『資本論』を読む会の報告

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2006年 04月 30日

第17回  4月25日 C 一般的価値形態  1 価値形態の変化した性格

4月25日(火)に『資本論』を読む会@所沢 第2期 第17回の学習会を行いました。「第1章商品 第3節 価値形態または交換価値 C 一般的価値形態 1 価値形態の変化した性格」の第6段落から「2 相対的価値形態と等価形態との発展関係」の最後(第7段落)までを輪読、検討しました。

■内容要約と議論
 
第3節 価値形態または交換価値  
 C 一般的価値形態  1 価値形態の変化した性格


第6段落
・単純な価値形態と展開された価値形態は、商品の価値を一商品ごとに表現する。どちらの場合にも、自分に一つの価値形態を与えることは、いわば個別商品の私事であって、個別商品は他の諸商品の助力なしにこれをなしとげる。他の諸商品は、その商品(相対的価値形態にある商品)にたいして、等価物という単に受動的な役割を演ずる。
・これに反して、一般的価値形態は、ただ商品世界の共同の仕事としてのみ成立する。一つの商品が一般的価値表現を得るのは、同時に他のすべての商品が自分たちの価値を同じ等価物で表現するからにほかならない。そして、新たに現われるどの商品種類もこれにならわなければならない。
・こうして、諸商品の価値対象性は、それがこれらの物の純粋に「社会的な定在」であるからこそ、ただ諸商品の全面的な社会的関係によってのみ表現されうるのであるり、したがって諸商品の価値形態は社会的に認められた形態でなければならないということが、明瞭に現われてくるのである。

●「私事」とは、他の諸商品のかかわりなしに、その商品が自分だけで勝手にやることを意味している。これに対して「共同の仕事」は、すべての商品がかかわることを必要としており、「私事」ではなく社会的行為であり、「諸商品の全面的な社会的関係」である。

●一般的価値表現は「社会的に認められた形態」である。なぜなら、すべての商品が、自分たちの価値を、同じ商品(一般的等価物)の使用価値で表すからである。

第7段落
・リンネルに等しいものという形態でいまやすべての商品が質的に同等のもの、すなわち価値一般として現われるだけではなく、同時に、量的に比較されうる価値量として現われる。同時に、量的に比較されうる価値量として現われる。すべての商品がそれぞれの価値量を同じ一つの材料、リンネルに映すので、これらの価値量は互いに反映しあう。
・たとえば、10ポンドの茶=20エレのリンネル、そして、40ポンドのコーヒー=20エレのリンネル。したがって、10ポンドの茶=40ポンドのコーヒー というように。または1ポンドのコーヒーに含まれている価値実体、労働は、1ポンドの茶に含まれているそれの四分の一でしかない、というように。

第8段落
・商品世界の一般的な相対的価値形態は、商品世界から除外された等価物商品、リンネルに、一般的等価物という性格を押しつける。リンネル自身の現物形態がこの世界の共通な価値形態なのであり、それだから、リンネルは他のすべての商品と直接に交換されうるのである。
・リンネルの物体形態は、いっさいの人間労働の目に見える化身、その一般的な社会的な蛹化として認められる。織布、すなわちリンネルを生産する私的労働が、同時に、一般的な社会的形態に、すなわち他のすべての労働との同等性の形態に、あるのである。
・一般的価値形態をなしている無数の等式は、リンネルに実現されている労働を、他の商品に含まれているそれぞれの労働に順々に等置し、こうすることによって織布を人間労働一般の一般的な現象形態にする。
・このようにして、商品価値に対象化されている労働は、現実の労働のすべての具体的形態と有用的属性とが捨象されている労働として、消極的に表されているだけではない。この労働の積極的な性質がはっきりと現われてくる。この労働は、いっさいの現実の労働がそれらに共通な人間労働という性格に、人間の労働力の支出に、還元されたものである。

●「(いっさいの人間労働の)一般的な社会的な蛹化」とはどういうことか?
 「蛹化」とは「昆虫類の幼虫が脱皮して蛹(さなぎ)になること」だが、ここでは人間労働が「対象化」「物質化」「凝固」したものをさしているということになりました。

●一般的等価物(リンネル)を生産する労働は、私的労働であるが、社会的労働として認められるということだろうか?

●抽象の消極性と積極性について述べているが、消極性は、ある性質や側面を度外視すること(捨象すること)であり、積極性は共通する性質や側面を取り出す(抽象する)ということのようだ。

第9段落 
諸労働生産物を無差別な人間労働の単なる凝固として表す一般的価値形態は、それ自身の構造によって、それが商品世界の社会的表現であることを示している。こうして、一般的価値形態は、この世界のなかでは労働の一般的社会的性格が労働の独自な社会的性格となっていることを明らかに示しているのである。

●一般的価値形態は、商品世界の社会的表現である。なぜなら、一般的価値形態の成立には、すべての商品の「共同の仕事」(ある一つの商品を商品世界から除外し、その商品で価値を表現する)が必要なのだから。

