『資本論』を読む会の報告

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2009年 05月 19日

第145回 5月19日 第2章 交換過程

5月19日(火)に第145回の学習会を行いました。「読む会通信」№330をもとに前回の復習をした後、「第2章 交換過程」の第9段落から第11段落を輪読、検討しました。

●は議論の報告、■は資料、★は報告者によるまとめや意見、問題提起です。
引用は、原則として《》を用いて示し、読む際の便宜を考慮して漢数字を算用数字に変換する場合があります。

■テキストの内容と議論
第2章 交換過程
第9段落

・直接的生産物交換では、どの商品も、その商品の所持者にとっては直接に交換手段であり、その非所持者にとっては等価物である。
・といっても、それが非所持者にとって使用価値であるかぎりでのことではあるが。
・つまり、交換される物品は、それ自身の使用価値や交換者の個人的欲望にはかかわりのない価値形態をまだ受け取っていないのである。
・この形態の必然性は、交換過程にはいってくる商品の数と多様性とが増大するにつれて発展する。
・課題は、その解決の手段と同時に生まれる。
・商品所持者たちが彼ら自身の物品をいろいろな他の物品と交換し比較する交易は、いろいろな商品がいろいろな商品所持者たちによってそれらの交易のなかで一つの同じ第三の商品種類と交換され価値として比較されるということなしには、けっして行われないのである。
・このような第三の商品は、他のいろいろな商品の等価物となることによって、狭い限界のなかでではあるが、直接に、一般的な、または社会的な等価形態を受け取る。
・この一般的等価形態は、それを生み出した一時的な社会的接触と一緒に発生し消滅する。
・かわるがわる、そして一時的に、一般的等価形態はあれこれの商品に付着する。
・しかし、商品交換の発展につれて、それは、排他的に特別な商品種類だけに固着する。
・言いかえれば、貨幣形態に結晶する。
・それがどんな商品種類にひきつづき付着しているかは、はじめは偶然である。
・しかし、だいたいにおいて二つの事情が事柄を決定する。
・貨幣形態は、域内生産物の交換価値の実際上の自然発生的な現象形態である外来の最も重要な交換物品に付着するか、または域内の譲渡可能な財産の主要要素をなす使用対象、たとえば家畜のようなものに付着する。
・遊牧民族は最初に貨幣形態を発展させるのであるが、それは、彼らの全財産が可動的な、したがって直接に譲渡可能な形態にあるからであり、また、彼らの生活様式が彼らを絶えず他の共同体と接触させ、したがって彼らに生産物交換を促すからである。
・人間はしばしば人間そのものを奴隷の形で原始的な貨幣材料にしたが、しかし土地をそれにしたことはなかった。
・このような思いつきは、すでにできあがったブルジョア社会でしか現われることはできなかった。
・それが現われたのは、17世紀の最後の三分の一期のことであり、その実行が国家的規模で試みられたのは、やっと一世紀後にフランスのブルジョア革命のさいちゅうのことだった。

★《直接的生産物交換では、どの商品も、その商品の所持者にとっては直接に交換手段であり》というのは、「直接に使用対象(自分にとっての使用価値)ではなく、交換手段である」という意味であろう。

★《その非所持者にとっては等価物である》とは、AとBが交換される場合には、Aの所持者にとってはBが、Bの所持者にとってはAが自分のもっている商品と同じだけの価値をもつ物、自分のもっている商品に対して直接的交換可能性をもつ物とみなされるということだろう。

★《それ自身の使用価値や交換者の個人的欲望にかかわりのない価値形態》とは、一般的価値形態、貨幣形態のこと。

●《課題は、その解決の手段と同時に生まれる》と述べられていることについて、「解決の手段は貨幣が生まれることだろうが、課題とは何だろうか」との疑問が出され、「第2段落から第5段落で述べている商品交換が実現することの困難の解決、商品交換の行き詰まりの打開ということではないか」「すぐ後で述べている《商品所持者たちが彼ら自身の物品をいろいろな他の物品と交換し比較する交易》を実現することではないか」という発言がありました。
 また、「正しく問題を設定することの中にすでに解答が含まれているといえる」、「第3章第2節の冒頭で述べられているように、矛盾の解決とは、矛盾を解消するのではなくその矛盾の運動を可能にするような形態をつくりだすことだ」との発言がありました。

