『資本論』を読む会の報告

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2010年 02月 22日

学習ノート 第6章 不変資本と可変資本 その2

第12段落
・機関を熱するために用いられる石炭は、あとかたもなく消えてしまうが、車軸に塗られる油なども同様である。
・染料やその他の補助材料も消えてなくなるが、しかしそれらは生産物の性質のうちに現われる。
・原料は生産物の実体になるが、しかしその形を変えている。
・だから、原料や補助材料は、それらが使用価値として労働に入ったときの独立の姿をなくしてしまうわけである。
・本来の労働手段はそうではない。
・用具や機械や工場建物や容器などが労働過程で役だつのは、ただ、それらのものが最初の姿を保持していて明日もまた昨日とまったく同じ形態で労働過程に入って行くかぎりでのことである。
・それらのものは、生きているあいだ、労働過程にあるあいだ、生産物にたいして自分の独立の姿を保持しているが、それらが死んでからもやはりそうである。機械や道具や作業用建物などの死骸は、相変わらず、それらに助けられてつくられた生産物とは別に存在している。
・今このような労働手段が役だつ全期間を、それが作業場に入ってきた日から、がらくた小屋に追放される日までにわたって考察するならば、この期間中にその使用価値は労働によって完全に消費されており、したがってその交換価値は完全に生産物に移っている。
・たとえばある紡績機械が10年で寿命を終わったとすれば、10年間の労働過程のあいだに機械の全価値は10年間の生産物に移ってしまっている。
・だから、一つの労働手段の生存期間のうちには、この労働手段を用いて絶えず繰り返される労働過程の多かれ少なかれいくつかが含まれているのである。
・そして、労働手段も人間と同じことである。
・人間は、だれでも毎日24時間ずつ死んでゆく。
・しかし、どの人間を見ても、彼がすでに何日死んでいるかは正確にはわからない。
・とはいえ、このことは、生命保険会社が人間の平均寿命から非常に確実な、そしてもっとずっと重要なことではあるが、大いに利潤のあがる結論を引き出すということを妨げるものではない。
・労働手段も同じである。
・ある労働手段、たとえばある種類の機械が平均してどれだけ長もちするかは、経験によって知られている。
・労働過程での機械の使用価値が6日しかもたないと仮定しよう。
・そうすれば、その機械は平均して1労働日ごとにその使用価値の6分の1を失ってゆき、したがって毎日の生産物にその価値の6分の1を引き渡すことになる。
・このような仕方で、すべての労働手段の損耗、たとえばその毎日の使用価値喪失とそれに応じて行なわれる生産物への毎日の価値引き渡しは、計算されるであろう。

★原料や補助材料などは、労働過程を経て、消えてなくなったり、姿を変えたりすることによって最初の姿=独自の使用価値を失う。これに対して本来の労働手段は、労働過程にあるあいだ、生産物にたいして自分の独立の姿を保持している。しかし、労働手段にはそれが利用されうる一定の期間=寿命がある。その寿命がつきるまでの全期間の労働過程のあいだには労働手段の使用価値はすべて消費され、全価値がその期間の生産物に移転する。全期間(寿命)の10分の1の時間の使用では、使用価値の10分の1が消費され(失われ)、全価値の10分の1が移転する。

第13段落
・こうして、生産手段は、労働過程でそれ自身の使用価値の消滅によって失うよりも多くの価値を生産物に引き渡すものではないということが、適切に示される。
・もしもその生産手段が失うべき価値をもっていないならば、すなわちそれ自身が人間労働の生産物でないならば、それはけっして生産物に価値を引き渡しはしないであろう。
・その生産手段は、交換価値の形成者として役立つことなしに、使用価値の形成者として役だつであろう。
・それゆえ、天然に人間の助力なしに存在する生産手段、すなわち土地や風や水や鉱脈内の鉄や原始林の樹木などの場合は、すべてそうなのである。

