『資本論』を読む会の報告

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2009年 05月 26日

第146回 5月26日 第2章 交換過程

5月26日(火)に第146回の学習会を行いました。「読む会通信」№331をもとに前回の復習をした後、「第2章 交換過程」の第12段落から第13段落を輪読、検討しました。第14段落は朗読はされましたが議論する時間がありませんでした。次回再度取り上げることになりました。

●は議論の報告、■は資料、★は報告者によるまとめや意見、問題提起です。
引用は、原則として《》を用いて示し、読む際の便宜を考慮して漢数字を算用数字に変換する場合があります。

■テキストの内容と議論
第2章 交換過程


●復習では、第3段落、第4段落、第5段落の3つの段落の関係について、それぞれの段落で述べられていることは同じ内容なのかが議論になりました。最終的には、商品の使用価値としての実現と価値としての実現が相互前提の関係にあるということをちがった形で述べているのではないかという結論になりました。

第12段落
・貨幣商品の使用価値は二重になる。
・それは、商品としてのその特殊な使用価値、たとえば金が虫歯の充填や奢侈品の原料などに役だつというような使用価値のほかに、その独自な社会的機能から生ずる一つの形態的使用価値を受け取るのである。

★「貨幣商品」とは? 《その現物形態に等価形態が社会的に合生する特殊な商品種類は、貨幣商品になる。言いかえれば、貨幣として機能する》(国民文庫130頁・原頁83)と述べられていた。貨幣として機能する商品のこと。

★「その独自な社会的機能」とは《商品世界の中で一般的等価物の役割を演ずる》(国民文庫130頁・原頁83)こと。一般的等価物の役割を演ずる商品は、他のすべての商品との直接的交換可能性の形態または直接に社会的な形態にある。

■新日本版では「形態的使用価値」は「形式的な使用価値」となっている。使用価値については《ある一つの物の有用性は、その物を使用価値にする。……商品体そのものが、使用価値または財なのである。》《使用価値は、ただ使用または消費によってのみ実現される》(国民文庫73頁・原頁50)と述べられていた。

★《 独自な社会的機能から生ずる一つの形態的使用価値》とは、適当な量がありさえすれば、それとひきかえにどんな物でも手に入れることのできる交換手段としての有用性のことだろう。

第13段落
・他のすべての商品はただ貨幣の特殊的等価物でしかなく、貨幣は他の諸商品の一般的等価物なのだから、他の諸商品は、一般的商品としての貨幣に対して、特殊的諸商品として相対するのである。

■フランス語版では《すべての商品は貨幣の特殊な等価物にほかならず、後者は前者の一般的等価物であるから、貨幣はすべての商品にたいし一般的商品としての役割を演じるのであり、すべての商品は貨幣にたいし特殊の商品しか代表しない。》

●《他のすべての商品はただ貨幣の特殊的等価物でしかなく》とはどういう意味なのかとの疑問が出され、「貨幣を相対的価値形態におく展開された価値形態(形態Ⅱ)のことを述べているのではないか。」との発言がありました。

★《一般的等価物の相対的価値を表現するためには、むしろ形態Ⅲを逆にしなければならないのである。一般的等価物は、他の商品と共通な相対的価値形態をもたないのであって、その価値は、他のすべての商品体の無限の列で表現されるのである。》(国民文庫130頁・原頁83)そのかぎりでは、特殊的等価物である諸商品は、貨幣に対して直接的交換可能性をもつことになるが、それは現実とは異なっている。あくまでも、「貨幣商品の価値表現」という範囲でのことだと考えるべきではないだろか。ここでは最初に貨幣形態(形態Ⅳ)または一般的価値形態(形態Ⅲ)を思い浮かべたうえで、それを逆転させた形態を考えているのではないか。

●《他の諸商品は、一般的商品としての貨幣に対して、特殊的諸商品として相対する》とはどういうことかが議論になりました。「一般的商品とは価値そのもののことであり、特殊的商品とは使用価値に制約されている商品(どんな有用性を持っているかが問題となる商品)のことではないか」「一般的商品は一般的欲望の対象であり、特殊的商品は特殊な欲望の対象である」という発言がありました。また「『経済学批判』の中でも《一般的商品》についてふれている個所がある」との紹介がありました。

★一般的欲望の対象とは、誰もがほしがるもの(誰もがそれとの交換に応じると)いうことであろう。

★「一般的商品」とは、価値そのもののことであり、したがってどんな商品とでも直接に交換可能な商品であろう。特定の使用価値に制約されていないと言う意味で「一般的」と呼ぶのではないだろうか。ドイツ語ではallgemeine Ware

【英語版】
Since all commodities are merely particular equivalents of money, the latter being their universal equivalent, they, with regard to the latter as the universal commodity, play the parts of particular commodities.

