『資本論』を読む会の報告

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2010年 11月 16日

第205回 11月16日 第24章 第1節・第2節

11月16日(火)第205回の学習会を行いました。
「第24章 いわゆる本源的蓄積 第1節 本源的蓄積の秘密」と「第24章 第2節 農村住民からの土地の収奪」の第1段落から第11段落までについてレジュメに基づく報告を受け、検討しました。


 第24章 いわゆる本源的蓄積 第1節  本源的蓄積の秘密
①貨幣→資本→剰余価値の生産→より多くの資本
資本の蓄積は剰余価値を前提とし、剰余価値は資本主義的生産を前提とするが、
しかし、資本主義的生産はまた商品生産者たちの手の中に比較的大量の資本と労働力とが現存していることを前提とする。
この全運動は堂々巡りのように見えるが、ここから抜け出るためには
資本主義的蓄積に先行する「本源的」蓄積を想定しなければならない。

②この本源的蓄積が経済学で演じる役割≒原罪が神学で演ずる役割
一方に勤勉で、聡明で、倹約家がいて、他方に怠惰で浪費家の浮浪者がいた。
前者は富を蓄積し、後者は自分自身の皮以外には何も売れる物をもっていないということになった。そしてこの原罪以来、どんなに労働しても相変わらず自分自身以外何も持っていない大衆の貧困と、ずっと以前から労働しなくなっているにもかかわらず、なお増大する、少数の人々の富が始まった。

現実の歴史では・・・征服や圧政や強盗殺人が、要するに暴力が大きな役割を演じている。ものやさしい経済学では、昔から牧歌が支配していた。昔から正義と「労働」とが唯一の致富手段であった。実際には本源的蓄積の諸方法は決して牧歌的なものではない。
③貨幣も商品もはじめから商品ではないのであって、それは生産手段や生活手段がはじめからそうではないのと同じである。それらのものは資本への転化を必要とする。それには一方に、自分が所有している価値額を他人の労働力の購入によって増殖することが必要な、貨幣、生産手段、および生活手段の所有者と、他方に、自分の労働力の売り手であり、それゆえ労働の売り手である自由な労働者という、二種類の非常に違った商品所有者が向かい合い接触しなければならない。自由な労働者とは、奴隷や農奴などのように彼ら自身が直接に生産手段の一部分に属するのでもなければ、自営農民などの場合のように生産手段が彼らに属さず、彼らはむしろ生産手段から自由である、すなわち引き離されてもいるという、二重の意味でそうなのである。・・資本関係は、労働者と労働実現条件の所有との分離を前提とする。資本主義的生産がひとたび自分の足で立てば、それはこの分離をただ維持するだけでなく、ますます増大する規模で再生産する。・・・いわゆる本源的蓄積は、生産者と生産手段との歴史的分離過程にほかならない。それが「本源的なもの」として現れるのは、それが資本の、そしてまた資本に照応する生産様式の前史をなしているためである。
④資本主義社会の経済構造は封建社会の経済構造から生まれてきた。後者の解体が前者の諸要素を遊離させたのである。
⑤直接生産者である労働者は・・・すべての生産手段が奪い取られ、古い封建的諸制度によって与えられていた彼らの生存上のすべての保証を奪い取られてしまったのちに、はじめて自分自身の売り手になる。
⑥この新しい主権者である産業資本家たちは・・・彼らは同職組合の手工業親方だけでなく、富の源泉を所有している封建領主をも駆逐しなければならなかった。この側面から見ると、彼らの台頭は封建勢力とその特権に対するまた同職組合やそれが生産の自由な発展と人間による人間の自由な搾取とに課していた桎梏にたいする、競争の成果として、現れる。
⑦賃労働者と資本家とを生み出した発展の出発点は労働者の隷属状態であった。その進展の本領は、この隷属の形態変換に、すなわち封建的搾取の資本主義的搾取への転化にあった。この経過を理解するにはそれほど遡る必要はない。・・・資本主義時代が始まるのは、ようやく16世紀からである。
⑧本源的蓄積の歴史において歴史的に画期的なものといえば、形成されつつある資本家階級のために梃子として役立つ変革がすべてそうであるが、しかしわけても画期的なのは、人間の大群が突如としてかつ暴力的にその生産維持手段から引き離され、鳥のように自由な(人間社会の拘束から放たれ、そのため法律の保護も奪われた)プロレタリアとて労働市場に投げ出される瞬間である。農村の生産者である農民からの土地収奪が、この全課程の基礎をなしている。・・それはイギリスにおいて典型的な形態をとっており、それゆえわれわれはイギリスを例にとるのである。。


