『資本論』を読む会の報告

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2006年 03月 28日

第12回  3月14日 A 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態  

 3月14日(火)に『資本論』を読む会@所沢 第2期 第12回の学習会を行いました。「第1章商品 第3節 価値形態または交換価値 2 相対的価値形態 a 相対的価値形態の量的規定性」の第1段落から最後(第8段落)までと「3 等価形態」の第1段落から第6段落までを輪読、検討しました。

■内容要約と議論

第3節 価値形態または交換価値 
A 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態 
2 相対的価値形態 a 相対的価値形態の量的規定性


第1段落
・その価値が表現されるべき商品は、それぞれ与えられた量の使用価値である。この与えられた商品量は一定量の使用価値を含んでいる。だから、価値形態は、ただ価値一般だけではなく、量的に規定された価値すなわち価値量をも表現しなければならない。
・それゆえ、商品Aの商品Bにたいする価値関係、リンネルの上着にたいする価値関係のなかでは、上着という商品種類がただ価値体一般としてリンネルに等置されるだけではなく、一定量のリンネル、たとえば20エレのリンネルに、一定量の価値体または等価物、たとえば1着の上着が等置されるのである。

第2段落
・「20エレのリンネル=1着の上着」という等式は、1着の上着に20エレのリンネル子に含まれているのとちょうど同じ量の価値実体が含まれているということ、したがつて等量の労働が費やされているということを前提する。しかし、20エレのリンネルまたは1着の上着の生産に必要な労働時間は、織布または裁縫の生産力の変動につれて変動する。そこで次にはこのような変動が価値量の相対的表現に及ぼす影響をもっと詳しく研究しなければならない。

●価値実体とは労働(抽象的人間的労働)のこと。価値量は、その商品の生産に社会に必要な労働の量によって規定される。

第3段落
Ⅰ リンネルの価値は変動するが、上着の価値は不変だという場合。
  ・リンネルの価値が2倍になると 20エレのリンネル=2着の上着
  ・リンネルの価値が半分になると 20エレのリンネル=1/2着の上着

・商品Aの相対的価値、すなわち商品Bで表された商品Aの価値は、商品Bの価値が同じままであっても、商品Aの価値に正比例して上昇または低下する。

第4段落
Ⅱ リンネルの価値は不変のままであるが、上着価値は変動するという場合。

  ・上着の価値が2倍になると  20エレのリンネル=1/2着の上着
  ・上着の価値が半分になると   20エレのリンネル=2着の上着
・商品Aの価値が同じままであっても、商品Aの相対的な、商品Bで表された価値は、Bの価値変動に反比例して低下または上昇する。 

第5段落
・ⅠとⅡにいろいろな場合を比べてみれば、相対的価値の量的変動が正反対の原因から生ずることがわかる。
・20エレのリンネル=1着の上着が(1)20エレのリンネル=2着の上着 という等式になるのは、リンネルの価値が2倍になるかまたは上着の価値が半分に減るからであり、また(2)20エレのリンネル=1/2着の上着 という等式になるのは、リンネルの価値が半分に下がるか上着の価値が2倍に上がるかするからである。

第6段落
Ⅲ リンネルと上着との生産に必要な労働量が、同時に、同じ方向に、同じ割合で変動するこ場合には、これらの商品の価値がどんなに変化しても、やはり 20エレのリンネル=1着の上着 である。
・これらの商品の価値変動は、これらの商品を、価値の変わっていない第3の商品と比べてみれば、すぐに見出されるであろう。
・かりにすべての商品の価値が同時に同じ割合で上昇または低下するとすれば、諸商品の相対的価値は不変のままであろう。諸商品の現実の価値変動は、同じ労働時間でいまでは一般的に以前よりもより多量かまたはより少量の商品が供給されるということから知られるであろう。

第7段落
Ⅳ リンネルと上着とのそれぞれの生産に必要な労働時間、したがってまたそれぞれの価値が、同じ方向にではあるがしかし同じでない程度でとか、または反対の方向にとか、その他いろいろな仕方で子変動することがありうる。考えられれるかぎりのすべてのこの種の組合せが一商品の相対的価値に及ぼす影響は、ⅠとⅡとⅢの場合の応用によって簡単にわかる。

第8段落
・価値量の現実の変動は、価値量の相対的表現または相対的価値の大きさには、明確にも完全にも反映しないのである。
・一商品の相対的価値は、その商品の価値が不変のままでも変動することがありうる。(Ⅱ)
・その商品の相対的価値は、その商品の価値が変動しても不変のままでありうる。(Ⅲ)
・そして最後に、その商品の価値量とこの価値量の相対的表現とに同時に生ずる変動が互いに一致する必要は少しもないのである。

第3節 価値形態または交換価値 
A 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態  
3 等価形態 


第1段落
・一商品A(リンネル)は、その価値を異種の一商品B(上着)の使用価値で表すことによって、商品Bそのものに、一つの独特の価値形態、等価物という価値形態を押し付ける。
・リンネル商品はそれ自身の価値存在を顕にしてくるのであるが、それは、上着がその物体形態とは違った価値形態をとることなしにリンネル商品と等しいとされることによってである。
・だからリンネルは実際にそれ自身の価値存在を、上着が直接にリンネルと交換されうるものだということによって、表現するのである。したがって、一商品の等価形態は、その商品の他商品との直接的交換可能性の形態である。

●リンネルの相対的価値表現において、主体として振舞っているのはリンネルであって上着ではない。「リンネルは自分の価値を上着で表しており、上着はこの価値表現の材料として役立っている。第一の商品は能動的な、第二の商品は受動的な役割を演じている。」(国民文庫94-95頁、原頁63)
上着は、リンネルによって等価物という価値形態を押し付けられるのである。

