『資本論』を読む会の報告

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2010年 07月 13日

第193回 7月13日 第21章 単純再生産

7月13日(火)に第193回の学習会を行いました。
レジュメに基づいた報告を受け、「第21章 単純再生産」を検討しました。

以下は当日のレジュメです。

 第七篇 資本の蓄積過程                

①資本の流通
・資本として機能するべき価値量が通る第一の運動=ある貨幣額の生産手段と労働力とへの転化。 この運動は,市場すなわち流通部面で行なわれる。
・運動の第二の段階=生産過程。生産手段が商品に転化されたときに終わる。
・この商品の価値はその諸成分の価値を越えている。最初に前貸しされた資本に剰余価値を加えた ものを含んでいる⇒商品は再び流通部面に投げ込まれ(販売)その価値を貨幣に実現
         +-A
    G--W |   ---P---(W+w)---(G+g)
         +-Pm
    +-----+   +-+    +--------+              ・その貨幣をあらためて資本に転化させること,そしてそれが絶えず繰り返されることが必要。
 このような絶えず同じ継起的諸段階を通る循環は,資本の流通をなしている。

②蓄積の第一の条件は,資本家が,自分の商品を売ることと,こうして手に入れた貨幣の大部分を資 本に再転化させること。以下では,資本はその流通過程を正常な仕方で通るということが前提さ れる。この過程のもっと詳しい分析は第二部で行なわれる。

③剰余価値を生産(不払労働を直接に労働者から吸い上げる)して商品に固定する資本家は,その 剰余価値の最初の取得者ではあるが,決してその最後の所有者ではない。⇒社会的生産全体の なかで他の諸機能を果たす資本家たちや土地所有者などと分けあう。---利潤や利子や商業利 得や地代など。これらの剰余価値の転化形態は,第三部で分析。
④諸前提の確認
・商品を生産する資本家は商品をその価値どおりに売るものと想定。流通部面で資本に付着する新 たな諸形態にも,再生産の具体的な諸条件にも,立ち入らない。
・資本家的生産者は全剰余価値の所有者(または彼と獲物を分け合う仲間全体の代表者)とみなさ れる。われわれは蓄積を抽象的に,すなわち単に直接的生産過程の一契機として,考察する。

⑤蓄積過程の純粋な分析のために,蓄積過程の機構の内的作用を隠蔽する一切の現象を無視
・蓄積が行なわれるかぎり,資本家は,生産した商品の販売に,またそれによって得た貨幣を資本  に再転化させることに,成功しているわけである。
・剰余価値の分配は,剰余価値の性質や,剰余価値が蓄積の要素になるために必要な諸条件を変え  るものでもない。蓄積の説明で想定することは,蓄積の現実の過程でも前提されている。
・剰余価値の分割と流通の媒介運動とは,蓄積過程の単純な基本形態を不明瞭にする。

  第二一章 単純再生産

①生産過程は,その社会的形態がどのようであるかにかかわりなく,連続的でなけれはならない。
・社会は,消費をやめることができないように,生産をやめることもできない。
・どの社会的生産過程も,同時に再生産過程である。

②生産の諸条件は同時に再生産の諸条件である。
・どんな社会も,その生産物の一部分を絶えず生産手段に再転化させることなしには,再生産するこ とはできない。
・社会がその富を同じ規模で再生産するためには,例えば一年というような期間に消費された生産 手段(労働手段や原料や補助材料)を,同量の新品によって現物で補填されて再び生産過程に合 体される。年間の生産物の一定量は生産のためのもので,それは個人的消費を排除するような現 物形態で存在する。

③もし生産が資本主義的形態のものであれば,再生産もそうである。
・資本主義的生産様式では労働過程はただ価値増殖過程の一手段として現われるだけである。
・再生産もただ前貸価値を資本として,すなわち自己増殖価値として再生産するための一手段とし て現われるだけである。
・資本家という経済的扮装が或る人に固着しているのは,ただ彼の貨幣が絶えず資本として機能し ているということだけによるのである。
・資本価値の周期的増加分,または過程進行中の資本の周期的果実としては,剰余価値は資本から生 ずる収入という形態を受け取る。

④全収入(全剰余価値)の資本家による消費財源(周期的消費)としての利用⇒単純再生産
・単純再生産(同じ規模での生産過程の単なる繰り返し)⇒この単なる繰り返しまたは連続がこ の過程にいくつかの新しい性格を押印する。

