『資本論』を読む会の報告

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2011年 06月 21日

第227回 6月21日 第5章 流通期間 第6章 流通費

6月21日(火)に第227回の学習会を行いました。
「第5章 流通期間」の第1段落から最後(第12段落)までと「第6章 流通費 第1節 純粋な流通時間」の第1節についてレジュメに基づく報告を受け検討しました。

以下はレジュメです。

       第五章 流通期間                 
①生産部面と流通部面の二つの段階を通る資本の運動は,時間的な順序をなして行なわれる。資本 がその循環を描く総期間は,生産期間と流通期間との合計に等しい。

②生産期間は労働過程の期間を包括している。
・不変資本の一部分(機械や建物などのような労働手段)は,寿命の尽きるまで,絶えず繰り返され る同じ労働過程で役立っている。
・労働過程の周期的な中断,たとえば夜間の中断は,労働手段の機能を中断するが,生産場所に留ま っていることを中断しない。これらの労働手段は,機能していないときにも生産場所にある。
・生産過程が予定の規模で進行するためには,資本家は原料や補助材料の一定の在庫を準備してお かなければならない。原料などの在庫は,だんだんに生産的に消費されて行く。
・生産期間とその機能期間とに差----生産手段の生産期間は以下を包括している。
(一) 生産手段として機能している期間,つまり生産過程で役立っている期間
(二) 生産過程が中断(生産手段の機能も中断)されている中休み期間----夜間など
(三) 生産手段が過程の条件として準備されている(まだ生産過程に入ってはいない)期間

③以上で考察した差は,生産資本が生産部面に留まっている期間と生産過程に留まっている期間と の差である。
・生産過程そのものが,労働過程(労働期間)の,中断を必要条件とすることがある。労働対象が自 然的過程の作用にまかされてある中間期間。この場合には,生産過程は,したがって生産手段の機 能は,続いている。たとえば,穀物,ぶどう酒,皮なめし業などの労働材料。この場合には生産期間 は労働期間よりも長い。
・二つの期間の差は,労働期間を越える生産期間の超過分である。この超過分は,労働過程にあるこ となしに生産過程で機能するということに,基づいている。

④潜在的な生産資本のうちで,ただ生産過程の条件として準備されている部分(紡績業での綿花や 石炭など)は,遊休資本である。その遊休は生産過程が中断されないための一条件をなす。
・生産用在庫(潜在的資本) の貯蔵場所として役立つために必要な建物や装置などは生産過程の条 件であり,前貸生産資本の成分をなす。この段階で労働過程が必要な限りでは,この労働過程は原 料などの価格を高くする,生産的労働であって,剰余価値を形成する。
・生産過程全体の正常な中断,すなわち生産資本が機能していない中休み期間は,価値も剰余価値も 生産しない。だから,夜間も作業させようとする。労働期間の中休み期間は,価値も剰余価値も形 成しない。しかし,それは,生産物を助成し,生産物の生涯の一部分をなし,生産物が通らなければ ならない一つの過程をなす。
・種々の装置などの価値は,それらが機能する全時間に比例して生産物に移転。このような部分は 生産物には入らなくてもその価値を生産物に移す。
・潜在的な資本の他方の部分,たとえば建物や機械などの労働手段は,生産物形成に加わることなし に価値をつけ加える。この部分が生産物につけ加える総価値は,その平均耐用期間によって規定 される。この部分が価値を失うのは,使用価値を失うからであって,それが最後に機能している時 間でも機能していない時間でもそうである。

⑤労働過程が中断されても引き続き生産過程にある不変資本部分の価値は,生産過程の結果のうち に再現する。この場合には,生産手段は,労働そのものによって,それが独りでにある種の自然過 程を通るような諸条件のもとに置かれている。労働は,生産手段を現実に合目的的に生産手段と して消費する限り,常に生産手段の価値を生産物に移す。労働が連続的に労働手段を用いて労働 対象に働きかけるか,労働はただ最初の刺激を与えるだけで,自然過程の結果として所期の変化を 受けるような諸条件のもとに生産手段を置くだけでよいかに変わりはない。

