『資本論』を読む会の報告

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2010年 06月 08日

第191回 6月8日 第19章 出来高賃金

6月8日(火)に第191回の学習会を行いました。
レジュメに基づいた報告を受け、「第19章 出来高賃金」を検討しました。

以下は当日のレジュメです。


第6篇 労賃 第19章 出来高賃金                               

                   ()内の数字は段落を示しています。

・出来高賃金は時間賃金の転化形態にほかならない。 (1)

・出来高賃金では、一見したところ、労働者が売る使用価値は彼の労働力の機能である生きた労働ではなくてすでに生産物に対象化されている労働であるかに見え、また、この労働の価格は、時間賃金の場合のように 労働力の日価値/与えられた時間数の労働日 という分数によってではなくて、生産者の作業能力によって規定されているかのように見える。 (2)

★労働者が売るのは、労働ではなく労働力である。労働力商品の使用価値は、労働である。

■《労働力に含まれている過去の労働と労働力がすることのできる生きている労働とは、つまり労働力の毎日の維持費と労働力の毎日の支出とは、二つのまったく違う量である。前者は労働力の交換価値を規定し、後者は労働力の使用価値をなしている。》(国民文庫337-338頁・原頁207-208)
《労働力の売り手は、他のどの商品の売り手とも同じに、労働力の交換価値を実現してその使用価値を引き渡すのである。(中略)貨幣所持者は労働力の日価値を支払った、だから、一日の労働力の使用、一日じゅうの労働は、彼のものである。》(国民文庫338頁・原頁208)

・この外観を正しいと信ずる確信は、先ず第一に、労賃のこの二つの形態が同じ時に同じ産業部門で相並んで存立するという事実によっても、すでに激しく動揺せざるをえない。(3)

・労賃の支払いの形が違ってもそのために労賃の本質は少しも変えられるものではない。しかし、資本主義的生産の発展にとっては出来高賃金の方が時間賃金よりも好都合だということはある。(4)

★労賃の本質とは、「労働そのものの価値と価格」として現れる、労働力の価値と価格の転化形態である。

・1労働日を12時間、必要労働時間6時間、剰余労働時間6時間する。1労働日の価値生産物は12000円、1労働時間の価値生産物は1000円とする。12時間に24個の製品をつくる。24個の価値は、それに含まれている不変資本の価値を引き去れば、12000円であり、各1個の価値は500円である。労働者は1個につき250円を受け取り、12時間では6000円をかせぐ。時間賃金の場合には、労働者が6時間は自分のために、6時間は資本家のために労働するとみなしても、どちらでもよいのであるが、それと同じに、この場合にも、各1個の半分は支払われ半分は支払われない、といってもよいし、12個の価格は労働力の価値だけを補填し、残りの12個には剰余価値が具体化されているといってもよいのである。(5)

・出来高賃金という形態も時間賃金という形態と同様に不合理である。1労働時間の生産物に1000円の価値があるのに、労働者はそれにたいして500円という価格を受け取る。出来高賃金は、直接には実際少しも価値関係を表していないのである。ここで行われるのは、、1個の価値をそれに具体化されている労働時間で計ることではなく、労働者の支出した労働を彼の生産した個数で計ることである。時間賃金の場合には、労働がその直接的持続時間で計られ、出来高賃金の場合には一定の持続時間中に労働が凝結する生産物量で労働が計られる。労働時間そのものの価格は、結局は、日労働の価値=労働力の日価値 という等式によって規定されている。゛から、出来高賃金はただ時間賃金の一つの変形でしかないのである。(6)

・出来高賃金の場合には労働の質が製品そのものによって左右されるのであって、各個の価格が完全に支払われるためには製品は平均的な品質を持っていなければならない。出来高賃金は、この面からみれば、賃金の削減や資本家的なごまかしの最も豊かな源泉になる。(8)

・出来高賃金は、資本家に、労働の強度を計るためのまったく明確な尺度を提供する。前もって確定され経験的に固定されている商品量に具体化されている労働時間だけが、社会的に必要な労働時間として認められ、そういうものとして支払いを受ける。もし労働者が平均的な作業能力をもっていなければ、つまり彼が一定の最小限の一日仕事をすることができなければ、彼は解雇される。

