『資本論』を読む会の報告

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2009年 09月 15日

第160回 9月15日 第3章 第3節 貨幣 a 貨幣蓄蔵

 9月15日(火)に第16回の学習会を行いました。「読む会通信№341」をもとに前回の復習をした後、「第3章 貨幣または商品流通 第3節 貨幣」の前文と「a 貨幣蓄蔵」の第1段落から第4段落までをNKさんの報告をもとに検討しました。報告は最後(第9段落)まで行われましたが議論は第5段落の途中で時間切れになりました。

「読む会通信№341」の前回の報告の中で《★必要な流通手段の量が75000000グラムの金=75トンの金=1億円であり、流通に投げ込まれた国家紙幣の額が2億円で、それが流通手段としての機能をすべて果たしているとする。2億円の国家紙幣は75トンの金を表しており、かつては1円という価格であった商品(その価値が0.75グラムの金の価値と等しい商品)は、今では2円という価格をもつことになる。それは、0.75グラムの金=1円という価格の尺度(度量標準)が、0.375グラムの金=1円に変えられた場合の結果と同じことである。》と書かれていることに関連して、こうした場合を価格の度量標準が変えられた場合の結果と同じであると述べられているが、価格の度量標準が変えられたということはできないのか。事実上といった言葉がつけ加えられたりするが、なぜ価格の度量標準の変更といわないのか」との疑問が出されました。これに対して「価格の度量標準を決めるのは国家であり、法律で価格の度量標準を変更したわけではないから、紙幣が代表する金量が変化しても直接に価格の度量標準の変更とはいえないのではないか」、「日本では戦後まで貨幣法が残っていて、金0.75グラムを1円とすると法律上はなっていたが、実際には1円の代表する金量は0.75グラムよりもずつと少なかった。こうした場合に価格の度量標準を法律で定められた内容として考えられるのか」との発言がありました。 

■《価格の決まっている商品は、すべて、a量の商品A=x量の金、b量の商品B=z量の金、c量の商品C=y量の金 というような形で表される。ここでは、a、b、cはそれぞれ商品種類A、B、Cの一定量を表している。それだから、商品価値はいろいろな大きさの想像された金量に転化されているのであり、つまり、商品体が雑多であるにもかかわらず、同名の量に、すなわち金量に転化されているのである。このようないろいろな金量として、諸商品の価値は互いに比較され、計られるのであって、技術上、これらの金量を、それらの度量単位としての或る固定された金量に関係させる必要が大きくなってくる。この度量単位そのものは、さらにいくつもの可除部分に分割されることによって、度量標準に発展する。・金や銀や銅は、それらが貨幣になる以前に、すでにこのような度量標準をそれらの金属重量においてもっている。たとえば、一ポンドは度量単位として役だち、それが一方ではさらに分割されてオンスなどとなり、他方では合計されてツェントナーなどとなるのである。それだから、すべての金属流通では、重量の度量標準の有り合わせの名称がまた貨幣の度量標準または価格の度量標準の元来の名称になっているのである。》(「第1節 価値の尺度」の第7段落 国民文庫 176-177頁・原頁112)

■《このような歴史的過程は、いろいろな金属重量の貨幣名がそれらの普通の重量名から分離することを国民的慣習にする。貨幣度量標準は、一方では純粋に慣習的であるが、他方では一般的な効力を必要とするので、結局は法律によって規制されることになる。貴金属の一定重量部分、たとえば1オンスの金は公式にいくつかの可除部分に分割されて、それらの部分にポンドとターレルとかいうような法定の洗礼名が与えられる。そこで、このような可除部分は、貨幣の固有の度量単位として認められるのであるが、それは、さらにシリングやペニーなどのような法定の洗礼名のついた別の可除部分に細分される。それでもやはり一定の金属重量が金属貨幣の度量標準である。変わったのは、分割と命名である。》
(「第1節 価値の尺度」の第15段落 国民文庫 181頁・原頁115)

