『資本論』を読む会の報告

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2009年 03月 24日

第138回 3月24日 第1章 第4節 商品の呪物的性格とその秘密

3月24日(火)に第138回の学習会を行いました。「第1章 商品 第4節 商品の呪物的性格とその秘密」の第19段落から21段落までを輪読、検討しました。

●は議論の報告、■は資料、★は報告者によるまとめや意見、問題提起です。
引用は、原則として《》を用いて示し、読む際の便宜を考慮して漢数字を算用数字に変換する場合があります。

■テキストの内容と議論
第1章 商品 第4節 商品の呪物的性格とその秘密
第19段落

・商品形態は、ブルジョア的生産のもっとも一般的でもっとも未発展な形態であり、それだからこそ、今日と同じように支配的な、したがって特徴的な仕方ではないにせよ、早くから出現するのであって、そのためにその呪物的性格はまだ比較的容易に見ぬかれるように見えるのである。
・それよりももっと具体的な諸形態では、この単純性の外観さえ消えてしまう。重金主義の幻想はどこからくるのか? 重金主義は、金銀から、それが貨幣としては社会的生産関係を、といっても特別な社会的属性をもった自然物の形態で、表しているということを、見てとらなかった。
・また、近代の経済学は、高慢に重金主義を冷笑してはいるが、その呪物崇拝はそれが資本を取り扱うやいなやたちまちに明白になるのではないのか?
・地代は土地から生まれるもので社会から生まれるもではないという重農主義の幻想が消えたのは、どれほど以前のことだろうか?

■第1章第3節A「単純な、個別的な、または偶然的な価値形態」の「三 等価形態」の終わり近くのところでは次のように述べられていた。
《労働生産物は、どんな社会状態のなかにあっても使用対象であるが、しかし労働生産物を商品にするのは、ただ、一つの歴史的に規定された発展段階、すなわち使用物の生産に支出された労働をその物の「対象的」な属性として、すなわちその物の価値として表すような発展段階だけである。それゆえ、商品の単純な価値形態は同時に労働生産物の単純な商品形態だということになり、したがってまた商品形態の発展は価値形態の発展にいったするということになるのである。》(国民文庫117頁、原頁76)

★「それよりももっと具体的な諸形態」とは、あとで触れている事柄からも明らかなように、貨幣、資本、利潤、地代などであろう。

■重金主義 じゅうきんしゅぎ bullionism
重商主義の最も初期段階に現れた素朴な経済思想および経済諸政策の特色を示す名称として使用される。内容的には,貨幣的富 (地金銀) を唯一の富として極度に重要視する点で,他の重商主義思想と区別される。イギリスではすでに 14 世紀以来,地金銀の輸出禁止,輸出商品の取引地を特定した〈貨物集散市 staple town〉の設定,外国商人による輸入商品代金の国外流出防止策として国内商品を強制的に購入させる〈使用条例 statutes of employment〉,輸出商品の代金の少なくとも一部を現金で持ち帰らせる〈取引差額制度 balance of bargain system〉 (取引差額主義は重金主義の別称としても使用される),両替や外国為替取引を直接に統制する〈王立為替取引所 royal exchange〉の設立,などによる直接的・個別的貿易統制策が採用されていた。しかし,重金主義が歴史的概念として注目されるのは, 16 世紀中葉に価格革命への対応策として,これらの諸政策の復活強化が提唱されるようになってから後のことである。 〈グレシャムの法則〉で知られるT.グレシャムやJ.ヘールズはその先駆者的存在で, 重金主義の代表者はマリーンズGerard de Malynes であった。彼は 17 世紀の初めに貿易差額論者 E.ミッセルデンや T.マンを相手に〈外国為替論争〉を引き起こしたが,大勢はこの時期に〈貿易差額主義balance of trade system〉への転換を示していた。 時永 淑  (世界大百科事典より)

