『資本論』を読む会の報告

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2010年 08月 24日

第198回 8月24日 第22章 第5節、第23章 第1節

8月24日(火)に第198回の学習会を行いました。
「第22章 剰余価値の資本への転化」の第5節「いわゆる労働財源」と「第23章 第1節 資本構成の不変な場合に蓄積に伴う労働力需要の増加」についてレジュメにもとづく報告を受けて検討しました。

以下はレジュメです。

 第5節 いわゆる労働財源            

①資本は固定的な大きさのものではなく,社会的富のうちの弾力的な一部分,すなわち剰余価値が収入と追加資本とに分割されるにつれてたえず変動する一部分。

・機能資本の大きさが与えられていても,その資本に合体される労働力,科学,および大地は,一定の限界内では,資本そのものの大きさにはかかわりのない作用範囲を資本に許すような,資本の弾力的な能力を形成する。これまでの研究では,同じ資本量ではなはだしく相異なる作用度を生じさせる原因となるような,流通過程の諸関係はすべて度外視。

・資本主義的生産の諸制限を前提----現存の生産手段および労働力によって直接的かつ計画的に実現されうるいっそう合理的な結合は度外視。

・古典派経済学は社会的資本を,固定した作用度を有する固定した大きさのものとして把握。この偏見をドグマとして固定したのは,ジェレミー・ベンサム。彼のドグマをもってしては,生産過程の最もありふれた現象,たとえばその突然の膨張や収縮といったもの,いや,蓄積さえもがまったく理解されえないものとなる。このドグマは,とりわけ資本の一部分である可変資本を,すなわち労働力に転換されうる資本を,一つの固定した大きさのものとして描くために利用された。

・可変資本の素材的存在,すなわち,可変資本が労働者のために代表する生活手段の総量,またはいわゆる労働財源は,社会的富のうちで,自然の鎖にしばられて超えることのできない特殊部分だとでっち上げられた。

・社会的富のうち,不変資本,すなわち素材的に表現すれば生産手段として機能すべき部分を運動させるためには,一定総量の生きた労働が必要である。この量は技術学的に与えられている。しかし,この労働量を流動させるのに必要な労働者の数は与えられていないし(個々の労働力の搾取度につれて変動する),またこの労働力の価格も与えられていないのであって,ただ,その価格の最低限度が,しかもきわめて弾力的なものが与えられているだけである。

・このドグマの根底に横たわる事実は次のようなものである。一方では労働者は,非労働者の消費手段と生産手段とへの社会的富の分割に際して口をはさむ権利がないということ,他方では労働者は,幸運な例外的場合にのみ,富者の「収入」の犠牲においていわゆる「労働財源」を拡大することができるということである。

②労働財源の資本主義的制限をその社会的な自然的制限につくり変えることが,どんなばかばかしい同義反復に行き着くかを,とりわけフォーシット教授が見せてくれる。
 彼は言う----「一国の流動資本は,その国の労働財源である。したがって,それぞれの労働者が受け取る平均的貨幣賃金を計算するためには,われわれはただ単純に,この資本を労働者人口数で割りさえすればよい」。

③最初に,実際に支払われる個別的労賃を合計し,次にこの合計が神と自然とにより定められた「労働財源」の価値総額をなす,と主張。こうして得られた総額を労働者の頭数で割って,各個の労働者が平均してどれだけを受け取りうるかを発見する。まったくもって狡猾な操作である。

・ところがフォーシット氏は,平気で次のように語り続ける----「イギリスで年々蓄積される富全体は,二つの部分に分けられる。一部分は,イギリスでわれわれ自身の産業を維持するために使用される。他の部分は,諸外国に輸出される。----われわれの産業に使用される部分は,この国で年々蓄積される富のうちの主要な部分ではない」。

④つまり,イギリスの労働者から等価なしで奪い取られる,年々増大していく剰余生産物の大部分は,イギリスでではなく諸外国で資本化されるわけである。しかし,こうして輸出される追加資本と共に,神とベンサムとにより発明された「労働財源」の一部分も,やはり輸出されるのである。


 第二三章 資本主義的蓄積の一般的法則    
 第一節 資本構成の不変な場合に蓄積に伴う労働力需要の増加


①この章では,資本の増大が労働者階級の運命に及ぼす影響を取り扱う。この研究での最も重要な要因は資本の構成であり,またそれが蓄積過程の進行途上で受けるいろいろな変化である。

②資本の構成は,二重の意味に解されなければならない。資本が不変資本(生産手段)の価値と,可変資本(労働力の価値すなわち労賃の総額)とに分かれる割合。充用される生産手段の量と,その充用のために必要な労働量との割合。私は第一の構成を資本の価値構成と呼び,第二の構成を資本の技術的構成と呼ぶ。資本の価値構成を,それが資本の技術的構成によって規定されその諸変化を反映するかぎりで,資本の有機的構成と呼ぶ。資本の構成と言う場合は,資本の有機的構成を意味する。