以下、段落毎にレジュメの内容と議論の報告を掲載します。
●は議論の報告、▲はかつて行った学習会での議論の紹介、■は資料、★は報告者によるまとめや意見、問題提起です。

第3章 貨幣または商品流通 第3章 第3節 貨幣
前文

・価値尺度として機能し、したがってまた自分の肉体でかまたは代理物によって流通手段として機能する商品は、貨幣である。
・それゆえ、金(または銀)は貨幣である。
・金が貨幣として機能するのは、一方では、その金(または銀)の肉体のままで、したがって貨幣商品として、現われなければならない場合、すなわち価値尺度の場合のように単に観念的でもなく流通手段の場合のように代理可能でもなく現われなければならない場合であり、他方では、その機能が金自身によって行なわれるか代理物によって行なわれるかにかかわりなく、その機能が金を唯一の価値姿態または交換価値の唯一の定在として、単なる使用価値としての他のすべての商品にたいして固定させる場合である。

■第3節の表題「貨幣」について、新日本出版版では次のような訳者による注がついている。《この「貨幣」は、貨幣一般を意味するDas Geld (第3章の表題)ではなく、定冠詞のないGeld (英語では money )であり、価値尺度および流通手段という第一および第二の規定にたいして「第三の規定における貨幣」とマルクスが呼んだものである。フランス語版では、この表題は La monnaie l'argent となり、次の最初のパラグラフもすっかり書き換えられている。》

■フランス語版ではこの箇所は次のようになっている。
《これまでわれわれは、貴金属を、価値尺度と流通手段という二重の姿態のもとで考察してきた。貴金属は、観念的な貨幣として第一の機能を果たし、第二の機能では象徴によって代表されることができる。だが、貴金属がその金属体のままで、商品の実在の等価物すなわち貨幣商品として現われなければならない機能が存在する。もう一つの機能、すなわち、貴金属が、あるいはみずからあるいは代理人によって果たしえても、日用商品の価値の唯一無二の的確な化身としてこの商品に対面する機能も、存在する。どちらの場合も、貴金属が厳密な意味での貨幣として、価値尺度や鋳貨としての機能と対照的に機能する、とわれわれは言うのである。》(『フランス語版資本論』上巻 江夏美千穂・上杉聰彦訳 法政大学出版会 110頁)
 
●報告者が「第三の規定における貨幣」について「貨幣としての貨幣ともいわれる」と述べたのに対して「貨幣としての貨幣という言い方は資本としての貨幣との区別を明らかにするためではないか」との発言がありました。また、マルクスが「第三の規定における貨幣」という表現をどの著作で用いているのかを調べることになりました。

■《貨幣としての貨幣と資本としての貨幣とは、さしあたりはただ両者の流通形態の相違によって区別されるだけである。》(「第4章 貨幣の資本への転化 第1節 資本の一般的定式」の第4段落 国民文庫258頁・原頁162)

■マルクスは1858年4月2日のエンゲルスへの手紙の中で、「貨幣としての貨幣」という言葉を用いている。《 (c) 貨幣としての貨幣。これはG―W―W―Gの形態の展開である。流通にたいして独立した価値の定在としての貨幣、抽象的富の物質的定在。それがただ流通手段としてだけでなく、価格を実現するものとして現われるかぎりで、すでに流通で姿を現わす。aとbとがただ機能として現われるにすぎないこのcという属性では、貨幣は契約上の一般的商品(この場合には、それの価値、労働時間によって規定された価値の可変性が重要となる)であり、蓄蔵〔hoarding〕の対象である。(この機能はいまでもなおアジアで、一般的には〔generally〕古代世界と中世で重要なものとして現われる。現在では銀行制度のなかにただ従属して存在するにすぎない。恐慌のときには貨幣の重要性がふたたびこの形態で現われる。この形態での貨幣が生みだす世界史的妄想とともにこれを考察。破壊的な属性等々。)価値が登場するであろう場合のすべてのより高度な形態の実現として。すべての価値関係が外面的に自己を完結する決定的な諸形態である。だが、この形態に固定された貨幣は、経済関係ではなくなってしまい、形態はその物質的担い手である金銀のうちに消えうせる。他方では、それが流通にはいりこんで、ふたたびWと交換されるかぎり、最終過程である商品の消費はふたたび経済関係の外へ出る。単純な貨幣流通は自己のなかに自己再生産の原理をもたず、したがって自己をこえてゆく。貨幣では――その諸規定の展開が示すように――、流通にはいりこんで、そのなかで自己を維持しながら、同時に流通そのものを生みだす価値―― 資本 ――の要求が定立されている。この移行は同時に歴史的である。資本の前期的形態は商業資本であり、それはたえず貨幣を発展させる。それと同時に、現実資本は、貨幣または生産を支配する商人資本から発生する。》(『経済学批判』についての手紙 国民文庫『経済学批判』320-321頁)