●労働の「一般的社会的性格」とは何か? 一般的性格=抽象的人間的労働(人間労働力の支出としてとらえられる労働)のことではないか。

●労働の「独自な社会的性格」とは何か? 労働生産物が商品として現われる社会において、労働が受け取る独自な性格のことではないか。

●労働生産物が商品として現われる社会においては、直接には私事としてなされる労働の社会的性格は、直接に労働としてではなく、商品の物としての性質として、物に対象化した労働=価値として現われるということを述べているのではないか。

第3節 価値形態または交換価値  
 C 一般的価値形態  2 相対的価値形態と等価形態との発展関係


第1段落 
相対的価値形態の発展の程度には等価形態の発展の程度が照応する。しかし、これは注意を要することであるが、等価形態の発展はただ想定的価値形態の発展の表現と結果でしかないのである。

●価値表現において積極的に振舞うのは、相対的価値形態にある商品であり、等価形態に置かれる商品は、受動的である。
等価形態に置かれる商品は、相対的価値形態にある商品によって、等価物としてもつ性質を「押し付けられ」、「受け取る」のである。

第2段落
・一商品の個別的な相対的価値形態は、他の一商品を個別的等価物にする。
・相対的価値の展開された形態、すなわちすべての商品での一商品の価値の表現は、これらの商品にいろいろに違った種類の特殊的等価物という形態を刻印する。
・最後に、ある特別な商品種類が一般的等価形態を与えられるのであるが、それは、すべての他の商品がこの商品種類を自分たちの統一的な一般的な価値形態の材料にする空である。

●価値形態の発展にともなう等価物の発展 
 個別的等価物 → 特殊的等価物 → 統一的一般的等価物

第3段落
しかし、価値形態一般が発展するのと同じ程度で、その二つの極の対立、相対的価値形態と等価形態との対立も発展する。

第4段落
すでに第一の形態――20エレのリンネル=1着の上着――もこの対立を含んでいるが、それを固定させてはいない。同じ等式が前のほうから読まれるかあとのほうから読まれるかにしたがって、リンネルと上着というような二つの商品極のそれぞれが、同じように、あるときは相対的価値形態にあり、あるときは等価形態にある。両極の対立をしっかりとつかんでおくには、ここではまだ骨が折れるのである。

●第一形態では、等式の両辺がともに一つの商品なので、左辺と右辺の区別・対立をとらえるには注意が必要だということ。

第5段落
・形態Ⅱでも、やはりただ一つ一つの商品種類がそれぞれの相対的価値を総体的に展開しうるだけである。言いかえれば、すべての他の商品がその商品種類にたいして等価形態にあるからこそ、またそのかぎりでのみ、その商品種類自身が、展開された相対的価値形態をもつのである。
・ここではもはや価値等式――たとえば、20エレのリンネル=1着の上着 または=10ポンドの茶 または=1クォーターの小麦、等々――の二つの辺をおきかえることは、この等式の全性格を変えてこれを全体的価値形態から一般的価値形態に転化させることなしには、不可能である。

第6段落
このあとのほうの形態、すなわち形態Ⅲが最後に商品世界に一般的な社会的な相対的価値形態を与えるのであるが、それは、ただ一つの例外だけを除いて、商品世界に属する全商品が一般的等価形態から排除されているからであり、またそのかぎりでのことである。したがって、一商品、リンネルが他のすべての商品との直接的交換可能性の形態または直接的に社会的な形態にあるのは、他のすべての商品がこの形態をとっていないからであり、またそのかぎりでのことなのである。

●等価形態にある商品が、相対的価値形態にある商品との直接的交換可能性をもつのは、相対的価値形態にある商品が自分の価値を等価形態にある商品の使用価値で表現しているからにほかならない。この価値表現において、相対的価値形態にある商品は、等価形態にある商品を自分に等置する。そうすることで等価形態にある商品をその現物形態が価値の現象形態という意味しかもたないもの=価値体にするのである。等価物が相対的価値形態にある商品との直接的交換可能性をもつのは、相対的価値形態にある商品の行為の結果である。等価形態にある商品は、そうした性格を最初からもっていたのではなく、相対的価値形態にある商品によって与えられたのである。

第7段落
・反対に、一般的等価物の役割を演ずる商品は、商品世界の統一的な、したがってまた一般的な相対的価値形態からは排除されている。もしリンネルが、すなわち一般的等価形態にある何らかの商品が、同時に一般的相対的価値形態にも参加するとすれば、その商品は自分自身のために等価物として役だたなければならないであろう。その場合には、20エレのリンネル=20エレのリンネル となり、それは価値も価値量も表していない動議反復になるであろう。
・一般的等価物は、他の諸商品と共通な相対的価値形態をもたないのであって、その価値は、他のすべての商品体の無限の列で総体的に表現されるのである。こうして、いまでは、展開された相対的価値形態すなわち形態Ⅱが、等価物商品の独自な相対的価値形態としてあらわれるのである。
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by shihonron | 2006-04-30 00:00 | 学習会の報告


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