③資本の個別的構成の平均は,この生産部門の総資本の構成。すべての生産部門の平均構成の総平均は,一国の社会的資本の構成。以下ではこれだけが問題にされる。

④資本の増大は,その可変成分(労働力に転換される成分)の増大を含んでいる。追加資本に転化される剰余価値の一部分は,つねに可変資本(追加労働財源)に再転化されなければならない。他の諸事情とともに資本の構成も不変だと前提すれば,労働にたいする需要と労働者の生計財源とは,資本の増大に比例して増大する。

(1)資本は年々剰余価値を生産し,剰余価値の一部分は年々原資本につけ加えられるのだから,(2)この増加分そのものも,すでに機能している資本が大きくなって行くのにつれて年々増大するのだから,(3)特別に致富欲を刺激するもの(たとえば新たに生じた社会的欲望による新たな市場や新たな投資部面の開発)などが現われれば,蓄積の規模は,ただ資本と収入とへの剰余価値または剰余生産物の分割を変えるだけのことによって,にわかに拡大されうるのだから,             
                  ↓
資本の蓄積欲望が労働力または労働者数の増大を上回り,労働者に対する需要がその供給を上回り,賃金上昇の始まる点が,現われざるをえない。

・イギリスでは,15世紀全体,18世紀の前半。

・賃金労働者が維持され増殖されるための事情が多かれ少なかれ有利になるということは,資本主義的生産の根本性格を少しも変えるものではない。単純再生産が資本関係そのものを,一方に資本家,他方に賃金労働者を,絶えず再生産するように,拡大された規模での再生産,すなわち蓄積は,拡大された規模での資本関係を,一方の極により多くの資本家またはより大きな資本家を,他方の極により多くの賃金労働者を,再生産する。労働力は絶えず資本に価値増殖手段として合体されなければならず,資本から離れることができず,資本への労働力の隷属は,ただ労働力が売られて行く個々の資本家が入れ替わることによって隠されているだけで,このような労働力の再生産は,事実上,資本そのものの再生産の一契機をなしているのである。つまり,資本の蓄積はプロレタリアートの増殖なのである。

⑤古典派経済学はこの命題を十分に理解していた----A・スミスやリカードたちは,蓄積を,剰余生産物の資本化部分全体が生産的労働者によって消費されるということ(すなわちその部分全体が追加賃金労働者に転化するということ)と,同一視。」

⑥バーナード・ド・マンデヴィル,18世紀の初め。
 「所有権が十分に保護されているところでは,貧民なしで生活するよりも貨幣なしで生活するほうが容易----もし貧民がいなければ,いったいだれが労働するだろうか?----労働者は飢えから守られなければならないが,同時に,貯えるに値するようなものを与えられてもならないであろう。----働くものを勤勉にすることのできる唯一のものは,適度な労賃である。少なすぎる労賃は,彼を,その性質に応じて,無気力にしたり絶望させたりし,多すぎる労賃は彼をわがままにし怠惰にする。----社会----を幸福にし,人民を困窮状態にも満足させておくためには,大多数のものがいつまでも無知で貧乏であるということが必要である。知識はわれわれの望みを大きくし何倍にもする。そして,人の望むところが少なければ少ないほど,その人の欲望はたやすく満たされうる」

⑦マンデヴィルが気付かなかったこと----蓄積過程そのものの機構が資本といっしょに「勤勉な貧民」の数をもふやすのだということ。貧民とは,すなわち賃金労働者であって,彼らは自分の労働力を,増大する資本の増大する価値増殖力に転化させるよりほかはないのであり,またまさにそうすることによって,資本家のうちに人格化されている自分自身の生産物への自分の従属関係を永久化するよりほかはないのである。
 「社会の一部分はたゆまず労働しなければならない。----いくらかの人々は,労働はしないのに,勤勉の産物を自由に処分することができる。----独立の財産をもっている人々は,その財産をほとんど完全に他者の労働に負っており,彼ら自身の能力に負っているわけではない。----富者を貧者から区別するものは,土地や貨幣の所有ではなく,労働にたいする支配力である。----貧者にふさわしいものは,劣悪な,または奴隷的な状態ではなく,安楽で自由な従属状態であり,また財産のある人々にとっては,自分たちのために働く人々にたいする十分な影響力と権威とである。----」(サー・F・M・イーデン)

⑧イーデンは,A・スミスの弟子のなかで18世紀になにか有意義な仕事をしたただ一人の人。

⑨労働者にとって最も有利な蓄積条件のもとでは,資本への彼らの従属関係は,我慢のできる形態,または「安楽で自由な」(イーデン) 形態をまとっている。それは,資本の増大につれていっそう強度を増すのではなく,いっそう外延的となっていく(資本の搾取・支配部面が,ただ資本そのものの広がりと資本の臣下の数とにつれて拡大される)にすぎない。

・たえず増大し,累進的に資本化される,労働者たち自身の純生産物のうちから,以前よりも大きい部分が支払手段の形で彼らの手に還流----消費財原を充実,少額の準備金を形成---。----しかし,衣服や食物や取り扱いがよくなり特有財産がふえても,それは賃金労働者の従属関係や搾取をも廃止しはしない。資本の蓄積につれて労働の価格が上がるということが実際に意味しているのは,ただ,すでに賃金労働者が自分で鍛え上げた金の鎖の太さと重みとがその張りのゆるみを許すということでしかない。

