『資本論』を読む会の報告

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2009年 06月 30日

第151回 6月30日 第3章 第1節 価値の尺度

6月30日(火)に第151回の学習会を行いました。今後の進め方について話し合い、「読む会通信」№335と№336をもとに前回までの復習をした後、「第3章 貨幣または商品流通 第1節 価値の尺度」の第4段落から第5段落までを輪読、検討しました。

●は議論の報告、■は資料、★は報告者によるまとめや意見、問題提起です。
引用は、原則として《》を用いて示し、読む際の便宜を考慮して漢数字を算用数字に変換する場合があります。

今後の進め方について
これまで輪読して議論をするというやり方で、約1年かけて100頁ほどを学習しました。このペースでは文庫本の第1分冊を終えるのにあと2年かかる計算になります。少しスピードを上げて前に進みたいという意見が出され、今後の進め方について話し合いました。その結果、当面は以下のように進めることになりました。
1.順に参加者全員がレポーターとなり、その報告をもとに議論をする。
2.1回で進む範囲は文庫版で5頁から10頁程度の範囲で区切りのよいところまでとする。
3.段落番号を用いて報告する。
4.レポーターが欠席した場合には、輪読して議論する。

■テキストの内容と議論
第3章 貨幣または商品流通
第4段落

・一商品の金での価値表現――x量の商品A=y量の貨幣商品――は、その商品の貨幣形態またはその商品の価格である。
・いまでは、鉄価値を社会的に通用するように表すためには、1トンの鉄=2オンスの金というような一つの単独な等式で十分である。
・この等式は、もはや、他の諸商品の価値等式といっしょに列をつくって行進する必要はない。
・というのは、等価物商品である金は、すでに貨幣の性格をもっているからである。
・それゆえ、諸商品の一般的な相対的価値形態は、いまでは再びその最初の単純な、または個別的な相対的価値形態の姿をもっているのである。
・他方、展開された相対的価値表現、または多くの相対的価値表現の無限の列は、貨幣商品の独自な相対的価値形態になる。
・しかし、この列は、いまではすでに諸商品価格のうちに社会的に与えられている。
・物価表を逆に読めば、貨幣の価値の大きさがありとあらゆる商品で表されているのが見出される。
・これに反して、貨幣は価格をもっていない。
・このような、他の諸商品の統一的な相対的価値形態に参加するためには、貨幣はそれ自身の等価物としてのそれ自身に関係させられなければならないであろう。

■「第3節 価値形態または交換価値」の「D 貨幣形態」では以下のような式が掲げられていた。

  20エレのリンネル =   ̄|
  1着の上着     =   |
  10ポンドの茶   =    |
  40ポンドのコーヒー=   |― 2オンスの金
  1クォーターの小麦 =  |
  1/2トンの鉄   =    |
  x量の商品A    =  _|

■《すでに貨幣商品として機能している商品での、たとえば金での、一商品たとえばリンネルの単純な相対的価値表現は、価格形態である。それゆえ、リンネルの「価格形態」は
     20エレのリンネル=2オンスの金
または、もし2ポンド・スターリングというのが2オンスの金の鋳貨名であるならば、
     20エレのリンネル=2ポンド・スターリング
である。》(国民文庫132頁・原頁84)

●《この等式は、もはや、他の諸商品の価値等式といっしょに列をつくって行進する必要はない》について、ここで取り上げられている「他の諸商品の価値等式といっしょに列をつくって行進する」が展開された価値形態(形態Ⅱ)のことか一般的価値形態(形態Ⅲ)のことであるかについて議論がありました。結論としては次のようになりました。他の諸商品の価値等式とは、内容としては「D 貨幣形態」の最初に掲げられている等式のうちの「1着の上着=2オンスの金」「10ポンド茶=2オンスの金」「40ポンドのコーヒー=2オンスの金」等々のことだろう。「D 貨幣形態」の最初に掲げられている等式は、「C 一般的価値形態」の一般的等価形態に、一般的等価物の機能を社会的に独占するようになった貨幣商品である金が置かれている。等式の形式は「C 一般的価値形態」と変わらない。この等式ではいわば貨幣形態の生成(形態Ⅲから形態Ⅳへの移行)が示されており、貨幣商品が生まれれば(金がすでに貨幣であると社会的に認められれるようになれば)、等式の形式としては「A 単純な価値形態」と同じもの、二つの商品だけが登場する等式で十分だということだろう。また、展開された価値形態(形態Ⅱ)は、左辺の商品の私事として成立するのであり、「他の諸商品の価値等式」は登場しない。したがって、ここで取り上げられている「他の諸商品の価値等式といっしょに列をつくって行進する」とは、一般的価値形態(形態Ⅲ Cの形態)を念頭に述べているといえる。

