『資本論』を読む会の報告

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2009年 07月 28日

学習会資料 価値尺度機能と価格の度量標準について その2

4.大谷禎之介『図解社会経済学』から 
大谷氏は価値表現や価格を表す等式の右辺を「値札」のような記号を用いて表記されていますが、ここでの引用では、技術的な理由から簡略化しています。
-----------以下引用-----------
§ 貨幣の機能
(1) 価値尺度および価格の度量標準としての貨幣の機能
[商品の価値表現と価値尺度としての貨幣の機能] 市場に登場する商品は、まずなによりも、自己の価値を貨幣で表現しなければならない。貨幣で表現された商品の価値が価格である。たとえば、1㎏の小麦の価値は、1㎏の小麦=7.5gの金という価格で、また貨幣である金の750㎎に「円」という貨幣名が与えられているときには、1㎏の小麦=10円という価格で表現される。
[価値尺度の質] 価格では、価値という、感覚では捉えることができない、したがって表象する(心のなかに思い浮かべる)ことができない、商品のまったく社会的な属性が、金という、感覚で捉えることができる、したがって表象することができる自然物のある量に転化されている。このように、価値という商品のまったく社会的な属性を自然物のある量に転化することによって商品の価値表現の材料として役だつということ、これが、貨幣が商品の価値を尺度する(測る)ということの最も肝心な質的内容、つまり価値尺度の質である。
[価格で表象されているのは実在の金である] 価格はある量の金という自然物であるが、価格においてはこの自然物は表象されているだけで、そこにそれの現物があるわけではない。つまり、商品の値札、正札の上にある金は表象された金でしかないのであって、現物の金ではない。けれども、そこで表象されているのは実在的な金、つまり現物の金である。商品世界から排除されて貨幣となった金が実在し、諸商品に相対しているからこそ、それを表象することができるのである。要するに、価値尺度としての貨幣は表象された観念的な貨幣であるが、それが表象・指示しているのは実在の貨幣である。
[価格表を逆に読めば貨幣商品の価値が読み取れる] それでは、貨幣である金は自己の価値をどのようにして表現するのであろうか。金の生産に社会的に必要な労働時間によって規定されているそれの価値は、ほかのどの商品もそうであるように、それ自身で絶対的に言い表すことができないのであって、自己に等置された他の商品の量で表現するほかはない。ところが、一般の商品は自己の価値を、表象された金量でである価格で表現しているが、金は自分に金を等置することはできない。けれども、一般の商品がもつ価格はすべて、それらの価値と同量の価値をもつ金の量を等置したものなのだから、そこには金の価値の大きさが反映しているはずである。実際には、商品の価格の一覧リスト、つまり価格表を、商品の側からではなく、逆に金の側から読めば、貨幣の価値の大きさがありとあらゆる商品で表現されていることがわかる。
[価格の度量標準] 諸商品は、自己の価値を価格で表象された金量で表現し、たがいに比較しあう。そこで、それらの金量を計量し、同一の名称で言い表すために、技術的に、ある金量を価格の度量単位とする必要が生じる。
 金は、それが貨幣になる以前から、ポンド、グラム、貫などのような重量による度量単位をもつている。これらの度量単位は、さらに下位の補助単位に分割されて、オンスやミリグラムや匁および分などとなり、これらの単位の全体が一つの度量標準、つまり度量システムを形成する。
 価格で表象された金量を計量するための度量標準、つまり価格の度量標準として役だったのは、当初は、このような重量の度量システムであった。しかし、さまざまの原因によって、貨幣商品の重量を言い表す貨幣名は、重量の度量システムから離れて、重量名とは別のものにすることが普通のこととなってくる。もとの重量名がそのまま貨幣名になっている場合でも、貨幣名が言い表す金の重量は、重量名が言い表す重量とは異なるようになる。