⑥生産期間が労働期間を越える原因がなんであろうと(1.生産手段が潜在的な生産資本になってい るだけで現実の生産過程への前段階にあるから 2.生産過程の中でその中休みによって生産手段 自身の機能が中断されるから 3.生産過程そのものが労働過程の中断を必要条件とするから)生 産手段は労働吸収者として機能してはいない。労働を吸収しなければ,剰余労働も吸収しない。
・生産資本がその生産期間のうちの労働期間を越える部分にあるあいだは,たとえ価値増殖過程の 遂行がその中休みとどんなに不可分であろうと,生産資本の価値増殖は行なわれない。
・生産期間と労働期間とが一致していればいるほど,与えられた期間の中での与えられた生産資本 の生産性と価値増殖はそれだけ大きい。だから,資本主義的生産では労働期間を越える生産期間 の超過をできるだけ短縮しようとする傾向がある。
・生産期間は労働期間を含んでおり,その超過は,生産過程の条件である。生産期間は,資本が潜在 的である期間とか自己増殖することなしに生産する期間とかが含まれているとしても,資本が使 用価値を生産しながら自分自身を価値増殖し,生産資本として機能している期間である。

⑦流通部面の中では資本は商品資本および貨幣資本として住んでいる。資本の二つの流通過程---- 商品形態から貨幣形態に転化,貨幣形態から商品形態に転化。
・商品の貨幣への転化が,同時に剰余価値の実現でもあるという事情,また,貨幣の商品への転化が, 同時に,資本価値の自分の生産要素の姿への転化または再転化でもあるという事情は,これらの過 程が流通過程としては単純な商品変態の過程であるということを,少しも変えない。

⑧流通期間と生産期間とは互いに排除し合う。資本はその流通期間には生産資本としては機能せず, 商品も剰余価値も生産しない。資本の流通期間が続いている間は生産過程は中断されており,資 本の自己増殖も中断されている,また,流通期間の長さに応じて生産過程の更新が速くなったり遅 くなったりする。流通期間の膨張と収縮は,生産期間の,または与えられた大きさの資本が生産資 本として機能する範囲の,収縮や膨張に対して,消極的な制限として働く。
・資本の流通期間がゼロに近くなればなるほど,それだけ多く資本は機能し,それだけ資本の生産性 と自己増殖とは大きくなる。たとえば,注文に応じて作業し,生産物の引渡しと同時に支払を受け, 支払が彼自身の生産手段でなされるとすれば,流通期間はゼロに近くなる。

⑨資本の流通期間は一般に資本の生産期間を制限し,したがって資本の価値増殖過程を制限する。 しかも,それを流通期間の長さに比例して制限する。この長さは非常に違った程度で増減するこ とがありえ,したがって非常に違った程度で資本の生産期間を制限することがありうる。
・しかし,経済学の見るものは,現象として現われるもの,すなわち,流通期間が資本の価値増殖過程 一般に及ぼす影響である。経済学はこの消極的な影響を,その結果が積極的だという理由から,積 極的なものと考える。経済学がますますこのような外観に執着するのは,それが次のことの証明 を与えるように見えるからである。すなわち,資本は自己増殖の神秘的な源泉をもっていて,この 源泉は資本の生産過程にはかかわりなしに,したがって労働の搾取にはかかわりなしに,流通部面 から資本のもとに流れてくるものだ,ということの証明を与えるように見えるからである。この 外観には科学的な経済学でさえもだまされるということは,もっと後で見るであろう。
・この外観は,次のような色々な現象によって強固にされる。
(一) 資本家的な利潤計算の仕方。そこでは消極的な原因が積極的な原因として現われる。という のは,流通期間だけが違う色々な投下部面にある色々な資本にとっては,より長い流通期間は,価 格引き上げの原因として,要するに利潤の平均化の諸原因の一つとして,働くから。
(二) 流通期間は回転期間の一つの契機であるにすぎない。ところが,回転期間は生産期間または 再生産期間を含んでいる。生産期間のせいであることが,流通期間のせいであるように見える。
(三) 可変資本(労賃) への諸商品の転換は,前もって諸商品が貨幣に転化していることを必要条 件とする。だから,資本の蓄積に際しては追加可変資本への転化は,流通部面で,または流通期間 中に,行なわれるのである。それゆえ,このようにして行なわれる蓄積は流通期間のおかげである かのように見える。
⑩流通部面の中では資本は(順序に違いはあっても)二つの段階W-GとG-Wとを通る。資本の 流通期間も二つの部分に分かれる。
・W-G,売りは,資本の変態の最も困難な部分であり,普通の事情のもとでは,流通期間のうちの大 きいほうの部分をなす。貨幣としては,価値は,いつでも転換可能な形態にある。商品としては, 価値はまず第一に貨幣への転化によってこの直接的交換可能性の姿を,いつでも出動可能な活動 性の姿を,受け取らなければならない。
・G-Wの段階----生産資本の特定の諸要素をなしている諸商品に資本が転化すること。時には, 生産手段が市場にはないとか,遠方の市場から取り寄せる必要があるとか,平常通りの供給が行な われないとか,価格の変動などが起きるとか,多くの事情がある。
・W-GとG-Wとは,時間的に分離されうるように,場所的にも分離されうる。すなわち,購買市 場と販売市場とが場所的に別々の市場であることがある。
・商品生産では,流通は生産そのものと同様に必要であり,流通担当者も生産担当者と同様に必要で ある。再生産過程は資本の二つの機能を含んでいる(資本家自身によって行なわれるにせよ,そ の代理者としての賃金労働者によって行なわれるにせよ)。
・しかし,このことは,流通当事者と生産当事者とを混同する理由にもならないし,商品資本や貨幣 資本の機能を生産資本の機能と混同する理由にもならない。
・流通当事者は生産当事者から支払を受けなければならない。しかし,互いに販売し合う資本家た ちが,この売買行為によっては生産物も価値もつくり出さないとすれば,このことは,彼らの事業 の規模がこの機能の他人への転化を可能にし必要にする場合にも,変わらない。多くの事業では, 購買者や販売者が利潤の配当で支払を受ける。消費者が支払いうるのは,ただ,彼ら自身が生産の 当事者として商品での等価を生産する場合か,または権利(生産当事者の共同出資者などとして)  とか自身の勤労とかによって生産当事者からこのような等価を取得する場合だけである。