■大谷禎之介氏は〈貨幣としての貨幣〉、〈本来の貨幣〉について次のように述べている。
《§4 本来の貨幣とその諸機能
(1) 本来の貨幣
[価値尺度と流通手段との統一としての本来の貨幣] すでに価値形態および交換過程の研究のなかで見たように、貨幣とは、交換過程の矛盾を媒介するものとして必然的に成立する一般的等価物の機能を社会的に独占する独自な商品である。だからそもそも貨幣の概念のうちに、それが一般的等価物として機能するものだ、ということが含まれている。
 価値形態のところで見たように、一般的等価物である貨幣は、まずもってすべての商品のために価値表現の材料として役立つ。そこで第1に、貨幣のこの役だちを、あらためて貨幣を主体としてそれの機能として、すなわち貨幣の価値尺度の機能として考察した。さらに交換過程のところで見たように、一般的等価物は商品交換を、商品がひとまず一般的等価物に変態し、そののちに一般的等価物からさらに任意の商品に変態する、という過程に転化することによって、交換過程の矛盾を打開するのであって、商品の全面的交換が発展するにつれて、一般的等価物は最終的にある特定の商品種類に――金銀に――固着せざるをえない。こうして貨幣が成立する。そこで第2に、このように成立した貨幣による商品の全面的な交換過程の媒介の役立ちを、あらためて貨幣を主体としてそれの機能として、すなわち貨幣の流通手段の機能として考察した。
 これらの考察のさい、つねに、貨幣商品は金だとしてきたが、しかし金が価値尺度の機能を果たすのは、生身の金そのものとしてではなくて、表象されただけの金、観念的な金としてであったし、W―G―W を媒介する流通手段としての金は、流通過程の自然発生的な傾向によって、現実の金を代表するそれの象徴よって代理されるようになるのであって、金貨そのものが流通する場合でさえも、それは仮象の金として、すなわち完全な量目と品位の金貨のシンボルとして流通するのであった。
 けれども、価値尺度で表象されており、流通手段で象徴的に代理されているのは、まさに現実の金、本物の金である。価値尺度の機能を果たす観念的な金は、それによって表象される現実の金の存在を前提しているし、流通手段として流通する象徴は、それによって代表される現実の金の存在を前提しているのであって、どちらの機能も、すでに金が一般的等価物として商品世界から排除され、一般的等価物の機能を社会的に独占していること、要するに金が貨幣となっていることを前提している。つまり、ある商品世界あるいはある国のなかで金が価値尺度として表象されており、かつ金が鋳貨によつて象徴的に代理されているときには、そこではすでに、金が貨幣となっており、金という自然素材が貨幣という形態規定を受け取っているのである。
 だから、この商品世界では価値尺度としても流通手段としても機能している独自な商品はなにか、と問うことは、この世界で一般的等価物としての機能を社会的に独占している商品はなにか、と問うこと、ここでの貨幣商品はなにか、と問うことと同じである。そしてそれは、商品世界のなかに労働生産物として現実に存在する金以外のものではありえない。この世界では、現物の金そのものが貨幣なのであり、それそのものが貨幣という形態規定性をもっているのである。
 そこで、価値尺度として表象され、鋳貨および価値章標によって象徴的に代理される、貨幣である現物の金そのものは、それを観念的に表象しただけの〈価値尺度としての貨幣〉、および、それの象徴的な代理物でありうる流通手段としての貨幣〈とは区別して、〈貨幣としての貨幣〉と呼ばれる。
 この〈貨幣としての貨幣〉は、貨幣の〈第一の規定〉であった価値尺度および〈第二の規定〉であった流通手段にたいして、〈第三の規定における貨幣〉である。また〈価値尺度としての貨幣〉も、〈流通手段としての貨幣〉もともに、貨幣である金が果たす機能であるのにたいして、〈貨幣としての貨幣〉は、これこそが〈貨幣〉なのだという意味で〈本来の意味での貨幣〉あるいは〈厳密な意味での貨幣〉と言うこともできる。》(大谷等禎之介「貨幣の機能Ⅱ」 『経済志林』第62巻 第3・4号 180-181頁)