■重農主義 じゅうのうしゅぎ physiocracy∥physiocratie[フランス]
18 世紀の後半,フランス絶対王政は,特権的独占商人や奢侈品 (しやしひん) 工業の保護育成を中心とするフランス型重商主義政策 (コルベルティスム colbertisme) や,金融政策を中心とする商業主義 (ジョン・ローの体制) によって,経済的にも財政的にも破綻 (はたん) に采(ひん) し,体制的危機に直面した。その再建策として大農経営の発展を提唱したF.ケネーを創始者とし,その自然法思想や政策的主張や経済学説を祖述し発展させたV.R.ミラボー (ミラボー侯), P.S.デュポン・ド・ヌムール,メルシエ・ド・ラ・リビエール, A.N.ボードー (ボードー師),G.F.ル・トローヌ, A.R.チュルゴなどを代表者とする一団の経済学者に共通する経済思想・政策的主張・理論体系を一括して示す名称。重農思想の先駆者としてはケネーよりも前に, 17 世紀から 18 世紀初めにかけて活躍したP.Le P.ボアギュベール, J.ボーダン,R.カンティヨンなどをあげることができるが,ケネーは単なる農業重視ではなく,資本制的大農経営を重視した点で決定的に異なっている。
 重農主義は本来フィジオクラシーと呼ばれる。この名称はデュポン・ド・ヌムールがケネーの著作集を編集してこれに《 Physiocratie 》 (1767) の名称をつけたからであり,それが一般化したのは,おそらく 19 世紀中葉に L.F.E.デールが重農学派の主要著作を 2 巻本に編集し,この名称をつけてから以後である。重農主義者 (フィジオクラットphysiocrates) たちは,自分たちをエコノミストレconomistes と呼んでいた。それが重農主義 agricultural system と呼ばれるようになったのは, A.スミスが《国富論》でそう呼んだことによるものと思われる。

[重農学派の政策的主張]
 フィジオクラシーとは,もともと〈自然の統治〉を意味する語で,重農学派は王権を合法的に制限する合法的専制主義を最良の政体と考え,当時のルイ王朝を是認しながら自然的秩序による開明的社会を実現しようとした。そのため政策的には,とりわけ経済上の自由放任主義と地代に対する単一課税とを提唱した。自由放任主義の提唱は,重商主義的な国家的干渉や独占の排除によってはじめて〈取引される富〉,とくに農産物にはその正常な再生産を可能にする〈良価 bon prix〉が保証され,その結果,一面では地主階級の収得する地代が増加し,他面では農業資本の増加による農業生産性の上昇が可能になる,という理解を基礎としていた。また地代に対する単一課税論は,恣意 (しい) 的な租税負担を廃止して,課税対象を農業でだけ生みだされる剰余価値つまり〈純生産物produit net〉に限定すべきだと主張し,農業資本ひいては社会的総資本の再生産の縮小を回避することを意図したものである。その理論的根拠は,地主の地代収入となる純生産物だけが,再生産にとって直接必要のない自由処分の可能性をもつという理解にあった。これらの政策的主張を前提にし,重農学派とりわけケネーは,資本制的大農経営を基礎とする社会構造を政治算術的方法によって実証的に分析し,それを自然的秩序として描き出そうとした。その経済学体系は,社会の構成を地主階級,生産階級である農業者階級,不生産階級である商工業者階級に三分し,農業だけが剰余価値つまり〈純生産物〉を生みだし,それが地主階級に地代として支払われるという構想のもとに, 〈経済表〉 (1758) として総括的に示された。

[業績と限界]
 こうした分析は,まず第 1 にアンシャン・レジーム期のフランスの社会構造を対象に,その経済循環を独自な規則的秩序をもったものとして,全体として把握したものである。これは経済学の歴史上,社会的総資本の再生産と流通とを商品資本の循環として解明するための起点として,不朽の業績をなす〈天才的な着想〉 (K.マルクス) であった。第 2 にそれは,剰余価値を流通部面における〈譲渡に基づく利潤〉に求める重商主義的見解を退け,その創出の場を生産部面に求めたのであって,この点では経済学の研究を流通部面から生産部面へ転換させることになり,資本主義的生産を分析するための基礎を確立したといえる。だがその反面,重農主義者が土地を富の唯一の源泉と考え, 〈純生産物〉を〈自然の贈りもの〉と考える見解に固執するかぎりでは,彼らは剰余価値つまり〈純生産物〉を資本と労働との社会的関係からではなく,封建的に土地 (自然) との関係から引き出すことになり,したがって剰余の地主への帰属はその封建的な土地所有関係に由来するものと考えた。また,その理解とは違って重農主義者が〈純生産物〉を生産階級の年前払い (資本) との関係でとらえ,実質的には耕作者の剰余とすることによって,土地を富の唯一の源泉とする重農主義的な封建的外観を解消させるとしても,重農学派は,まだ商品の交換価値を労働時間そのものとして把握することができなかった。そのため,結局その剰余を,耕作者が彼らの年々消費する使用価値としての生活手段量の最低限 (労賃部分) を超えて土地所有者のために生みだす使用価値の超過分としてとらえることしかできなかった。それゆえ,この超過分つまり〈純生産物〉を地代として収得する地主階級が,年々の再生産の指導権をもつかのような封建的外観は,依然として残ることになった。こうして重農主義の諸学説は,多かれ少なかれ封建的土地所有支配のもとでのブルジョア的生産という,二面的な矛盾した性格をもつものであった。

