『資本論』を読む会の報告

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2011年 02月 08日

第213回  2月8日 第1章 貨幣資本の循環 第1節 その1

2月8日(火)に第213回の学習会を行いました。
「第1章 貨幣資本の循環 」の前文と「第1節 第一段階、G―W」についてレジュメに基づく報告を受け、第27段落までを検討しました。
以下はレジュメです。

第一篇 資本の諸変態とそれらの循環
  第一章 貨幣資本の循環
前文
①資本の循環過程は三つの段階を通って行なわれ、それらの段階は、第一巻の叙述によれば、次のような順序をなす。

②第一段階。資本家は、買い手として商品市場および労働市場に現われる。彼の貨幣は、商品に転換される。言い換えれば流通行為G―Wを経過する。

③第二段階。購買された商品の、資本家による生産的消費。彼は、資本主義的商品生産者として機能する。彼の資本は、生産過程を経過する。その結果は、それ〔結果としての商品〕の生産諸要素の価値よりも多くの価値をもつ商品である。

★購買された商品は、消費の対象でありすでに商品ではなくなっている。

④第三段階。資本家は、売り手として市場に帰ってくる。彼の商品は、貨幣に転換される。言い換えれば流通行為W―Gを経過する。
 
⑤したがって、貨幣資本の循環を表わす定式は、
G―W・・P・・W’―G’であり、この場合、点線は流通過程が中断されていることを示し、またW’およびG’は、剰余価値によって増殖したWおよびGを表わす。
 
⑥第一段階と第三段階とは、第一部では、第二段階、すなわち資本の生産過程を理解するのに必要な限りでのみ論究された。それ故、資本がその様々な段階で身につける――そして循環の繰り返し中であるいは身につけ、あるいは脱ぎ捨てる――様々な形態は、顧慮せずにおかれた。今や、これらの形態が当面の研究対象をなす。

⑦これらの形態を純粋に把握するためには、さしあたり、形態変換そのものおよび形態形成そのものとはなんのかかわりもないすべての契機が捨象されなければならない。それゆえ、ここでは、諸商品はそれらの価値通りに販売されるということばかりでなく、この販売が前と変わらぬ事情のもとで行なわれるということも仮定される。したがって、循環過程中に起こりうる価値変動も度外視される。

★形態変換は流通過程でのことであり、形態形成というのは生産過程でのことをいっているのではないか。

■《[循環の概念]ここで循環というのは、ある点から出発して、一連の過程を経たのちに、最初の出発点に戻ることである。すなわち出発点が復帰点になるのである。
(大谷禎之介『図解社会経済学』245頁)
■《[資本の3形態:貨幣資本(G)→生産資本(P)→商品資本(W)]資本の循環のなかで資本が、貨幣、生産要素、商品というそれぞれの形態をとっているとき、資本はそれぞれ、貨幣資本、生産資本、商品資本と呼ばれる。》(大谷禎之介『図解社会経済学』245頁)

 第一節 第一段階、G―W

★W<A Pm について、は本来はAとPmが縦に並んで表記されるべきですが、技術上の理由でW<A Pm と表記しています。

①一般的商品流通のこの過程を、同時に一つの個別資本の自立的循環の中の機能的に規定された一部分にするものは、さしあたり、この過程の形態ではなく、それの素材的内実であり、貨幣と席を換える諸商品の独自な使用の性格である。これらの商品は、一方では生産諸手段、他方では労働力であり、商品生産の物的要因および人的要因であって、これらの要因の特殊な性質は、もちろん、生産されるべき物品の種類に照応しなければならない。労働力をAとし、生産諸手段をPmとすれば、購買されるべき商品総額WはA+Pmであり、もっとかんたんにあらわせばW<A Pmである。したがって、G―Wは、その内容から考察すれば、G―W<A Pmとして現われる。すなわち、G―Wは、G―AとG―Pmとに分かれる。貨幣総額Gは二つの部分に分裂して、そのうちの一方は労働力を購買し、他方は生産諸手段を購買する。この二系列の購買は、まったく異なる市場に所属する――一方は本来の商品市場に、他方は労働市場に。

