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『資本論』を読む会の報告

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2009年 03月 10日

第136回 3月10日 第1章 第4節 商品の呪物的性格とその秘密


3月10日(火)に第136回の学習会を行いました。「第1章 商品 第4節 商品の呪物的性格とその秘密」の第16段落から第17段落を輪読、検討しました。

●は議論の報告、■は資料、★は報告者によるまとめや意見、問題提起です。
引用は、原則として《》を用いて示し、読む際の便宜を考慮して漢数字を算用数字に変換する場合があります。

■テキストの内容と議論
第1章 商品 第4節 商品の呪物的性格とその秘密
第16段落

・商品生産者の一般的な社会的生産関係は、彼らの生産物を商品として、したがって価値として取り扱い、この物的な形態において彼らの私的労働を同等な人間労働として互いに関係させるということにあるのであるが、このような商品生産者の社会にとっては、抽象的人間にたいする礼拝を含むキリスト教、ことにそのブルジョア的発展であるプロテスタント教や理神論などとしてのキリスト教が最も適当な宗教形態である。
・古代アジア的とか古代的などの生産様式では、生産物の商品への転化、したがってまた人間の商品生産者としての定在は、一つの従属的な役割、といっても共同体がその崩壊過程にはいるにつれて重要さを増してくる役割を演じている。
・本来の商業民族は、エピクロスの神々のように、またボーランド社会の気孔の中のユダヤ人のように、ただ古代世界のあいだの空所に存在するだけである。
・あの古い社会的諸生産有機体は、ブルジョア的生産有機体よりもずっと単純で透明ではあるが、しかし、それらは、他の人間との自然的な種族関係の臍帯からまだ離れていない個人的人間の未成熟か、または直接的な支配隷属関係かにもとづいている。
・このような生産有機体は、労働の生産力の低い発展段階によって制約されており、またそれに対応して局限された、彼らの物質的な生活生産過程のなかでの人間の諸関係、したがって彼らどうしのあいだの関係と自然にたいする関係によって制約されている。
・このような現実の被局限性は、観念的には古代の自然宗教や民族宗教に反映している。
・およそ、現実の世界の宗教的な反射は、実践的な日常生活の諸関係が人間にとって相互間および対自然のいつでも透明な合理的関係を表すようになったときに、はじめて消滅しうるのである。
・社会的生活過程の、すなわち物質的生産過程の姿は、それが自由に社会化された人間の所産として人間の意識的計画的な制御のもとにおかれたとき、はじめてその神秘のヴェールを脱ぎ捨てるのである。
・しかし、そのためには、社会の物質的基礎または一連の物質的存在条件が必要であり、この条件そのものがまた一つの長い苦悩にみちた発展史の自然発生的な所産なのである。

★ここでマルクスは、商品生産者の一般的な社会的生産関係について、価値という物的な形態において商品生産者の私的労働を同等な人間労働として互いに関係させるということにあると説明している。

★宗教は階級社会(支配隷属関係や物象的依存関係が存在する社会)に根拠を持っており、宗教(宗教的迷妄)の消滅は単なる啓蒙によってではなく、アソシエーション(共産主義社会)の実現によってはじめて可能になるということだろう。

★ここでは、社会的生活過程と物質的生産過程は同じこととして述べられている。

★社会的生活過程(物質的生産過程)が、自由に社会化された人間の意識的計画的な制御のもとにおかれるのは、アソシエーション共産主義社会)においてである。第15段落では《共同の生産手段で労働し自分たちのたくさんの労働力を自分で意識して一つの社会的労働力として支出する自由な人々の結合体》(国民文庫145頁・原頁92)と表現されていた。

