『資本論』を読む会の報告

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2010年 12月 21日

第209回 12月21日 第24章 第5節・第6節 産業資本家の生成

12月21日(火)第209回の学習会を行いました。
「第24章 第6節 産業資本家の生成」についてレジュメに基づく報告を受け、検討しました。

第24章 第6節 産業資本家の生成 

①産業資本家の生成
多くの同職組合親方や、もっと多くの独立した小手工業者が、あるいはまた賃労働者さえもが小資本家に転化し、そして、賃労働の搾取の漸次的拡大とそれに照応する蓄積とによって、“文句なしの資本家に転化した。資本主義的生産の幼年期の方法のカタツムリのような歩みは、一五世紀末の諸大発見によってつくり出された新たな世界市場の商業的要求に照応するものでは決してなかった。
中世が伝えた二つの資本形態
中世は二つの相異なる資本形態、すなわち、きわめて多様な経済的社会構成体の中で成熟して、資本主義的生産様式の時代以前にも一応は資本として通用する二つの形態――高利貸し資本と商人資本とを、伝えていた。
(238) ここで言う産業的は、農業的と対立した言い方である。「カテゴリー上の」意味では、借地農業者は工場主と同じように産業資本家である。

②新しい工業養成所の誕生
高利と商業とによって形成された貨幣資本は、農村では封建制度によって、都市では同職組合制度によって産業資本への転化をさまたげられた。これらの制限は、封建家臣団の解体と共に、農村民の収奪や部分的追放と共に、なくなった。新たなマニュファクチュアが輸出港に設けられ、あるいは古い都市制度やその同職組合制度の管理の外にある田園の諸地点に設けられた。

③資本主義的生産時代の曙光から商業戦争へ
アメリカにおける金銀産地の発見、原住民の絶滅と奴隷化と鉱山への埋没、東インドの征服と略奪の開始、アフリカの商業的黒人狩猟場への転化、これらが資本主義的生産時代の曙光を特徴づけている。これらの牧歌的過程は本源的蓄積の主要な契機である。この後に続くのが、地球を舞台とするヨーロッパ諸国民の商業戦争である。それは、ネーデルラントのスペインからの離脱によって開始され、イギリスの反ジャコバン戦争で巨大な範囲に広がり、中国に対するアヘン戦争などで今なお続行されている。

④イギリスにおける本源的蓄積の契機――暴力の意義
イギリスでは、これらの契機は一七世紀末には植民制度、国債制度、近代的租税制度、および保護貿易制度において体系的に総合される。これらの方法は一部は残虐きわまる暴力に基づくものであり、たとえば植民制度がそうである。しかし、どの方法も、封建的生産様式の資本主義的生産様式への転化過程を温室的に促進して過渡期を短縮するために、国家権力、すなわち社会の集中され組織された暴力を利用する。暴力は新しい社会を生むあらゆる古い社会の助産婦である。暴力はそれ自身が一つの経済的能力である。

⑤キリスト教的植民制度
キリスト教を専門とする一人の人物、W・ハウイットは言う 「いわゆるキリスト教徒的人種が、世界のあらゆる地域で、また彼らが征服することのできたすべての人民に対して、演じてきた野蛮行為と無法な残虐行為とは、世界史上のどの時代にも、またそれがどの人種のもとでも、どんなに未開で無教養であり、無情で無恥であっても、その比を見ない」。
 
⑥オランダの植民地経営の歴史
オランダは一七世紀の典型的な資本主義国であったが「背信、買収、暗殺、卑劣のたぐいもまれな絵巻を繰り広げている)」。ジャワで使う奴隷を得るために、セレベスで用いたオランダの人間盗奪の制度ほど特徴的なものはない。人間泥棒がこの目的のために訓練された。盗賊や通訳や売り手がこの取り引きにおける主役であり、土着の王侯は主要な売り手であった。盗まれてきた少年たちは、成長して奴隷船に送られるまでセレベス秘密監獄に隠された。

⑦オランダ人のやり口
マラッカを手に入れるために、オランダ人はポルトガルの総督を買収した。総督は一六四一年に、オランダ人が市内に入ることを許した。彼らはすぐさま総督邸に駆けこんで総督を殺し、こうして二万一八七五ポンド・スターリングの買収金額の支払いを「禁欲」した。彼らが足を踏み入れたところでは、荒廃と人口減少とが起こった。ジャワの一つの州であるバニュワンギは、一七五〇年には住民の数が八万を超えたが、一八一一年にはわずか八〇〇〇人にすぎなかった。


