『資本論』を読む会の報告

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2010年 12月 14日

第208回 12月14日 第24章 第4節・第5節

12月14日(火)第208回の学習会を行いました。
「第24章 第4節 資本主義的借地農業者」と「第24章 第5節 農業革命の工業への反作用 農業資本のための国内市場の形成」についてレジュメに基づく報告を受け、検討しました。


第24章 第4節 資本主義的借地農業者の生成

 ①われわれは、無保護のプロレタリアの暴力的創出、彼らを賃労働者に転化させた血なまぐさい訓練、労働の搾取度と共に資本の蓄積を警察力によって増進させた元首と国家の醜悪な行動、これらのことについて考察してきたが、次に問題になるのは、資本家たちは本源的にはどこからきたのか?ということである。

・借地農場経営者の創世記→ それは、緩慢な、何世紀にもわたって繰り返し続いた過程
・自由な小土地所有者→非常に様々な経済的諸条件のもとで解放された。

 ②イギリスでは、借地農業者の最初の形態は、それ自身も農奴だったベーリフ〔Bailiff 荘園の土地管理人〕であった。

・この借地農業者の状態は、農民の状態とあまり違わない。ただ彼のほうがより多くの賃労働を搾取するだけである。彼はやがてメテイエ〔Metayer〕、すなわち半借地農業者になる。彼が農業資本の一部分を提供し、大地主が他の部分を提供する。両者は、契約で定められた比率で総生産物を分配する。この形態はイギリスでは急速に消滅して、本来の借地農業者・・彼自身の資本を賃労働者の使用によって増殖し、剰余生産物の一部分を貨幣または現物で大地主に地代として支払う者・・の形態に席を譲る。

 ③一五世紀の最後の三分の一期に始まり、ほとんど一六世紀全体(しかし最後の数十年を除いて)にわたって続いた農業革命は、農村民を貧しくするのと同じ速さで借地農業者を富ませていく(227)。共同牧場などの横領によって彼らはほとんどただで自分の家畜を大いにふやすことができ、他面、この家畜は土地耕作のためのいっそう豊富な肥料を彼に供給する。

 ④一六世紀には一つの決定的に重要な契機がつけ加わった。当時は借地契約が長期で、九九ヵ年にわたるものもしばしばあった。貴金属の価値、したがって貨幣の価値が引き続き低落したことが、借地農業者に黄金の果実をもたらした。この低落は、さきに論じた他の事情はすべて別にしても、労賃を低下させた。労賃の一部は借地農業利潤に加えられた。穀物、羊毛、肉類、要するにすべての農業生産物の価格の継続的な上昇は、借地農業者が何もしないでも彼の貨幣資本を膨張させたが、他面、彼が支払わなければならなかった地代は旧来の貨幣価値で契約されていた(228)。こうして、借地農業者は、彼の賃労働者と彼の大地主とを同時に犠牲にして、自分を富ませた。したがって、イギリスが一六世紀末当時の事情から見れば富裕な「資本主義的借地農業者」という一階級をもっていたことは少しも不思議ではない(229)。

疑問点
1,借地農場経営者の創世記は何世紀にもわたって緩慢ということ。乱暴にプロレタリアが創り出されるのに資本家の方は緩慢に、ということは考えにくいような気がする。

2,イギリスではベイリフが借地農業者の最初の形態。農奴が資本家の最初の形態というのも?

3,農業革命とは?

4,重要な契機とは?貨幣の価値が低落すると借地農業者のみが得をするのはなぜか?