■ キリスト教での「抽象的人間に対する礼拝」について、浜林正夫氏は次のように解説しています。「《キリスト教には、カトリックとプロテスタントがあります。カトリックのほうは飾りたてた物を拝むという傾向があります。カトリックの教会には十字架やキリスト像など飾り物がいっぱいあります。それにたいしてプロテスタントの教会には飾り物はありません。そこで、人びとは十字架を拝むのではなく、自分の心の中に神を思いうかべて拝むという内面的、抽象的な形をとります。理神論というのは、さらにそれが徹底され、特定の神を思いうかべない。つまり、具体的にキリストやエホバなどの特定の神ではなく、心の中に思いうかべる神といった抽象性をもつようになります。そういうかたちが、ブルジョア社会、商品生産の社会にいちばんふさわしいのはなぜか。そこでは、身分の違いをこえて人間がすべて平等に考えられているようなそういう社会だということです。》
(「『資本論』を読む(上)」137‐138頁)

■ キリスト教 キリストきょう
 イエス・キリストの教えを奉じる宗教。仏教,イスラムと並ぶ世界三大宗教の一つで,約10億の信徒を擁する。20世紀後半の今日,諸教派が林立して,信仰上の立場や祭儀上の習慣的相違,教会組織ほか制度上の差異はあるにしても,その根本的教理は諸教派全体を通じて公同の信仰宣言(《使徒信条》および《ニカエア・コンスタンティノポリス信条》)に要約されている。天地の創造主で全智全能の父なる神と,十字架上に死んで復活,昇天した最後の審判者たる子なるキリストと,聖霊の三位一体を信奉し,その恩寵(おんちょう)を得る道としてサクラメントを受領する。最古の形態は原始キリスト教(典拠は《使徒行伝》と使徒書簡)にみられ,聖霊降臨の体験を機として教会の設立と伝道を開始し,主としてパウロの活動で民族をこえて諸国に伝播した。司教(主教),司祭,助祭を聖職者とする教会組織が成立,西方ではローマ司教(教皇)が指導権をもった。ローマ帝国ではネロ,ディオクレティアヌス帝らによる信徒迫害後,313年コンスタンティヌスとリキニウスの両帝が出した〈ミラノ勅令〉によって公認され,392年テオドシウス1世時代に国教となった。さまざまな異端を生んだキリスト論をめぐる問題には,451年カルケドン公会議で結着がつけられた。ローマ帝国の分裂をきっかけに東西の教会は独自の道を歩み,1054年,最終的に分離した。ローマ・カトリック教会では,国家との協調や相克のなか,神学の隆盛(スコラ学),修道院の繁栄をみ,13世紀には勢力が頂点に達したが,さまざまな混乱と刷新を経て16世紀にルターらによる宗教改革が実現,プロテスタント教会(プロテスタンティズム)が勃興(ぼっこう)した。アングリカン・チャーチ(英国国教会)がローマから離れたのも同時期。ごく大まかに,ラテン系諸国はローマ・カトリック教会に,ゲルマン系諸国はプロテスタント教会に,スラブ系諸国は東方正教会に属している。20世紀にはいってプロテスタント側から起こった教会合同運動が進展し,カトリック側も第2バチカン公会議後は,900年にわたる東西両教会間の断絶から和解への道を開いた。キリスト教は常に世界史の歩みと緊密に結びついて発展し,学問や芸術をも深い影響下に置いてきた。近代科学でさえキリスト教的世界観を前提すると言ってよい。功罪はともかく,歴史形成力において比を絶する宗教であり,その動向は現代にあっても注目せざるをえない。  (マイペディアより)

■プロテスタンティズム 
 ローマ・カトリック教会,東方正教会とならぶキリスト教の三大勢力の一つ。宗教改革の結果キリスト教世界に成立したルターやカルバンの福音主義的信仰,ないしはその伝統を受けついだ諸教派の総称で,日本では〈新教〉とも呼ばれ,〈旧教〉たるカトリック教会と対比されるが,適当ではない。教会の伝承ではなく聖書を唯一の信仰のよりどころとする聖書原理,善行の功徳によってでなく信仰によって義とされるとする〈信仰義認説〉,また,信仰者は等しく祭司であるとする〈万人祭司説〉をとる。サクラメントは聖餐(せいさん)と洗礼のみを認める。プロテスタンティズム,特にカルビニズムないしピューリタニズム(ピューリタン)の倫理が近代資本主義の成立に果たした役割を強調するM.ウェーバーの所説は有名。 (マイペディアより)