▲「一方では」「他方では」として述べられているのはどんな事柄なのかとの疑問が出されました。「一方では」は蓄蔵貨幣や世界貨幣、「他方では」は支払い手段のことを述べているのではないかという発言がありましたが、第3節を終えた後で議論しようということになりました。

▲「交換価値の唯一の定在」と書かれているが、「価値の唯一の定在」というべきではないのかという疑問が出されました。すぐに結論は出ず、今後の課題となりました。

a 貨幣蓄蔵

第1段落
・二つの反対の商品変態の連続的な循環、または売りと買いとの流動的な転換は、貨幣の無休の流通、または流通の永久自動機関[perpetuum mobile]としての貨幣の機能に現われる。
・変態列が中断され、売りが、それに続く買いによって補われなければ、貨幣は不動化され、または、ボアギュベールの言うところでは、可動物[meuble]から不動物[immeuble]に、鋳貨から貨幣に転化する。

第2段落
・商品流通そのものの最初の発展とともに、第一の変態の産物、商品の転化した姿態または商品の金蛹を固持する必要と熱情とが発展する。
・商品は、商品を買うためではなく、商品形態を貨幣形態と取り替えるために、売られるようになる。
・この形態変換は、物質代謝の単なる媒介から自己目的になる。
・商品の離脱した姿は、商品の絶対的に譲渡可能な姿またはただ瞬間的な貨幣形態として機能することを妨げられる。
・こうして、貨幣は蓄蔵貨幣に化石し、商品の売り手は貨幣蓄蔵者になるのである。

★「この形態変換」とは、商品の貨幣への転化 W―G のこと。

★「商品の絶対的に譲渡可能な姿」とは、他のすべての商品にたいして直接的交換可能性の形態にあるということ。

★「瞬間的な貨幣形態」とは、買うための売り W―G―W のGのこと。

第3段落
・商品流通が始ったばかりのときには、ただ使用価値の余剰分だけが貨幣に転化する。
・こうして、金銀は、おのずから、有り余るものまたは富の社会的な表現になる。
・このような貨幣蓄蔵の素朴な形態が永久化されるのは、かたく閉ざされた欲望範囲が伝統的な自給自足的な生産様式に対応している諸民族の場合である。
・たとえばアジア人、ことにインド人の場合がそうである。
・ヴァンダリントは、商品価格は一国に存在する金銀の量によって規定されると妄信しているのであるが、彼は、なぜインドの商品があんなに安いのか? と自問する。
・答えは、インド人は貨幣を埋蔵するからだ、というのである。
・彼の言うところでは、1602-1734年に、インド人は1億5000万ポンド・スターリングの銀を埋めたが、それは元来はアメリカからヨーロッパにきたものだった。
・1856-1866年に、つまり10年間に、イギリスはインドとシナに(シナに輸出された金属は大部分再びインドに向かって流れる)1億2000万ポンド・スターリングの銀を輸出したが、この銀は以前にオーストラリアの金と交換して得られたものだった。

