『資本論』を読む会の報告

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2009年 04月 07日

第140回 4月7日 第2章 交換過程

4月7日(火)に第140回の学習会を行いました。『資本論』のこれまでの範囲で気になっている事柄が二つ出されましたが、文章化したものを提出した上で議論しようということになりました。今回から第2章に入り、「第2章 交換過程」の第1段落と第2段落を輪読、検討しました。

●は議論の報告、■は資料、★は報告者によるまとめや意見、問題提起です。
引用は、原則として《》を用いて示し、読む際の便宜を考慮して漢数字を算用数字に変換する場合があります。

■テキストの内容と議論
第2章 交換過程
第1段落

・商品は、自分で市場に行くことはできないし、自分で自分たちを交換し合うこともできない。だから、われわれは商品の番人、商品所持者を捜さなければならない。
・これらの物を商品として互いに関係させるためには、商品の番人たちは、自分たちの意志をこれらの物にやどす人として、互いに相対しなければならない。したがって、一方はただ他方の同意のもとにのみ、すなわちどちらもただ両者に共通な一つの意志行為を媒介としてのみ、自分の商品を手放すことによって、他人の商品を自分のものにする。のである。
・それゆえ、彼らは互いに相手を私的所有者として認めあわなければならない。契約をその形態とするこの法的関係は、法律的に発展していてもいなくても、経済的関係がそこに反映している一つの意志関係である。この法律関係、または意志関係の内容は、経済的関係そのものによって与えられている。ここでは、人々はただ互いに商品の代表者としてのみ、存在する。
・一般に、われわれは、展開が進むにつれて、人々の経済的扮装はただ経済的諸関係の人化でしかないのであり、人々はこの経済的諸関係の担い手として互いに相対するのだということを見いだすであろう。

■《商品の番人》は、新日本版とマルクスコレクション版、長谷部訳では《商品の保護者(たち)》、フランス語版では《商品の保管者や監督者》となっている。

●「商品の番人」は、「商品の世話人」といい変えることもできるとの発言がありました。

★「商品の番人たちは、自分たちの意志をこれらの物にやどす人として、互いに相対しなければならない」というのはどういう意味なのか? 商品という物には意志がないが、人間である商品所有者には意志がある。商品所有者は、自分の商品を自分の意志に基づいて取り扱うということではないか。

●ここでの「契約」とはどんなものかが問題となり、商品の交換(商品の売買)のことだろうという結論になりました。

●《経済的関係がそこに反映している一つの意志関係》の「経済的関係」とはなにかが問題になり、商品生産関係だろうということになりました。

■商品生産関係
 自然発生的な共同体的生産関係をも人格的な支配・隷属関係をも根底からくつがえして、諸個人の物象的な――つまり物象をつうじての――依存関係に置き換えたのは、資本主義的生産様式である。資本主義的生産関係のかなめは資本・賃労働関係という独自の生産様式であるが、この生産様式は、諸個人の物象的な依存関係である商品生産関係を基礎に成立し、商品生産関係によってすっかり覆われている。
 商品生産関係では、労働する諸個人は生産手段にたいして、相互に自立した私的個人としてかかわる。ここでの労働は直接には私的労働である。しかし、こうした私的労働が社会の総労働を形成しているのであり、それは社会的分業の自然発生的な諸分肢として相互に依存しあっている。直接には私的な労働が社会的な労働になるためには労働生産物の交換によらなければならない。だから、労働する諸個人の相互依存は商品および貨幣の交換関係という物象的形態をとり、労働における人間と人間との社会的関係は、物象と物象との社会的関係という装いをとらないではいない。そして、諸個人のこのような物象的依存性のうえに、諸個人の人格的独立性が築かれる。私的諸個人はたがいに、商品・貨幣という物象の人格的代表者としてかかわるのであり。それらの私的所有者として相互に承認しあわなければならない。こうして、ここでは労働における人びとの社会的関係が私的所有という法的関係を成立させるのである。(大谷禎之介『図解社会経済学』34頁)


★「ここでは、人々はただ互いに商品の代表者としてのみ、存在する」とは、商品交換の関係においては、商品所有者は、どんな人か、だれであるかなどとは関係なく、ただ商品を代表する人(人格)としてだけ認められるということだろう。私たちは人を「パン屋さん」とか「靴屋さん」と呼んだりすることがある。それは、その人の名前や年齢や性別、容姿、性格、思想などは全く問題にせず、ただパンや靴という商品の所持者としてのみとらえているるからだ。

■《人々の経済的扮装はただ経済的諸関係人化でしかない》は、新日本版では《諸人格の経済的扮装はただ経済的諸関係の人格化にほかならず》(長谷部訳もほぼ同じ)、マルクスコレクション版では《人格の経済的仮面は経済的諸関係の人格化にすぎず》、フランス語版では《人々が状況においてかぶるさまざまな仮面が、彼らが互いに相手にたいして維持する経済的諸関係の擬人化にほかならない》となっている。

