『資本論』を読む会の報告

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2009年 06月 02日

第147回 6月2日 第2章 交換過程

6月2日(火)に第147回の学習会を行いました。「読む会通信」№332をもとに前回の復習をした後、「第2章 交換過程」の第14段落を輪読、検討しました。ました。

●は議論の報告、■は資料、★は報告者によるまとめや意見、問題提起です。
引用は、原則として《》を用いて示し、読む際の便宜を考慮して漢数字を算用数字に変換する場合があります。

■テキストの内容と議論
第2章 交換過程
第14段落

・すでに見たように、貨幣形態は他のすべての商品の関係の反射が一つの商品に固着した物でしかない。
・だから、貨幣が商品であるということは、ただ貨幣の完成形態から出発してあとからこれを分析しようとするものにとって一つの発見であるだけである。
・交換過程は、自分が貨幣に転化させる商品にその価値を与えるのではなく、独自な価値形態を与えるのである。
・この二つの規定の混同は、金銀の価値を想像的なものと考える誤りに導いた。
・貨幣は、一定の諸機能においてはそれ自身の単なる章標によって代理されることができるので、もう一つの誤り、貨幣は単なる章標であるという誤りが生じた。
・他方、この誤りのうちには、物の貨幣形態はその物自身にとっては外的なものであって、背後に隠された人間関係の単なる現象形態である、という予感があった。
・この意味ではどの商品も一つの章標であろう。
・というのは、価値としては商品に支出された人間労働の物的な外皮でしかないからである。
・しかし、一定の生産様式の基礎の上で物が受けとる社会的性格、または労働の社会的規定が受けとる物的性格を、単なる章標だとするならば、それは、同時に、このような性格を人間のえてかってな反省の産物だとすることである。
・これこそは、18世紀に愛好された啓蒙主義の手法だったのであって、この手法によってその発生過程をまだ解明することができなかった人間関係の不可解な姿から少なくともさしあたり奇異の外観だけでもはぎ取ろうとしたのである。

■フランス語版では《貨幣形態は、あらゆる種類の商品が唯一の商品種類においてもつところの価値関係の反映にほかならない。》となっている。(67頁・原頁37)

■《新たにえられた形態は、商品世界の価値を、商品世界から分離された一つの同じ商品種類。たとえばリンネルで表現し、こうして、すべての商品の価値を、その商品とリンネルとの同等性によって表す。リンネルと等しいものとして、どの商品の価値も、いまではその商品自身の使用価値から区別されるだけでなく、いっさいの使用価値から区別され、まさにそのことによって、その商品とすべての商品とに共通なものとして表現されるのである。それだからこそ。この形態がはじめて現実に諸商品を互いに価値として関係させるのであり、言いかえれば諸商品を互いに交換価値として現れさせるのである。》(国民文庫125頁・現象80)

■《だから、貨幣が商品であるということは、ただ貨幣の完成形態から出発してあとからこれを分析しようとするものにとって一つの発見であるだけである。》は、マルクスコレクション版では《貨幣が商品であるという事実は、貨幣の完成した姿から出発して事後的にそれを分析するものにとってのみ、発見であるにすぎない。》、フランス語版では《したがって、貨幣のすっかり完成した形態から出発してあとから貨幣の分析に到達する人にとってだけ、貨幣そのものが商品であるということが、一つの発見になりうるのである。》(67頁・原頁37)、長谷部訳では《それゆえに、貨幣の完成した姿態から出発してこれを後から分析する者にとって、発見たるにすぎない。》(81頁)、新日本版では《したがって、貨幣は商品であるということは、貨幣の完成した姿態から出発してあとから分析する者にとっての一つの発見であるにすぎない。》(153頁)となっている。

■《人間生活の諸形態の考察、したがってまたその科学的分析は、一般に、現実の発展とは反対の道をたどるものである。それはあとから始まるのであり、したがって発展過程の既成の諸結果から始まるのである。》(国民文庫140頁・原頁89)

■この個所に山内清氏は《「貨幣は商品である」という発見は、画期的ではあるが、それだけでは貨幣にまとわりつく物神的性格を追い払うものではない。》との注をつけている。(『資本論商品章詳注』179頁)

●この個所をどう理解するかについて議論がありました。「貨幣が商品であることはすでに知られていたことであるが、貨幣の完成形態から出発してあとからこれを分析しようとするものだけがその意味をとらえ、《発見》するができたということではないか」という意見が出されましたが、議論の結果そうした理解は正しくないとの結論になりました。「貨幣の完成形態から出発してあとからこれを分析しようとするものとは、マルクス以前に貨幣が商品であることを明らかなした人々も含めてのことであり、発見に意義はあるが、山内氏の述べているよう限界もあることを指摘しているのではないか」との発言があり、反対の意見はありませんでした。