■《反対に、一般的等価物の役を演ずる商品は、商品世界の統一的な、したがってまた一般的な相対的価値形態からは排除されている。もしも、リンネルが、すなわち一般的等価形態にあるなんらかの商品が、同時に一般的相対的価値形態にも参加するとすれば、その商品は自分自身のために等価物として役だたなければならないであろう。その場合には、20エレのリンネル=20エレのリンネル となり、それは価値も価値量も表していない同義反復になるであろう。一般的等価物の相対的価値を表現するためには、むしろ形態Ⅲを逆にしなければならないのである。一般的等価物は、他の諸商品と共通な相対的価値形態をもたないのであって、その価値は、他のすべての商品体の無限の列で相対的に表現されるのである。こうして、いまでは、展開された相対的価値形態すなわち形態Ⅱが、等価物商品の独自な相対的価値形態として現れるのである。》(国民文庫129-130頁・原頁83)

●《これに反して、貨幣は価格をもっていない》の「これ」とはどんなことかが問題となり、直前の内容ではなくこの段落の最初のところで述べられている《一商品の金での価値表現――x量の商品A=y量の商品B――は、その商品の貨幣形態またはその商品の価格である。いまでは、鉄価値を社会的に通用するように表すためには、1トンの鉄=2オンスの金というような一つの単独な等式で十分である。この等式は、もはや、他の諸商品の価値等式といっしょに列をつくって行進する必要はない。》ということと理解できるとの結論になりました。

第5段落
・商品の価格または貨幣形態は、商品の価値形態一般と同様に、商品の、手につかめる実在的な物体形態からは区別された、したがって単に観念的な、または想像された形態である。
・鉄やリンネルや小麦などの価値は、目に見えないとはいえ、これらの物そのもののうちに存在する。
・この価値は、これらの物の金との同等性によって、いわばただこれらの物の頭のなかにあるだけの金との関係によって、想像される。
・それだから、商品の番人は、これらの物の価格を外界に伝えるためには、自分の舌をこれらの物の頭の中に突っ込むか、または、これらの物に紙札をぶらさげるかしなければならないのである。
・商品価値の金による表現は観念的なものだから、この機能のためにも、ただ想像されただけの、すなわち観念的な、金を用いることができる。
・商品の番人がだれでも知っているように、彼が自分の商品の価値に価格という形態または想像された金形態を与えても、まだまだ彼はその商品を金に化したわけではないし、また、彼は何百万の商品価値を金で評価するためにも、現実の金は一片も必要としないのである。
・それゆえ、その価値尺度機能においては、貨幣は、ただ想像されただけの、すなわち観念的な、貨幣として役立つのである。
・この事情は、まったくばかげた理論が現れるきっかけになった。
・価値尺度機能のためには、ただ想像されただけの貨幣が役立つとはいえ、価格はまったく実在の貨幣材料によって定まるのである。
・たとえば1トンの鉄に含まれている価値、すなわち人間労働の一定量は、同じ量の労働を含む想像された貨幣商品量で表される。
・だから、金や銀や銅のどれが価値尺度として役立つかによって、1トンの鉄の価値は、まったく違った価格表現を与えられる。
・すなわちまったく違った量の金や銀や銅で表されるのである。

■《想像された形態》は、新日本版では《表象されただけの形態》、長谷部訳では《表象的な形態》となっている。

■【想像】(名)スル 頭の中に思い描くこと。既知の事柄をもとにして推し量ったり、現実にはありえないことを頭の中だけで思ったりすること。
「―していたよりずっと立派だ」「―がつく」 (大辞林 第二版より)

■【表象】〔哲〕〔(ドイツ) Vorstellung〕感覚の複合体として心に思い浮かべられる外的対象の像。知覚内容・記憶像など心に生起するもの。直観的な点で概念や理念の非直観作用と異なる。心像。観念。 (大辞林 第二版より)

■注52で指示された『経済学批判』の個所での叙述は以下の通りです。
《諸商品は価格としてはただ観念的に金に、したがって金はただ観念的に貨幣に転化されるという事情は、 貨幣の観念的度量単位説を生む動機となった。価格規定にあっては、ただ表象された金か銀かが機能するだけであり、金と銀はただ計算貨幣として機能するだけだから、ポンド、シリング、ペンス、ターレル、フラン等々の名称は、金または銀の重量部分、またはなんらかのしかたで対象化された労働を表現するものではなく、むしろ観念的な価値諸原子を表現するものである、と主張された。それで、たとえば一オンスの銀の価値が増加したとすれば、一オンスの銀はより多くのこういう原子をふくむこととなり、したがってより多くのシリングに計算され、鋳造されなければならない、というのである。
》(『経済学批判』国民文庫93頁・原頁59-60)


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by shihonron | 2009-06-30 23:30 | 学習会の報告


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