★「欲望範囲」が生産様式に対応していると述べていることに注意しておこう。使用価値の多様さとそれに対する欲望もまた生産力の高さに規定されているということではないか。

▲「1602-1734年の100年余の期間に埋められた銀の量と1856-1866年の10年間に埋められた銀の量がほぼ等しいことに注目しておこう」との発言がありました。

▲「シナに輸出された金属は大部分再びインドに向かって流れる」に関連して、三角貿易やアヘン戦争についての説明がされました。

■アヘン戦争
1840年―1842年,清朝のアヘン密貿易禁止をめぐる英国と清朝間の戦争。清では雍正帝以来アヘン禁止が祖法とされた。18世紀末以降インド産アヘンの密貿易が盛行し吸煙の害が政治問題化,また茶,絹などの輸出による外国銀流入はアヘン貿易によって銀の国外流出に転じ,財政上からも問題化した。このため1839年道光帝は林則徐を欽差大臣として広東(カントン)に派遣。林は広東でアヘンの没収,棄却など強硬策をとり,英国との交易禁止という挙にでた。1840年英国は遠征軍を派遣し,清朝は林則徐を罷免して,和を策したが成功しなかった。1842年6月総攻撃を再開した英軍に大敗,8月南京条約が締結され,清の鎖国はくずれた。なお,アロー戦争(1856年―1860年)を第2次アヘン戦争ともいう。 (マイペディア)

■アヘン貿易
18世紀後半から,イギリス東インド会社がインド産アヘンを中国向けに輸出した貿易。実際は,中国からの茶の輸入の資金として,英国がインド(ベンガル地方と中央インドの藩王国など)につくらせたアヘンを中国に売り,インド人の受け取る代金で英国のつくった工業製品の消費を可能にさせる,という三角貿易であった。また,植民地インドにおける英国の歳入の17%(19世紀平均)はアヘン専売収入が占め,中国への輸出は清朝の禁令のため,中国人商人を介した密貿易で行われた。
(マイペディア)

■三角貿易 
外国貿易によって生じる2国間の国際収支の不均衡を調整するため,第三国を交えて貿易し3国間で差額を相殺し合い,各国相互の貿易量を拡大しようとする方式。多角貿易のうち3国間で行うものをいう。 (マイペディア)

第4段落
・商品生産がさらに発展するにつれて、どの商品生産者も、諸物の神経[ nervus rerum]、「社会的な質物」を確保しておかなければならなくなる。
・彼の欲望は絶えず更新され、絶えず他人の商品を買うことを命ずるが、彼自身の商品の生産と販売は、時間がかかり、また偶然によって左右される。
・彼は、売ることなしに買うためには、まえもって、買うことなしに売っていなければならない。
・このような操作は、もし一般的に行なわれるとすれば、それ自身と矛盾しているように見える。
・しかし、貴金属はその生産源では直接に他の商品と交換される。
・ここでは、売り(商品所持者の側での)が、買い(金銀所持者の側での)なしに行なわれる。
・そして、それ以後の、あとに買いの続かない売りは、ただすべての商品所持者のあいだへの貴金属の再分配を媒介するだけである。
・こうして、交易のすべての点に、大小さまざまな金属蓄蔵が生ずる。
・商品を交換価値として、また交換価値を商品として固持する可能性とともに、黄金欲が目覚めてくる。
・商品流通の拡大につれて、貨幣の力が、すなわち富のいつでも出動できる絶対的に社会的な形態の力が、増大する。
・「金は素晴らしいものだ! それをもっている人は、自分が望むすべてのものの主人である。そのうえ、金によって魂を天国に行かせることさえできる」(コロンブス『ジャマイカからの手紙』1503年。)