⑧イギリス東インド会社
周知のようにイギリスの東インド会社は、東インドを政治的に支配したほか、茶貿易および中国貿易一般についての、ヨーロッパとのあいだの貨物輸送についての排他的独占権を持っていた。しかし、インドの沿岸航海、諸島〔東インド諸島〕間の航海、およびインド内地の商業は、会社の高級職員の独占となった。塩、アヘン、キンマ、その他の商品の独占は、富の無尽蔵の鉱脈であった。職員たちは自分で価格を定め、不幸なインド人をぞんぶんに痛めつけた。総督もこの私的な取り引きに加わった。彼のお気に入りの者たちは、練金術師よりずっと巧妙に、無から金がつくれるような条件で、契約を得た。大きな財産がキノコのように一日ででき上がり、本源的蓄積は一シリングの前貸しもなしに進行した。

⑨先住民に対する凶暴な行為
先住民への取りあつかいは、西インドのように輸出貿易のためだけと定められた栽培植民地や、メキシコおよび東インドのように略奪殺人にさらされた富裕で人口の稠蜜な地方において、最も凶暴であった。けれども、本来の植民地においても本源的蓄積のキリスト教的性格は争われないものがあった。

⑩資本蓄積の強力なテコ――「独占会社」と植民地
植民制度は商業と航海とを温室的に育成した。「独占会社」(ルター)は資本蓄積の強力なテコだった。成長するマニュファクチュアに対し、植民地は販売市場と、市場独占によって強化された蓄積とを保障した。ヨーロッパの外で直接に略奪、奴隷化、強盗殺人によって獲得された財宝は、本国に還流し、そこで資本に転化した。植民制度を真っ先に十分に発展させたオランダは、すでに一六四八年にはその商業的繁栄の頂点に立っていた。
 
⑪本国での人民の状態
オランダの人民大衆は、一六四八年にはすでに他のすべてのヨーロッパ諸国の人民大衆よりもっとひどい過度労働、貧困、残酷な抑圧のもとにあった。

⑫本来のマニュファクチュア時代における植民制度の意義
こんにちでは産業的覇権が商業的覇権をともなう。これに反し、本来のマニュファクチュア時代には、商業的覇権が産業上の優勢を与える。したがって、当時には植民制度が主要な役割を演じたのである。植民制度は、ヨーロッパの古い神々と祭壇にならんでいたが、ある日これらの神々を残らず葬り去った「異国の神」であった。それは、貨殖こそ人類の最後で唯一の目的であると宣言した。

⑬公信用制度=国債制度
公信用制度すなわち国債制度は、マニュファクチュア時代に全ヨーロッパに普及した。海上貿易や商業戦争をともなう植民制度は、国債制度の温室として役立った。こうして、この制度はまずオランダで確立された。国債、すなわち国家の譲渡――専制国、立憲国、共和国のいずれであろうとも――は、資本主義時代にその刻印を押す。いわゆる国富のうち現実に近代的国民の全体的所有に入る唯一の部分・・それは彼らの国債である。それゆえ、ある国民は負債を負えば負うほど、富裕になるという近代的教説は、まったく当然のものである。公信用は資本の信条となる。そして国債制度の成立と共に、国債に対する不信は聖霊に対する許されることのない罪に取って代わる。

★「国家の譲渡」とはどういう意味か?

⑭公債は本源的蓄積の最も強力なテコ
公債は本源的蓄積の最も強力なテコの一つとなる。それは、魔法の杖を振るかのように、不妊の貨幣に生殖力を与えてそれを資本に転化させ、そのためには貨幣は産業的投資や高利貸し的投資にさえつきものの骨折りや危険を犯す必要はない。国家に対する債権者は現実には何も与えはしない。というのは、貸しつけた金額は、容易に譲渡されうる公債証書に転化され、それは、ちょうどそれと同じ額の現金であるかのように、彼らの手中で機能し続けるからである。しかも、このようにして生み出される有閑金利生活者の階級や、政府と国民とのあいだに立って仲介者の役割を演じる金融業者たちの即製の富を別としても――また、あらゆる国債のかなりの部分を天から降ってくる資本のように利用する徴税請負人や商人や私的工場主の即製の富を別としても――国債は、株式会社やあらゆる種類の有価証券の取り引きや株式売買を、一言で言えば、取引所投機と近代的銀行支配とを、勃興させたのである。

★公債証書が、どそれと同じ額の現金であるかのように機能するとはどういうことか?
 