⑪W-GとG-Wとのあいだには,生産の資本主義的な性格から生ずる一つの相違がある。それ自 体としては,W-GもG-Wも,価値の形態変換。しかし,W'-G'は,同時に,W'に含まれている 剰余価値の実現でもある。G-Wはそうではない。だから,売りは買いよりも重要である。G- Wは,剰余価値の生産への序論。

⑫商品資本の流通W'-G'については,使用価値としての商品の存在によって,一定の限界。商品は, もともと滅びるものである。商品は,売れなければ,だめになってその使用価値と一緒に,交換価 値の担い手だという性質も失う。
・使用価値が,長年にわたって自分を増殖する資本価値の担い手であるのは,ただ,それが絶えず更 新され再生産されて同種または他種の新しい使用価値と取り替えられる限りでのこと。
・使用価値が商品形態で売られるということ,この売りを通じて生産的または個人的消費に入ると いうことは,その再生産のための絶えず更新される条件である。使用価値は,一定の時間のうちに その古い使用形態を取り替えて,新しい使用形態で存在を続けなければならない。交換価値は,た だこのようなその肉体の不断の更新によってのみ維持される。
・色々な商品の使用価値は,急速にまたは徐々に腐朽する⇒生産と消費とのあいだの中間期間は, より長いこともより短いこともありうる。色々な商品の使用価値は,損傷せずに長かれ短かれ流 通局面W-Gで商品資本として長持ちする(商品として耐え抜く)。
・商品体そのものの損傷による商品資本の流通期間の限界は,商品資本が商品資本として過ごすこ とのできる流通期間の,絶対的な限界である。商品が傷みやすいものであり,すぐ売らなければな らないものであればあるほど,その空間的流通部面は狭く,その販売市場は局地的になる。
・商品が傷みやすくて,流通期間の絶対的な制限が大きいほど,資本主義的生産の対象としては適 当でない。このような商品は,人口の多い地方,または運輸期間の発達によって,資本主義的生産 の対象になる。
・ある物品の生産が少数の手に,また人口の多い地方に集中すれば,相対的に大きな市場がつくり出 される。たとえば,大規模なビール醸造場とか酪農場などの生産物の場合。


  第六章 流通費                
第一節 純粋な流通費
           一 売買期間(時間)

①商品から貨幣への,貨幣から商品への,資本の形態転化は,同時に資本家の取引・売買行為。資本 のこの形態転化が行なわれる期間は,主観的(資本家の立場から)には,販売期間と購買期間,す なわち彼が市場で売り手または買い手として機能する期間である。
・資本の流通期間が資本の再生産期間の必要な一部分をなすと同様に,資本家が売買し市場を歩き 回る期間は,彼が資本家として,すなわち人格化された資本として機能する期間の必要な一部分を なす。それは彼の営業期間の一部分をなす。

②{諸商品の価値通りの売買を仮定⇒これらの過程で行なわれるのは,商品形態から貨幣形態へ の,また貨幣形態から商品形態への,同じ価値の変換----一つの状態変化だけ。価値の大きさは, 買い手の手にあっても売り手の手にあっても変わらない。ただその存在形態が変わっている。商 品がその価値通りに売られないとしても,転換される諸価値の総額は元通りで変わらない。一方 の側でのプラスは他方の側でのマイナス。