●《それ以後の、あとに買いの続かない売りは、ただすべての商品所持者のあいだへの貴金属の再分配を媒介するだけ》と述べられていることについて「ここで述べられている《それ以後の、あとに買いの続かない売り》をするのは誰なのか、金生産者に自分の商品を売った人のことか」との疑問が出されました。「すべての商品所持者のあいだへの貴金属の再分配を媒介するといわれているのだから、金生産者に自分流通手段商品を売った人だけではなく、たくさん売って少ししか買わない人すべてのことだろう」「流通に最初に金が入ってくるのは金生産者と一般の商品生産者との取引によってだが、その以後の一般の商品生産者相互の間での貴金属の再分配について述べているのではないか」との発言がありました。

■《諸物の神経[ nervus rerum]、「社会的な質物」を確保しておかなければならなくなる。》は、新日本出版社版では《“万物の神経”である「社会的動産担保」を確保しなければならなくなる。》となっている。

■【質物】しちもつ  質におく品物。しちぐさ。(大辞林 第二版)

▲「《このような操作は、もし一般的に行なわれるとすれば、それ自身と矛盾しているように見える》とは、すべての人々が買うことなしに売ることはできないように見えるということではないか。しかし、産金業者は、いわば売ることなしに買うのであり、このことによって一般商品の生産者は、買うことなしに売ることができるということではないか」との発言がありました。

★一般商品の生産者も、過去に「買うことなしの売り」によって手にした貨幣でもって買うことがある。そのかぎりでは、「買うことなしの売り」と「売ることなしの買い」が並存するといえると思える。

▲「《貴金属の再分配》とは、産金業者から新たに流通にはいってきた金属のことをさしているのか」との疑問が出されましたが、明確な結論は出ませんでした。

▲「《商品を交換価値として、また交換価値を商品として固持する可能性》とは、商品を、価値として通用する形態=貨幣に転化して保持することをさしていると思えるが、《交換価値を商品として固持する》という表現はよく分らない」との発言がありました。(★内容としては、あらゆるものが商品として現われるような《商品流通の拡大》のことと思える。)

▲「第2段落・第3段落では《商品流通そのものの最初の発展》の時期=《商品流通が始ったばかりのとき》について述べ、第4段落では《商品生産がさらに発展》した段階でのことを対比的に述べている」との発言がありました。

■コロンブス  1451-1506
イタリアの航海者。イタリア語名ではコロンボCristoforo Colomboで,Columbusは英語表記。ジェノバ生れ。大西洋を西航してインドに達し得ると考え,数学者トスカネリらの支持を得た。1492年スペイン宮廷の援助と総督の地位を得ることに成功,8月サンタ・マリア号など3隻の船でパロスを出帆した。10月バハマ諸島のグアナハニ島に上陸,そこをインドの一部と誤認し神に感謝しつつ〈サン・サルバドル(聖なる救済者)〉と名づけた。その後キューバなどに寄りながら1493年帰国。第2回(1493年―1496年),第3回(1498年―1500年)と航海を重ねるが原住民の反乱に悩まされ,第4回航海(1502年―1504年)の際には総督の地位からはずされた。その後も宮廷は彼を重んぜず,彼は死に至るまでアジアの一部を発見したと信じつつ失意のうちに死んだ。コロンブスがアメリカ大陸から持ち帰ったとされるものに梅毒,タバコ,トウガラシなどがある。(マイペディア)

●蓄蔵貨幣は、貨幣の機能の一つだと通説的見解に対して、久留間鮫造氏が「蓄蔵貨幣を貨幣の機能だと考えるのはまちがっていると思う。蓄蔵貨幣は、貨幣が置かれている一つの状態、あるいは貨幣の一つの形態規定ではあるが、それ自身が一つの独自な機能なのではない」と主張されていることが紹介されました。(『資本論体系2 商品・貨幣』440頁)
 この問題については、久留間鮫造氏の見解が述べられている「マルクス経済学レキシコンの栞№12」を検討することになりました。
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by shihonron | 2009-09-15 23:30 | 学習会の報告


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