●「価値存在」=価値であること、価値を持っているということ

第2段落
・上着がリンネルのために等価物として役立ち、したがってリンネルと直接に交換されうる形態にあるという独特な属性を受け取るとしても、それによっては、上着とリンネルとが交換される割合はけっして与えられてはいない。この割合はリンネルの価値量が与えられているのだから、上着の価値量によって決まる。
・上着の価値量は、上着の価値形態にかかわりなく、その生産に必要な労働時間によって規定されている。
・しかし、商品種類上着が価値表現において等価物の位置を占めるならば、この商品種類の価値量は価値量としての表現を与えられていない。この商品種類は価値等式の中ではむしろ或る物の一定量として現れるだけである。

●最後の部分で出てくる「或る物の一定量」とは何かが疑問として出されました。ここでの「或るもの」とは等価物商品の現物形態(使用価値)、20エレ=1着の上着という例では、上着(という使用価値)だろうということになりました。

第3段落
・たとえば、40エレのリンネルは「値する」――なにに? 2着の上着に。商品種類上着がここでは等価物の役割を演じ、使用価値上着がリンネルにたいして価値体として認められているので、一定量の上着はまたは一定の価値量リンネルを表現するに足りるのである。したがって、2着の上着は40エレのリンネルの価値量を表現することはできるが、しかしそれ自身の価値量、上着の価値量を表現することはけっしてできないのである。
・価値等式における等価物は、つねに、ただ、或る物の、使用価値の、単純な量の形態をもっているだけだというこの事実の皮相な理解は、ベーリをもその多くの先行者や後続者をも惑わして、価値表現のうちに単なる量的な関係を見るに至らせたのである。
・そうではなくて、一商品の等価形態はけっして量的な価値規定を含んではいないのである。

●「量的な価値規定」とはどういうことかが問題になりました。「価値規定」は「社会的必要労働時間による商品の価値量の規定」であり、等価物商品は使用価値の一定量でしかなく、それ自身の価値量を表してはいないということではないかとの意見が出されました。

第4段落
・等価形態の考察にさいして目につく第一の特色は、使用価値がその反対物の、価値の、現象形態になるということである。

第5段落
・商品の現物形態が価値形態になるのである。だが、よく注意せよ。この取り替えが一商品Bにとって起きるのは、ただ任意の一商品Aが商品Bにたいしてとる価値関係のなかだけでのことであり、ただこの関係のなかだけでのことである。
・どんな商品も、等価物としての自分自身に関係することはできないのであり、したがってまた、自分自身の現物の皮を自分自身の価値の表現にすることはできないのだから、商品は他の商品を等価物としてそれに関係しなければならないのである。すなわち、他の商品の現物の皮を自分の価値形態にしなければならないのである。

●「どんな商品も、等価物としての自分自身に関係することはできない」とはどういうことか? 20エレのリンネル=20エレのリンネルは無意味な等式であり、価値の表現とはならないということではないか。

第6段落
・尺度の例がこのことをわかりやすくする。
・棒砂糖は物体だから重さがあり、したがって重量を持っているが、どんな棒砂糖からもその重量を見てとったり感じとったりすることはできない。
・そこでわれわれは、その重量があらかじめ確定されているいろいろな鉄片をとってみる。鉄の物体形態は、それ自体として見れば、棒砂糖の物体形態と同様に、重さの現象形態ではない。それにもかかわらず、棒砂糖を重さとして表現するために、われわれはそれを鉄との重量関係におく。この関係のなかでは、鉄は、重さ以外の何ものをも表していない物体とみなされるのである。
・それゆえ、種々の鉄量は、砂糖の重量尺度として役だち、砂糖体にたいして単なる重さの姿、重さの現象形態を代表するのである。
・この役割を砂糖が演ずるのは、ただ、砂糖とか、またはその重量が見いだされるべきそのほかの物体が鉄にたいしてとるこの関係のなかだけでのことである。
・もしこの両方の物に重さがないならば、それらの物はこのような関係に入ることはできないであろうし、したがつて一方のものが他方のものの重さの表現に役だつこともできないであろう。
・両方を秤の皿にのせてみれば、それらが重さとしては同じものであり、したがって一定の割合では同じ重量のものであるということが、実際にわかるのである。
・鉄体が重量尺度としては棒砂糖にたいしてただ重さだけを代表しているように、われわれの価値表現では上着体はリンネルにたいしてただ価値だけを代表しているのである。

●この例を参考に、20エレのリンネル=1着の上着というリンネルの価値表現について以下のように言うことができるだろう。

・商品リンネルは、価値を持っているが、その価値を見てとったり感じとったりすることはできない。
・リンネルは、自分がが価値であることを、1着の上着を自分に等置することで表現する。
・上着の使用価値は、それ自体として見れば、リンネル使用価値と同様に、価値の現象形態ではない。それにもかかわらず20エレのリンネル=1着の上着という価値関係のなかでは上着は、価値以外の何ものをも表していない物体とみなされるのである。(使用価値としては異なっているリンネルと上着が等しいとされるのは、価値としてでしかない)
・それゆえ、種々の量の上着は、リンネルの価値尺度として役だち、リンネルにたいして単なる価値の姿、価値の現象形態を代表するのである。
・この役割を上着が演ずるのは、ただ、リンネルが鉄にたいしてとるこの関係のなかだけでのことである。
・もしこの両方の物に価値がないならば、それらの物はこのような関係に入ることはできないであろうし、したがつて一方のものが他方のものの価値の表現に役だつこともできないであろう。
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by shihonron | 2006-03-28 00:00 | 学習会の報告


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