■理神論 りしんろん
 英語deismの訳。〈自然宗教natural religion〉とも。世界の創造者,合理的な支配者としての神は認めるが,賞罰を与えたり,啓示・奇跡をなす神には反対するキリスト教宗教思想。チャーベリーのハーバート,シャフツベリー(3代伯),とりわけ《キリスト教は神秘的ではない》(1696年)の著者トーランド,M.ティンダル,J.A.コリンズらが代表的論者。近代における宗教批判,寛容思想を支える運動として,英国のみならずディドロ,ボルテール,レッシングらにも影響を与えた。 (マイペディアより)

■アジア的生産様式 アジアてきせいさんようしき asiatische Produktionsweise[ドイツ]
 マルクスは《経済学批判》 (1859) の序言の中で〈アジア的・古代的・封建的および近代ブルジョア的生産様式が経済的社会構成のあいつぐ諸時期〉であるといっている。しかしマルクスはアジア的生産様式の内容についてほとんど説明していないので,その理解をめぐって論争が続いている。第 2 次大戦前の論争は,1925‐27 年の中国革命の戦略問題と結びついて,革命の当面する中国社会がアジア的生産様式にもとづく社会であったか否かをめぐって,ソ連,中国,日本などで展開されたものである。その中でアジア的生産様式を原始共同体とするもの,古代奴隷制や封建制のアジア的変種とするもの,アジア地域にのみみられる特殊な社会とするものなどさまざまな見解が現れたが,古代奴隷制的生産様式の一類型とみるP.B.ストルーベらの説が有力となった。その後,戦時中にマルクスの草稿《経済学批判要綱》の一部《資本制生産に先行する諸形態Formen, die der kapitalistischen Produktion vorhergehn 》が発見され,その中で東洋の総体的奴隷制といわれているものこそアジア的生産様式であり,それは古代奴隷制の一類型だとする渡部義通,石母田正,藤間生大らの見解が日本で通説となった。さらに,1964 年以降,論争は国際的規模で再開された。この年フランスの《パンセ》誌上で, J.シェノー (フランス),テーケー F.(ハンガリー),塩沢君夫 (日本) らがアジア的生産様式の再評価を提案し,同じ年にソ連の経済学者E.バルガもアジア的生産様式論争の復活を提唱し,論争はフランス,東欧,ソ連,日本をはじめ世界的なひろがりとなった。それは,アジア,アフリカ,ラテン・アメリカの民族解放闘争やその独自の発展を背景にし,また世界史発展の基本法則確立の視点から,この概念を抹殺してきたことへの反省が背景になっていたものと思われる。  現在,アジア的生産様式とはアジア的共同体の上に専制君主が君臨する古代専制国家のことであろうと考えるものが多くなったが,その社会の歴史的本質については依然見解が分かれている。国内の状況をみても,原始共同体とするもの (林直道,芝原拓自,原秀三郎ら),奴隷制の一類型としての総体的奴隷制あるいは,さらに前農奴的な隷属民に対する収奪に基づく社会とするもの (多くの古代史家) などの諸説があるが,次のように理解すべきであろう。 アジア的生産様式とは,原始共同体の解体の中から生まれる最初の階級社会で,古代奴隷制的生産様式に先行しこれとは異なる独自の社会であり,アジア地域にのみ出現するものではなく,基本的には世界史上普遍的な一段階である。この社会はアジア的共同体を土台とする。 アジア的共同体の内部には家族が芽生えているが,この家族はまだ耕地を私有せず共同体の耕地を分配されるだけなので,共同体に対して自立できない。そこで共同体機能を国家的規模で集中的に掌握した専制君主は多くの共同体とその内部の家族を支配し,共同体の剰余労働を貢納制度によって収奪することができた。これが独自の階級社会としてのアジア的生産様式である。その典型はエジプト,メソポタミア,インド,中国などに出現した古代専制国家であり,律令体制までの日本の古代国家はこの段階と考えられる。 塩沢 君夫  (世界大百科事典より)