疑問点②ティエール氏はかつてはあんなに機知をひらめかせたフランス人に向かって・・とあるのは何を意味するのか?
⑥産業の騎士たちは、自分のまったく関与しない事件を利用する、とは何か?
⑦賃労働者と資本家とを生み出した発展の出発点=労働者の隷属状態とは?

第二四章   いわゆる本源的蓄積      第二節 農村住民からの土地の収奪
①イギリスでは農奴制は14世紀の終わりごろには事実上なくなっていた。
・14末~15世紀には人口の非常な多数が自由な自営農民(彼らの所有権がどんなに封建的な看板に よって隠されていたにしても)。
・いくらか大きな領主所有地では,以前はそれ自身農奴だったベイリフ〔bailiff 荘園の土地管理 人〕は自由な借地農業者によって駆逐されていた。農業の賃金労働者は,一部は余暇利用の農民, 一部は本来の賃金労働者の階級。後者もまた事実上は同時に自営農民でもあった(賃金のほかに 4ac.以上の大きさの耕地と小屋,共同地の用益権)。
・ヨーロッパの封建的な生産は,多くの家臣のあいだに土地を分割。
・ノルマン人による征服後,イギリスの土地は巨大なバロン領に分割(ただ一つで900の旧アング ロサクソン貴族領を包括するものも)----この土地に小農民経営(あちこちに大きい領主直属地 が点在)。このような事情は,人民の富を許したのであるが,しかしその同じ事情が資本の富を許 さなかった。

②資本主義的生産様式の基礎をつくりだした変革の序曲は,15世紀の最後の1/3期と16世紀の最初の 数十年間。封建家臣団の解体⇒無保護なプロレタリアの大群が労働市場に投げ出された。
・それ自身ブルジョア的発展の一産物だった王権は,総対的王権の追求にさいしてこの家臣団の解 体を強行的に促進。
・王権や議会に最も頑強に対抗しながら,大封建領主は,農民をその土地から暴力的に駆逐,農民の 共同地を横領⇒大きなプロレタリアートを創出。これに直接の原動力を与えたものは,イギリ スでは特にフランドルの羊毛マニュファクチュアの興隆とそれに対応する羊毛価格の騰貴だった。 古い封建貴族は大きな封建戦争に食い尽くされていたし,新しい貴族は,貨幣が権力中の権力にな った新しい時代の子だった。だから,耕地の牧羊場化は新しい貴族の合い言葉になった。

③イギリスの労働者階級は,過渡段階も通らないで,その黄金の時代から鉄の時代に転落。
④立法は,この変革を前にして恐れおののいた。それは,「国民の富」〔"Wealth of the Nation"〕 すなわち資本形成と民衆の容赦ない搾取と貧困化とがいっさいの国策の極致とみなされるような 文明水準には,まだ立っていなかったのである。
・ベーコン----そのころ(1489年)少数の牧夫によって容易に管理される牧場に耕地が変えられる ことについて苦情。定期契約や終身契約や一年契約の借地農場(ヨーマンの一大部分がこれによ って生活)が領主直営地に変えられた。民の衰退,その結果,都市や教会や十分の一税の凋落をも たらした。当時の王や議会は共同地横領や,人口削減的な牧場経営を阻止する方策をとった。