【農業革命】Agricultural Revolution、Agrarian Revolution
 紀元前8000年ごろ人類は近東地方において初めて狩猟・採集経済から穀類の栽培、家畜の飼育に成功して農業社会へ移行した。この文明史における画期的事件を、18世紀の産業革命と対比して、農業革命とよぶ場合がある。学者によってはこれを「新石器革命」ともよび、アルビン・トフラーは『第三の波』(1980)のなかで、産業革命を「第二の波」、農業革命を「第一の波」とよんでいる。
 これとは別にイギリス史では、中世的な開放耕地制度を揚棄した18世紀のエンクロージャー運動と農業技術の進歩、農業経営の近代化の過程を総称して農業革命とよんでいる。すなわち、チューダー朝時代から始まり、とくに18世紀後半に盛んであったエンクロージャー運動は、作付面積の増加をもたらし、土地利用、排水、作物栽培の改良を可能にした。17世紀にすでにカブ、クローバーなどの飼料作物が大陸より導入され、実験的成功を収めていたが、18世紀になると、家畜飼育、穀物輪作、施肥が科学的合理的に結合されたノーフォーク式4種輪作制(小麦―カブ―大麦―クローバーの輪作)が、広く革新的地主企業家によって採用されるようになった。この新しい輪作法の利点は、従来の三圃式(さんぽしき)農法では土地の一部を休耕地として残していたのが、いまや休耕地がなくなって土地をフルに利用できるようになったこと、また飼料作物を輪作で栽培できたために、家畜の増産と肥料の増産が同時に可能になったことである。
 この時代の農業技術の進歩に貢献した者には、播種(はしゅ)機および畜力用砕土機を発明したタルJethro Tull(1674―1741)、ノーフォーク式に成功して「カブのタウンゼンド」とよばれたタウンゼンド子爵Viscount Charles Townshend(1674―1738)などが有名である。またベークウェルRobert Bakewell(1725―95)は、従来ヒツジを主として食肉用のためではなく羊毛のために、ウシはミルクと畜役用のために飼育していたのを、品種改良によって、食肉、畜産物用家畜の改良に成功し、食肉増産に貢献した。さらに新農法を基礎とする近代的大農経営の普及にもっとも大きな貢献をしたのがアーサー・ヤングである。こうしてイギリス農業革命は、増大する都市人口のための食糧供給を可能にし、農業所得の上昇が国内市場の拡大、有効需要の増加をもたらし、農業部門から工業部門へ、工業化のために必要な労働力と資本を供給したことによって、産業革命のスムーズな進行を可能ならしめたのである。  角山 榮  『日本大百科全書』(小学館)より

【開放耕地制度】open field system
 中世から近世にかけて、ヨーロッパの平野部集村地方で支配的であった農地制度。村の共同耕地(耕圃(こうほ))を構成するいくつかの耕区は、それぞれ各農民の持ち分に属する耕地片の集合体で、共同耕地全体としては保有地は複雑に混在している(混在地制)が、同一耕区内の保有地の間には生け垣、柵(さく)などの仕切りがなく、一続きで開放されていた。耕区の形状には、南フランスやイタリアに普及していたようなパズル状の不規則開放耕地もあったが、典型的にはロアール川とドナウ川の北方、およびイングランドの大部分の地方にみられたような、細長い帯状の地条が規則的に並ぶ長形開放耕地であった。このような耕地の型の相違は、犂(すき)の型の相違にも対応する。三圃農法と強固な共同体慣行が発展した北方では、重く湿った土壌に適合した、何頭もの家畜によって牽引(けんいん)される大型の有輪犂が出現するが、この犂の隊列は簡単に方向転換できないところから、極端に細長い長形の耕地が要求された。これに対し、伝統的に二圃制が維持され、軽量な無輪犂で土地を浅く耕していた地中海地方では、耕地は正方形に近づき、畦(あぜ)の方向を変えたり、交差させることもできた。三圃制であれ二圃制であれ、休作中の耕圃や収穫後の耕圃は、村の伝統的慣行に従って、農民の家畜(その割当て頭数は保有地面積が基準)の共同放牧にゆだねられ、家畜の糞尿(ふんにょう)によって自然に地味が回復された。このように、開放耕地制度は、家畜を利用して穀物生産を行うヨーロッパ特有の混合農業ないし有畜農業の伝統に適合したものであった。しかし家畜の放牧には共同耕地だけでは不十分なところから、森林、原野などの共同地内の牧草地も放牧にあてられた。
 農業の共同化については、領主を含めて、村の全共同体成員の間で恒常的な取決めが必要とされた。それというのも、領主の直営地も地条として、農民が保有する地条の間に混在する場合が多かったからである。農業共同体としての村の慣行(掟(おきて))は、共同放牧以外にも、耕圃や耕区の境界設定、作物の種類や収穫の時期の統制(いわゆる「耕作強制」)、あるいは共同地におけるさまざまな用益権など、広い範囲に及んだ。
 井上泰男 『日本大百科全書』(小学館)より

第二四章   いわゆる本源的蓄積          2010.12.14.   Rep.五十嵐

   第五節 農業革命の工業への反作用
       産業資本のための国内市場の形成

①発作的ではあるがまた絶えず繰り返される農村民の収奪と駆逐⇒プロレタリア群を繰り返し都 市工業に供給----「神の摂理の直接の干渉」
・独立自営農村民の稀薄化----工業プロレタリアートの濃密化が対応
・耕作者の数が減少⇒土地は以前と同量かまたはより多量の生産物
・土地所有関係の革命⇒耕作方法の改良・協業の大規模化・生産手段の集積
・農村賃金労働者の労働の強化
・農村民の一部分が遊離⇒彼らの食料もまた遊離⇒可変資本の素材的要素に転化----追い出さ れた農民は,この食料の価値を産業資本家から労賃という形で買い取らなけれはならない。
・国内で生産される農産工業原料⇒不変資本の一つの要素に転化

