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『資本論』を読む会の報告

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2010年 02月 23日

第178回 2月23日 第6章 不変資本と可変資本

 2月23日(火)に第178回の学習会を行いました。
 「第6章 不変資本と可変資本」の第9段落から第13段落までをレジュメにもとづく報告を受けて検討しました(報告は最後のところまで行われました)。
 以下は当日配布されたレジュメです。

  第6章 不変資本と可変資本 
       
第8段落
・逆に紡績労働の生産性が変らず、したがって紡績工が1ポンドの綿花を糸にするためには相変わらず同じ時間が必要だと仮定しよう。
・しかし、綿花そのものの交換価値は変動して、1ポンドの綿花の価値が6倍に上がるか、または6分の1に下がるとしよう。
・彼が綿花から糸という生産物に移す価値は、以前に比べて一方の場合には6分の1であり、他方の場合には6倍である。
・労働手段が高くなるか安くなるかするが労働過程では相変わらず同じ役立ちをする場合も、同様である。

第9段落
・紡績過程の技術的な諸条件が変らず、またその生産手段にも価値変動が生じないならば、紡績工は相変わらず同じ労働時間で元通りの価値の同じ量の原料や機械を消費する。
・この場合には、彼が生産物のうちに保存する価値は、彼がつけ加える価値に正比例する。
・与えられた不変の生産条件のもとでは、労働者は、彼のつけ加える価値が多ければ多いほどそれだけ多くの価値を保存するのであるが、しかし、彼がより多くの価値を保存するのは、彼がより多くの価値をつけ加えるからでなく、彼がこの価値を、以前と変らない、彼の労働には依存しない諸条件のもとでつけ加えるからである。

第10段落
・もちろん、相対的な意味では、いつでも労働者は新価値をつけ加えるのと同じ割合で元の価値を保存する、ということもできる。
・綿花が1シリングから2シリングに上がっても、また6ペンスに下がっても、労働者が1時間のうちに保存する綿花の価値は、それがどんなに変動しようとも、つねに、彼が2時間の生産物のうちに保存する価値の半分でしかない。
・彼は2労働時間では1労働時間に比べて2倍の価値を保存するであろう。

第11段落
・価値は、価値標章での単なる象徴的なその表示を別とすれば、ある使用価値、ある物のうちにしか存在しない。
・(人間自身も、労働力の単なる定在として見れば、一つの自然対象であり、たとえ生命のある、自己意識のある物だとはいえ、一つの物である。
・そして労働そのものは、あの力の物的な発現である。)
・だから使用価値がなくなってしまえば、価値もなくなってしまう。
・生産手段は、その使用価値を失うのと同時にその価値を失うのではない。
・というのは、生産手段が労働過程を通ってその使用価値の元の姿を失うのは、じつは、ただ生産物において別の使用価値の姿を得るためでしかないからである。
・労働過程で価値が生産手段から生産物に移るのは、ただ生産手段がその独立の使用価値といっしょにその交換価値をも失うかぎりでのことである。
・生産手段は、ただ生産手段として失う価値を生産物に引き渡すだけである。
・しかし、労働過程のいろいろな対象的要因は、この点でそれぞれ事情を異にしている。

第12段落
・原料や補助材料は、それらが使用価値として労働に入ったときの独立の姿をなくしてしまう。本来の労働手段はそうではない。
・用具や機械や工場建物や容器などが労働過程で役だつのは、ただ、それらのものが最初の姿を保持していて明日もまた昨日とまったく同じ形態で労働過程に入って行くかぎりでのことである。
・今このような労働手段が役だつ全期間を、それが作業場に入ってきた日から、がらくた小屋に追放される日までにわたって考察するならば、この期間中にその使用価値は労働によって完全に消費されており、したがってその交換価値は完全に生産物に移っている。
・たとえばある紡績機械が10年で寿命を終わったとすれば、10年間の労働過程のあいだに機械の全価値は10年間の生産物に移ってしまっている。
・そして、労働手段も人間と同じことである。
・人間は、だれでも毎日24時間ずつ死んでゆく。
・しかし、どの人間を見ても、彼がすでに何日死んでいるかは正確にはわからない。
・とはいえ、このことは、生命保険会社が人間の平均寿命から非常に確実な、そしてもっとずっと重要なことではあるが、大いに利潤のあがる結論を引き出すということを妨げるものではない。
・労働手段も同じである。

