第2段落
・商品の単純な、または個別的な相対的価値形態は、他の一商品を個別的等価物にする。
・相対的価値の展開された形態、すなわちすべての他の商品での一商品の価値の表現は、これらの商品にいろいろに違った種類の特殊的等価物という形態を刻印する。
・さいごに、ある特別な商品種類が一般的等価形態を与えられるのであるが、それは、すべての他の商品がこの商品種類を自分たちの統一的な一般的な価値形態の材料にするからである。

■フランス語版では《偶然的な等価物》という言葉が用いられている。(41頁)

★単純な価値形態     相対的価値形態←→個別的等価物(偶然的等価物)
 展開された価値形態 相対的価値形態←→特殊的等価物
 一般的価値形態     相対的価値形態←→一般的等価物
 
第3段落
・しかし、価値形態一般が発展するのと同じ程度で、その二つの極の対立、相対的価値形態と等価形態との対立もまた発展する。

■《相対的価値形態と等価形態とは、互いに属しあい互いに制約しあっている不可分な契機であるが、同時にまた、同じ価値表現の、互いに排除しあう、または対立する両端、すなわち両極である。》(国民文庫95頁・原頁63)

第4段落
・すでに第一の形態――20エレのリンネル=1着の上着――もこの対立を含んではいるが、それを固定させてはいない。
・同じ等式が前の方から読まれるかあとのほうから読まれるかにしたがって、リンネルと上着というような二つの商品極のそれぞれが、同じように、ある時は相対的価値形態にあり、ある時は等価形態にある。
・両極の対立をしっかりとつかんでおくには、ここではまだ骨が折れるのである。

●「岡崎訳では《しっかりとつかんでおく》となっているが、新日本訳では《固持する》と訳されている。固持するのは誰なのか」との疑問が出され、「観察者・分析者ではないか」「リンネルや上着ではないか」という二つの意見が出されました。

■長谷部訳では《このばあいでは、両極対立をとり押さえるにはまだ骨がおれる。》
マルクスコレクション版では《この段階では両極の対立を固定しようとしても、まだ相当に骨が折れる。》となっている。

■フランス語版では《この等式をあべこべに読むならば、リンネルと上着とはただたんにその役割を変えるだけだが、等式の形態は同じままである。》との記述がある。(41頁)


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by shihonron | 2008-12-09 23:30 | 学習会の報告


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