(A)可変資本である賃金の真の源泉が明らかになる

⑤生産過程
・一定時間を限っての労働力の購買⇒一定の生産期間(週や月など)ごとに更新。
・労働者は,働いて労働力の価値をも剰余価値をも商品に実現後,はじめて支払を受ける。つまり, 彼は,資本家の消費財源(剰余価値)と,自身への支払の財源である可変資本をも,それが労賃の 形で彼の手に還流してくる前に生産している。しかも彼は絶えずこの財源を再生産するかぎりで のみ使用される。労働者自身によって絶えず再生産される生産物の一部分が労賃の形で絶えず労 働者の手に還流する。
・資本家は労働者に商品価値を,貨幣で支払う。
・この貨幣はただ労働生産物の転化した形態でしかない。労働者が生産手段の一部分を生産物に転 化しているあいだに,彼の以前の生産物の一部分は貨幣に再転化されている。先週とか過去半年 間とかの彼の労働によって彼の今日の労働とか次の半年間の労働とかが支払われる。
・貨幣形態が生みだす幻想は,個別資本家や個別労働者に代わって資本家階級と労働者階級とが考 察されるならば,消え去ってしまう。資本家階級は労働者階級に,後者によって生産されて前者に よって取得される生産物の一部分を指示する手形を,絶えず貨幣形態で与える。この手形を労働 者は絶えず資本家階級に返し,彼自身の生産物のうちの彼自身のものになる部分を資本家階級か ら引き取る。生産物の商品形態と商品の貨幣形態とがこの取引を変装させる。

⑥可変資本
・社会的生産のどんな体制でも自分で再生産しなければならない生活手段財源(労働財源)の一つ の特殊な歴史的現象形態。
・労働者が彼の自己維持と再生産とのために必要。
・労働財源が彼の労働の支払手段という形で絶えず彼の手に流れてくるのは,ただ,彼自身の生産物 が絶えず資本という形で彼から遠ざかるからでしかない。
・夫役農民との比較---週に三日は自分の生産手段を用いて自分の畑で労働。残りの三日は彼は 領主の農地で夫役。彼は彼自身の労働財源を絶えず再生産するが,この財源は支払手段という形 はとらない。領主直営地での強制的不払い労働も支払われる労働の形態をとらない。
・ブルジョア経済学者の偏狭な頭脳は,現象形態を,この形態において現われるものと区分すること ができないので,彼は労働財源は地球上でただ例外的に資本という形で現われるだけだという事 実にたいしては目を閉じている。
       +c       +c+    +Pm+      
 P---W’+v ---G’+v+---W +A +---- P 
       +m      +m--- w            
     +-------------------+  

⑦資本主義的生産過程をその更新の不断の流れのなかで考察するや否や,可変資本が資本家自身の 財源から前貸しされる価値という意味を失う。
・この過程には,どこかに,いつか,その始まりがなければならない⇒本源的蓄積。
・資本主義的生産過程の単なる連続(単純再生産)は,ただ可変資本部分だけではなく総資本をも とらえる奇妙な変化をひき起こす。

(B)総資本の真の源泉が明らかになる---剰余価値によって置き換えられている

⑧投下資本1000ポンド⇒年剰余価値200ポンド---毎年消費される
・この過程が五年繰り返されたあとでは消費された剰余価値の総額は 5×200=最初に前貸しされ た資本価値1000ポンドに等しい。
・前貸資本価値を毎年消費される剰余価値で割れば,最初の前貸資本が資本家によって食い尽くさ れて消えてなくなるまでに経過する年数または再生産周期の数が出てくる。
・ある年数が過ぎたあとでは,彼が取得した資本価値は同じ年数のあいだに等価なしで取得した剰 余価値の総額に等しく,彼が消費した価値額は最初の資本価値に等しい。
・ある人が,自分の財産の価値に匹敵する借金をすることによって,全財産を使い果たすとすれば, まさにこの全財産はただ彼の借金の総額を表わしているだけ。資本家が自分の前貸資本の等価を 食い尽くした場合も同じことで,この資本の価値はもはやただ彼が無償で取得した剰余価値の総 額を代表しているだけ。彼の元の資本の価値はもはや一原子も存在しない。

⑨単純再生産でも,長短の期間の後には,どの資本をも必然的に蓄積された資本または資本化された 剰余価値に転化させる。
・資本そのものが生産過程にはいったときにはその充用者が自分で働いて得た財産だったとして  も,それは,等価なしで取得された価値=他人の不払労働の物質化になる。

(C)資本主義的生産関係そのものの再生産・永久化

⑩貨幣を資本に転化させるための条件(第四章)。
・第一に,一方には価値または貨幣の所持者(=生産手段と生活手段との所持者)---買い手
     他方には価値を創造する実体の所持者(=ただ労働力だけの所持者) ---売り手
・労働生産物と労働そのものとの分離,客体的な労働条件と主体的な労働力との分離が,資本主義的 生産過程の事実的に与えられた基礎であり出発点だった。