②フリードリヒ二世(大王)の時代(1740~86)----亜麻を紡いでいたヴェストファーレンの農民
・一部分は暴力的に収奪されて追放,残った別の部分は大借地農業者の日雇い労働者に。同時に大 きな亜麻紡績工場や織物工場ができて,「遊離した人々」はそこで賃労働。
・亜麻は見たところ以前と少しも変わりはない。その繊維の一筋も変わってはいない⇒今ではマ ニュファクチュア経営者の不変資本の一部になっている。
・亜麻は,以前は,それを自分で栽培し紡いでいた無数の小生産者のあいだに分配されていた⇒今 では,自分のために他人に紡がせたり織らせたりする一人の資本家の手のなかに集積されている。
・亜麻紡績場で支出される特別な労働は,以前は無数の農民家族の特別収入・租税⇒今ではそれ は少数の資本家の利潤。
・紡錘や織機は,以前は広く農村に分散⇒今では労働者・原料と同様大きな作業場に。
・紡錘も織機も原料も,紡ぎ手や織り手の独立な生存の手段⇒今では,彼らに命令し彼らから不払 労働を吸い取るための手段に転化。
・大きなマニュファクチュア(「合併マニュファクチュア」,[合併工場」)を見ても,大きな借地農 場を見ても,それらが多くの小さな生産場が合併されたものだということや,多くの小さな独立生 産者の収奪によってできたものだということはわからない。とはいえ,とらわれない目で見れば 惑わされることはない。
・革命の獅子ミラボー『プロイセン王国について』

④小農民を賃金労働者に転化させ,彼らの生活手段と労働手段を資本の物的要素に転化させる諸事 件は,同時に資本のためにその国内市場をつくりだす。
・農家は生活手段や原料を生産し加工して,あとからその大部分を自分で消費していた⇒原料や 生活手段は今では商品になっている。大借地農業者がそれを売るのであり,彼はマニュファクチ ュアに自分の市場を見いだす。
・糸やリンネルや粗製毛織物など,その原料をどの農家でも手に入れることができて各農家によっ て自家消費のために紡がれ織られていた物⇒今ではマニュファクチュア製品にされ,農村地方 そのものがそれらの販売市場になる。
・自分の計算で労働する多数の小生産者に依存していた多数の分散した買い手⇒今では集中され て,産業資本によってまかなわれる一大市場になる。
・このようにして,以前の自営農民の収奪や彼らの生産手段からの分離と並んで,農村副業の破壊, マニュファクチュアと農業との分離過程が進行する。
・ただ農村家内工業の破壊だけが,一国の国内市場に,資本主義的生産様式の必要とする広さと強固な存立とを与えることができる。

⑤本来のマニュファクチュア時代には根本的な変化はなにも現われない。
・この時代は国民的生産を断片的に征服するだけで,つねに都市の手工業と家内的・農村的副業と を広い背景としてこれに支えられている。
・この時代はこれらのものをある種の形態や特殊な事業部門やいくつかの地点では破壊するにして も,よそでは再び同じものを呼び起こす(この時代は原料の加工のためにある一定の程度までは これらのものを必要とするから)。
・それだから,この時代は一つの新しい部類の小農民を生み出すのであって,このような農民は耕作 を副業として営み,生産物をマニュファクチュアに売る(直接にかまたは商人の手を経て)ため の工業的労働を本業とする。
・イギリス史の研究者の困惑----15世紀の最後の1/3期以後は,農村では資本経営の増加や農民層の 破滅が進行し,他面ではこの農民層が,数は減少しその形態は悪化しながらも,絶えず繰り返し研 究者の前に現われる。
・その主要な原因は,イギリスは時代の変遷につれて穀作を主とする国になったり牧畜を主とする国になったりし,また,その変遷につれて農民経営の規模が変動したということ。

 第二四章 いわゆる本源的蓄積 
第五節 農業革命の工業への反作用 産業資本のための国内市場の形成

①発作的ではあるがまた絶えず繰り返される農村民の収奪と駆逐⇒プロレタリア群を繰り返し都 市工業に供給----「神の摂理の直接の干渉」
・独立自営農村民の稀薄化----工業プロレタリアートの濃密化が対応
・耕作者の数が減少⇒土地は以前と同量かまたはより多量の生産物
・土地所有関係の革命⇒耕作方法の改良・協業の大規模化・生産手段の集積
・農村賃金労働者の労働の強化
・農村民の一部分が遊離⇒彼らの食料もまた遊離⇒可変資本の素材的要素に転化----追い出さ れた農民は,この食料の価値を産業資本家から労賃という形で買い取らなけれはならない。
・国内で生産される農産工業原料⇒不変資本の一つの要素に転化

