『資本論』を読む会の報告

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2009年 04月 21日

第142回 4月21日 第2章 交換過程

4月21日(火)に第142回の学習会を行いました。「第2章 交換過程」の第3段落から第5段落を輪読、検討しました。

●は議論の報告、■は資料、★は報告者によるまとめや意見、問題提起です。
引用は、原則として《》を用いて示し、読む際の便宜を考慮して漢数字を算用数字に変換する場合があります。

■テキストの内容と議論
第2章 交換過程
第3段落

・他方では、商品は価値として実現しうるまえに、自分を使用価値として実証しなければならない。なぜならば、商品に支出された人間労働は、ただ他人にとって有用な形態で支出されたかぎりでしか、数にはいらないからである。ところが、その労働が他人にとって有用であるかどうか、したがってまたその生産物が他人の欲望を満足させるかどうかは、ただ商品の交換だけが証明することができるのである。

★商品所有者は、自分の欲する他商品を手に入れる(商品の価値として実現する)ためには、自分の商品が他人にとって有用であることを実証する(商品の使用価値としての実現)ことが条件になる。しかし、自分の商品が他人にとって有用であることは、交換によってしか実証されないということではないか。「使用価値としての実現」と「使用価値として実証する」はともに、その商品を必要とする人の手に渡ることといえるのではないか。

第4段落
・どの商品所有者も、自分の欲望を満足させる使用価値をもつ別の商品とひきかえにでなければ自分の商品を手放そうとはしない。そのかぎりでは、交換は彼にとってはただ個人的な過程でしかない。他方では、彼は自分の商品を価値として実現しようとする。すなわち、自分の気にいった同じ価値の商品でさえあれば、その商品の所有者にとって彼自身の商品が使用価値をもっているかどうかにかかわりなく、どれででも実現しようとする。そのかぎりでは、交換は彼にとって一般的な社会的過程である。だが、同じ過程が、すべての商品所持者にとって同時にただ個人的でありながらまた同時にただ一般的社会的であるということはありえない。

★「そのかぎりでは、交換は彼にとってはただ個人的な過程でしかない」というのは、ここでは彼が自分の必要とする商品を入手するということでしかない、ただ自分の必要とする商品をもっている個人と交渉をもつにすぎないということであろう。価値形態で言えば相対的価値形態にある商品の私事として成立する単純な価値形態や展開された価値形態に相当する。また「そのかぎりでは、交換は彼にとって一般的な社会的過程である」とは、彼は自分の商品を任意の他の商品と無条件に交換しようとするのであり、自分の商品を一般的等価物とみなしている。だが、一般的等価物であるためには、他のすべての商品が歩調をそろえてその商品の現物形態で自分たちの価値を表現しなければならない。つまり他のあらゆる商品の社会的行為のみが一般的等価物を生み出すことができるのである。それは個人的な過程=私事ではなく一般的な社会的過程である。

■英語版ではprivate transactionとなっており、「私的取引」(私事)と訳すこともできる。

この箇所は英語版では以下のようです。
Every owner of a commodity wishes to part with it in exchange only for those commodities whose use-value satisfies some want of his. Looked at in this way, exchange is for him simply a private transaction. On the other hand, he desires to realise the value of his commodity, to convert it into any other suitable commodity of equal value, irrespective of whether his own commodity has or has not any use-value for the owner of the other. From this point of view, exchange is for him a social transaction of a general character. But one and the same set of transactions cannot be simultaneously for all owners of commodities both exclusively private and exclusively social and general.

 Looked at in this way, exchange is for him simply a private transaction. 
 「このようにみれば、交換は彼にとっては単なる私的取引である」

 From this point of view, xchange is for him a social transaction of a general character.
 「この観点からすると、交換は彼にとって、一般的な性格をもつ社会的取引である」

第5段落
・もっと詳しく見れば、どの商品所持者にとっても、他人の商品はどれでも自分の商品の特殊的等価物とみなされ、したがって自分の商品はすべての他の商品の一般的等価物とみなされる。
・だがすべての商品所持者が同じことをするのだから、どの商品も一般的等価物ではなく、したがってまた諸商品は互いに価値として等置され価値量として比較されるための一般的な相対的価値形態をもっていない。
・したがってまた、諸商品は、けっして商品として相対するのではなく、ただ生産物または使用価値として相対するだけである。

★自分の商品を一般的等価物とみなすとは、自分の商品は任意の他商品と直接に交換できるものだとみなすことである。しかし、それはひとりよがりにすぎない。実際に他の任意の商品と直接に交換可能なわけではない。
商品は、自分で一般的等価物になることはできない。自分を除いたすべての商品によって、受動的に一般的等価物にされるのである。商品世界が歩調を合わせ、ある一商品を商品世界から除外し、その商品だけを等価物だと認めることによって、その商品は一般的等価物にされるのである。(価値形態C=第3形態)
それぞれの商品が、自分は一般的等価物であり、他商品と等しく、いつでも他商品と交換可能だと言ってみても、通用しないのである。別の言い方をすれば、それぞれの商品を代表するそれぞれの商品所持者たちが自分の商品を一般的等価物だとみなしてみても通用しないのである。なぜなら、すべての商品所持者が自分の商品を一般的等価物であるとみなし、他の商品所持者の商品を一般的等価物とは認めようとはしないからである。

★「商品として相対するのではなく、ただ生産物または使用価値として相対するだけである」とはどういうことか? 労働生産物は、使用価値に加えて、価値形態をもつことによって商品となる。ここでは、一般的価値形態をもつことができないので、労働生産物は価値形態をもつことができず、商品として、価値として等しいものとして相対することができないということを述べているのではないか。


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by shihonron | 2009-04-21 23:30 | 学習会の報告


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