⑪ところが,はじめはただ出発点でしかなかったものが,過程の単なる連続,単純生産によって,資本 主義的生産の特有な結果として絶えず繰り返し生産されて永久化される。
・一方では生産過程は絶えず素材的富を資本に転化させ,資本家のための価値増殖手段と享楽手段 とに転化させる。
・他方ではこの過程から絶えず労働者が,そこに入ったときと同じ姿で出てくる。彼がこの過程に 入る前に,彼自身の労働は彼自身から疎外され,資本家のものとされ,資本に合体されているのだ から,その労働はこの過程のなかで絶えず他人の生産物に対象化される。生産過程は同時に資本 家が労働力を消費する過程でもあるのだから,労働者の生産物は,絶えず商品に転化するだけでは なく,資本に,すなわち価値を創造する力を搾取する価値に,人身を買う生活手段に,生産者を使用 する生産手段に,転化する。それだから,労働者自身は絶えず客体的な富を,資本として,すなわち 彼にとって外的な,彼を支配し搾取する力として,生産するのであり,そして資本家もまた絶えず 労働力を,主体的な,それ自身を対象化し実現する手段から切り離された,抽象的な,労働者の単な る肉体のうちに存在する富の源泉として,生産するのであり,簡単に言えば労働者を賃金労働者と して,生産する。このような,労働者の不断の再生産または永久化が,資本主義的生産の不可欠の 条件なのである。

⑫労働者の行なう二種類の消費
・生産的消費---労働による生産手段の消費⇒前貸資本の価値よりも大きな価値の生産物に転 化。資本家による彼の労働力の消費。労働者は資本の動力として行動し,資本家に帰属する。
・個人的消費---労働者は労働力の代価として支払われた貨幣を生活手段に振り向ける。この消 費は自分自身のものであり,生産過程の外でいろいろな生活機能を行なう。
・一方の消費の結果は資本家の生活であり,他方の消費の結果は労働者自身の生活である。

⑬労働者は自分の個人的消費を生産過程の単なる付随事にすることを強制されている。
・彼は自分の労働力の活動を維持するために自分に生活手段を給する(ちょうど,蒸気機関に石炭 や水が,車輪に油が給されるようなもの)。そのとき彼の消費手段はただ生産手段の消費手段で しかなく,彼の個人的消費は直接に生活的消費である。とはいえ,これは,資本主義的生産過程に とって本質的ではない一つの乱用として現われる

⑭資本家階級と労働者階級(個々の資本家と個々の労働者とにではなく)とに目を向け,資本主義 的生産過程をその流れとその社会的な広がり(商品の個別的生産過程ではなく)とのなかで見る ならば,事態は別の様相を呈してくる。
・資本家が彼の資本の一部分を労働力に転換⇒一石二鳥
・彼は,労働者から受け取る---剰余労働
    労働者に与えるものからも利得する。
・労働力と引き換えに手放される資本は生活手段に転化⇒この生活手段の消費は,現存する労働  者の筋肉や神経や骨や脳を再生産して新しい労働者を生みだす。労働者階級の個人的消費は,資 本によって労働力と引き換えに手放された生活手段の,資本によって新たに搾取されうる労働力 への再転化である。
・それは,資本家にとって最も不可欠な生産手段である労働者そのものの生産であり再生産である。 つまり,労働者の個人的消費は,資本の生産および再生産の一契機。たとえば,役畜の食うものは 役畜自身が味わうのだからといって,役畜の行なう消費が生産過程の一つの必然的な契機だとい うことに変わりはない。労働者階級の不断の維持と再生産も,やはり資本の再生産のための恒常 的な条件である。
・資本家はこの条件の充足を労働者の自己維持本能と生殖本能とに任せておくことができる。彼は, ただ,労働者たちの個人的消費をできるだけ必要物に制限しておくように取り計らうだけ。

⑮資本家も,その理論的代弁者である経済学者も,労働者の個人的消費のうちでただ労働者階級の永 久化のために必要な部分だけを,つまり資本が労働力を消費するために実際に消費されなければ ならない部分だけを,生産的とみなすのである。
・そのほかに労働者が自分の快楽のために消費するものがあれば,それは不生産的消費なのである。 もしも資本の蓄積が労賃の引き上げをひき起こし,したがって資本によるより多くの労働力の消 費なしに労働者の消費手段の増加をひき起こすとすれば,追加資本は不生産的に消費されること になるで。
・実際には,労働者の個人的消費は彼自身にとって不生産的である。というのは,それはただ貧困な 個人を再生産するだけだからである。
・それは資本家や国家にとっては生産的である。というのは,それは他人の富を生産する力の生産 だからである。