⑮銀行の発展
国家的という肩書で飾られた大銀行は、その出生の当初から政府を援助して与えられた特権のおかげで政府に貨幣を前貸しすることができた私的投機業者たちの会社にすぎなかった。それゆえ、国債の蓄積の測定器としては、これらの銀行の株式の継続的騰貴以上にたしかなものはないのであるが、これらの銀行の十分な発展はイングランド銀行の創立(一六九四年)に始まる。イングランド銀行は、最初にまず自分の貨幣を八%の利率で政府に貸しつけることから始めた。同時にこの銀行は、この資本をさらに銀行券という形態でもう一度公衆に貸しつけることにより、同じ資本から貨幣を鋳造する権限を議会によって与えられた。イングランド銀行は、この銀行券をもって手形を割り引きし、商品担保貸付を行い、貴金属を買い入れることを許された。まもなく、この銀行自身によって製造されたこの信用貨幣が鋳貨となり、この鋳貨をもってイングランド銀行は国家へ貸付をし、国家の計算で公債の利子を支払った。この銀行は、片方の手で与えておいて、他方の手でより多く受け戻したというだけでは十分でない。この銀行はまた、受け戻しながらも、与えた最後の一銭にいたるまで依然として国民の永遠の債権者であった。それは、しだいに国内の蓄蔵金庫の不可避的な貯蔵所になり、商業信用全体の重心になった。イギリスでは、魔女を火あぶりの刑にすることが廃止されたのと同じ時期に、銀行券の偽造者を絞首刑にすることが始まった。これらの銀行貴族、金融業者、金利生活者、仲買人、株式取引人、証券投機師などという連中が突然に出現したことが、当時の人々にどのような影響を与えたかは、その時代のいくつかの著書、たとえばボリンブルクの著書によって立証されている。

★ここでの鋳貨とは流通手段のことだろう

⑯本源的蓄積の隠れた源泉の一つ――国際的信用制度
国債と共に国際的信用制度が発生したが、それはしばしば、あれこれの国民のもとでの本源的蓄積の隠れた源泉の一つをなしている。たとえば、ヴェネツィアの強奪制度のさまざまの卑劣行為は、衰退していくヴェネツィアから多額の貨幣を借りてきたオランダにとっては、その資本的富のこのような隠れた基礎をなしている。同じような関係はオランダとイギリスとのあいだにもある。すでに一八世紀はじめに、オランダのマニュファクチュアははるかに追い越されて、オランダは支配的な商工業国ではなくなった。したがって一七〇一~一七七六年のオランダの主要事業の一つとなったものは、巨額の資本の貸し出し、ことに自分の強大な競争者であるイギリスへの貸し出しである。同様なことは、こんにちではイギリスと合衆国とのあいだでも妥当する。こんにち合衆国で出生証書なしに現れる多くの資本は、きのうイギリスでやっと資本化されたばかりの子供の血なのである。

⑰近代的租税制度とその構成部分である保護貿易制度
国債は、その年々の利子などの支払いに充当すべき国家の収入を支柱とするものであるから、近代的租税制度は国債制度の必然的な補足物になった。国債によって、政府はただちに納税者にそれと感じさせることなしに、臨時の費用を支出することができるのであるが、しかしその結果やはり増税が必要となる。他方、次々に契約される負債の累積によって引き起こされる増税のために、政府は新たな臨時支出をする時にはいつでも新たに起債することをよぎなくされる。したがって、生活最必需品に対する課税(したがってその騰貴)を回転軸とする近代的国家財政は、それ自身のうちに自動的累進の萌芽をはらんでいる。過重課税は偶発事ではなく、むしろ原則である。ここでわれわれに関係があるのは、この制度が賃労働者の状態におよぼす破壊的な影響よりも、むしろこの制度によって引き起こされる農民や手工業者の、要するに下層中産階級のすべての構成部分からの暴力的収奪である。この点については、ブルジョア経済学者のあいだにさえ意見の相違はまったくない。この制度の収奪的効果は、その制度の肝要な構成部分の一つである保護貿易制度によってさらに強められる。
 