■《資本の循環運動をG―W・・P・・W’―G’と書き表したときには、商品(W)が2度、WおよびW’として現れるが、この資本にとっては前者のWは、実現されるべき(貨幣に転化されるべき)商品ではなくて、生産過程にはいるべき生産要素であり、循環の観点から見れば、生産過程で生産要素として機能する生産資本Pと一致する。だからG―WのWは資本の循環における独自の形態ではない。このように、G―WのWは、循環の観点から見れば、生産資本Pと一致するので、このWを出発点=復帰点とする循環形態は意味を持たない。だからG―W・・P・・W’―G’は循環形態としてはG―(W=)P…W’―G’であり、P…W’―G’―W…Pは循環形態としてはP…W’―G’―(W=)…Pにほかならない》(大谷禎之介『図解社会経済学』247頁)

②ところがG―W<A Pmは、Gが転換される商品総額のこの質的分割の他に、もう一つのきわめて特徴的な量的関係を表わす。
 
③われわれが知っているように、労働力の価値または価格は、労働力を商品として売りに出すその保有者に、労賃の形態で、すなわち剰余労働を含むある労働総量の価格として、支払われる。その結果、たとえば労働力の日価値=五時間労働の生産物にあたる三マルクであるならば、この金額は、買い手と売り手との契約では、たとえば一〇時間労働に対する価格または賃銀として現われる。もしこのような契約がたとえば五〇人の労働者と結ばれたとすれば、彼らは、合計して一日のあいだに五〇〇労働時間を買い手に提供しなければならないのであり、そのうちの半分である二五〇労働時間=一〇時間労働二五日分は、剰余労働だけからなる。購買されるべき生産諸手段の分量も規模も、この労働総量を使用するのに十分なものでなければならない。
 
④したがって、G―W<A Pmは、一定の貨幣額たとえば四二二ポンド・スターリングが、互いに照応し合う生産諸手段と労働力とに転換されるという質的関係を表わすだけでなく、労働力Aに投下される貨幣部分と生産諸手段Pmに投下される貨幣部分との一つの量的関係―― 一定数の労働者によって支出されるべき余分な剰余労働の総量によってはじめから規定されている関係――をも表わす。

★③では、《購買されるべき生産諸手段の分量も規模も、この労働総量を使用するのに十分なものでなければならない。》と述べられていたが、④では《一定数の労働者によって支出されるべき余分な剰余労働の総量》によって規定されると述べられている。剰余労働の総量が剰余労働を含む労働総量を規定すると言うことだろうか。言い換えれば、一定量である必要労働時間は与えられており、増減しうる(可変量である)剰余労働時間によって総労働時間(労働総量)が決まるということか。
 
⑤したがって、たとえばある紡績工場において五〇人の労働者の週賃銀が五〇ポンド・スターリングである場合には、三七二ポンド・スターリング〔四二二ポンド・スターリングのうち〕―― 一五〇〇時間の剰余労働を含む三〇〇〇時間の週労働〔一日一〇時間労働、五〇人の六日の労働時間〕が糸に転化する生産諸手段の価値がこの金額であるとすれば――が生産諸手段に支出されなければならない。

★422のG→372のPmと50のA
 
⑥様々な産業部門で追加労働の使用がどの程度まで生産諸手段の形での価値追加を必要とするかは、ここではまったくどうでもよい。問題なのは、生産諸手段に支出される貨幣部分――G―Pmで購買される生産諸手段――はどのような事情のもとでも十分でなければならないということ、すなわち、はじめからそのことを計算に入れて、照応する比率で調達されていなければならないということだけである。言い換えれば、生産諸手段の総量は、この労働総量を吸収するのに――この労働総量によって生産物に転化されるのに――十分でなければならない。もし生産諸手段が十分に現存しなければ、買い手が自由に利用できる超過の労働は使用され得ないであろう。この労働に対する彼の自由処分権はなんにもならないであろう。もし自由に利用できる労働よりも多くの生産諸手段が現存するならば、それらは労働を十分には供給されないことになり、生産物には転化されないであろう。