 価格の度量標準は、価格である観念的な金量を測るためばかりでなく、貨幣である実在の金そのものを計量するのにも用いられるから、貨幣の度量標準でもある。それは、いわば、金量を測る物差しである。商品の価格で表象されている金であれ、貨幣である現実の金であれ、およそ金量を言い表すために金の諸量が度量システムになっているとき、金は計算貨幣として機能していると言う。
 はじめはさまざまの貨幣名が用いられるが、貨幣名は商品世界のなかで広く認められ、通用する必要があるので、価格の度量標準ないし貨幣の度量標準は、国家の法律によって確定されるようになる。たとえば、日本では「貨幣法」(1897年制定、1990年廃止)がその第2条で「純金の量目2分(750㎎)をもって価格の単位となし、これを円と称す」とし、第4条では「貨幣の算測は10進1位の法を用い、1円以下は1円の1/100を銭と称し、銭の1/10を厘と称す」としていた。こうして、1㎏の小麦=7.5gの金 という価格は、1㎏の小麦=10円というように、貨幣名の「円」で言い表されることになる。
[価格の質と量] このように、商品の価格とは、質的には、抽象的人間的労働の対象化である商品価値を、価値尺度としての貨幣である金の量で表現したものであり、量的には、この金の量を価格の度量標準である金量で測ったものである。
[価格は価値を性格に表現するわけではない] 価格は価値を表現するものであって、どの商品についても、価値どおりの価格、つまりその商品の価値と等しい価値量をもつ金量を表象している価格があるのはもちろんである。しかし、商品の価値を価格として表現するのは、商品の価値も金の価値も絶対的な大きさとして把握することが誰にもできないからである。だからこそ、同じ商品でもさまざまの価格をもつことができるのである。商品の売り手がそれで売りたいという「言い値」も、買い手がそれで買いたいという「付け値」も、売り手と買い手のあいだで一致した「決まり値」ないし「売り値」も、量的には異なった価格であるとしても、質的には、すべて商品の価値を貨幣である金の量で表現した価格である。また、商品の価値量が変わらないのに、たえず変動している価格は、量的にどのように変化しようとも、質的にはつねにその商品の価格である。このように、商品の価格は、その本性からして、商品の価値をつねに正確に表現するものではない。
[価格の価値からの乖離は商品生産にとっての不可欠の契機である] このように、価値と価格とが量的に一致しない可能性、つまり価格が価値から乖離する可能性は価格形態そのもののなかにある。しかしこのような乖離の可能性は価格形態の欠陥ではなくて、むしろ、無政府的な生産でしかありえない商品生産が社会的生産として成り立つための、ひとつの重要な契機である。
 価格が価値から離れて上昇あるいは下落していけば、それは遅かれ早かれ、商品の供給と商品に対する需要における変動を引き起こし、その結果、こんどは価格を逆の方向に変動させることになる。需要供給の変化によってたえず変動している価格は、じつは、それが価値から乖離することによって、逆に商品の需要供給を調節するのであって、そのような価格の変動そのものが、価値によって制約された変動であらざるをえない。そして、価格の価値をめぐる変動が、結果的に、社会的需要に見合った供給をもたらす作用を果たすのである。これによってはじめて、労働がすべて私的労働として無政府的に行われる諸商品の生産規模が、変転する社会的な諸欲求になんとか適合させられることになるのである。
[価値をもたないものも価格をもてる] 価値から乖離しうるという価格の本性からして、ごくわずかの価値しかもたないものがきわめて高い価格で売買されることがありうるが、そればかりか、さらにまったく価値をもっていないもの、つまりおよそ労働の生産物でないものが価格をもち、商品として売買されることができる。たとえば、良心、名誉、役職、貞操、金儲けのチャンス(いわゆる「金融商品」)等々のようなものである。それらの価格のなかには、現実の価値関係となんらかの関連をもっているものもある。たとえば、のちに第3篇第5章第2節で述べるように、企業の利潤の大きさを反映する配当の大きさと利子率とによって株式の価格が変動するとか、のちに第3篇第6章第5節で述べるように、見開墾の土地は価値をもっていないが、それがもたらすであろう地代の大きさと現行の利子率とによってその価格が変動するとかいうような場合である。
(大谷禎之介『図解社会経済学』92-96頁)