■ペルソナ  [persona] (ラテン)
(1)キリスト教の三位一体論で、父と子と聖霊という三つの位格。本質(ウーシア)が唯一神の自己同一性をあらわすのに対して、個別性を強調する。ギリシャ語では、ヒュポスタシス。
(2)人。人格。人物。
(3)美術で、人体・人体像のこと。
(4)仮面。 (大辞林 第二版より)

●「ドイツ語では、法と権利とは同じ言葉であり、正しことという意味もある」との紹介がありました。

■Recht
[レヒト](中性名詞)
〔(単数の2格)‐[e]s/(複数の1・2・4格)‐e(複数の3格)‐en〕
【1】権利((英)right)
das Recht auf Arbeit働く権利
ein Recht ausüben権利を行使する
Das ist mein gutes Recht.それは私の当然の権利だ
Mit welchem Recht sagen Sie das? なんの権利があってあなたはそんなことを言うのか?
Der Körper verlangt sein Recht.体が休みたがっている(←体が自分の権利を主張する)
【2】〔複数なし〕法,法律
das bürgerliche〈öffentliche〉Recht民法〈公法〉
das Recht beugen〈brechen〉法を曲げる〈犯す〉
nach geltendem Recht現行法に基づいて
gegen das Recht handeln法に反する行動をとる
【3】〔複数なし〕正しいこと,正当性,正義(⇔Unrecht)
zwischen Recht und Unrecht unterscheiden正しいことと正しくないことを区別する
Er war im Recht, als er das sagte.彼がそう言ったのは正しかった (アクセス独話辞典より)

■契約 
〔法〕 私法上、相対する二人以上の合意によって成立する法律行為。債権の発生を目的とするもののほか、身分上の合意や物権的な合意も含まれる。典型契約・非典型契約・混合契約、有償契約・無償契約、諾成契約・要物契約等に区分される。また、より広く合同行為も含めた、複数の意思表示によって成立する法律行為を意味することもある。
(大辞林 第二版)

■法律
(1)社会生活の秩序を維持するために、統治者や国家が定めて人民に強制する規範。法。
(2)憲法に基づいて国家の立法機関により制定される成文法。 (大辞林 第二版)

■法律関係 
法律によって律せられる関係。例えば、家主と借家人の間の権利・義務の関係。
(大辞林 第二版より)

■ 【親和力】
(1)「化学親和力」に同じ。
(2)書名〔原題 (ドイツ) Die Wahlverwandtschaften〕ゲーテの長編小説。1809年刊。化学の親和力の原理を二組の男女の恋愛に適用して、その心理を巧みに描く。 (大辞林 第二版より)

■【化学親和力】
物質間の反応性の違いを説明するために考えられた古典的な概念。一三世紀頃から一九世紀まで、物質の質量・濃度、反応熱などが、化学親和力を表す尺度として提唱された。現在では、化学変化による自由エネルギーの減少値によって表される。親和力。 (大辞林 第二版より)

第2段落
・商品所持者を特に商品から区別するものは、商品にとっては他のどの商品体もただ自分の価値の現象形態として認められるだけだという事情である。だから生まれながらの平等派であり、犬儒派である商品は、他のどの商品とでも、心だけではなくからだまでも取り交わそうといつでも用意しているのである。このような、商品に欠けている、商品体の具体的なものにたいする感覚を、商品所持者は自分自身の五つ以上もの感覚で補うのである。
・彼の商品は、彼にとっては直接的使用価値をもっていない。もしそれを持っているなら、彼はその商品を市場にもってゆかないであろう。彼の商品は、他人とっての使用価値をもっている。彼にとっては、それは、直接にはただ、交換価値の担い手でありしたがって交換手段であるという使用価値をもっているだけである。それだからこそ、彼はその商品を、自分を満足させる使用価値をもつ商品とひきかえに、手放そうとするのである。
・すべての商品は、その所持者にとっては非使用価値であり、その非所持者にとっては使用価値である。だから商品は、全面的に持ち手を取り替えねばならない。そして、この持ち手の取り替えが商品の交換なのであり、また商品の交換が商品を価値として互いに関係させ、商品を価値として実現するのである。それゆえ、商品は、使用価値として実現されうるまえに価値として実現されなければならないのである。

★《商品にとっては他のどの商品体もただ自分の価値の現象形態として認められるだけだ》とは、他の商品体がどんな使用価値をもっているかということ(使用価値としての使用価値)は、商品にとっては問題にならないということだ。