・出来高賃金の場合には労働の質や強度が労賃の形態そのものによって制御されるのだから、この形態は労働監督の大きな部分を不要にする。この形態は近代的家内工業の基礎をなすと同時に、搾取と抑圧との階層制的に編成された制度の基礎をなす。出来高賃金は一方では資本家と賃金労働者との間に寄生者が介入すること、すなわち仕事の下請けを容易にする。(苦汗制度―ピンハネ)他方では、出来高賃金は資本家が主要な労働者――マニュファクチュアでは組長、鉱山では採炭夫など、工場では本来の機械工――と出来高あたり幾らという価格で契約を結び、その価格で主要な労働者が自分の補助労働者の募集や賃金支払いを引き受けるということを可能にする。資本による労働者の搾取がこの場合には労働者による労働者の搾取を媒介に実現されるのである。(10)

★階層制とは、上下関係によって、秩序づけられた組織の体系といった意味であろう。

・出来高賃金のもとでは
 労働時間を集約的に緊張させることは労働者の個人的利益であるが、資本家にとっては労働の標準強度を高くすることを容易にする。労働日の延長も労働者の個人的利益であるが、それとともに、時間賃金のところで述べたような反動が現れる。労働日の延長は、出来高賃金が変わらなくても、それ自体として労働の価格の低下を含んでいることは別としてもである。(11)

★《時間賃金のところで述べたような反動》とは、労働者にとての不利益のことであり、その内容は労働の供給が増大することで資本家が労働の価格を押し下げることを可能にするということではないか。

★《労働日の延長は、出来高賃金が変わらなくても、それ自体として労働の価格の低下を含んでいる》とは、《労働力の価値は、その機能が長くなるにつれて、その消耗が増大するので増大し、しかもその機能の持続の増加よりももっと速い割合で増大する。》(国民文庫72-73頁・原頁568-569)ということではないか。

・出来高賃金の場合には、労働時間の価格は一定の生産物量によつて計られるとはいえ、日賃金や週賃金は労働者の個人差につれて違ってくる。だから、この場合には現実の収入については、個々の労働者の技能や体力や精力や耐久力などの相違に従って、大きな差が生ずるのである。もちろん、このようなことは、資本と賃労働との一般的な関係を少しも変えるものではない。しかし、出来高賃金のほうが個性により大きい活動の余地を与えるということは、一方では労働者たちの個性を、したがってまた彼らの自由感や独立心や自制心を発達させ、他方では労働者どうしのあいだの競争を発達させるという傾向がある。それゆえ、出来高賃金は、個々人の労賃を平均水準より高くすると同時にこの水準そのものを低くする傾向があるのである。最後に、出来高賃金は、前に述べた時間給制度の一大支柱である。(12)

★ここでの時間給制度とは《もし1時間賃金が、資本家が日賃金や週賃金を払う約束をしないでただ自分が労働者を働かせたいと思う労働時間の支払いだけを約束するという仕方で確定されるならば、資本家は最初に1時間賃金つまり労働の価格の度量単位の基礎になった時間よりも短く労働者を働かせることができる。》(国民文庫72頁・原頁568)というもののことだろう。

・出来高賃金は資本主義的生産様式に最もふさわしい労賃形態である。(13)

・工場法の適用を受ける作業所では、出来高賃金が通例のこととなる。なぜならば、そこでは資本は労働日をもはや内包的に拡大するよりほかないからである。(14)

★「労働日の内包的延長」とは労働の密度を高めることによって同じ時間内の労働量を増大させること。

・労働の生産性の変動につれて、同じ生産物量が表す労働時間も変動する。したがってまた、出来高賃金も変動する。同じ時間で生産される個数が増加し、したがって同じ1個に充用される労働時間が減少するのと同じ割合で、出来高賃金は引き下げられるのである。(17)

12時間で24個生産  → 12時間で48個生産
12時間の価値生産物は12000円→12時間の価値生産物は12000円
労働力の日価値は6000円 →     労働力の日価値は6000円
1労働時間の価格は500円 →    1労働時間の価格は500円
1個あたりの賃金は250円 → 1個あたりの賃金は125円
1個には1/2労働時間 →   1個には1/4労働時間

・資本家は実際の(名目的でない)労働の価格を引き下げるための口実に生産性の変動による出来高賃金の変動を利用しようとする。また、労働の生産性の増大には労働の強度の増大が伴っているから資本家と労働者とのあいだに絶えまのない闘争を引き起こす。
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by shihonron | 2010-06-08 23:30 | 学習会の報告


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