③変態W-GとG-Wは,買い手と売り手とのあいだの取引である。ここでは互いに相手よりもた くさん儲けようとする戦いが行なわれる。状態の変化には時間と労働力とが必要であるが,価値 を創造するためにではなく,価値の形態転換を引き起こすために必要。この機会に余分な価値量 を取得しようとするお互いどうしの試みは,事態をなにも変えない。
・総体としての資本主義的生産過程(これは流通をも包含し,また流通によって包含される)の必 要な一契機であるこの労働は,熱の発生のために用いられる物質の燃焼労働のようなもの。これ にはエネルギー支出が必要だが,これは熱に転化するのではなくて熱から差し引かれる。商品所 持者が資本家でなくて独立の直接的生産者ならば,売買に費やされる時間は彼らの労働時間から の控除であり,彼らは(古代でも中世でも) このような仕事を休日まで延ばそうとした。

④商品売買が資本家たちの手中でどのような広がりをもとうとも,ただ価値の形態変換を媒介する だけの労働(産業資本家たちから支払を受ける第三者の専業にすることによっても)を,価値を 創造する労働に転化させることはできない。地主の地代徴収人や銀行の小使の例。}第8稿

⑤資本家にとっては,売買が一つの主要な機能。商人資本の機能によって一つの幻想が入ってくる。 だが,不生産的であっても再生産の必然的な一契機である機能が,少数の人々の特殊な営業にされ ても,この機能そのものの性格は変わらない。商人は多くの生産者の売買期間を短縮する。彼は, 無駄なエネルギー支出を減少させ生産時間の解放を助ける一機械とみなされる。

⑥簡単化ために,売買担当者は自分の労働を売る人だと仮定。彼は自分の労働力と労働時間とをこ のW-GとG-Wという仕事に支出する。彼はこの仕事によって生きて行く(他の人がたとえば 紡績や丸薬製造によって生きて行くのと同様)。彼も一つの必要な機能を行なう。再生産過程そ のものが不生産的な諸機能を含んでいるからである。彼も他の人と同じに労働するのであるが, 彼の労働の内容は価値も生産物もつくり出さない。
・彼自身が生産上の空費〔faux frais〕に属する。彼の有用さは,社会の労働力と労働時間とのう ち,不生産的な機能に拘束される部分が減少することにある。
・彼は,ただの賃金労働者だと仮定。彼は,賃金労働者として彼は彼の時間の一部分は無償で労働す る。彼が行なう剰余労働が価値を生産しないことは,彼の必要労働と同様である。第一に,社会的 に見れば,相変わらず一つの労働力が10時間のあいだこの単なる流通機能に消費される。この労 働力を生産的労働のために使うことはできない。第二に,2時間の剰余労働,社会はそれには支払 わない。社会は余分の生産物や価値は何も受け取らない。しかし,彼が代表している流通費は,10

 時間から8時間に,1/5だけ減少する。この現実の流通期間の1/5には,社会はなんの等価も支払わ ない。ところが,資本家がこの担当者を使用するとすれば,この2時間の不払によって,彼の資本の 流通費,すなわち彼の収入からの控除になる流通費は,減少する。これは積極的な利得である。彼 の資本の価値増殖に対する消極的な制限が小さくなるから。
・独立な商品生産者たちが自分の時間を売買に費やす限りでは,この部分は,彼らの生産的機能の合 間に費やされる時間として現われるか,または彼らの生産期間の中断として現われる。

⑦どんな事情のもとでも,このために費やされる時間は,転換される価値には何もつけ加えない流通 費である。それは,価値を商品形態から貨幣形態に移すために必要な費用である。資本家的商品 生産者が流通担当者として現われる限りでは,彼を直接的商品生産者から区別するものは,ただ, 彼がより大きな規模で売買し,したがってまたより広い範囲で流通担当者として機能するという ことだけ。しかし,彼の事業の大きさが,彼が自分の流通担当者を賃金労働者として買う(雇う)  ことを必要にするか可能にするかしても,この現象には事実上変わりはない。
・労働力と労働時間とはある程度までは流通過程(単なる形態転化である限りでの) で支出されな ければならない。それは追加的資本投下として現われる。可変資本の一部分は,このただ流通で 機能するだけの労働力を買うことに投ぜられなければならない。この資本前貸は生産物も価値も つくり出さない。それは,前貸資本が生産的に機能する範囲をそれだけ小さくする。
・それは,生産物の一部分が生産物を売買する機械に転化させられたようなもの。この機械は生産 物からの控除を必要にする。それは,流通で支出される労働力などを減らすことができるとはい え,生産過程で一緒に働くのではない。それはただ流通費の一部分をなす。

