2010年 02月 22日
学習ノート 第6章 不変資本と可変資本 第1段落 ・労働過程のいろいろな要因は、それぞれ違った仕方で生産物価値の形成に参加する。 ●《労働過程のさまざまな要因》とは何かが問題になり、「労働そのもの、労働対象、労働手段のことだ」との発言がありました。また、「第5章第1節第3段落では《要因》ではなく《諸契機》という表現がされている」との指摘がありました。 ■《労働過程の単純な諸契機は、合目的的な活動または労働そのものとその対象その手段である。》(国民文庫313頁・原頁193) ■《われわれの将来の資本家のところに帰ることにしよう。われわれが彼と別れたのは、彼が商品市場で労働過程のために必要な要因のすべてを、すなわち対象的要因または生産手段と人的要因または労働力とを買ってからのことだった。彼は、抜け目のないくろうとの目で、紡績業とか製靴業とかいうような彼の専門の営業に適した生産手段と労働力とを選び出した。》(国民文庫323頁・原頁199) ■【契機】 (1)物事が始まったり、変化が生じたりする直接の要素や原因。きっかけ。動機。 「就職を―に親元を離れた」 (2)〔哲〕〔(ドイツ) Moment〕ある物を動かし、規定する根拠・要因。弁証法では、発展に組み込まれて、より大きな関係を構成する不可欠なものとなった要素。 (大辞林 第二版) ●「《生産物価値》という用語はここではじめて登場したのではないか」「これまでは生産物の価値という表現だったのではないか」との発言がありました。調べたところ、《生産物価値》という言葉は、ここではじめて使われています。 第2段落 ・労働者は、彼の労働の特定の内容や目的や技術的性格を別とすれば、一定量の労働をつけ加えることによって労働対象に新たな価値をつけ加える。 ・他方では、われわれは消費された生産手段の価値を再び生産物価値の諸成分として、たとえば綿花や紡錘の価値を糸の価値のうちに、見いだす。 ・つまり、生産手段の価値は、生産物に移転されることによって、保存されるのである。 ・この移転は、生産手段が生産物に変るあいだに、つまり労働過程のなかで、行なわれる。 ・それは労働によって媒介されている。 ・だが、どのようにしてか? ★ここでは、生産手段の価値が生産物に移転することによって保存されることを述べ、その価値の移転が労働によってどのように媒介されているのかを問題にしている。第2節労働過程では、生産手段の価値が生産物の価値の一部をなしていることは述べられていたが、生産物への価値の移転はまだ問題とされていなかった。 ■《綿花の生産に必要な労働時間は、綿花を原料とする糸の生産に必要な労働時間の一部分であり、したがってそれは糸のうちに含まれている。それだけの摩滅または消費なしには綿花を紡ぐことができないという紡錘量の生産に必要な労働時間についても同じことである。》(国民文庫328頁・原頁202) 《労働材料や労働手段に含まれている労働時間は、まったく、紡績過程のうちの最後に紡績の形でつけ加えられた労働よりも前の一段階で支出されたにすぎないものであるかのように、みなされうるのである。要するに、12シリングという価格で表わされる綿花と紡錘という生産手段の価値は、糸の価値の、すなわち生産物の価値の成分をなしているのである。》(国民文庫329頁・原頁202-203) 第3段落 ・労働者は同じ時間に二重に労働するのではない。 ・一方では自分の労働によって綿花に価値をつけ加えるために労働し、他方では綿花の元の価値を保存するために、または、同じことであるが、自分が加工する綿花や自分の労働手段である紡錘の価値を生産物である糸に移すために労働するわけではない。 ・そうではなくて、彼は、ただ新たな価値をつけ加えるだけのことによって、元の価値を保存するのである。 ・しかし、労働対象に新たな価値をつけ加えることと、生産物のなかに元の価値を保存することとは、労働者が同じ時間には一度しか労働しないのに同じ時間に生みだす二つのまったく違う結果なのだから、このような結果の二面性は明らかにただ彼の労働そのものの二面性だけから説明できるものである。 ・同じ時点に、彼の労働は、一方の属性では価値を創造し、他方の属性では価値を保存または移転しなければならないのである。 ●「《労働者は同じ時間に二重に労働するのではない》は、その内容としては、労働者は同じ時間に一度しか労働しない――二度労働するのではないということだ」という発言がありました。 ■フランス語版では《労働者は、同じ時間内に二重に労働するのではない。すなわち、一度は綿花に新しい価値を付加するために、もう一度は綿花の旧価値を保存するために、あるいはまったく同じことになるが、彼が使用する紡錘の価値と彼が加工する綿花の価値とを糸という生産物に移すために、労働するのではない。》(191頁)と述べられている。 ★労働は、使用価値を生産する労働(具体的・有用的労働)としては、「その目的、作業様式、対象、手段、結果によって規定されている」生産的活動である。労働を、労働力の支出としてのみ取り上げるなら、価値を形成する抽象的・人間的労働である。同じ一つの労働が、具体的・有用的労働であると同時に、抽象的・人間的労働でもある。 第4段落 ・労働者はそれぞれどのようにして労働時間を、したがってまた価値をつけ加えるのか? いつでもただ彼の特有な生産的労働様式の形態でそうするだけである。 ・紡績工はただ紡ぐことによってのみ、織物工はただ織ることによってのみ、鍛冶工はただ鍛えることによってのみ、労働時間をつけ加えるのである。 ・しかし、彼らが労働一般を、したがってまた新価値をつけ加えるさいの、目的によって規定された形態によって、すなわち紡ぐことや織ることや鍛えることによって、生産手段、すなわち綿花と紡錘、糸と機械、鉄とかなしきは、一つの生産物の、一つの新しい使用価値の、形成要素になる。 ・生産手段の使用価値の元の形は消えてなくなるが、それは、ただ、新たな使用価値形態で現われるためになくなるだけである。 ・ところで、価値形成過程の考察で明らかにしたように、ある使用価値が新たな使用価値の生産のために合目的的に消費されるかぎり、消費された使用価値の生産に必要な労働時間は、新たな使用価値の生産に必要な労働時間の一部分をなしており、したがって、それは、消費された生産手段から新たな生産物に移される労働時間である。 ・だから、労働者が消費された生産手段の価値を保存し、またはそれを価値成分として生産物に移すのは、彼が労働一般をつけ加えるということによってではなく、このつけ加えられた労働の特殊な有用的性格、その独自な生産的形態によってである。 ・このような合目的的な生産活動、すなわち紡ぐことや織ることや鍛えることとして、労働は、その単なる接触によって生産手段を死からよみがえらせ、それを活気づけて労働過程の諸要因となし、それと結合して生産物になるのである。 ★価値とは、商品に対象化された抽象的・人間的労働のことであった。ここで、労働者は《彼の特有な生産的労働様式の形態で》労働時間を(価値を)つけ加えると述べているのを読むと、価値をつけ加えるのは抽象的・人間的労働としてではなかったのかという疑問が湧いてきた。しかし、現実の労働は、特有な生産的労働様式の形態でしか行なわれないことに思い至るなら、その疑問は解消する。現実の労働は、さまざまの具体的形態をもっており、現実の労働から労働力支出という共通の質だけを抽象してみた労働が抽象的労働であり、その共通の質が人間労働力であるから人間的労働とよばれるのである。 ■《資本家は貨幣を新たな生産物の素材形成者または労働過程の諸要因として役だつ諸商品に転化させることによって、すなわちすでに対象化されている死んでいる過去の労働を、資本に、すなわち自分自身を増殖する価値に転化させるのであり、胸に恋でも抱いているかのように「働き」はじめる活気づけられた怪物に転化させるのである。》(国民文庫340頁・原頁209) 第5段落 ・もし労働者の行なう独自な生産的労働が紡ぐことでないならば、彼は綿花を糸にはしないであろうし、したがってまた綿花や紡錘の価値を糸に移しもしないであろう。 ・これに反して、同じ労働者が職業を変えて指物工になっても、彼は相変わらず一労働日によって彼の材料に価値をつけ加えるであろう。 ・だから、彼が労働によって価値をつけ加えるのは、彼の労働が紡績労働や指物労働であるかぎりでのことではなく、それが抽象的な社会的労働一般であるかぎりでのことであり、また、彼が一定の価値量をつけ加えるのは、彼の労働がある特殊な有用的内容をもっているからではなく、それが一定時間継続するからである。 ・つまり、その抽象的な一般的な性質において、人間労働力の支出として、紡績工の労働は、綿花や紡錘の価値に新価値をつけ加えるのであり、そして、紡績過程としてのその具体的な特殊な有用な性格において、それはこれらの生産手段の価値を生産物に移し、こうしてそれらの価値を生産物のうちに保存するのである。 ・それだから、同じ時点における労働の二面性が生ずるのである。 第6段落 ・労働の単に量的な付加によって新たな価値がつれ加えられ、つけ加えられる労働の質によって生産手段の元の価値が生産物のうちに保存される。 ・このような、労働の二面的な性格から生ずる同じ労働の二面的作用は、いろいろな現象のうちにはっきりと現われる。 ★《同じ労働の二面的な作用》とは、価値をつけ加える作用(抽象的・人間的労働として)と生産手段の価値を生産物に移転する作用(具体的・有用的労働によって)のことである。 第7段落 ・ある発明によって、紡績工が以前は36時間で紡いだのと同量の綿花を6時間で紡げるようになったと仮定しよう。 ・合目的的な有用的な生産的活動としては、彼の労働はその力が6倍になった。 ・その生産物は、6倍の糸、すなわち6ポンドに代わる36ポンドの糸である。 ・しかし、その36ポンドの綿花は、今では以前に6ポンドの綿花が吸収したのと同じだけの労働時間しか吸収しない。 ・綿花には古い方法による場合の6分の1の新たな労働がつけ加えられるのであり、したがって以前の価値のたった6分の1がつれ加えられるだけである。 ・他方、今では6倍の綿花価値が、生産物である36ポンドの糸のうちにある。 ・6紡績時間で6倍の原料価値が保存されて生産物に移される。 ・といっても、同量の原料には以前の6分の1の新価値がつけ加えられるのである。 ・このことは、同じ不可分の過程で労働が価値を保存するという性質は労働者が価値を創造するという性質とは本質的に違うものだということを示している。 ・紡績作業中に同量の綿花に移っていく必要労働時間が多ければ多いほど、綿花につけ加えられる新価値はそれだけ大きいが、同じ労働時間で紡がれる綿花の量が多ければ多いほど、生産物のうちに保存される元の価値はそれだけ大きい。 ★ここでは、紡績労働の生産性(具体的・有用的労働の生産力)が増大した場合について述べている。同じ労働時間でつけ加える価値量は変化しないが、生産手段から生産物に移転する価値量は増大する。 ■《紡績作業中に同量の綿花に移っていく必要労働時間》は、新日本出版社版では《紡績作業中に同じ分量の綿花に費やされる必要労働時間》(344頁)となっている。意味としては、「紡績作業中に同量の綿花が吸収する労働時間」ということである。 第8段落 ・逆に紡績労働の生産性が変らず、したがって紡績工が1ポンドの綿花を糸にするためには相変わらず同じ時間が必要だと仮定しよう。 ・しかし、綿花そのものの交換価値は変動して、1ポンドの綿花の価値が6倍に上がるか、または6分の1に下がるとしよう。 ・どちらの場合にも紡績工は引き続き同量の綿花に同じ労働時間、つまり同じ価値をつけ加え、また、どちらの場合にも同じ労働時間に同じ量の糸を生産する。 ・それにもかかわらず、彼が綿花から糸という生産物に移す価値は、以前に比べて一方の場合には6分の1であり、他方の場合には6倍である。 ・労働手段が高くなるか安くなるかするが労働過程では相変わらず同じ役立ちをする場合も、同様である。 ★ここでは、生産手段の価値量に変化が生じた場合について述べている。同じ労働時間でつけ加える価値量は変化しないが、生産手段から生産物に移転する価値量は変動する。 第9段落 ・紡績過程の技術的な諸条件が変らず、またその生産手段にも価値変動が生じないならば、紡績工は相変わらず同じ労働時間で元通りの価値の同じ量の原料や機械を消費する。 ・この場合には、彼が生産物のうちに保存する価値は、彼がつけ加える価値に正比例する。 ・2週間では、彼は1週間でする労働の2倍の労働をつけ加え、したがって2倍の価値をつけ加え、また、同時に2倍の価値をもつ2倍の材料を消費し、2倍の価値をもつ2倍の生産手段を消耗させ、こうして2週間の生産物のうちに1週間の生産物の2倍の価値を保存する。 ・与えられた不変の生産条件のもとでは、労働者は、彼のつけ加える価値が多ければ多いほどそれだけ多くの価値を保存するのであるが、しかし、彼がより多くの価値を保存するのは、彼がより多くの価値をつけ加えるからでなく、彼がこの価値を、以前と変らない、彼の労働には依存しない諸条件のもとでつけ加えるからである。 ★《以前と変らない、彼の労働には依存しない諸条件》とは何か? 生産手段の価値に変動がないことだけなのか、労働の生産性のことまで含むのか? ★ここでは、紡績労働の生産性にも生産手段の価値量にも変化がない場合について述べている。同じ労働時間でつけ加える価値量も、生産手段から生産物に移転する価値量も変化しない。この条件の下では、つけ加える価値量と生産手段から生産物に移転する価値量は正比例するが、それはつけ加える価値量の変化が原因となってもたらされた結果ではない。 第10段落 ・もちろん、相対的な意味では、いつでも労働者は新価値をつけ加えるのと同じ割合で元の価値を保存する、ということもできる。 ・綿花が1シリングから2シリングに上がっても、また6ペンスに下がっても、労働者が1時間のうちに保存する綿花の価値は、それがどんなに変動しようとも、つねに、彼が2時間の生産物のうちに保存する価値の半分でしかない。 ・さらにまた、彼自身の生産性が変動して、それが上がるか下がるかすれば、彼は、たとえば1労働時間のうちに以前よりも多いかまたは少ない綿花を紡ぐであろうし、それに応じて1労働時間の生産物のうちにより多いかより少ない綿花価値を保存するであろう。 ・それにもかかわらず、彼は2労働時間では1労働時間に比べて2倍の価値を保存するであろう。 ★生産手段の価値量あるいは労働の生産力のどちらかまたは両方に変動が生じた場合には、同じ労働時間に生産手段から生産物に移転される価値量は変動するが、労働の継続時間とその間に生産手段から生産物に移転される価値量は正比例する。 