第13段落
・こうして、生産手段は、労働過程でそれ自身の使用価値の消滅によって失うよりも多くの価値を生産物に引き渡すものではないということが、適切に示される。
・もしもその生産手段が失うべき価値をもっていないならば、すなわちそれ自身が人間労働の生産物でないならば、それはけっして生産物に価値を引き渡しはしないであろう。
・その生産手段は、交換価値の形成者として役立つことなしに、使用価値の形成者として役だつであろう。
・それゆえ、天然に人間の助力なしに存在する生産手段、すなわち土地や風や水や鉱脈内の鉄や原始林の樹木などの場合は、すべてそうなのである。

第14段落
・たとえば、ある機械に1000ポンドの価値があって、それが1000日で損耗してしまうとしよう。この場合には、毎日機械の価値の1000分の1ずつが機械自身からその毎日の生産物に移っていく。
・それと同時に、その生活力はしだいに衰えて行きながらも、いつでもその機械全体が労働過程で機能している。
・だから労働過程のある要因、ある生産手段は、労働過程には全体としてはいるが、価値増殖過程には一部分しかはいらないということがわかるのである。

第15段落
・他方それとは反対に、ある生産手段は、労働過程には一部分しか入らないのに、価値増殖過程には全体としてはいることがありうる。
・綿花を紡ぐときに毎日115ポンドについて15ポンドが落ちて、この15ポンドは糸にはならないで綿くず[devil's dust]にしかならないと仮定しよう。
・それでも、もしこの15ポンドの脱落が標準的であって綿花の平均加工と不可分であるならば、糸の要素にならない15ポンドの綿花の価値も、糸の実体になる100ポンドの綿花の価値とまったく同じように、糸の価値にはいるのである。
・それだからこそ、それはその価値を糸に引き渡すのである。

第16段落
・ただ、生産手段が労働過程にあるあいだその元の使用価値の姿での価値を失うかぎりでのみ、それは生産物の新たな姿に価値を移すのである。
・ある労働材料、ある機械、ある生産手段がどんなに有用であっても、それが150ポンドに、たとえば500労働日に値するならば、それは、その役立ちによって形成される総生産物に、けっして150ポンドより多くはつけ加えない。
・労働過程ではそれはただ使用価値として、有用な性質をもっている物として役だつだけであり、したがって、もしそれがこの過程にはいってくる前に価値をもっていなかったならば、それは生産物に少しも価値を引き渡しはしないであろう。

第17段落
・生産的労働が生産手段を新たな生産物の構成要素に変えることによって、生産手段の価値にはひとつの転生が起きる。
・労働者は、元の価値を保存することなしには、新たな価値をつけ加えることは、すなわち新たな価値を創造することはできない。
・だから、価値をつけ加えながら価値を保存するということは、活動している労働力の、生きている労働の、一つの天資なのである。
・そして、この天資は、労働者にとってはなんの費用もかからず、しかも、資本家には現にある資本価値の保存という多大の利益をもたらすのである。
・景気のよいあいだは、資本家は利殖に没頭しきっていて、労働のこの無償の贈り物が目に見えない。
・労働過程のむりやりの中断、すなわち恐慌は、彼にこれを痛切に感じさせる。

第18段落・およそ生産手段として消費されるものは、その使用価値であって、これの消費によって労働は生産物を形成するのである。
・生産手段の価値は実際は消費されるのではなく、したがってまた再生産されることもできないのである。
・生産されるものは、元の交換価値がそのうちに再現する新たな使用価値である。

第19段落
・労働過程の主体的な要因、活動しつつある労働力の方は、そうではない。
・かりに、労働者が自分の労働力の等価を生産した点、たとえば6時間の労働によって3シリングの価値をつけ加えた点で、生産過程が中断するとしよう。
・この価値は、生産物価値のうちの、生産手段からきた成分を越える超過分をなしている。
・それは、この過程のなかで発生した唯一の本源的な価値であり、生産物価値のうちでこの過程そのものによって生産された唯一の部分である。
・もちろん、それは、ただ、資本家によって労働力の買い入れのときに前貸しされ労働者自身によって生活手段に支出された貨幣を補填するだけである。
・ある価値の他の価値による補填は、ここでは新たな価値創造によって媒介されているのである。