★《この二つの規定》とは、価値と価値形態のことである。

★《この独自な価値形態》とは一般的等価物あるいは貨幣という形態

■《章標》ということばは一般の国語辞典には出ていない。フランス語版では《表章》、マルクスコレクション版では《記号》となっている。英語ではsymbol(象徴, 表象; シンボル; 記号)である。

■【象徴】(名)スル
直接的に知覚できない概念・意味・価値などを、それを連想させる具体的事物や感覚的形象によって間接的に表現すること。また、その表現に用いられたもの。例えば、ハトで平和を、王冠で王位を、白で純潔を表現する類。シンボル。
(大辞林 第二版より)

■《物の貨幣形態はその物自身にとっては外的なものであって、背後に隠された人間関係の単なる現象形態である》は、フランス語版では《貨幣が外的な物体という外観のもとで社会的関係を実際は隠している》(68頁・原頁37)となっている。

●《他方、この誤りのうちには、物の貨幣形態はその物自身にとっては外的なものであって、背後に隠された人間関係の単なる現象形態である、という予感があった。》という記述について、「貨幣は単なる章標にすぎないという見解をそれほどに評価することはできるのか、本当に予感していたのだろうか」との疑問が出されました。

●「《価値としては商品に支出された人間労働の物的な外皮でしかない》の主語は何か」という疑問が出され、商品だろうという結論になりました。

★《一定の生産様式の基礎の上で物が受けとる社会的性格、または労働の社会的規定が受けとる物的性格》とは価値のことだろう。

■《しかし、一定の生産様式の基礎の上で物が受けとる社会的性格、または労働の社会的規定が受けとる物的性格を、単なる章標だとするならば、それは、同時に、このような性格を人間のえてかってな反省の産物だとすることである。》は、フランス語版では《ところが特殊な生産様式の基礎の上で物が帯びる社会的性格、あるいは労働の社会的規定が帯びる物的性格のうちに、たんなる表章しか見なくなるやいなや、この性格は、いわゆる人間の普遍的な合意によって承認された慣習的な擬制という意味を与えられる。》(68頁・原頁37)

■ 【擬制】
〔法〕〔fiction〕相異なる事実を法的には同一のものとみなし、同一の法律的効果を与えること。失踪宣告を受けた者を死亡とみなし、電気を有体物とみなすなどの類。 (大辞林 第二版より)

●「あとで擬制資本ということばも『資本論』では使われている。ここでの擬制は、法律的な意味ではなく、《みせかけ》といった意味合いだろう」との発言がありました。

■最後の部分はフランス語版では《人は、社会的関係で装われた謎めいた形態の起源も発展もまだ解読できないので、この謎めいた形態は人間の考え出したものであり、天から降ったものではない、と宣言することによって、この謎めいた形態を厄払いしたわけである。》(68頁・原頁37)

●《人間のえてかってな反省の産物》とはどういうことかが議論になり、「貨幣は人間が発明した物だといった見解ではないか」という発言がありました。

●《18世紀に愛好された啓蒙主義の手法》とはなにかが問題になりました。「社会契約説に代表されるように、人間の契約、約束事としてし事態を説明する立場といえないか」、「単純なものに還元するといったことではないか」との発言がありました。

■社会契約説 しゃかいけいやくせつ
17―18世紀のヨーロッパで展開された自然法的合理主義に基づく社会理論。理論の前提には個人の確立があり,平等な個人間の自由意志に基づく契約によって人間は自然状態から脱して国家を設立する,すなわち,平等な個人間の契約によって社会は成立すると主張する。理論家としてはホッブズ(《リバイアサン》),ロック(《統治二論》),J.J.ルソー(《社会契約論》)らが著名。彼らの理論内容は多くの差異を含むが,自然状態の克服を社会のモデルとした,近代社会成立期のブルジョアジーの政治理論であった。(マイペディアより)

■啓蒙思想 けいもうしそう
17―18世紀の西欧において,近代市民社会の形成を推進した思想運動の総称。英語,ドイツ語,フランス語などの原語は理性の光,あるいはその光による闇の追放を含意する。宗教思想(理神論,ボルテール,レッシング),認識論・知識論(カント,ヒューム,百科全書派),社会思想(モンテスキュー),経済思想(スミス)など,多様な領域で革新と〈中世的遺制〉に対する批判が展開された。そのシンボリックな帰結がフランス革命。理性と進歩への過度の信頼はロマン主義以降の反動を招くことになる。 (マイペディアより)


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by shihonron | 2009-06-02 23:30 | 学習会の報告


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