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『資本論』を読む会の報告

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2011年 09月 20日

第237回 9月20日 第11章 固定資本と流動資本とに関する諸学説 リカード

9月20日(火)に第237回の学習会を行いました。
「第11章 固定資本と流動資本とに関する諸学説 リカード」の第20段落から第26段落までについてレジュメに基づく報告を受け検討しました。

以下はレジュメです。

(20)これに反して、流動資本という第二次的な、そして労働力に投ぜられた資本部分と不変資本の一部分(原料と補助材料)とに共通な規定が、――すなわち、流動資本に投ぜられた価値はこの資本の消費によって生産された生産物に全部移されてしまい、固定資本の場合のようにだんだん少しずつ移されて行くのではないということ、したがってまた生産物の販売によって全部補填されなければならないということが――、労働力に投ぜられた資本部分の本質的な規定とされるならば、労賃に投ぜられた資本部分も、素材的には、活動しつつある労働力から成っているのではなく、労働者が自分の賃金で買う素材的な要素から、つまり社会的商品資本のうち労働者の消費に入る部分から――生活手段から――成っているということに成らざるを得ない。そうすれば、固定資本は、より遅く消耗ししたがってより遅く補填される労働手段から成っており、労働力に投ぜられた資本は、より速く補填される生活手段から成っているということになる。
 
(21)とはいえ、消耗がより速いかより遅いかの限界は消えてしまう。
 「労働者が消費する食料や衣服、彼がその中で作業する建物、彼の労働を助ける道具、これらはすべて損耗する性質のものである。しかし、これらの種々の資本がもちこたえる時間には大きな差がある。蒸気機関は船よりも長持ちし、船は労働者の衣服よりも、さらに労働者の衣服は彼が消費する食糧よりも長持ちがする(27)。」
(27) リカード『経済学原理』、二六ページ。〔岩波文庫版、上、三三ページ。〕

 
(22)ここでリカードが忘れているのは、労働者の住むいえ、彼の家具、ナイフやフォークや容器などのような彼の消費用器具のことであり、これらのものはすべて労働手段と同じ耐久性をもっているということである。同じ物、同じ種類の物が、こちらでは消費手段として現われ、あちらでは労働手段として現われる。
 
(23)区別は、リカードの言うところでは、次のようである。
 「資本が急速に損耗するものであって、頻繁に再生産されなければならないか、それともゆっくり消費されるものであるかにしたがって、それは流動資本の項か固定資本の項かに分類される(28)。」
(28) 同前。〔岩波文庫版、上、三五ページ。〕

(24)彼はこれに次のような注をつけている。
 「これは本質的でない区分であって、そこでは正確に境界線を引くことはできない(29)。」
(29) 同前。〔岩波文庫版、上、三四ページ。〕

 
(25)こうして、われわれはどうやら再び重農学派のもとにたどりついた。すなわち、この学派では年前貸と原前貸との区別は、充用資本の消費期間における区別、したがってまたその色々な再生産期間における区別だったのである。ただ、重農学派では社会的生産にとって重要な現象を表わしていて経済表の中でも流通過程との関連の中で示されているものが、ここでは主観的な、そしてリカード自身が言っているところではよけいな、区別になるだけである。
 
(26)労働に投ぜられた資本部分が、ただその再生産周期、したがってまたその流通期間によってのみ、労働手段に投ぜられた資本部分と区別されるならば、すなわち、一方の部分は生活手段から成っており、他方の部分は労働手段から成っていて、前者はただ消耗がより速いということだけによって後者から区別され、しかも前者そのものがまたいろいろに違う消耗度をもっているとすれば、――もちろん、労働力に投ぜられた資本と生産手段に投ぜられた資本とのすべての種差は消えてなくなるのである。
 

by shihonron | 2011-09-20 23:30 | 学習会の報告


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