⑤1489年のヘンリ7世の一条例----最低20ac.の土地がついている農民家屋の破壊を禁止。
・ヘンリ8世第25年の一条例----同じ法律が更新。
 「多くの借地農場および家畜の大群,特に羊が少数の手に集中され,それによって地代は非常に増 大して耕作は非常に衰退し,教会も家屋も取り払われ,驚くほど多数の人民が自分自身をも家族を も養うことを不可能にされている。」
⑥この法律は荒廃した農場の再建を命じ,穀作地と牧場地との割合などを規定。
・1533年の一条例----24,000頭もの羊を所有する土地所有者が何人もあることを嘆き,2000頭に制 限。
・人民の訴えも,ヘンリ7世以来150年にわたり小借地農業者や農民の収奪に抗した立法も,効果なし。
・不成功の秘密をベーコンはわれわれに漏らしている----ヘンリ7世の条例は,一定の標準規格の農 業経営と農家とを創出,農業経営と農家とのためにある割合の土地を保存⇒十分な富をもち隷 属状態に陥っていない臣民を生みだし,雇い人の手にではなく所有者の手に犂《すき》を維持す ることができるようになった。

⑦資本主義体制の要求したものはこれとは反対のもの
・民衆の隷属状態,民衆自身の被傭人への転化,民衆の労働手段の資本への転化。
・この過渡時代の立法----農村の賃金労働者の小屋についている4ac.の土地を維持することに努め, 自分の小屋に下宿人をおくことを禁止。
・クロムウェルも,ロンドンの周辺から4マイル以内の地に4ac.の土地のついていない家を建てるこ とを禁止した。
・18世紀の前半になっても,農村労働者の小屋に1~2ac.の付属地のない場合には,告訴。
・今日----ドクター・ハンター(1864)
 「地主と借地機業者とはここでは提携。かりにわずか数エーカーでも小屋につければ,労働者を あまりにも独立させすぎることになるだろう。」

⑧民衆の暴力的な収奪過程は16世紀には宗教改革によって,またその結果としての大がかりな教会 領の横領によって,新たな恐ろしい衝撃を与えられた。
・カトリック教会は宗教改革の時代にはイギリスの土地の一大部分の封建的所有者だった。
・修道院などにたいする抑圧⇒その住人のプロレタリアート化。教会領⇒大部分は国王の寵臣 に与えられるか,捨て値で投機師的な借地農業者や都市ブルジョアに売却。世襲領民を追い出し て,農場をひとまとめにした。貧困農民に保証されていた十分の一税の一部分の所有権は没収。
・「いたるところに貧民がいる」----エリザベス女王。彼女の治世の第43年には,ついに救貧税の 実施によって受救貧民の存在を公式に認めざるをえなくなった。
    
⑨この法律は,チャールズ1世(位1625~49)第16年の法律第4号によって永久的なものと宣言。
・1834年,いっそう厳格な形を与えられた(新救貧法)。
 (197) プロテスタント「精神」は,本質的にブルジョワジーの宗教である(仏語版)。
・富裕な借地農業者----この条例の施行に伴うすべての混乱を除去することができる巧妙な一策を案出。教 区に一つの監獄を設ける,監獄に拘禁されることを欲しない貧民には,救済が拒絶される。
・教区の貧民を賃借りしたいという人があれば,最低の借り賃を書いて一定の期日に封書で申し込め,という 公示。----もしどこかで貧民が契約者のもとで死ぬようなことでもあれば,罪は契約者の側にある。なぜな らば,教区はその貧民にたいする自分の義務を果たしたわけだから。
・この州や隣接諸州の他の自由保有者たちもわれわれに加担して,次のような法案,すなわち貧民の拘禁と強 制労働とを許して拘禁を拒むものには救済を受ける権利を与えないという法案を提出するように彼らの下 院議員を促すであろう。これは,貧困者が救済を要求することを予防するであろう。
・スコットランドでは農奴制の廃止はイングランドよりも数世紀遅れる。
・農奴制の廃止がではなく,まさに農民の土地所有の廃止こそが農民をプロレタリアにし受救貧民にした
・教会領は古代的な土地所有関係の宗教的砦。砦が落ちて,この関係も維持できなくなった。
 (198) ロジャーズ----宗教改革による民衆の貧民化を力説