5.論文「貨幣の機能」(大谷禎之介 『経済志林』第61巻第4号)から
--------以下引用-------------
(5) 価値の尺度と価格の度量標準との関係
 貨幣である金が価値の尺度として果たす機能と、それが価格の度量標準として果たす機能とは、まずもって、はっきりと区別されなければならない。貨幣が価値尺度であるのは、抽象的人間的労働の対象化である価値の体化物(価値体)、つまりそれの使用価値の姿がそのまま価値というまったく社会的なものと認められている特別な商品として、要するに一般的等価物というそれの社会的性質においてである。それにたいして、貨幣が価格の度量標準であるのは、或るきまった金属重量として、つまり自然物としてのそれの重量としてである。貨幣は、価値尺度としては、諸商品の価値を価格に、つまり表象された金量に転化するのに役だつのにたいして、価格の度量標準としては、その金の量を計量するのである。価値尺度では、諸商品の価値が尺度されるのであるが、これにたいして、価格の度量標準では、もろもろの金量を単位としての金量で計量するのであって、価値を金量で測るのではない。(注1)
 価格の度量標準のためには、度量単位としての金量は固定されていなければならない。どのような単位系でもそうであるように、度量単位となる量はいつでも同じ量でなければならないのであって、同じ金量が度量単位として役立つことが不変的であればあるほど、価格の度量標準の機能はよりよく果たされるのである。
 ところが、金が価値の尺度として役立つことができるのは、それが他のすべての商品と同じく価値をもった商品だからである。そうでなければ、諸商品は、金を自己に価値の等しいものとして等置することはありえない。商品の価値はそれの生産に社会的に必要な労働時間の対象化であり、社会的必要労働時間の変化につれて商品の価値は変動するのであって、貨幣である金の価値もこのような変動をまぬがれない。つまり、金は、可能性から見てたえず変動しうる、可変的な価値であるからこそ、他の商品にとっての価値の尺度となることができるのである。
 まず、金の価値が変動しうるということが、金の価値尺度としての機能を妨げないことは明らかである。というのは、価格ではただもろもろの金量の相互の関係、比率だけが問題なのであって、金の価値が変動しても、すべての商品がその変動した新たな価値をもった金を自己に等置するので、諸商品の価値の相対的な関係、比率にはなんの変化も起こらないのだからである。もちろん、金の価値が高くなれば、同じ価値をもった商品は以前よりも少ない金量を自己に等置するし、金の価値が低くなれば、それは以前よりも多くの金量を自己に等置することになるが、諸商品の価格の相互の関係は以前とまったく変わらないのである。金の価値の変動に伴う商品価格の変動については、別稿で述べた〈相対的価値表現の法則〉(注2)がそのまま妥当する。
 さらに、金の価値が変動しうるということは、価格の度量標準としての金の機能を妨げることもない。というのは、金価値の変動に伴う価格の変動は、商品に等置される観念的な金の量を変化させるだけであって、その量を計量する単位となる金量を変化させるものではまったくないのだからである。同じ計量単位である金量で測れば、より高い価格は、つまりより多くの金量は、より多くの貨幣名で言い表されるのであり、逆はまた逆である。
 このように、価値尺度としての貨幣の機能と価格の度量標準としての貨幣の機能とはそれぞれ異なった機能であるが、しかし、一方で、価格の度量標準は、金が価値尺度として機能して、諸商品の価値を観念的な金量に転形していることを前提するし、他方で、価値の尺度は、それによって転形された価値である観念的な金量が価格の度量標準によって計量され、一定の貨幣名で言い表されることによって、はじめて諸商品の価値を相互に比較するものとして機能することができる。両機能のあいだには、このような関連がある。
 のちに見るように、貨幣である金の象徴として流通する紙幣だけがもっぱら流通する〈不換制〉のもとでは、価格の度量標準としての金の機能を妨げる重大な変化が生じてくる。ここではまだ、この変化の内容とそれが生じる原因とについて述べることができないが、不換制のもとでは、貨幣名はもはや固定された金量ではなく、社会全体の流通必要金量を流通紙幣の総量が言い表している貨幣名で除した金量、すなわち貨幣名を背負う紙幣片の代表金量を言い表すことになるのであって、それはたえず変動する流通必要金量と流通紙幣量との関係によって決定される、たえず変動する金量となる。ここでは価格の度量標準の固定性は失われてしまう。それでも、そのような代表金量の変動が相対的に安定しているときには、諸商品はまだ、自己の価値を表現するのにどれだけの金量を自己に等置するべきかを、経験的に決定することができ、そのような不確定の度量標準でもとにかく一応の機能果たすことができる。ところが、この代表金量が急激に、かつ大きく変動するようなときには、価格の度量標準としての貨幣は機能不全の状態に陥ることになる。そのような事態は、とくに〈インフレーション〉の時期に生じる。それぞれの商品が自己に金量を等置するさいの基準が失われて、ある商品は自己に著しく過大な金量を等置し、ある商品は自己に過小な商品(ママ――正しくは商品ではなく貨幣だと思われる――引用者)を等置することになり、流通当事者たち相互のあいだでの価値の大幅な移転が生じることになる。けれども、このようなときに機能不全に陥っているのは、商品に等置される金量を度量すべき金量である価格の度量標準であって、それは金の量の問題である。不換制になっても、価値尺度の質、すなわち私的労働を社会的労働に転化するための契機としての、価値という社会的なものを金という自然物の量に転化することについては、なんの変更も受けない。(注3)不換制とそのもとでのインフレーションとについては、のちにあらためて述べるとしよう。
 要するに、量をもたない質も質のない量もありえないように、価値を質的に尺度する貨幣の価値尺度としての機能と、金の量を測る価格の度量標準としての機能とは、相互に密接に結びついた機能であって、価格の度量標準とは価値尺度として質的に機能している商品の一定量なのであるが、しかし、この両者は明確に区別されなければならず、質の問題と量の問題を混同しないようになくてはならない。