★欲望をもたない物である商品にとっては、他のどんな商品体(商品の現物形態=使用価値)も自分の価値形態(価値の現象形態)として認められるだけである。だから商品は、他のどんな商品との交換にでも応じる準備がある。しかし、人間である商品所持者は、自分の欲求を満たす商品と引き替えでなければ自分の商品を譲渡しようとはしない。

●「《心だけではなくからだまでも取り交わそうといつでも用意している》の《心だけ》は観念的な価値形態を《からだまでも》は現実的な交換を意味している」との発言がありました。

■犬儒派(キニク学派)
〔(ギリシヤ) kynikos(「犬のような」の意)〕アンティステネスを祖とする古代ギリシャの哲学の一派。幸福とは外的な条件に左右されない有徳な生活であるとし、無所有と精神の独立を目指したため反文化的な乞食生活を送る者もいた。シノペのディオゲネスが有名。犬儒学派。キュニコス学派。
http://www.oguradaiclinic.jp/untiku/page666.html

★直接的使用価値とは、消費の対象としての本来的な使用価値のことであり、商品所有者にとっては自分のもっている商品は交換手段であるという使用価値(形態的使用価値)をもつだけだ。

■【五感】
目・耳・舌・鼻・皮膚を通して生じる五つの感覚。視覚・聴覚・味覚・嗅覚(きゆうかく)・触覚。また、人間の感覚の総称としてもいう。 「―を鋭くする」 (大辞林 第二版より)

●「《五つ以上もの感覚》とは、自然的な感覚だけではなく社会的な感覚を念頭に置いて述べられているのでないか」との発言がありました。

★「他人にとっての使用価値」については、第1章第1節の最後でもふれられていた。商品を生産するためには、彼は使用価値を生産するだけではなく、他人のための使用価値、社会的使用価値を生産しなければならない。(国民文庫82頁、原頁55)

★《使用価値は、ただ使用または消費によってのみ実現される。使用価値は、冨の社会的形態がどんなものであるかにかかわりなく、冨の素材的内容をなしている。われわれの考察しようとする社会形態にあっては、それは同時に素材的な担い手になっている――交換価値の。》(国民文庫73頁・原頁50)

■《「使用価値の実現」とは、「一定の欲望の充足に役立ちうる属性を物がもっている、それを実際に役立たすこと、すなわち物がもっているそういう可能性を実現することであって、これはいうまでもなく消費の過程で行われる。これに反して、使用価値としての商品の実現は交換過程上の問題であって、消費過程上の問題ではない。商品の使用価値は、単なる使用価値ではなくて、一定の社会的な規定性をもつ使用価値である。すなわちそれは、現にそれを商品としてもっている者のための使用価値ではなくて、他人のための使用価値である。だからそれは、それを必要とする他人の手に移らねばならぬ。そうすることによってはじめて、使用価値として実際に役立ちうることになる。マルクスが「使用価値としての商品の実現」といっているのはこのことをさすのであって、消費の過程においてではなく、交換の過程において行われる。」(久留間鮫造『価値形態論と交換過程論』14頁)
・「価値の実現ということは、いわば即自的にのみある商品の価値を、現実の価値に、客観的に妥当な価値の姿態に、すなわち貨幣に転化することであって、これはいうまでもなく販売の過程においておこなわれる。ところが、交換過程論で価値としての商品の実現が問題とされている場では、貨幣はまだ形成されておらず、交換の過程はまだ販売および購買の二つの過程に分裂していないのであるから、この点からだけみても、価値としての商品の実現という言葉が商品の価値の実現ということとはちがった意味に用いられていることは明らかなはずである。では、それはどういう意味であるかというと、現にマルクス自身が「彼[商品所持者]は彼の商品を価値として実現しようと欲する。すなわち、彼自身の商品がその他商品の所有者にとって使用価値をもつと否とにかかわらず、同じ価値ある任意の他商品で実現しようと欲する」(「資本論」第1巻、九二頁)といっているのによっても明らかなように、商品を現に価値であるものとして妥当させること、価値としての能力を実現すること、を意味するのである。》(久留間鮫造『価値形態論と交換過程論』15頁)

★「商品は、使用価値として実現されうるまえに価値として実現されなければならないのである。」とはどういうことか? 商品所有者は、自分の欲しい他商品と引き替えにでなければ、自分の商品を相手に譲渡しようとはしない。それを必要とする人に譲渡されることによってはじめて使用価値としての実現がなされるのだが、その譲渡のためには、自分の欲しい商品を手に入れる(価値として実現する)ことが条件になるということだろう。

●「商品の使用価値としての実現と価値としての実現はどちらが先なのか」という疑問が出され、「今後展開されていくが、相互前提の関係ではないか」との発言がありました。


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by shihonron | 2009-04-07 23:30 | 学習会の報告


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