■古典古代 こてんこだい Classical Antiquity
 一般に古代ギリシア・ローマ時代とその文化を指して使われる語。この概念は古典復興の形をとったルネサンスの革新運動の中で生まれ,新しい時代をつくり出すために,古代ギリシア・ローマの人間中心の見方・考え方を模範とし,これを〈規範とすべき第一級の傑作〉という意味で〈古典〉とよんだことからはじまった。 〈古典〉を生み出した古代という意味をもつ古典古代は,それゆえ,近代ヨーロッパがつくり出した概念で,古代に生まれたキリスト教的文化とも,ギリシア以前のオリエント文明とも,またヨーロッパ中世文化とも区別された意味内容をもつ。このような古典古代に特徴的な社会基盤は,共和政や民主政を生み出した市民共同体であり,その中心的成員は自由な土地所有農民であり,自由な土地所有は共同体の公有地とならんで,共同体存立の基礎であった。ミュケナイ時代のギリシア人の共同体も,より古い段階であるとはいえ,この基本的特徴をそなえているところから,古典古代の中に含ませることができる。したがって今日の学問の水準からいっても,古典古代を古代ギリシア・ローマの総称と考えてよい。  太田 秀通  (世界大百科事典より)

■奴隷制社会 どれいせいしゃかい slavery societies
 経済制度または労働組織としての奴隷制度を基盤とする社会。およそ人間社会は,その社会を存続させるに必要な物質の生産を基盤とし,法制的・社会的・宗教的な上部構造に至るまで有機的に結合した,統一的な人間関係としてのみ存在した。具体的には血縁集団としての部族や部族連合や民族として存在し,階級制度を枢軸とする社会では国家機構によって包括されるという形をとったが,階級制度と国家を生み出している社会のなかで,奴隷制社会と規定すべき社会は,いうまでもなく主要生産分野における基底的生産構成体として奴隷制度を見いだすような社会に限られなければならない。したがって奴隷が存在しただけでは奴隷制社会とはいえない。
 このような厳密な意味での奴隷制社会は,世界史の発展を巨視的にとらえれば,古典古代にのみ出現したのであり,それも一定の国家や地域の一定の段階だけに生まれたものである。奴隷制度は古代アジアにも,中世初期のゲルマンやスラブの社会にも,近代アメリカの黒人奴隷プランテーションにも見いだされるが,それらを直ちに奴隷制社会と規定することは不正確のそしりを免れない。今日の奴隷制研究の水準から見ると,古典期アテナイ社会,共和政後期から帝政前期までのローマ社会は,奴隷制社会と規定することができる。前者においては小規模家内奴隷制が中小農民の大部分にまで浸透し,その農業生産の基盤となっていたという理由で,後者においては小規模家内奴隷制と並んで,大規模な奴隷制大所領が発展し,農業生産の主要な経済制度が奴隷制度になっていたという理由で,奴隷制社会と規定しうる。しかし,それゆえ古典古代社会を直接に奴隷制社会と同一であると考えてはならず,商工業が発展した国家の最盛期にのみそれは出現したと見なければならない。古典古代の共通性は,奴隷制社会に求められてはならず,農業生産の基本的枠組みをなしていた古典古代的共同体に求められなければならないのである。   
太田 秀通  (世界大百科事典より)

★「定在」とは「定有」と同じことなのだろうか?