⑱富の資本化と大衆の収奪――公債とそれに照応する財政制度
富の資本化と大衆の収奪において、公債やそれに照応する財政制度が果たす大きな役割は、コベット、ダブルデイ、その他のような多数の著者たちに、近代諸国民の窮乏の根本原因をここに求めるという誤りを犯させることになった。
 
⑲保護貿易制度――古い生産様式から近代的生産様式への移行を強制的に短縮するための人工的な手段
保護貿易制度は、製造業者を製造し、独立した労働者を収奪し、国民の生産手段および生活手段を資本化し、古い生産様式から近代的生産様式への移行を強制的に短縮するための人工的な手段であった。ヨーロッパ諸国はこの発明の特許を得ようと競い合い、そして、ひとたび貨殖家に奉仕するようになってからは、間接的には保護関税によって、直接的には輸出奨励金などによって、この目的達成のために自国民をしぼり取っただけではなかった。属領ではあらゆる産業が強制的に根こそぎにされた――たとえば、アイルランドの羊毛工業がイングランドに根こそぎにされたように。ヨーロッパ大陸ではコルベールの先例にならって、この過程はなお非常に単純化された。産業家の本源的資本の一部分はここでは国庫から直接に流れ出てくる。

★「独立した労働者」と生産手段を所有している小生産者のことであろう。

⑳大工業の誕生と児童誘拐
植民制度、国債、重税、保護貿易、商業戦争など、本来のマニュファクチュア時代のこれらの若芽は、大工業の幼年期中に巨大に繁茂する。大工業の誕生は大仕掛けなヘロデ的な児童誘拐によって祝われる。イギリス艦隊と同じように、工場も強制徴募によって新兵を補充する。

(21)資本蓄積の手段としてのあらゆる醜行
マニュファクチュア時代を通じて資本主義的生産が発展するにつれ、ヨーロッパの世論は羞恥心や良心の最後の残りかすまで失ってしまった。諸国民は、資本蓄積の手段としてのあらゆる醜行を恥知らずにも自慢した。たとえば、正直者のA・アンダースンの素朴な商業年代記を読まれたい。この書物では、イギリスがそれまではアフリカと英領西インドとのあいだだけで営んでいた黒人貿易を、今後はアフリカとスペイン領アメリカとのあいだでも営むことができる特権を、ユトレヒトの講和でアシエント協約によってスペイン人から無理取りしたことが、イギリスの国策の勝利として大げさに吹聴されている。イギリスは、一七四三年まで年々四八〇〇人の黒人をスペイン領アメリカに供給する権利を得た。これによって同時に、イギリスの密貿易を公的なものと見せかける仮面が与えられた。リヴァプールは奴隷貿易を基盤に大きく成長した。奴隷貿易はリヴァプールにおける本源的蓄積の方法である。そして、こんにちにいたるまでリヴァプールの「声望」は依然として奴隷貿易のピンダロスであり、この奴隷貿易は「商業的企業精神を情熱にまで高め、すばらしい海員を養成し、ばく大な貨幣をもたらす」と言われる。リヴァプールが奴隷貿易に使用した船は、一七三〇年には一五隻であったが、一七五一年には五三隻、一七六〇年には七四隻、一七七〇年には九六隻、一七九二年には一三二隻であった。
 
(22)イギリスの児童労働制と合衆国の奴隷制
綿工業はイギリスに児童労働制を導入したが、それは同時に、合衆国の従来の多かれ少なかれ家父長的であった奴隷経営を商業的搾取制度に転化させるための刺激をも与えた。一般に、ヨーロッパでの賃労働者の隠蔽された奴隷制は、その基台として、新世界での露骨な奴隷制を必要とした。

(23)資本は、血と汚物をしたたらせながらこの世に生まれてくる
資本主義的生産様式の「永遠の自然法則」に道を開き、労働者と労働諸条件との分離過程を完成し、一方の極では社会的な生産手段と生活手段とを資本に転化させ、反対の極では人民大衆を賃労働者に、近代史のこの芸術作品である自由な「労働貧民」に、転化させるには、こんな骨折りを必要としたのである。もしも貨幣が、オジエの言うように「ほおに最初から血のあざをつけてこの世に生まれてくる」のだとすれば、資本は、頭から爪先きまで毛穴という毛穴から血と汚物をしたたらせながらこの世に生まれてくるのである。
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by shihonron | 2010-12-21 23:30 | 学習会の報告


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