第20段落
・しかし、われわれがすでに知っているように、労働過程は、労働力の価値の単なる等価が再生産されて労働対象につけ加えられる点を越えて、なお続行される。
・この点までは6時間で十分でも、それではすまないで、過程はたとえば12時間続く。
・だから、労働力の活動によってはただそれ自身の価値が再生産されるだけではなく、ある超過価値が生産される。
・この剰余価値は、生産物価値のうちの、消費された生産物形成者すなわち生産手段と労働力との価値を超える超過分をなしているのである。

第21段落
・われわれは、生産物価値の形成において労働過程のいろいろな要因が演ずるいろいろに違った役割を示すことによって、事実上、資本自身の価値増殖過程で資本のいろいろな成分が果たす機能を特徴づけた。
・生産物の総価値のうちの、この生産物を形成する諸要素の価値総額を超える超過分は、最初に前貸しされた資本価値を越える価値増殖された資本の超過分である。
・一方の生産手段、他方の労働力は、ただ、最初の資本価値がその貨幣形態を脱ぎ捨てて労働過程の諸要因に転化したときにとった別々の存在形態でしかないのである。

第22段落
・要するに、生産手段すなわち原料や補助材料や労働手段に転換される資本部分は、生産過程でその価値量を変えないのである。
・それゆえ、私はこれを不変資本部分、または、不変資本と呼ぶことにする。

第23段落
・これに反して、労働力に転換された資本部分は、生産過程でその価値を変える。
・資本のこの部分は、一つの不変量から絶えず一つの可変量に転化していく。
・それゆえ、私はこれを可変資本部分、または可変資本と呼ぶことにする。
・労働過程の立場からは客体的な要因と主体的な要因として、生産手段と労働力として、区別されるその同じ資本部分が、価値増殖過程の立場からは不変資本と可変資本として区別されるのである。

第24段落
・不変資本の概念は、その諸成分の価値革命をけっして排除するものではない。
・1ポンドの綿花が今日は6ペンスであるが、明日は綿花収穫の不足のために1シリングに上がると仮定しよう。
・引き続き加工される古い綿花は、6ペンスという価値で買われたものであるが、今では生産物に1シリングという価値部分をつけ加える。
・価値変化はここでは綿花を生産する過程で生ずるのではない。
・もしその商品の生産に社会的に必要な労働時間が変化したならば―たとえば同じ量の綿花でも不作のときは豊作のときよりも大きな量の労働を表わす―、前からある商品への反作用が生ずるのであって、この商品はいつでもただその商品種類の個別的な見本としか認められず、その価値は、つねに、社会的に必要な、したがってまたつねに現在の社会的諸条件のもとで必要な労働によって、計られるのである。

第25段落
・原料の価値と同じように、すでに生産過程で役だっている労働手段すなわち機械その他の価値も、したがってまたそれらが生産物に引き渡す価値部分も、変動することがある。
・この過程では、その機械は、それがこの過程にかかわりなくもっているよりも多くの価値を引き渡すことは決してないのである。

第26段落
・生産手段の価値の変動は、たとえその生産手段がすでに過程にはいってから反作用的に生じても、不変資本としてのその性格を変えるものではないが、同時にまた、不変資本と可変資本との割合の変動も、それらの機能上の相違に影響するものではない。
・たとえば以前は10人の労働者がわずか10個の道具で比較的少量の原料を加工していたのに、今では1人の労働者が1台の高価な機械で100倍の原料に加工するようになるとしよう。
・この場合には、不変資本、すなわち充用される生産手段の価値量は非常に増大し、労働力に前貸しされる可変資本部分は非常に減少するだろう。
・しかし、この変動は、不変資本と可変資本との量的関係、すなわち総資本が不変成分と可変成分とに分かれる割合を変えるだけで、不変と可変との相違には影響しないのである。

by shihonron | 2010-02-23 23:00 | 学習会の報告


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