『資本論』を読む会の報告

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2009年 12月 01日

第168回 12月1日 第4章 第2節 一般的定式の矛盾


12月1日(火)に第168回の学習会を行いました。「第4章 貨幣の資本への転化 第2節 一般的定式の矛盾」の第1段落から第18段落までについてレジュメに基づいた報告を受け、検討しました。

以下は当日配布されたレジュメです。

第1部 第3章 貨幣または商品流通    2009.12.01    

第二節 一般的定式の矛盾

問題設定  
① W-G-W  --- 単純な商品流通
G-W-G’ ---- 資本の流通形態
              ・商品や価値や貨幣や流速そのものの性質についての以前に展開さ                れたすべての法則に矛盾している
    ・区別するものは,売りと買いとの順序が逆になっていること
    ・では,どうして,このような純粋に形態的な相違がこれらの過程の性質を手品のように早 変わりさせるのだろうか?

② このような逆転が存在するのは,三人の取引仲間のうちのただ一人だけにとってのこと

 A         W---G            Aは商品の売り手
                          私はただの貨幣所持者(買い手)
 私(資本家) G---W---G
                          私は商品所持者(売り手)
 B              G---W        Bは商品の買い手
    
    資本家としては私は商品をAから買ってそれをまたBに売る
     商品所持者としては,商品をBに売って次に商品をAから買う

  結果はAがその商品を直接にBに売ることと同じだ
     Aの立場からは単なる売り,Bの立場からは単なる買いになる

・われわれは順序の逆転によっては単純な商品流通の部面から抜け出てはいない
・われわれは,流通にはいってくる価値の増殖したがってまた剰余価値の形成を商品流通がその性 質上許すものかどうかを,見きわめなければならない


単なる商品交換として現われる形態にある流通過程   
    W---〔G〕---W
   二人の商品所持者が互いに商品を買い合う      
   相互の貨幣請求権の差額を支払日に決済する    
     W---〔G〕---W
     貨幣はこの場合には計算貨幣(商品の価値をその価格で表現するのに役だつ)
     商品そのものに物として相対してはいない

使用価値に関して
 ・交換者は両方とも利益を得る。両方とも,自分にとって使用価値としては無用な商品を手放し  て,自分が使用するために必要な商品を手に入れる。しかも,この二人のそれぞれが,交換なし  で,ぶどう酒や穀物を自分自身で生産しなければならないような場合に比べれば,同じ交換価値  と引き換えに,Aはより多くの穀物を,Bはより多くのぶどう酒を手に入れる。だから,使用価  値に関しては,「交換は両方が得をする取引である」とも言える。

交換価値のほうはそうではない。
 ・「五〇の価値の小麦がぶどう酒での五〇の価値と交換されるとする。この交換は,一方にとっ  ても他方にとっても,少しも交換価値の増殖ではない。なぜならば,彼らはどちらも,この操作  によって手に入れた価値と等しい価値をすでに交換以前にもっていたのだからである。」

④ 貨幣が流通手段として商品交換を媒介する場合(W-G-W)も,事態は同じ。
  ・商品の価値は,商品が流通にはいる前に,その価格に表わされている
          流通の前提であって結果ではない。

⑤ 単純な商品流通 W---G---W   (偶然的な諸事情を無視)
  ・ここで行われていること---商品の変態=単なる形態変換
                (少しも価値量の変化を含んでいない)
  ・商品の価値そのものが過程で経る変転は貨幣形態の変転。この形態変換は少しも価値量の変   化を含んではいない=現象が純粋に進行するならば,等価物どうしの交換
      最初は売りに出された商品の価格
      次にはある貨幣額(すでに価格に表現されていた貨幣額)
      最後にはある等価商品の価格として存在

・使用価値に関しては交換者が両方とも得をすることがあるとしても,両方が交換価値で得をする ことはありえない。その純粋な姿では,商品交換は等価物どうしの交換であり,商品の価値以上で の販売は,価値をふやす手段ではない。

