『資本論』を読む会の報告

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2009年 11月 17日

第167回 11月17日 第4章 第1節 資本の一般的定式

11月17日(火)に第167回の学習会を行いました。前回の議論の確認をした後「第4章 貨幣の資本への転化 第1節 資本の一般的定式」の第16段落から最後(第25段落)までについてレジュメに基づいた報告を受け、検討しました。

以下は当日配布されたレジュメです。

                                    
『資本論』第1巻 第四章 貨幣の資本への転化    
 第三節 資本の一般的定式 (その2)

     
第19段落 資本家と貨幣蓄蔵者との違い ―― 流通を利用
(1)資本の運動の意識的な担い手として、貨幣所有者は資本家になる。
(2)価値の増殖が唯一の推進動機である限り、人格化された資本である。
(3)致富衝動は、資本家と貨幣蓄蔵者とに共通である。
  ①貨幣蓄蔵者は、狂気の沙汰の資本家(?)でしかない。貨幣を流通から救い出すことによって追求する。
  ②資本家は合理的な貨幣蓄蔵者である。貨幣を絶えず繰り返し流通にゆだねることによって、価値増殖
を達成する。

第20段落 G-W-Gでの自動的な運動主体 ―― 価値
(1)流通G-W-Gにおいては、商品と貨幣は共に価値そのものの、異なる実存様式として機能するに過ぎない。(貨幣は価値の一般的な実存様式、商品は価値の特殊な実存様式)
   注(11)「資本をつくるものは、素材ではなくて、この素材の価値である。」
(2)価値は、このG-W-Gという運動のなかで、一つの自動的な主体に転化する。
   貨幣、商品は、その循環運動の中で、資本が身につける特殊な現象形態である。
(3)しかし、実際には、価値はここでは、過程の主体になる。
   この過程の中で、価値である主体は、貨幣と商品とに絶えず形態を変換しながら、その大きさそのものを変え、原価値としての自分自身から、剰余価値としての自己を突き出して、自己自身を増殖する。
(4)価値は、それが価値であるがゆえに価値を生むという、オカルト(摩訶不思議)な資質を受け取る。

第21段落 資本としての価値 ―― 貨幣形態とともに商品形態をも取らなければならない。
(1)このG-W-Gという過程の支配的な主体として、価値は何よりもまず、それによって価値の自己自身との同一性が確認されるような、一つの自立的形態を必要とする。
   この形態を価値は、ただ貨幣という形でもつ。
   それゆえ、貨幣はあらゆる価値増殖過程の出発点と終点をもつ。
(2)すべての商品は、貨幣をより多くの貨幣にするための奇跡的手段である。

第22段落 W-G-Wと区別されたG-W-Gでの価値の役割 ―― 過程を進行し運動する主体
(1)W-G-W、単純な流通では、商品の価値は、使用価値に対してせいぜい貨幣という自立的形態を受け取るに過ぎない。
(2)G-W-Gでは、価値は突然に過程を進みつつある、みずから運動しつつある実体として現われる。この実体にとっては、商品および貨幣は二つの単なる形態にすぎない。
(3)価値はいまや、自己自身に対する私的な関係に入り込む。
   原価値としての自己を、剰余価値としての自己から区別する。
   前貸しされた貨幣は、剰余価値を獲得することによって、資本となる。

第23段落 本節の総括 ―― 資本とは、自己増殖する価値である
   価値は、過程を進みつつある価値、過程を進みつつある貨幣になり、かくして資本となる。

第24段落 資本の一般的定式 ―― G-W-G’
(1)G-W-G’は、商人資本にだけ固有の形態のように見える。
(2)しかし、産業資本もそうだ。貨幣を商品に転化し、商品の販売によって自己をより多くの貨幣に再転化する。購買と販売との合間に流通部面の外部で行われるであろう諸行為は、この運動の形態を変えない。 
(3)利子生み資本は、G-G’である。

第25段落 資本の一般的定式
したがって、事実上、G-W-G’は、直接に流通部面に現われる資本の一般的定式である。
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by shihonron | 2009-11-17 23:30 | 学習会の報告


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