②フリードリヒ二世(大王)の時代(1740~86)----亜麻を紡いでいたヴェストファーレンの農民
・一部分は暴力的に収奪されて追放,残った別の部分は大借地農業者の日雇い労働者に。同時に大 きな亜麻紡績工場や織物工場ができて,「遊離した人々」はそこで賃労働。
・亜麻は見たところ以前と少しも変わりはない。その繊維の一筋も変わってはいない⇒今ではマ ニュファクチュア経営者の不変資本の一部になっている。
・亜麻は,以前は,それを自分で栽培し紡いでいた無数の小生産者のあいだに分配されていた⇒今 では,自分のために他人に紡がせたり織らせたりする一人の資本家の手のなかに集積されている。
・亜麻紡績場で支出される特別な労働は,以前は無数の農民家族の特別収入・租税⇒今ではそれ は少数の資本家の利潤。
・紡錘や織機は,以前は広く農村に分散⇒今では労働者・原料と同様大きな作業場に。
・紡錘も織機も原料も,紡ぎ手や織り手の独立な生存の手段⇒今では,彼らに命令し彼らから不払 労働を吸い取るための手段に転化。
・大きなマニュファクチュア(「合併マニュファクチュア」,[合併工場」)を見ても,大きな借地農 場を見ても,それらが多くの小さな生産場が合併されたものだということや,多くの小さな独立生 産者の収奪によってできたものだということはわからない。とはいえ,とらわれない目で見れば 惑わされることはない。
・革命の獅子ミラボー『プロイセン王国について』

④小農民を賃金労働者に転化させ,彼らの生活手段と労働手段を資本の物的要素に転化させる諸事 件は,同時に資本のためにその国内市場をつくりだす。
・農家は生活手段や原料を生産し加工して,あとからその大部分を自分で消費していた⇒原料や 生活手段は今では商品になっている。大借地農業者がそれを売るのであり,彼はマニュファクチ ュアに自分の市場を見いだす。
・糸やリンネルや粗製毛織物など,その原料をどの農家でも手に入れることができて各農家によっ て自家消費のために紡がれ織られていた物⇒今ではマニュファクチュア製品にされ,農村地方 そのものがそれらの販売市場になる。
・自分の計算で労働する多数の小生産者に依存していた多数の分散した買い手⇒今では集中され て,産業資本によってまかなわれる一大市場になる。
・このようにして,以前の自営農民の収奪や彼らの生産手段からの分離と並んで,農村副業の破壊, マニュファクチュアと農業との分離過程が進行する。
・ただ農村家内工業の破壊だけが,一国の国内市場に,資本主義的生産様式の必要とする広さと強固な存立とを与えることができる。

⑤本来のマニュファクチュア時代には根本的な変化はなにも現われない。
・この時代は国民的生産を断片的に征服するだけで,つねに都市の手工業と家内的・農村的副業と を広い背景としてこれに支えられている。
・この時代はこれらのものをある種の形態や特殊な事業部門やいくつかの地点では破壊するにして も,よそでは再び同じものを呼び起こす(この時代は原料の加工のためにある一定の程度までは これらのものを必要とするから)。
・それだから,この時代は一つの新しい部類の小農民を生み出すのであって,このような農民は耕作 を副業として営み,生産物をマニュファクチュアに売る(直接にかまたは商人の手を経て)ため の工業的労働を本業とする。
・イギリス史の研究者の困惑----15世紀の最後の1/3期以後は,農村では資本経営の増加や農民層の 破滅が進行し,他面ではこの農民層が,数は減少しその形態は悪化しながらも,絶えず繰り返し研 究者の前に現われる。
・その主要な原因は,イギリスは時代の変遷につれて穀作を主とする国になったり牧畜を主とする 国になったりし,また,その変遷につれて農民経営の規模が変動したということ。

・大工業がはじめて機械によって資本主義的農業の恒常的な基礎を与え,巨大な数の農村民を徹底 的に収奪し,家内的・農村的工業(紡績と織物)の根を引き抜いてそれと農業との分離を完成す る。したがってまた,大工業がはじめて産業資本のために国内市場の全体を征服する。
工業がはじめて機械によって資本主義的農業の恒常的な基礎を与え,巨大な数の農村民を徹底 的に収奪し,家内的・農村的工業(紡績と織物)の根を引き抜いてそれと農業との分離を完成す る。したがってまた,大工業がはじめて産業資本のために国内市場の全体を征服する。
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by shihonron | 2010-12-14 23:30 | 学習会の報告


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