★生産手段が使用価値ではあるが価値をもたないもの=「自然財」である場合には、生産物に価値を引き渡さない。

第14段落
・ここでもう一つの別の興味ある現象がわれわれの前に現われる。
・たとえば、ある機械に1000ポンドの価値があって、それが1000日で損耗してしまうとしよう。
・この場合には、毎日機械の価値の1000分の1ずつが機械自身からその毎日の生産物に移っていく。
・それと同時に、その生活力はしだいに衰えて行きながらも、いつでもその機械全体が労働過程で機能している。
・だから労働過程のある要因、ある生産手段は、労働過程には全体としてはいるが、価値増殖過程には一部分しかはいらないということがわかるのである。
・労働過程と価値増殖過程との相違がここではこれらの過程の対象的な諸要因に反射している。
・というのは、同じ生産過程で同じ生産手段が、労働過程の要素としては全体として数えられ、価値形成の要素としては一部分ずつしか数えられないからである。

★《労働過程と価値増殖過程との相違》 
   労働過程――使用価値の生産――具体的・有用的労働の側面
 価値増殖過程――剰余価値の生産――抽象的・人間的労働の側面

■この段落の最後の部分は、新日本出版社版(349頁)では次のようになっている。
《ここでは、労働過程と価値増殖過程との区別は、同じ生産手段が同じ生産過程において、労働過程の要素としては全体として計算に入り、価値形成の要素としては一部分ずつ計算にはいるにすぎないということによって、それらの過程の対象的諸要因に反映する。》

●注21に関連してナイフの製法を調べることになりました。

■刃物記念館 http://www.meikoukai.com/contents/hakubutukan/hamono/index.html
 レッドオルカ http://www.yamahide.com/custom/redorca.htm

第15段落
・他方それとは反対に、ある生産手段は、労働過程には一部分しか入らないのに、価値増殖過程には全体としてはいることがありうる。
・綿花を紡ぐときに毎日115ポンドについて15ポンドが落ちて、この15ポンドは糸にはならないで綿くず[devil's dust]にしかならないと仮定しよう。
・それでも、もしこの15ポンドの脱落が標準的であって綿花の平均加工と不可分であるならば、糸の要素にならない15ポンドの綿花の価値も、糸の実体になる100ポンドの綿花の価値とまったく同じように、糸の価値にはいるのである。
・100ポンドの糸をつくるためには、15ポンドの綿花の使用価値がちりにならなければならない。
・だから、この綿花の廃物化は糸の生産の一つの条件なのである。
・それだからこそ、それはその価値を糸に引き渡すのである。
・これは、労働過程のすべての排泄物について言えることである。
・少なくとも、これらの排泄物が再び新たな生産手段に、したがってまた新たな独立な使用価値にならないかぎりでは、そう言えるのである。
・たとえば、マンチェスターの大きな機械製造工場では鉄くずの山が巨大な機械でかんなくずのように削り落とされ、夕方になると大きな車で工場から製鉄所に運ばれて行くのが見られるが、それは他日再び大量の鉄になって製鉄所から工場に帰ってくるのである。

第16段落
・ただ、生産手段が労働過程にあるあいだその元の使用価値の姿での価値を失うかぎりでのみ、それは生産物の新たな姿に価値を移すのである。
・それが労働過程でこうむることのできる価値喪失の最大限度は、明らかに、それが労働過程にはいるときにもっていた元の価値によって、すなわち自身の生産に必要な労働時間によって、制限されている。
・それゆえ、生産手段は、それが役立てられる労働過程にかかわりなくもっている価値よりも多くの価値を生産物につけ加えることは、けっしてできないのである。
・ある労働材料、ある機械、ある生産手段がどんなに有用であっても、それが150ポンドに、たとえば500労働日に値するならば、それは、その役立ちによって形成される総生産物に、けっして150ポンドより多くはつけ加えないのである。
・その価値は、それが入っていく労働過程によってではなく、それが生産物として出てくる労働過程によって決定されているのである。
・労働過程ではそれはただ使用価値として、有用な性質をもっている物として役だつだけであり、したがって、もしそれがこの過程にはいってくる前に価値をもっていなかったならば、それは生産物に少しも価値を引き渡しはしないであろう。

★《その価値は…それが生産物として出てくる労働過程によって決定されている》と述べられているが、労働過程は価値を形成するのではなく、使用価値を生産するのではなかったのかという疑問をもちました。

■フランス語版では次のようになっています。
《その価値は、それが生産手段として入ってゆく労働によってではなく、それが生産物として出てくる労働によって、きめられる。》(198頁)