第11段落 ・価値は、価値標章での単なる象徴的なその表示を別とすれば、ある使用価値、ある物のうちにしか存在しない。 ・(人間自身も、労働力の単なる定在として見れば、一つの自然対象であり、たとえ生命のある、自己意識のある物だとはいえ、一つの物である。 ・そして労働そのものは、あの力の物的な発現である。) ・だから使用価値がなくなってしまえば、価値もなくなってしまう。 ・生産手段は、その使用価値を失うのと同時にその価値を失うのではない。 ・というのは、生産手段が労働過程を通ってその使用価値の元の姿を失うのは、じつは、ただ生産物において別の使用価値の姿を得るためでしかないからである。 ・しかし、価値にとっては、なんらかの使用価値のうちに存在するということは重要であるが、どんな使用価値のうちに存在するかは、商品の変態が示しているように、どうでもよいのである。 ・このことからも明らかなように、労働過程で価値が生産手段から生産物に移るのは、ただ生産手段がその独立の使用価値といっしょにその交換価値をも失うかぎりでのことである。 ・生産手段は、ただ生産手段として失う価値を生産物に引き渡すだけである。 ・しかし、労働過程のいろいろな対象的要因は、この点でそれぞれ事情を異にしている。 ●《価値標章での単なる象徴的なその表示》とはなんのことかという疑問が出され、「紙幣による価値の表示のことだ」との回答がありました。 ■《銀製や銅製の章標の金属純分は、法律によって任意に規定されている。それらは、流通しているうちに金鋳貨よりももっと速く摩滅する。それゆえ、それらの鋳貨機能は事実上それらの重量にはかかわりのないものになる。すなわち、およそ価値というものとはかかわりのないものになる。金の鋳貨定在は完全にその価値実体から分離する。つまり、相対的に無価値なもの、紙券が、金に代わって鋳貨として機能することができる。金属製の貨幣章標では、純粋に象徴的な性格はまだいくらか隠されている。紙幣では、それが一見してわかるように現われている。》(国民文庫223-224頁・原頁140-141) ●《人間自身も、労働力の単なる定在として見れば、一つの自然対象》と述べられているがこの自然対象とはどういう意味かとの疑問が出され、ここでの対象は物という意味であり、「自然物」と言い換えることができるということになりました。 ●《労働そのものは、あの力の物的な発現》の内容が問題となり、「労働そのものは労働力の発揮であり、それは物質的な力の発揮だということではないか」との発言がありました。 ■《労働は、まず第一に人間と自然とのあいだの一過程である。この過程で人間は自分と自然との物質代謝を自分自身の行動によって媒介し、規制し、制御するのである。人間は、自然素材にたいして彼自身一つの自然力として相対する。彼は、自然素材を、彼自身の生活のために使用されうる形態で獲得するために、彼の肉体にそなわる自然力、腕や脚、頭や手を動かす。》(国民文庫312頁・原頁192) ●《生産手段がその独立の使用価値といっしょにその交換価値をも失う》とあるが「独立の使用価値」とは何かが問題となり、新日本出版社版では「独自の使用価値」となっていることが紹介されました。また「たとえば糸の原料である綿花が糸になると綿花としての使用価値を失う(綿花ではなくなる)ということではないか」との発言があり、これについて「原料については分るが、機械などの労働手段の使用価値は変化せず、独自の使用価値を失うといえるのだろうか」との疑問が出されました。これについて「10年間使用できる機械が1年間使用された後では9年間しか使用できなくなる。そういう意味では一定の使用価値を失ったといえるのではないか」との発言がありました。 ●《労働過程のいろいろな対象的要因は、この点でそれぞれ事情を異にしている》と述べられている「労働過程のいろいろな対象的要因」とは何をさしているのかが問題になり、「労働対象のこと」「労働対象と労働手段のこと」との二つの意見が出されました。また「労働力も含むといえるのか」との発言もありました。先に進んでからもう一度考えてみようということになりました。 ★労働過程の諸契機(諸要因)は労働そのものと労働対象と労働手段である。したがって、ここでは労働力は問題にならない。 ●「労働力商品の場合には、生活手段の価値が労働力に移転するといえないだろうか」との疑問が出され、「労働力の再生産は、労働者による生活手段の個人的消費によってなされる。価値の移転は労働過程における生産的消費の場合に問題になることであり、個人的消費による労働力商品の再生産においては移転は問題にならないのではないか」との発言がありました。
by shihonron
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