学説(誤った説明)批判 1
⑥ 商品流通を剰余価値の源泉として説明しようとする試み
     使用価値と交換価値との混同(ほとんどの場合)
コンディヤック
・「商品交換では等しい価値が等しい価値と交換されるということは,まちがいである。逆である。二人の契約当事者はどちらもつねにより小さい価値をより大きい価値と引き換えに与えるのである。……もしも実際につねに等しい価値どうしが交換されるのならば,どの契約当事者にとっても利得は得られないであろう。」
・「物はわれわれの必要にとって相対的価値しかもたず,ある人にとってよりより多いものは,別の人にとってより少ないものであり,また,その逆である。」(仏語版)
・「われわれは,両方とも,余分なものを必要なものと交換するのではないか」

⑦ コンディヤックの誤り
 1.使用価値と交換価値とを混同
 2.発達した商品生産の行なわれる社会とすりかえて,生産者が自分の生活手段を自分で生産して,  余剰分だけを流通に投ずるという状態を持ち出している
・コンディヤックの議論は近代の経済学者たちによっても繰り返されている
  商品交換の発展した姿である商業を剰余価値を生産するものとして説明
・「商業は生産物に価値をつけ加える。なぜならば,同じ生産物でも,生産者の手にあるよりも消費 者の手にあるほうがより多くの価値をもつことになるからである。したがって,商業は文字どお りに(strictly)生産行為とみなされなければならない。」

⑧ 人々は商品に二重に,一度はその使用価値に,もう一度はその価値に,支払うのではない。
・もし商品の使用価値が売り手にとってよりも買い手にとってのほうがもっと有用だとすれば,
 その貨幣形態は買い手にとってよりも売り手にとってのほうがもっと有用である。

⑨ 等価物と等価物とが交換されるとすれば,明らかにだれも自分が流通に投ずるよりも多くの価 値を流通から引き出しはしない。そうすれば,剰余価値の形成は行なわれない。その純粋な形態 では,商品の流通過程は等価物どうしの交換を条件とする。


批判 2 非等価物どうしの交換
⑩ 商品市場   商品所持者----商品所持者
  ・相互に行使しうる力は彼らの商品力だけ
  ・商品の現物形態と商品の転化した形態(貨幣)との区別
  ・商品所持者たちは,一方は売り手(商品の所持者),他方は買い手(貨幣の所持者)として,            区別されるだけ

⑪ 諸商品の一般的な名目的な値上げ---剰余価値が形成されるか?
  ・たとえばすべての商品所持者が互いに自分の商品を価値よりも10%高く売り合うので,それは,   彼らが商品を価値どおりに売ったのとまったく同じことである。

⑫ 今度は,逆に,商品をその価値よりも安く買うことが買い手の特権だと仮定してみよう。
・彼は,買い手になる前にすでに売り手だったのである。彼は買い手として10%もうける前に,売り 手としてすでに10%損をしていたのである。

⑬ 要するに,剰余価値の形成,したがってまた貨幣の資本への転化は,売り手が商品をその価値よりも高く売るということによっても,また,買い手が商品をその価値よりも安く買うということによっても,説明することはできないのである。

批判 3 無縁の諸関係を導入
⑭ トレンズ大佐
 「商品と引き換えに,資本のすべての成分のうちの,その商品の生産に費やされるよりもいくらか大きい部分を与える,という消費者の能力と性向(!)」
 
⑮ 流通のなかでは生産者と消費者とはただ売り手と買い手として相対するだけである。
  売り手=その商品を自分で生産したか,またはその商品の生産者を代表
  買い手=彼の貨幣に表わされた商品を自分で生産したか,またはその生産者を代表
・生産者にとっての剰余価値は,消費者が商品に価値よりも高く支払うということから生ずる,と主 張することは,⑪の命題に仮面をつけただけのこと。一歩も前進させるものではない