⑯社会的立場から見れば,労働者階級は,直接的労働過程の外でも,生命のない労働用具と同じに資 本の付属物である。労働者階級の個人的消費でさえも,ある限界のなかでは,ただ資本の再生産過 程の一契機でしかない。しかし,この過程は,このような自己意識のある生産用具が逃げてしまわ ないようにするために,彼らの生産物を絶えず一方の極の彼らから反対極の資本へと遠ざける。

・個人的消費は,一方では彼ら自身の維持と再生産とが行なわれるようにし,他方では,生活手段を なくしてしまうことによって,彼らが絶えず繰り返し労働市場に現われるようにする。ローマの 奴隷は鎖によって,貸金労働者は見えない糸によって,その所有者につながれている。賃金労働者 の独立という外観は,個々の雇い主が絶えず替わることによって,また契約という擬制によって, 維持される。
⑰1815年以前は,資本は,自由な労働者にたいする自分の所有権を強制法(機械労働者の移住は重刑をもって禁止)によって確保。

⑱⑲⑳
・労働者階級の再生産は,同時に,世代から世代への技能の伝達と累積とを含んでいる。
・熟練労働者階級の存在を,どんなに資本家が自分の所有する生産条件の一つに数え,この階級を実 際に自分の可変資本の現実的存在とみなしているかということは,恐慌に際してこのような階級 がなくなるおそれが生ずれば,たちまち明らかになる---労働力にたいする資本の所有権をあ からさまに表明
・綿花飢饉⇒多数の綿業労働者の失業⇒エドマンド・ポッターの一つの書簡(「工場主宣言」)
 綿業労働者(1/3は過剰)の移民に反対----「そこで私は尋ねたい,この産業は維持するに値 するか,この機械」(すなわち生きている労働機械)「を整えておくことは労に値するか,そして, これを放棄しようなとと考えるのは最大の愚ではないか! 私はそうだと思う。たしかに,労働 者は所有物ではないし,ランカシャや雇い主たちの所有物ではない。だが,----この力は一代 で補充できるものではない。ところが,もう一つの,彼らが使用する機械は,大部分は,12か月で有 利に取り替えられたり改良されたりすることもあるであろう。労働力の移住を奨励したり許可し たりして(!)いったい資本家はどうなるか?」
・侍従長カルプ「一国の最良の工場労働者を輸出し一国の最も生産的な資本や富の一部分を無価値 にすることによって国民を弱くしようとする計画以上に,一国のすべての階級にとって自殺的な 計画がありうるだろうか?」

21綿業工場主たちの代弁者ポッター---「機械」の二つの種類(どちらも資本家のもの)を区別。
・一方は彼の工場のなかにあり,他方は夜と日曜は外の小屋に住んでいる。一方は生命がなく,他方 は生きている。生命のない機械は,毎日損傷して価値を減少させるだけでなく,その大部分が不断 の技術的進歩のために絶えず時代遅れになり,わずか数か月でもっと新しい機械と取り替えるこ とが有利になることもある。生きている機械は,長もちがすればするほど,代々の技能を自分のう ちに積み重ねれば重ねるほど,ますます改良されてゆく。
・『タイムズ』(1863年3月24日)の答え。
22『タイムズ』の論説は,ただの知恵あそびでしかなかった。じつは,工場労働者は工場の付属動産 だというポッター氏の意見と同じだったのである。彼らの移住は阻止された。人々は彼らを綿業 地帯の「道徳的救貧院」のなかに閉じ込めた。

23資本主義的生産過程はそれ自身の進行によって労働力と労働条件との分離を再生産する。それは 労働者の搾取条件を再生産し永久化する。それは,労働者には自分の労働力を売って生きてゆく ことを絶えず強要し,資本家にはそれを買って富をなすことを絶えず可能にする。資本家と労働 者とを商品市場で買い手と売り手として向かい合わせるものは,もはや偶然ではない。労働者を 絶えず自分の労働力の売り手として商品市場に投げ返し,また彼自身の生産物を絶えず資本家の 購買手段に転化させるものは,過程そのものの必至の成り行きである。労働者は,彼が自分を資本 家に売る前に,すでに資本に属している。彼の経済的隷属は,彼の自己販売の周期的更新や彼の個 人的雇い主の交替や労働の市場価格の変動によって媒介されていると同時に隠蔽されている。

24資本主義的生産過程は,再生産過程としては,ただ商品だけを,剰余価値だけを生産するのではな く,資本関係そのものを,一方には資本家を,他方には賃金労働者を,生産し再生産する。
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by shihonron | 2010-07-13 23:30 | 学習会の報告


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