(注1)曲線状の2点間の長さを測定しようとするときには、まず、自由に曲げることのできるもの、たとえば紐をその2点間の曲線にあてがい、そののちにそれを延ばして物差しで測ればよい。この場合、その紐は、曲線を直線に転形するという、いわば質の転換をもたらす役割をはたし、物差しは、そのようにして直線に転換された或る長さを単位となる長さの直線で測るという量的計量を行っている。比喩的に言えば、価値尺度としての金の機能はこの紐が果たす役割であり、価格の度量標準としての機能はこの物差しが果たす役割である。言うまでもなく、曲線を直線に転換するのは、物のまったく物理的なある属性を他の属性に転換することであるのたいして、価値尺度としての金は、物のまったく社会的な属性を自然物の量に転換するのであり、ここに価値尺度の質があるのである。

(注2)「価値形態」、『経済志林』第61巻第2号、1993年、177-178ページ

(注3)価格の度量標準が、不確定で、しかも急激な変更を蒙っているために、機能不全の状態にあって、諸商品の販売価格がそれらの価値から著しく偏倚することがあるとしても、そのことが価値尺度の質になんら触れるものではないことについては、次の記述が参考になるであろう。
「商品が、その価値以下で、あるいはその価値以上で売られることがあるかもしれない。このことは、ただそれの価値量にかかわるだけである。だが、いやしくもそれが販売されており、貨幣に転化されていさいすれば、いつでも、それの交換価値は、それの使用価値から分離された自立的な定在をもっているのである。それはもはや、社会的労働時間の一定分量として存在するにすぎず、また、自らがかかる物であることを、直接にどんな任意の商品とでも交換可能であり、どんな任意の使用価値にでも(その分量の範囲で)転化可能であるということによって、実証する。この点は、一商品に含まれている労働が商品の価値要素として受けとる形態上の転化と同じく、貨幣を論じるさいに見過ごされてはならない。ところで貨幣においては、言い換えれば、商品が貨幣としてもっているこの絶対的な交換可能性、すなわち、交換価値としての商品の絶対的な効力――このことは価値量にはなんのかかわりもなく、量的な規定ではなくて質的な規定なのである――においては、次のことが明らかとなる。すなわち、商品そのものの過程によって商品の交換価値が自立化され、自由な形で商品の使用価値と並んで実在的に表されるが、これは商品の交換価値が商品の価格においてすでに観念的に貨幣であるのと同様なのだ、ということである。」(『1861-1863年草稿』(『剰余価値学説史』)、MEGA、Ⅱ/3.4,S.1323強調―引用者)
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by shihonron | 2009-07-28 23:45 | 学習会資料


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