⑩17世紀の最後の数十年間も,ヨーマンリは借地農業者の階級よりも多く,クロムウェルの主力。
・農村賃金労働者でさえも,まだ共同地の共同所有者だった。
・1750年にはヨーマンリはほとんどなくなっていたし,また18世紀の最後の数十年間には農民の共 同地の最後の痕跡も消失。ここでは農業革命の暴力的槓杆を問題にする(農業革命の純粋に経済 的な原動力は見ない)。
⑪ステュアート王朝復位(1603~49,60~1714)
・土地所有者たちは法律によって横領をなし遂げた(大陸では法律的な回り道なしで)。彼らは封 建的土地制度を廃止(国家にたいする土地の義務を振り落とし)し,農民やその他の民衆への課 税によって国家への「償い」をし,土地の近代的私有権(ただ封建的権利名義を所有していただ けだった)を要求。
・定住関係諸法律を強要⇒イギリスの農耕者に大きな影響。農民⇒教区の付属物(仏語版)
            
⑫名誉革命----オレンジ公ウィリアム3世といっしょに地主的および資本家的利殖者たちをも支配 者の地位につけた。
・彼らは,国有地の横領を巨大な規模で実行。これらの地所は贈与され,捨て値で売られ,または直 接的横領によっても私有地に併合された。詐取的に横領された国有地は,残っていた教会からの 盗奪地といっしょになって,イギリスの少数支配貴族の今日の領地の基礎をなしている。
・ブルジョア的資本家たちはこの処置を助けたのであるが,その目的は,土地の純粋な取引物への転 化,農業大経営の領域拡大,農村からのプロレタリアの供給などにあった。
・新たな土地貴族は,新たな銀行貴族や,孵化したばかりの大金融業者や,当時は保護関税に支持さ れていた大製造業者たちの当然の盟友だった。
⑬共同地(国有地とは別。古代ゲルマン的制度,封建制の外皮の下で存続した)の暴力的横領が,多 くは耕地の牧場化を伴って,15世紀末に始まり16世紀にも続けられる。この過程は個人的な暴行 として行なわれ,これにたいして立法は150年にわたってむだな抗争を続けた。
・18世紀の進歩は,法律そのものが人民共有地の盗奪の手段になるということ(大借地農業者たち の個人的な方法も併行)。「共同地囲い込み法案」----地主が人民共有地を私有地として自分自 身に贈与するための法令であり,人民収奪の法令。
 (203) 「借地農業者たちは,小屋住み農夫が自分自身のほかになにか生き物を飼うことを禁止しているが, その口実は,もし農夫が家畜や家禽を飼えば彼らは穀倉から飼料を盗むにちがいないからと。また,小屋住 み農夫を貧乏にしておけば彼らを勤勉にしておくことにもなる,とも言っている。ほんとうの事実は,共同 地にたいする全権利の横奪」(『荒蕪地囲い込みの諸結果に関する政治的研究』,ロンドン,1785年)

⑭一方では独立のヨーマンに代わって任意借地農業者(tenants-at-will,一年の解除予告期間を条 件とする小借地農業者,地主の意のままになる隷属的な一群)が出現。
・他方では,国有地の横領と並んで,ことに,組織的に行なわれた共同地の横領が,18世紀に資本借地 農場とか商人借地農場とか呼ばれた大借地農場の膨張を助けたのであり,また農村民を工業のた めのプロレタリアートとして「遊離させる」ことを助けた。