●議論の中で「現在までのところでは、商品は労働生産物であるが、現在の社会では第3次産業の比率が大きい。商品としてのサービスについてどのように説明できるのか。サービス労働は価値を生まないと言うことなのだろうか」との疑問が出されました。これに対して「本来的な商品について明らかにした後で、サービスについて問題にできる。価値は、物の性質でありサービスは価値をもたないと思う。マルクスは、サービスについては収入と交換される不生産的労働と評価していたのではないか」との発言がありました。

■生産的労働と不生産的労働
「スミスは、生産的労働と不生産的労働とを区別した。生産的労働とは、製造工の労働のように、商品に固定され、材料の価値に賃金と利潤の価値を付加する労働であり、不生産的労働とは、召使・官吏・兵士の労働のように、商品に固定されず、どんな物にも価値を付加しない労働である。…生産的労働者が多ければ多いほど、生産される生産物は多くなり、人々は豊かになっていく。この生産的労働者を増やすには2 つの方法があり、一つは生産的労働者を雇用する資本の量を増加させること、もう一つは同じ量の資本をより多くの生産的労働者を雇用する用途へと投下することである。」(早坂忠編『経済学史』51頁)

■角田収「サービス経済化の進展と価値創造的労働」(日本大学経済科学研究所紀要 第31号)
  http://www.eco.nihon-u.ac.jp/contents/research/kei/kiyou/31/kiyou31pdf/31tsunoda.pdf

第17段落
・生産的労働が生産手段を新たな生産物の構成要素に変えることによって、生産手段の価値にはひとつの転生がが起きる。
・それは、消費された肉体から、新しく形作られた肉体に移る。
・しかし、この転生は、いわば、現実の労働の背後で行なわれる。
・労働者は、元の価値を保存することなしには、新たな価値をつけ加えることは、すなわち新たな価値を創造することはできない。
・なぜならば、彼は労働を必ず特定の有用な形態でつけ加えなければならないからであり、そして労働を有用な形態でつけ加えることは、いろいろな生産物を一つの新たな生産物の生産手段とすることによってそれらの価値を生産物に移すことなしには、できないからである。
・だから、価値をつけ加えながら価値を保存するということは、活動している労働力の、生きている労働の、一つの天資なのである。
・そして、この天資は、労働者にとってはなんの費用もかからず、しかも、資本家には現にある資本価値の保存という多大の利益をもたらすのである。
・景気のよいあいだは、資本家は利殖に没頭しきっていて、労働のこの無償の贈り物が目に見えない。
・労働過程のむりやりの中断、すなわち恐慌は、彼にこれを痛切に感じさせる。

★生産手段、つまり労働対象と労働手段のどちらもが「新たな生産物の構成要素」に変えられるとマルクスは述べている。

★「肉体」とは使用価値のことである。労働によって価値の担い手である使用価値の形態は変化するが、価値は保存(移転)される。

■【転生】てんしょう 生まれ変わること。また、生活態度や環境を一変させること。
     てんせい。
 【転生】てんせい 生まれ変わること。輪廻(りんね)。てんしょう。

★現実の労働は具体的・有用的労働に他ならない。その労働を、労働力の支出という側面からだけ取り上げるなら抽象的・人間的労働である。抽象的・人間的労働は価値をつけくわえ(形成し)、具体的・有用的労働は価値を保存(移転)する。

■【天資】生まれつきの資質・性質。天稟(てんぴん)。天性。

●「この天資は、労働者にとってはなんの費用もかからず」とはどういうことかが問題になり、二度労働(一度は価値をつけ加えるために、もう一度は価値を保存するために)するのではなく、一度の労働によって価値をつけ加えると同時に価値を保存するということだろうという結論になりました。

■《労働対象に新たな価値をつけ加えることと、生産物のなかに元の価値を保存することとは、労働者が同じ時間には一度しか労働しないのに同じ時間に生みだす二つのまったく違う結果なのだから、このような結果の二面性は明らかにただ彼の労働そのものの二面性だけから説明できるものである。同じ時点に、彼の労働は、一方の属性では価値を創造し、他方の属性では価値を保存または移転しなければならないのである。》(国民文庫347頁・原頁214)

●「労働のこの無償の贈り物」とは何かが問題となり、価値が保存されることだとの結論になりました。
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by shihonron | 2010-02-22 23:05 | 学習ノート


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