■【十分】
[名](スル)(十分)10に等分すること。「―の一」「利益を―して配る」
[形動]満ち足りて不足のないさま。充実して完全であるさま。「―な休養」「―に整う」
[副]1 思い残すところのないさま。思うまま。「―楽しむ」「―注意する」
2 必要なだけ、またはそれ以上あるさま。「まだ―使える」「隣町まで五キロは―ある」

★「十分」な生産手段の量は、労働総量に見合った「満ちたりて不足ない」生産手段の量という意味だろう。
 
⑦G―W<A Pmが完了すれば、買い手は、直ちに、ある有用な物品の生産に必要な生産諸手段と労働力とを自由に利用できるだけではない。彼は、労働力の価値の補填に必要であるよりも大きい労働力の流動体――すなわち、より大きい分量の労働――を自由に利用できると同時に、この労働総量の具現または対象化に要する生産諸手段を自由に利用できる。すなわち、彼が貨幣形態で前貸しした価値は、今や、それが剰余価値(諸商品の姿態での)を含む価値として具現されうる現物形態をとっている。言い換えれば、その価値は、価値および剰余価値を創造するものとして機能する能力をもつ生産資本という状態または形態にある。この形態にある資本をPと呼ぶことにしよう。
 
⑧ところで、Pの価値は、A+Pmの価値に等しく、AとPmとに転換されたGに等しい。Gは、Pと同じ資本価値であり、異なる存在様式をとっているだけである。すなわち、貨幣状態または貨幣形態にある資本価値――貨幣資本である。

★・生産資本P 剰余価値(諸商品の姿態での)を含む価値として具現されうる現物形態
        価値および剰余価値を創造するものとして機能する能力をもつ状態(形態)
          資本家のものとなっているAとPm

 ・貨幣資本G 生産資本Pと同じ資本価値であり、貨幣状態(形態)にある資本価値
 
⑨それゆえ、G―W<A Pm、または、その一般的形態から見ればG―W、諸商品の購買の総和、一般的商品流通のこの過程は、同時に、資本の自立的循環過程の中の段階としては、貨幣形態から生産的形態への資本価値の転化であり、もっと簡単に言えば、貨幣資本の生産資本への転化である。したがって、ここでまず第一に考察される循環の図式では、貨幣は、資本価値の最初の担い手として現われ、それゆえ、貨幣資本は、資本の前貸しされる形態として現われる。

★「前貸し」とは、手元に帰ってくることを前提に手放すこと。寒流を前提にした引き渡し。
 
⑩貨幣資本としては、資本は、貨幣諸機能、いまの場合には一般的購買手段と一般的支払手段との機能を果たしうる状態にある。(労働力は、確かにまずもって買われはするが、しかしそれが機能し終わった後にはじめて支払われる限りでは、〔貨幣は〕支払手段。生産諸手段が既成のものとして市場に現存するのではなく、これから注文しなければならない限りでは、貨幣はG―Pmの場合にもやはり支払手段として機能する。)この能力は、貨幣資本が資本であることから生じるのではなく、貨幣資本が貨幣であることから生じる。

★《生産諸手段が既成のものとして市場に現存するのではなく、これから注文しなければならない限りでは、貨幣はG―Pmの場合にもやはり支払手段として機能する。》と書かれているが、ここでの支払いはどういう意味なのか? 注文の際には商品を受け取った後に支払いをするということなのか、それとも注文する際には先払いをするが、それも商品の譲渡とその価格の実現が分離しているということから支払い手段と呼んでいるのだろうか。

■購買手段
《貨幣の通流は、同じ過程の不断の単調な反復を示す。商品はつねに売り手の側にあり、貨幣はつねに購買手段として買い手の側にある。貨幣は、商品の価格を実現することによって、購買手段として機能する。貨幣は、商品の価格を実現することによって、商品を売り手の手から買い手の手に移し、他方、同時に、自分は買い手の手から遠ざかって売り手の手に移り、別の商品についてまた同じ過程を繰り返す。》 (『資本論』第1部 第1編 第3章 第2節 流通手段 b 貨幣の通流 第2段落)
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by shihonron | 2011-02-08 23:30 | 学習会の報告


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