■この個所に山内清氏は次のような注をつけている。《マルクスの愛用したことば。「人間はつねに、自分が解決しうる課題だけを自分に提起する。」なぜならば、詳しく考察してみると、課題そのものは、その解決の物質的諸条件がすでに存在しているか、または少なくとも生まれつつある場合にだけ発生することが、常に見られるであろうからだ。」(批九)》(『資本論商品章詳注』174頁)

■《すでに見たように、諸商品の交換過程は矛盾した互いに排除しあう諸関係を含んでいる。商品の発展は、これらの矛盾を解消しはしないが、それらの矛盾の運動を可能にするような形態をつくりだす。これは、一般に現実の矛盾が解決される方法である。》(国民文庫188頁・原頁118-119)

■《先生は、学問をするときには問題をもつことが大事だということ、また、問題のつかみかた、立てかたが重要だということをいつも言われていました。肝心な問題をつかみ、その問題を正しく立てれば、半分は解決したのも同じだ、と言われるのでした。》(大谷禎之介『マルクスに拠ってマルクスを編む』39頁 先生とは久留間鮫造氏のこと)

●《域内生産物の交換価値の実際上の自然発生的な現象形態である外来の最も重要な交換物品》とはどんな物かとの疑問が出され、「域内では生産されない貴重な物、中国では子安貝が貨幣であった時代があった」との発言がありました。

■中国の前近代,いわゆる王朝時代に用いられた貨幣は金貨・銀貨・銅銭・紙幣・布帛(ふはく)(織物)など多彩である。最も古く交換の媒介物として用いられたと考えられるのは貝(子安貝)である。貝は殷人に宝物として尊重され,早くから貨幣的な役割を担わされていたらしい。 (世界大百科事典より)

●土地を貨幣材料としようとした国家規模での試みとはアッシニャ紙幣のこと。 

■アッシニャ
フランス革命期,1789年―1796年に発行された紙幣。最初は革命政府が没収した王室・教会・亡命貴族の領地を担保とする公債であったが,紙幣として流通するようになった。1792年からは担保の価値を越えて乱発され,インフレをひき起こして民衆の生活を困窮させた。発行停止時の1796年にはその価値は額面のわずか1%であった。 (マイペディア)

第10段落
・商品交換がその局地的な限界を打ち破り、したがって商品価値が人間労働一般の物質化に発展してゆくにつれて、貨幣形態は、生来一般的等価物の社会的機能に適している諸商品に、貴金属に移ってゆく。

★《商品交換がその局地的な限界を打ち破》るとはどういうことか? 当初は、共同体と共同体のときおりの接触で行われるにすぎなかった商品の交換が、恒常的になる。そして、限られた場所や地域の枠を超えて商品の交換が行われるようになるということだろう。

■山内清氏は《商品交換がその局地的な限界》という個所について《封建的、排他的な市場規制》という注をつけている。(『資本論商品章詳注』176頁)


★「一般的等価物の社会的機能」とは? 他のすべての商品にとって、共通の価値表現に役立ち、したがってまた価値を尺度する手段として役立つということであろう。一般的等価物が生まれることによって、他のすべての商品は互いに価値として等置され価値量として比較されることができるようになる。言い換えれば、諸商品が商品として相対することを可能にする。

■貨幣と貨幣形態 貨幣とは、その現物形態に一般的等価物の機能が合体し、癒着した商品であり、だからまた一般的等価物の機能を社会的に独占する商品である。商品が自分の価値を貨幣で表現している価値形態をその商品の貨幣形態と言う。(大谷禎之介『図解 社会経済学』73-74頁)