・資本主義的生産の種差〔特有な性質〕。
 資本主義的生産----買い手の目的は,自分の資本の増殖であり,彼が支払うよりも多くの労働を含んでいる商品の生産,つまり,彼にとって少しも費用がかからないのに商品の販売によって実現される価値部分を含んでいる商品の生産である。剰余価値の生産,すなわち利殖は,この生産様式の絶対的法則である。労働力が生産手段を資本として維持し自分自身の価値を資本として再生産し不払労働において追加資本の源泉を与えるかぎりでのみ,ただその限りでのみ,労働力は売れる。

・労働力の販売の条件のうちには,労働者にとってより有利であろうとより不利であろうと,労働力の不断の再販売の必然性と,資本としての富の不断の拡大再生産とが含まれている。

・労賃は,つねに労働者の側からの一定量の不払労働の提供を条件とする。労賃の増加は,労働者がしなければならない不払労働の量的な減少を意味するだけ。この減少によって制度そのものが脅かされるような点までこの減少が続くことはけっしてありえない。

・資本の蓄積から生ずる労働の価格の上昇は次の二つの場合のどららか。

⑩その一つは,労働の価格の上昇が蓄積の進行を妨げないのでその上昇が続くという場合。
A・スミス「利潤が下がる場合でも資本は増加する。それは以前より急速にさえ増大する。----大資本は,利潤が減少する場合にも,利潤が大きい場合の小資本よりも急速に増大する。」⑪この場合には,不払労働の減少もけっして資本の支配の拡大を妨げないということは明白。

・もう一つの場合----,労働の価格の上昇の結果,利得の刺激が鈍くなるので,蓄積が衰える。蓄積は減少する。しかし,その減少につれて,その減少の原因はなくなる。資本と搾取可能な労働力とのあいだの不均衡はなくなる。つまり,資本主義的生産過程の機構は,自分が一時的につくりだす障害を自分で除く。労働の価格は,再び,資本の増殖欲求に適合する水準まで下がる。

・第一の場合には,労働力または労働者人口の絶対的または比率的増大の減退が資本を過剰にするのではなく,反対に,資本の増加が搾取可能な労働力を不足にする。

・第二の場合には,労働力または労働者人口の絶対的または比率的増大の増進が資本を不足にするのではなく,反対に,資本の減少が搾取可能な労働力またはむしろその価格を過剰にする。
・このような資本の蓄積における絶対的諸運動が,搾取可能な労働力の量における相対的諸運動として反映するのであり,したがって,労働力の暈そのものの運動に起因するように見える。蓄積の大きさは独立変数であり賃金の大きさは従属変数であって,その逆ではない。

・産業循環上の恐慌局面では商品価格の一般的な低落が相対的な貨幣価値の上昇として表現され,繁栄局面では商品価格の一般的な上昇が相対的な貨幣価値の低落として表現される。

・通貨学派は,物価の高いときには流通する貨幣が多すぎ,物価の低いときにはそれが少なすぎるのだと結論する。彼らの無知と事実の完全な誤認とは,あの蓄積の諸現象を,一方の場合には賃金労働者が少なすぎ,他方の場合には多すぎるのだと説明する経済学者たちと好一対。

⑫いわゆる「自然的人口法則」の根底にある資本主義的生産の法則

・資本蓄積と賃金率との関係は,支払を受けない,資本に転化する労働と,追加資本の運動に必要な追加労働との関係にほかならない。

・それは,けっして,一方には資本の大きさ,他方には労働者人口,という二つの互いに独立な量の関係ではなくて,むしろ結局はただ同じ労働者人口の不払労働と支払労働との関係でしかない。
・労働者階級によって供給され資本家階級によって蓄積される不払労働の量が,支払労働の異常な追加によらなければ資本に転化できないほど急速に増大すれば,賃金は上がるのであって,他の事情がすべて変わらないとすれば,不払労働はそれに比例して減少する。

・この減少が,資本を養う剰余労働がもはや正常な量では供給されなくなる点に触れるやいなや,そこに反動が現われる。蓄積は衰え,賃金の上昇運動は反撃を受ける。労働の価格の上昇は,ある限界のなかに,すなわち資本主義体制の基礎を単にゆるがさないだけではなく,増大する規模でのこの体制の再生産を保証するような限界のなかに,閉じ込められている。

・一つの自然法則にまで神秘化されている資本主義的蓄積の法則

・資本関係の不断の再生産と絶えず拡大される規模でのその再生産とに重大な脅威を与えるおそれのあるような労働の搾取度の低下や,またそのような労働の価格の上昇は,すべて,資本主義的蓄積の本性によって排除されている,ということ。そこでは労働者が現存の価値の増殖欲求のために存在するのであって,その反対に対象的な富が労働者の発展欲求のために存在するのではないという生産様式。

・人間は,宗教では自分の頭の作り物に支配されるが,同様に資本主義的生産では自分の手の作り物に支配される。
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by shihonron | 2010-08-24 23:30 | 学習会の報告


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