 一般的商品→ universal commodity=普遍的な商品
  普遍=すべてのものに共通していること
 特殊的諸商品→particular commodities

ドイツ語allgemeineは英語ではgeneralと訳されることもある。

★一般的商品は価値そのもの、特殊的商品はある特定の使用価値といえないか?

■《商品が一定量の対象化された一般的労働時間としてただ考えられていたにすぎないあいだは、この表現は理論的であった。一般的等価物としての特殊な一商品の定在は、以上の諸等式の系列を単純に逆転することによって、たんなる抽象から交換過程そのものの社会的な結果となる。そこで、たとえば
    2ポンドのコーヒー=1エレのリンネル
    1/2ポンドの茶   =1エレのリンネル
    8ポンドのパン  =1エレのリンネル
    6エレのキャラコ =1エレのリンネル
 コーヒー、茶、パン、キャラコ、つまりすべての商品が、それら自体にふくまれている労働時間をリンネルで表現することによって、リンネルの交換価値は逆にリンネルの等価物としての他の諸商品のうちにみずからを展開し、リンネルそのものに対象化されている労働時間は、他のすべての商品のさまざまな量で一様にあらわされる一般的労働時間に直接になる。リンネルはこの場合、他のすべての商品のリンネルへの全面的なはたらきかけによって一般的等価物となるのである。交換価値としては、どの商品も他のすべての商品の価値の尺度となっていた。ここでは逆に、すべての商品がその交換価値を特殊な一商品で測ることによって、この排除された商品が交換価値の十全な定在、一般的等価物としてのその定在となるのである。これにたいして、それぞれの商品の交換価値があらわされていた無限の一系列、つまり無限に多数の等式は、わずか二項からなるただひとつの等式に縮小する。2ポンドのコーヒー=1エレのリンネル が、いまではコーヒーの交換価値の遺漏のない表現である。なぜならこの表現ではリンネルは、他のどの商品の一定量にたいしても直接に等価物として現われるからである。だが交換過程の内部では、いまでは諸商品はリンネルの形態をとった交換価値として互いに存在しあい、あるいは現われあうのである。すべての商品が交換価値としてはただ対象化された一般的労働時間の異なった量としてだけ互いに関係しあっているということは、いまやそれらの商品は交換価値としては、リンネルという同じ対象の異なった量だけをあらわすということとなって現われる。だから一般的労働時間のほうも、一つの特殊な物として、他のすべての商品とならんで、しかもそれらの外(そと)にある一商品としてあらわされる。しかし同時に、商品が商品にたいして交換価値としてあらわされる等式、たとえば 2ポンドのコーヒー=1エレのリンネル は、なおこれから実現されなければならない等置関係である。使用価値としての商品の譲渡は、商品が一つの欲望の対象であることを交換過程で実証するかいなかにかかっているのであるが、この譲渡によってはじめて商品は、コーヒーというその定在からリンネルというその定在に現実に転化し、こうして一般的等価物の形態をとり、現実に他のすべての商品にとっての交換価値となる。逆にすべての商品が使用価値として外化することによってリンネルに転化されるから、これによってリンネルは他のすべての商品の転化された定在となり、しかも他のすべての商品のリンネルへのこのような転化の結果としてだけ、リンネルは直接に一般的労働時間の対象化 、すなわち全面的外化の産物、個人的労働の揚棄となる。諸商品が互いに交換価値として現われあうために、その存在をこのように二重化するとすれば、一般的等価物として排除された商品も、その使用価値を二重化する。特殊な商品としてのその特殊な使用価値のほかに、それは一つの一般的な使用価値をもつことになる。こういうその使用価値は、それ自体、形態規定性であり、すなわち他の諸商品がこの商品に交換過程で全面的にはたらきかけることによってこの商品が演じる独特な役割から生じるものである。ある特殊な欲望の対象としての各商品の使用価値は、異なる人の手中では異なる価値をもち、たとえは、それを譲渡する人の手中ではそれを手に入れる人の手中にあるのとは異なった価値をもつ。一般的等価物として排除された商品は、いまや交換過程そのものから生じる一つの一般的欲望の対象であって、だれにとっても交換価値の担い手、一般的交換手段であるという同一の使用価値をもっている。こうしてこの一商品においては、商品が商品として内包する矛盾、特殊な使用価値であると同時に一般的等価物であり、したがってだれにとってもの使用価値、一般的使用価値であるという矛盾が解決されている。だから他のすべての商品は、いまやまずそれらの交換価値をこの排他的な商品との観念的な、これから実現されなければならない等式としてあらわすのにたいして、この排他的な商品にあっては、その使用価値は実在的であるとしても、過程そのものにおいては、現実の使用価値への転化によってはじめて実現されるべきたんなる形態的定在として現われるのである。もともとこの商品は、商品一般として、ある特殊な使用価値に対象化された一般的労働時間としてあらわされた。交換過程では、すべての商品は、商品一般としての、商品そのものとしての、特殊な一使用価値における一般的労働時間の定在としての排他的商品に関係する。だから諸商品は、特殊な諸商品として、一般的商品〔*〕としての特殊な一商品に対立して関係する。したがって商品所有者たちが一般的社会的労働としての彼らの労働に相互に関係しあうということは、彼らが交換価値としての彼らの商品に関係するということにあらわされ、交換過程における交換価値としての諸商品相互の関係は、諸商品の交換価値の十全な表現としての特殊な一商品にたいする諸商品の全面的な関係としてあらわされ、このことはまた逆に、この特殊な商品の他のすべての商品にたいする独特な関係として、それゆえにまた一つの物の一定の、いわばもって生まれた社会的性格として現われる。このようにすべての商品の交換価値の十全な定在をあらわす特殊な商品、または特殊な排他的な一商品としての諸商品の交換価値――これが貨幣である。それは、諸商品が交換過程そのものにおいて形成する、諸商品の交換価値の結晶である。だから諸商品はすべての形態規定性をぬぎすてて、その直接的な素材の姿で互いに関係しあうことによって、交換過程の内部で相互にとって使用価値となるのにたいして、交換価値として互いに現われあうためには、新しい形態規定性をとり、貨幣形成にまで進んでいかなければならない。商品としての使用価値の定在が象徴でないのと同じように、貨幣も象徴ではない。一つの社会的生産関係が諸個人の外部に存在する一対象としてあらわされ、また彼らがその社会生活の生産過程で結ぶ一定の諸関係が、一つの物の特有な諸属性としてあらわされるということ、このような転倒と、想像的ではなくて散文的で実在的な神秘化とが、交換価値を生みだす労働のすべての社会的形態を特徴づける。貨幣にあっては、それが商品の場合よりも、もっとはっきりと現われているだけである。
 〔*〕 同じ表現はジェノヴェーシにもある〔自用本中の注〕。》
  (『経済学批判』国民文庫51-54頁・原頁32-34)