⑮18世紀----国の富と人民の貧との同一性を19世紀と同じ程度にはまだ把握していなかった。
・当時の経済学の文献のなかには「共同地の囲い込み」に関して非常に激しい論戦。当時の状態が いきいきと描きだされる資料。
・平均50~150ac.の24の借地農場が合併⇒三つの農場。
・以前は1500ac.も耕作されていた領地⇒今では50ac.も耕作されていないものがたくさんある。
・住宅や穀倉や厩舎などの廃嘘⇒前に人の住んでいたことの唯一の痕跡。
・100戸の家と家族⇒8戸か10戸に減っているところも少なくない。
・4人か5人の富裕な牧畜業者⇒大きな最近囲い込まれたばかりの領地(これらの土地は以前は20人から30人の借地農業者や同じくらいに多数の比較的小さい所有者の手にあった)を横領。
⑯ドクター・R・プライス
・単に休閑地だけではなく,共同体に一定の支払をして耕すとか共同的に耕すとかされていた土地 ⇒囲い込みという口実で隣接の大地主により併合。
・開放地と既耕地との囲い込み⇒大借地農場の独占を増進し,生活手段の価格を高め,人口減少を ひき起こす。
・荒れ地の囲い込みでさえ⇒貧民からはその生活維持手段の一部を奪い,また借地農場をいっそ う膨張させる。
・少数の大借地農業者への土地の集中⇒
 a.小借地農業者----他人のための労働に上って生計の資を得なければならず,自分に必要なすべ  てのものを市場に求めざるをえない。より多くの労働がなされるであろう。
 b.都市も工場も大きくなるであろう。仕事を求める人々が追い立てられてくるから。
・これが,借地農場の集中が自然的に作用する仕方である。

⑰彼は囲い込みの総結果を次のように要約する。
・下層人民階級の状態はほとんどどの点から見ても悪化
・比較的小さい土地所有者や借地農業者⇒日雇い人や常雇い人の地位⇒生活を維持することは ますます困難

⑱共同地の横領とそれに伴う農業革命⇒農業労働者にきわめて急激に作用----イーデンの言
・1765年から1780年までに彼らの賃金は,最低限度を割って公共の貧民救済によって補充。彼らの労賃は,  「やっと絶対的な生活必需品を得るに足りるだけ」

⑲囲い込みの擁護者でドクター・プライスの反対者だった人の言葉。
・小農民を他人のために労働しなければならない人々に変える⇒より多くの労働が動かされる  ⇒国民の利益。
・彼らの結合された労働が一つの借地農場で使用⇒生産物増。こうして工業のための余剰生産物 が形成され,工業が穀物の生産量に比例して増大〔J・アーバスノト〕。
 (212)「労働者は自分の小屋から追い出されて,都市で職を求めることを強制される。----しかし,やがても っと大きい余剰が得られ,こうして資本がふやされる。」(〔R・B・シーリ〕

⑳サー・F・M・イーデン
・「神聖な所有権」にたいするどんなにあつかましい冒瀆でも,人間にたいするどんなにひどい暴 行でも,それが資本主義的生産様式の基礎を築くために必要だとあれば,それを擁護。----15世紀 の最後の1/3期から18世紀の末まで行なわれた暴力的な人民収奪に伴う数々の盗賊行為や残虐や 人民の苦難⇒「快適な」結論的省察に到達
・「耕地と牧地との適当な割合が設けられなければならなかった。14世紀の全体と15世紀の大部分 とをつうじて,なお,耕地2ac.または3ac.にたいして,また場合によっては4ac.にたいしてさえも, 牧場は1ac.の割合だった。16世紀の中期にはこの割合は耕地2ac.にたいして牧地2ac.となり,さ らに後には耕地1ac.にたいして牧場2ac.となり,最後に耕地1ac.にたいして牧地3ac.という適当 な割合ができあがった。」

2119世紀には,農耕者と共同地との関連の記憶さえもなくなってしまった。
・1801年から1831年までに3,511,770ac.の共同地が農村民から取り上げられて議会によって地主か ら地主へと贈られた----農村民にわずかな補償もなし

22農耕者から土地を取り上げる最後の大がかりな収奪過程は,いわゆる地所の清掃(Clearing of E states----実際には土地からの人間の掃き捨て)である。これまで考察してきたいっさいのイギ リス的方法は,この「清掃」において頂点に達した。
・もはや掃き捨てられるべき独立農民もいなくたった今では,ついに小屋の「清掃」にまで進んで きたので,農業労働者たちは自分の耕す土地そのものの上にはもはや自分の住居に必要な空間を 見いださないのである。
・本来の意味での「地所の清掃」がなにを意味するかは,近代ロマン文学の約束の地,スコットラン ド高地で,はじめて知ることができる。
 a.この過程の組織的な性質によって,
 b.それが一挙に遂行される規模の大きさによって(ドイツの公国ほどの大きさの地面が清掃),
 c.横領された土地所有の特殊な形態によって,一段ときわだっているのである。