剰余価値は名目上の値上げから生ずるとか,商品を高すぎる価格で売るという売り手の特権から生ずるとかいう幻想に固執する人々は,売ることなしにただ買うだけの,したがってまた生産することなしにただ消費するだけの,一つの階級(このような階級の存在は,単純な流通の立場からは,説明できないもの)を想定しているのである。
・このような階級が絶えずものを買うための貨幣は,交換なしで,無償で,任意の権原や強力原にも とづいて,商品所持者たち自身から絶えずこの階級に流れてこなければならない。この階級に商 品を価値よりも高く売るということは,ただで引き渡した貨幣の一部分を再びだまして取りもどすというだけのことである。

たとえば        年々の貨幣貢粗  

  小アジアの諸都市は -----→古代ローマ

  小アジアの諸都市は ←------古代ローマ
  ローマは商品(高すぎる価格で)を買った (小アジア人はローマ人をだました)=商業という方法で貢粗の一部分を奪い返した)

        ・それにも拘わらず小アジア人はだまされた人々
   
         ・彼らの商品の代価は,相変わらず彼ら自身の貨幣で彼らに支払われたからである
        
         ・これでは致富または剰余価値形成の方法にはならない。

批判 4
⑰ われわれは,商品交換の枠内にとどまろう。
       =売り手は買い手であり買い手はまた売り手である
・われわれの当惑は,登場人物を人格化された範疇としてとらえているだけで,個人としてとらえな かったことから生じているのかもしれない。

⑱ 詐取
     ずるい男              正直者
  +------+ 40£のワイン  +-------+
  | 商品所持者A |------→ | 商品所持者B |
  | ワイン生産者 |←-------| 穀物生産者  |
  +------+  50£の穀物   +-------+
             
・Aはより少ない貨幣をより多くの貨幣にし,彼の商品を資本に転化させた。
・交換が行なわれる前もあとでも,総価値は同じく90£である。流通する価値は少しも大きくなっ ていないが,AとBとへのその分配は変わっている。一方で剰余価値として現われるものは他方 では不足価値である。
・流通する価値の総額をその分配の変化によってふやすことはできないということは明らかである。
 一国の資本家階級の全体が自分で自分からだまし取ることばできないのである。

これまでの結論
⑲ 等価物どうしが交換されるとすれば剰余価値は生まれないし,非等価物どうしが交換されると してもやはり剰余価値は生まれない。流通または商品交換は価値を創造しない。 

・われわれは資本の基本形態(近代社会の経済組織を規定する資本の形態)を分析する
⑳ なぜ資本の周知のいわば大洪水以前的な姿である商業資本と高利資本とをさしあたりはまった く考慮に入れないでおくのかは,こうしたわけである 23。

(21) 本来の商業資本では,形態G―W―G’(より高く売るために買う)が最も純粋に現われている。・商業資本の全運動は流通部面のなかで行なわれる。しかし,貨幣の資本への転化,剰余価値の形成を流通そのものから説明することは不可能なのたから,商業資本は,等価物どうしが交換されるようになれば,不可能なものとして現われ,したがって,ただ,買う商品生産者と売る商品生産者とのあいだに寄生的に割りこむ商人によってこれらの生産者が両方ともだまし取られるということからのみ導き出されるものとして現われる。フランクリン---「戦争は略奪であり,商業は詐取である」
商業資本の価値増殖が単なる商品生産者の詐取からではなく説明されるべきだとすれば,そのた めには長い列の中間項が必要なのであるが,それは,商品流通とその単純な諸契機とがわれわれの 唯一の前提になっているここでは,まだまったく欠けているのである。