第11段落
・ところで「金銀は生来貨幣なのではないが、貨幣は生来金銀である」ということは、金銀の自然属性が貨幣の諸機能に適しているということを示している。
・しかし、これまでのところでは、われわれはただ貨幣の一つの機能を知っているだけである。
・すなわち、商品価値の現象形態として、または諸商品の価値量が社会的に表現されるための材料として、役だつという機能である。
・価値の適当な現象形態、または抽象的な、したがって同等な人間労働の物質化でありうるのは、ただ、どの一片をとってみてもみな同じ均等な質をもっている物質だけである。
・他方、価値量の相違は純粋に量的なものだから、貨幣商品は、純粋に量的な区別が可能なもの、つまり任意に分割することができ、その諸部分から再び合成することができるものでなければならない。
・ところが、金銀は生来これらの属性をもっているのである。

★貨幣の機能については「第3章 貨幣または商品流通」で展開されている。ここで《商品価値の現象形態として、または諸商品の価値量が社会的に表現されるための材料として、役だつという機能》と述べられているのは、価値尺度機能のこと。

●「《これまでのところでは、われわれはただ貨幣の一つの機能を知っているだけである》と述べられているが、価値形態の分析では等価物商品の相対的価値形態にある商品に対する直接的交換可能性について述べ、価値尺度機能以外についても述べていたといえるのではないか」との疑問が出されました。これに関連して、「第1章〈商品〉および第2章〈交換過程〉と第3章〈貨幣または商品流通〉では考察の対象が違っている。第1章と第2章はいわば商品論であり、第3章になってはじめて貨幣そのものが取り上げられるのであり、ここまででは商品の価値を表現するという貨幣の機能のみを知っているといえるのではないか」との発言がありました。

■久留間鮫造氏は『価値形態論と交換過程論』の中で次のように説明しています。《価値形態論で問題にされるのは文字どおりに商品の価値の形態だということである。商品の価値形態は、使用価値でありかつ価値であるところの商品が、そこではもっぱら価値として、それの使用価値としての直接的な存在から区別してあらわれるところの商品――すなわち相対的価値形態にある商品――の使用価値が固有の考察の対象の圏外におかれることは、いわば当然のことでなければならぬ》(11-12頁)《第4節――これが問題の物神性論、正確には「商品の物神的性格とその秘密」であるが――はどうかというと、これもまた同じ等式の分析ではあるが、その観点がもうひとつちがっている。すなわち、「価値の実体」のところでは、この等式で表現されているものが何であるかが問題にされ、「価値形態」のところでは、その表現の如何にしてが問題にされているものとすれば、ここではその何故が問題にされているのだということができるであろう。》(39頁)《交換過程は、使用価値および価値の直接的統一としての商品の矛盾が、右に述べたような態様で展開してくる場として、したがってまた、それを媒介するものとしての貨幣の形成が必然とされる場として、独自の考察の対象を形成する》(20頁)《わたくしの見るところでは、貨幣は第3章になってはじめて、一定の機能をおこなうサブゼクトとしてあらわれることになる。第1章および第2章では、サブゼクトとしてあらわれるのは商品であって貨幣ではない。貨幣はたんに、商品がその矛盾を媒介するために必然的につくりだすものとして出てくるにすぎない。ところが第3章では、このようにしてつくりだされた貨幣が、こんどは一定の機能をおこなう主体としてあらわれることになる。両者のあいだの本質的なちがいは、一言にしていえば、こういう点にあるということができると思うのである。》(42-43頁)

★均等な質をもち任意に分割・合成ができるという金銀の属性は、「商品価値の現象形態として、また諸商品の価値量が社会的に表現されるための材料として、役だつという機能」に適している。


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by shihonron | 2009-05-19 23:30 | 学習会の報告


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