■Sein [ザイン](中性名詞)
 〔(単数の2格)‐s/複数なし〕(哲学)実在,存在,有;あること
 Sein und Schein実在と仮象,実質と外見   (アクセス独話辞典より)

■Da・sein [dznダー・ザイン](中性名詞)
〔(単数の2格)‐s/複数なし〕(文語)
【1】存在,そこにあること;(哲学)現存在
【2】生活
ein glückliches〈kümmerliches〉Dasein幸福な〈みじめな〉生活
der Kampf ums Dasein生存競争
Er fristet sein Dasein.彼は細々と暮らしを立てている (アクセス独話辞典より)

■E・xis・tenz [ksstnエクスィステンツ](女性名詞)
〔(単数の2格)‐/(複数の1・2・3・4格)‐en〕
【1】〔複数なし〕存在;(哲学)実存((英)existence)
Er wusste nichts von der Existenz dieser Unterlagen.彼はこの書類の存在を知らなかった
【2】生活,生計
sich(3格)eine Existenz aufbauen生計を立てる
eine sorglose Existenz führen気楽な生活を送る
【3】《悪い意味の形容詞と》人物,やつ
eine fragwürdige Existenzえたいの知れない人  (アクセス独話辞典より)

■Vor・han・den・sein [フォーアハンデン・ザイン](中性名詞)
〔(単数の2格)‐s/複数なし〕現存,存在    (アクセス独話辞典より)

■定有 [独 Dasein]
ヘーゲルの用語。彼の有(Sein)が、ただあることを意味するのに対し、定有は何ものかであることを意味する。定有するものが或るものであり、或るものは、他の或るものとの関係のうちにある。〈或るものはその質によって、第一に有限であり、第二に変化的である〉といっている。ヘーゲルの定有について注意すべきことは、(1)ここではすでに生成とちがって、単なる流動ではなく相対的安定を基礎とした変化ということが述べられ、(2)量的側面も、(3)本質と現象の区別もまだ考えられていないことである。(『岩波小辞典 哲学』より)

■ブログ【Internet Zone::WordPressでBlog生活】に興味深い記事がありました。
タイトルは「あり方いろいろ 定在、実存、現存」です。

■寺沢恒信氏は、定在について次のように述べている。
《変化の論理は「定在」のこうさつから始まる。
 「定在」とは、知覚の対象になる個別的かつ具体的な事物を、その一般性において表現するカテゴリーである。個別的かつ具体的な事物は、たんに「ある」(存在する)だけでなく、「規定されている」(規定されてある――規定されて存在する)。「規定された存在」という意味である。》
(『弁証法的論理学試論』57頁 原文の傍点部分を太字にしました)

■【臍帯】 へその緒のこと。

■ 【自然宗教】
(1)神の超越的なはたらきによる宗教(啓示宗教)に対し、人間の自然の本性、すなわち理性に基づく宗教。一八世紀以後の啓蒙思潮や理神論の考える宗教がその代表。 →啓示宗教
(2)原始的・自然発生的な宗教。アニミズム・呪物崇拝などの素朴な信仰の総称。
(大辞林 第二版より)

■山折 哲雄氏は、民族宗教について次のように述べている。
《歴史的に形成された世界の諸宗教は,これまでいろいろな基準にもとづいて分類され定義されてきた。まず第 1 に,特定の地域や民族に根ざした宗教としてゾロアスター教,古代ユダヤ教,ヒンドゥー教,道教,神道などをあげ,それに対して地域や民族の違いを超えてひろがった宗教として仏教,キリスト教,イスラム教などをあげる見方があった。この場合,地域や民族に根ざした前者を民族宗教,それらを超える後者を世界宗教と呼ぶのが一般的であったが,このような二分法は,多神教および汎神教と一神教, 原始宗教および部族宗教と高等宗教といった枠組みで諸宗教を分類する方法とも共通していた。しかしこのような諸宗教に関する二分法的な類型化には,〈キリスト教〉対〈非キリスト教〉あるいは〈文明の宗教〉対〈未開の宗教〉といった対立の観念が前提とされており,西欧中心の価値観が横たわっていたことも否定できない。》
《日本人の宗教は,基本的には民族宗教としての神道に外来の仏教信仰が重なり,それに同じ外来の道教や儒教の要素が加わって複雑に形成された。》(世界大百科事典より)