■価値形態の復習

・形態Ⅰ 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態
 x量の商品A=y量の商品B
 
 商品Aの単純な相対的価値形態 → 個別的等価物(商品B)

・形態Ⅱ 全体的な、または展開された価値形態
 z量の商品A=u量の商品B または =v量の商品C または =w量の商品D または =  x量の商品E または =等々
 
 A商品の展開された相対的価値形態 → 特殊的等価物(B、C、D、E等々の諸商品)

・形態Ⅲ 一般的価値形態   
  1着の上着 =         
  10ポンドの茶 =       
  40ポンドのコーヒー =   
  1クォーターの小麦 =         } 20エレのリンネル
  2オンスの金 =    
  1/2 トンの鉄 =      
  x量の商品A =    
  等々の商品 =     
  
 諸商品の一般的相対的価値形態 → 一般的等価物(リンネル)

・形態Ⅳ 貨幣形態
  20エレのリンネル =  
  1着の上着 =        
  10ポンドの茶 =  
  40ポンドのコーヒー =       } 2オンスの金
  1クォーターの小麦 =
  1/2トンの鉄 =  
  x量の商品A =  
  等々の商品 =  

20エレのリンネル= 2オンスの金

20エレのリンネルの貨幣形態 → 貨幣(金)

《形態Ⅰから形態Ⅱへの、また形態Ⅱから形態Ⅲへの移行では、本質的変化が生じている。これに反して、形態Ⅳは、いまではリンネルに代わって金が一般的等価形態をもっているということのほかには、形態Ⅲと違うところはなにもない。形態Ⅳでは金は、やはり、リンネルが形態Ⅲでそうだったもの――一般的等価物である。前進は、ただ、直接的な交換可能性の形態または一般的等価形態がいまでは社会的慣習によって最終的に商品金の独自的な現物形態と合生しているということだけである。》(国民文庫131-132頁・原頁84)


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by shihonron | 2009-05-26 23:30 | 学習会の報告


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