(22) 高利資本の場合も同様
・商業資本では,その両極,すなわち市場に投ぜられた貨幣と,市場から引きあげられる増殖された 貨幣とは,少なくとも買いと売りとによって,流通の運動によって,媒介されている。
・高利資本では,形態G―W―G’が,無媒介の両極G―G’に,より多くの貨幣と交換される貨幣 に,貨幣の性質と矛盾しておりしたがって商品交換の立楊からは説明することのできない形態に, 短縮されている。
・アリストテレス----「高利が憎まれるのはまったく当然である。・・・・・・・貨幣は商品交換の ために生じたのに,利子は貨幣をより多くの貨幣にするのである。・・・・・・・利子は貨幣から生まれ た貨幣であり,したがって,すべての営利部門のうちでこれが最も反自然的なものである。」

(23) 商業資本と同様に利子生み資本もわれわれの研究の途上で派生的な形態として見いだされる
・同時に,なぜそれらが歴史的に資本の近代的な基本形態よりも先に現われるかということもわか るであろう。

(24) 問題の整理
・剰余価値は流通から発生することはできないことは証明された
・それが形成されるときには,なにごとかが流通の背後で起きるのでなければならない。剰余価値 は流通からでなければほかのどこから発生することができるだろうか? 
・流通は,商品所持者たちのすべての相互関係の総計である。

・流通の外では,商品所持者はもはやただ彼自身の商品との関係にあるだけである。
・その商品の価値について言えば,関係は,その商品が彼自身の労働の一定の社会的法則に従って計 られた量を含んでいるということに限られている。この労働の量は,彼の商品の価値量に表現さ れる。そして,価値量は計算貨幣で表わされるのだから,かの労働量は,たとえば10£というよう な価格に表現される。

・商品所持者は彼の労働によって価値を形成することはできるが,しかし,自分を増殖する価値を形 成することはできない。
・彼がある商品の価値を高くすることができるのは,現にある価値に新たな労働によって新たな価 値を付加することによってであり,たとえば革で長靴をつくることによってである。同じ素材が 今ではより多くの価値をもっというのは,それがより大きな労働量を含んでいるからである。そ れゆえ,長靴は革よりも多くの価値をもっているが,しかし革の価値は元のままである。革は自分 の価値を増殖したのではなく,長靴製造中に剰余価値を身につけたのではない。つまり,商品生産 者が,流通部面の外で,他の商品所持者と接触することなしに,価値を増殖し,したがって貨幣また は商品を資本に転化させるということは,不可能なのである。

(25) 資本は流通から発生することはできないし,また流通から発生しないわけにもゆかない。
  資本は,流通のなかで発生しなければならないと同時に流通のなかで発生してはならない。
(26) こうして,二重の結果が生じた。

問題解決の条件
27 貨幣の資本への転化は,商品交換に内在する諸法則にもとづいて展開されるべきであり,したが って等価物どうしの交換が当然出発点とみなされる(37)。
・資本家の幼虫(貨幣所持者は),商品をその価値どおりに買い,価値どおりに売り,しかも過程の終 わりには,自分が投げ入れたよりも多くの価値を引き出さなければならない。彼の蝶への成長は, 流通部面で行なわれなければならないし,また流通部面で行なわれてはならない。
ここがロドスだ,さあ跳んでみろ!〔Hic Rhodus,hic salta!〕

注37
・ここでは,ただ,資本形成は商品価格が商品価値に等しい場合にも可能でなければならないということが言 われているだけだということ
・商品交換を基礎とする資本形成の現象を純粋な姿で眼前におき,その考察にさいしては本来の過程には関 係のない攪乱的な付随的な事情に惑わされないようにしなければならない。この還元は決して単なる科学 的な手続きではない。市場価格の絶え間ない振動,その上昇と低下は,互いに償い合い,相殺されて,おのず からその内的基準としての平均価格に還元されるのである。
・平均価格によって,すなわち結局は商品の価値によって,価格が規制される場合に,どのようにして資本は 発生することができるのか?
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by shihonron | 2009-12-01 23:30 | 学習会の報告


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