『資本論』を読む会の報告

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2006年 05月 28日

第20回  5月25日 第1章 第四節 商品の呪物的性格とその秘密

5月23日(火)に『資本論』を読む会@所沢 第2期 第20回の学習会を行いました。「第1章商品 第四節 商品の呪物的性格とその秘密」の第8段落から第10段落までを輪読、検討しました。

ここでは、人間(生産者)は自分の労働生産物を互いに価値と関係させるのは一様な人間労働の物的な外皮として認めるからではなく、反対に、異種の生産物を互いに交換においては価値としては等しいとすることによって、違った異種の労働を互いに人間労働として等置することが説明されている箇所である。

・「・・・この社会的性格が労働生産物の価値性格の形態をとるのだということが、商品生産の諸関係のなかにとらわれている人々にとっては、かの発見の前にも後にも、最終的なものに見えるのであって、それはちょうど、科学によって空気がその諸要素に分解されたもなお空気形態は一つの物理的な物体形態として存続しているようなものである。」
この中で、「最終的なものに見える」とあるがどういう意味か、との質問があった。マルクスが念頭においている相手は古典派学派である。彼らの投下労働価値説では人間的労働の価値対象化は永遠の自然必然とみなされていたことを指している。

・また、上記文中にて空気形態は一つの物理的な物体形態として存続しているようなものとあることが分かりにくいとあった。
 空気は窒素と酸素に分解できるが、空気という物体形態はなんら変化がおきるわけではないので、古典派は空気形態と同じように私的生産は永遠のものに見えたと言うことではないか、となった。

・(注27の後の段落)「生産物交換者たちがまず第一に実際に関心を持つのは、・・・それは労働生産物の本性から生ずるかのように見える」の文中にて、「労働生産物の本性から」とは何かとの質問があったが、同じ1ポンドの金と鉄とにおいては重さは同等であるのと同様に、労働生産物の交換割合は労働生産物そのもに備わった性格から
出ているように見える、ということだろうとの意見が出された。

・「・・・もし私が、上着や長靴などが抽象的人間労働の一般的な具体化としてのリンネルに関係するのだ、と言うならば、この表現は奇異なことはすぐ感ぜられる。ところが、上着や長靴などの生産者たちがこれらの商品を一般的等価物としてのリンネルにーまたは金銀に、としても事柄は変りはないー関係させるならば、彼らにとっては自分たちの私的労働の社会的総労働に対する関係がまさにこの奇異な形態で現れるのである。」

ここの文章は分かりにくいという意見が多かった。
→ここは時間切れで積み残しになった。
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by shihonron | 2006-05-28 11:25 | 学習会の報告


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