[重農学派の継承・発展]
 ケネーの後継者たちは,この点をめぐっての理解が実に多様であった。なかでもミラボーは,その封建的外観に固執し保守的性格を堅持した点で特徴的である。それとは対照的にチュルゴは,ケネーの所説を踏襲しながらも,階級関係や資本の分析の点で,近代的な〈ブルジョア的本質〉の面を推し進めた。彼は政治家 (財務総監) としても,土地単一税や自由放任政策を徹底させようとした。しかし,フランス革命前の当時としては急進的でありすぎ,結局 A.スミスの《国富論》刊行の 1776 年に失脚し,同時に重農学派の実際的活動も事実上解体した。重農学派の理論的貢献の多くは,むしろイギリス古典派経済学の伝統的見地のなかで,直接にはA.スミスによって継承され発展させられた。また社会的再生産の総体的関連を示す表式的把握は,後年のK.マルクスの再生産表式論の成立に示唆を与えるものであったことが注目される。 時永 淑  (世界大百科事典より)

第20段落
・だが、先まわりすることをやめて、ここでは商品形態そのものについてのもう一つの例だけで十分だとしよう。
・もし商品がものを言えるとすれば、商品はこう言うであろう。われわれの使用価値は人間の関心をひくかもしれない。使用価値は物としてのわれわれにそなわっているものではない。だが、物としてのわれわれにそなわっているものはわれわれの価値である。われわれ自身の商品物としての交わりがそのことを証明している。われわれはただ交換価値として互いに関係しあうだけだ。
・では、経済学者がこの商品の心をどのように伝えるかを聞いてみよう。
・「価値」(交換価値)「は物の属性であり、富」(使用価値)「は人間の属性である。価値は、この意味では必然的に交換を含んでいるが、富はそうではない。」「富」(使用価値)「は人間の属性であり、価値は商品の属性である。人間や社会は富んでいる。真珠やダイヤモンドには価値がある。……真珠やダイヤモンドには、真珠やダイヤモンドとしての価値があるのだ」

★ここで商品が言っていることは正しいのだろうか? 商品は、物の自然的属性である使用価値について《物としてのわれわれにそなわっているものではない》と言い、社会的属性(人と人との関係の表現)である価値は《物としてのわれわれにそなわっている》と語っている。それは、逆立ちした考え(転倒した観念)でありまちがっている。これと同じ内容を経済学者は「価値(交換価値)は物の属性であり冨(使用価値)は人間の属性である」と述べるのである。マルクスは、どのように商品が人を惑わしているかを、商品自身に語らせたといえるのではないか。

第21段落
・真珠やダイヤモンドのなかに交換価値を発見した化学者はまだ一人もいない。ところが、特に批判的な深慮を自称するこの化学的実体の経済学的発見者たちは、物の使用価値はその物的属性にかかわりがないのに、その価値は物としてのそれにそなわっているということを見いだすのである。
・ここで彼らの見解を裏づけるものは、物の使用価値は人間にとって交換なしに、つまり物と人間との直接的関係において実現されるが、物の価値は逆にただ交換においてのみ、すなわち一つの社会的過程においてのみ実現される、という奇妙な事情である。
・ここで、あの好人物のドッグベリが思い出されないだろうか? 彼は番卒のシーコールに教える。
「およそ容貌の善悪は運命の賜であるんじゃが、読むと書くとは自然にして具わるんじゃから」と。

★「使用価値の実現」とは使用すること(消費すること)であり、「価値の実現」とは、他の商品と交換されること(貨幣が生まれていれば貨幣と交換されること、つまり「売れること」――この場合には「価格の実現」とよぶべきか)ではないか。

●ドッグベリのせりふをどう理解するかで少し議論になり、次のような結論になりました。容貌は生まれつきで決まる(自然に具わる)、だから《容貌の善悪は運命の賜》ということは間違ってはいない。しかし、読み書きは自然に具わるのではなく学習によって具わるのに、逆のことを言っている。《読むと書くとは自然に具わる》というのは間違いである。使用価値は人間の属性であり、価値は物の自然的属性であると主張する経済学者たちの誤りは、ドッグベリが《読むと書くとは自然に具わる》と述べたのと同様に逆立ちした考えであることを述べている。


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by shihonron | 2009-03-24 23:30 | 学習会の報告


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