23スコットランド高地のケルト人
・氏族制----それぞれ自分の定住している土地の所有者。氏族の代表者(首長)=グレート・マン ----この土地の名目上の所有者(イギリスの女王が全国士の名目上の所有者であるようなもの)
・氏族の首長たちは彼らの昔からの盗賊稼業をやめず,自分自身の権威によって彼らの名目的所有 権を私有権に変えた。氏族員たちの反抗にぶつかると,暴力で氏族員たちを追い払う。
・18世紀には,農村から追い出されたゲール人には同時に国外移住も禁止された。彼らをむりやり にグラスゴーやその他の工業都市に追い込むためだった。
・19世紀に支配的だった方法の実例----サザランド女公の「清掃」。この,経済に通じていた人物 は,公位につくと同時に経済の根本治療(全州の牧羊場化)に着手。 1814年から1820年まで,こ の15,000の住民,約3000戸の家族は,組織的に追放・根絶。村落は取りこわされて焼き払われ,耕 地はすべて牧場に変えられた。
・この夫人は,氏族のものになっていた794,000ac.の土地をわがものにした。追い払われた土着民 には,彼女は海浜に約6000ac.(それまでは荒れるにまかされていた),一戸当たり2ac.をあてが った。女公は,この土地を1ac.平均2シリング6ペンスの地代で賃貸しした。横領した氏族地全体 を彼女は29の大きな賃貸し牧羊場に分割,イングランド人である農業労働者を住まわせた。1825 年には15,000のゲール人は131,000の羊にとって代わられていた。海浜に投げ出された土着民は 両棲動物になった。半分は陸上,半分は水上で暮らしたが,しかも両方合わせて半人分の暮らしし かしていなかった。

24魚のにおいが首長(グレート・メン)たちの鼻にはいった。彼らはもうけ口をかぎつけて,海浜 をロンドンの大きな魚商人たちに賃貸しした。ゲール人は二度目の追い出しにあった。

25最後に牧羊場の一部分は狩猟場に再転化される。
・イングランドには元からの森林というものはない。貴人の猟園にいる鹿は体質的には家畜であっ て,ロンドンの市参事会員のようにふとっている。
・スコットランド高地では森林が拡張された。土地の牧羊場化はゲール人をいっそう不毛な土地に 追いやった。今では鹿が羊にとって代わろうとしており,ゲール人をさらにいっそう破磯的な貧 困に追い込んでいる。
・鹿猟林と人民とは共存することはできない。狩猟場にすれば,多くの場合牧羊場とは比べものに ならないほど有利。鹿はますます自由な遊び場を得たのに,人間はますます狭い柵の中に追いこ まれた。
 (219a) スコットランドの "deer forests"(鹿猟林)には一本の樹木もない。羊を追い出してから,はげ山 に鹿を追い入れ,それを「鹿猟林」と名づけるのである。
 第二版への追補。1866年3月,レオン・リーヴァイ教授,牧羊場の猟林化について講演----「牧羊場にしてし まうことは,出費なしに収入を得るための最も好都合な手段を提供した。牧羊場のかわりに鹿猟林,という のが,高地で普通に見られる変化になった。かつては人間が,羊に席を与えるために,駆逐されたが,今度は 羊が野獣に駆逐される。広大な地帯がわずかばかりの人々の狩猟道楽にささげられている。」

26教会領の横領,国有地の詐欺的な譲渡,共同地の盗奪,横領と容赦ない暴行とによって行なわれた 封建的所有や氏族的所有の近代的私有への転化,これらはみなそれぞれ本源的蓄積の牧歌的な方 法だった。それらは,資本主義的農業のための領域を占領し,土地を資本に合体させ,都市工業の ためにそれが必要とする無保護なプロレタリアートの供給をつくりだした。
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by shihonron | 2010-11-16 23:30 | 学習会の報告


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