第17段落
・ところで、経済学は、不完全ながらも、価値と価値量とを分析し、これらの形態のうちに隠されている内容を発見した。
・しかし、経済学は、なぜこの内容があの形態をとるのか、つまりなぜ労働が価値に、そしてその継続時間による労働の計測が労働生産物の価値量に、表されるのか、という問題は、いまだかつて提起したことさえなかったのである。
・そこでは生産過程が人間を支配していて人間はまだ生産過程を支配していない社会構成体に属するものだということがその額に書かれてある諸定式は、経済学のブルジョア的意識にとっては、生産的労働そのものと同じに自明な自然必然性として認められている。
・それだから、社会的生産有機体の前ブルジョア的諸形態は、たとえばキリスト教以前の諸宗教が教父たちによって取り扱われるように、経済学によって取り扱われるのである。

★ここでマルクスは、スミスやリカードなどの古典派経済学者を念頭において述べている。古典派経済学は、価値の大きさはその物の生産に投下される労働量によって決まるということを明らかにしたが、なぜ労働が価値という形態をとるのかについては、そうした問題を提起することはなかった。それは、彼らが、価値を歴史的なものとしてではなく、自然なもの、永遠なものだと考えていたからである。彼らにとっては、資本制的生産様式が自然であり、それ以前の封建的生産様式などは、不自然でまちがったもの、不合理なものとされたのである。

●《そこでは生産過程が人間を支配していて人間はまだ生産過程を支配していない社会構成体に属するものだということがその額に書かれてある諸定式》とは何かという疑問が出されました。価値や商品、資本といった概念のことではないかという意見、また、「三位一体の定式」を念頭においているのではないかとの意見も出されました。「三位一体の定式」とは「3つの生産要素である労働、資本、土地が、それぞれ賃金、利子、地代という3つの収入の源泉であり、それらが生産物の付加価値を構成する」というもの。

●「なぜここで生産的労働といった言葉が出てくるのか」との疑問が出され「人間は生きていくためには、食べるものや着るもの等々の物質を生産する必要がある。生産的労働とはそうした物的生産を行うという意味ではないか」との発言がありました。また生産的労働の本源的規定と形態的規定についてマルクスは述べていたという紹介もありました。

■ 【教父】
(1)〔church fathers〕古代キリスト教会の代表的神学者。カトリック教会では、その中でも正統信仰をもち、模範的な生涯を送ったとして特に公認された人々をいう。アウグスティヌスなどが有名。教会教父。
(2)男性の代親。代父。        (大辞林 第二版より)

■ アウグスティヌス [Aurelius Augustinus]
(354-430) 古代キリスト教最大の教父・思想家。青年期マニ教・新プラトン主義などを遍歴、のちキリスト教に回心。故郷北アフリカのヒッポの司教となり、異端との論争を通じてキリスト教の神学的基礎を開く。パウロを高揚し、原罪を負う人間は神の恵みによってのみ救われるという恩恵論を提示。著「告白録」「三位一体論」「神の国」など。 (大辞林 第二版より)

★重要なことが述べられているので、注31と注32の内容を要約しておこう。
・注31 古典派経済学は、価値となって現われる労働を、その生産物の使用価値として現われるかぎりでの同じ労働から、どこでも明文と明瞭な意識とをもっては区別していない。諸労働の単に量的な相違がそれらの質的な一元性または同等性を前提し、したがって諸労働の抽象的人間労働への還元を前提するということには、古典派経済学は考えつかないのである。俗流経済学の浅薄さは、ある商品(ここでは労働)の価値を前提しておいて、それによってあとから他の商品の価値を規定しようとするところにある。

・注32 古典派経済学の根本欠陥の一つは、商品の分析から、価値をまさに交換価値となすところの価値の形態を見つけ出すことに成功しなかったことである。
・その原因は、たんに価値量の分析にすっかり注意を奪われてしまったということだけではなく、なによりもブルジョア的生産様式を社会的生産の永遠の自然形態と見誤ったことにある。



by shihonron | 2009-03-10 23:30 | 学習会の報告


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