二 簿記
①現実の売買での他に労働時間は簿記にも支出され,この簿記にはまたそのほかに対象化された労 働,すなわちペンやインクや紙や机や事務所費が入る。つまり,この機能には一方では労働力が支 出され,他方では労働手段が支出される。この場合も事情は売買期間の場合とまったく同じ。

②資本は,その諸循環の中での統一体(過程を進行している価値)としては,生産部面の中にあろう と,流通部面の二つの段階の中にあろうと,ただ観念的に計算貨幣の姿で商品生産者または資本家 的商品生産者の頭の中に存在する。
・この運動は,価格決定や商品価格の計算をも含む簿記によって,確定され調整される。生産の運動, 価値増殖の運動(そこでは諸商品は,価値の担い手として,その観念的な価値存在を計算貨幣で確 定されている諸物の名称として,現われる)は,観念の中で象徴的な模写を与えられる。
・このような労働時間や労働手段は必要ではあるが,彼が生産的に消費しうる時間からの,現実の 生産過程で機能して生産物形成と価値形成に加わる労働手段からの控除をなす。
・この機能が資本家的商品生産者の手に集中され,この機能の規模が拡大されても,また,この機能 を付属物としていた生産的な諸機能からこの機能が分離されて,特別な担当者の機能として独立 化されても,この機能そのものの性質は変わらない。

③もしその機能がそれ自体として生産物を形成し価値を形成するものでないならば,機能の独立化 によっても,変わりはない。
・ある資本家が資本を新たに投下するとすれば,一部分を簿記係や簿記用品に投じなければならな い。彼の資本がすで再生産過程にあるならば,彼は商品生産物の一部分を,貨幣への転化を通じて, 絶えず簿記係や事務員などに再転化させなければならない。資本のこの部分は,生産過程から引 き上げられて,総収益からの控除たる流通費に属する。

④とはいえ,一方の簿記に伴う費用または労働時間の不生産的な支出と,他方の単なる売買期間の費 用とのあいだには,ある種の区別がある。後者は,ただ,生産過程の一定の社会的形態(商品の生 産過程)から,生ずるだけである。
・簿記は,過程の調整や観念的な総括としては,過程が社会的な規模で行なわれて純粋に個人的な性 格を失ってくればくるほど,ますます必要になる。したがって,資本主義的生産では手工業経営や 農民経営の分散的な生産でよりももっと必要になり,共同体的生産では資本主義的生産でよりも もっと必要になる。しかし,簿記の費用は,生産の集積につれて,また簿記が社会的な簿記に転化 すればするほど,減ってくる。
⑤ここで問題にするのは,単なる形態的な変態から生ずる流通費の一般的な性格だけ。価値の純粋 な形態転化に属し,生産過程の一定の社会的形態から生ずる[この費用の]諸形態が,巨額な流通 費として人目を驚かすことになる⇒単なる貨幣収支が銀行や個別事業の会計係の専有機能とし て独立化され大規模に集中。

三 貨幣
①商品として生産されるか否かを問わず,生産物は個人的または生産的消費にはいるように予定さ れている,富の素材的な姿であり,使用価値である。商品としては生産物の価値は観念的に価格 (これは生産物の現実の使用姿態をなんら変化させない)として存在している。
・金銀というような特定の諸商品が貨幣として機能していて,もっぱら流通過程にとどまっている (蓄蔵貨幣や準備金などとしても,金銀は,潜在的に流通部面に留まっている) ということは,商 品の生産過程の,生産過程の一定の社会的形態の純粋な産物である。
・資本主義的生産の基礎の上では,商品が生産物の一般的な姿になり,社会的富のうちの商品として 機能する部分が,絶えず増大するのだから,流通手段や支払手段や準備金などとして機能する金 銀の量もまた増加する。
・貨幣として機能する商品は,個人的消費にも生産的消費にも入らない。貨幣は,社会的労働が単な る流通機械として役立つような形態に固定されたもの。社会的な富の一部分がこの不生産的な形 態に拘束されているということの他に,貨幣の摩滅は,その不断の補塡を必要とする。この補塡の 費用は,資本主義的に発達した諸国では大きい
・金銀は,貨幣商品としては,ただ生産の社会的形態に起因する流通費をなしている。それは商品生 産一般の空費であって,この空費は商品生産の,また特に資本主義的生産の,発展につれて増大す る。それは,社会的な富のうちの流通過程に捧げられなければならない一部分である。
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by shihonron | 2011-06-21 23:00 | 学習会の報告


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