『資本論』を読む会の報告

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2006年 06月 30日

第23回  6月20日 第1章 第四節 商品の呪物的性格とその秘密

6月20日(火)に『資本論』を読む会@所沢 第2期 第23回の学習会を行いました。「第1章商品 第四節 商品の呪物的性格とその秘密」の第20段落から最後(第21段落)までを輪読、検討しました。

■内容要約と議論
第1章商品 第四節 商品の呪物的性格とその秘密


第20段落
・だが、先まわりすることをやめて、ここでは商品形態そのものについてのもう一つの例だけで十分だとしよう。
・もし商品がものを言えるとすれば、商品はこう言うであろう。われわれの使用価値は人間の関心をひくかもしれない。使用価値は物としてのわれわれにそなわっているものではない。だが、物としてのわれわれにそなわっているものはわれわれの価値である。われわれ自身の商品物としての交わりがそのことを証明している。われわれはただ交換価値として互いに関係しあうだけだ。
・では、経済学者がこの商品の心をどのように伝えるかを聞いてみよう。
・「価値」(交換価値)「は物の属性であり、富」(使用価値)「は人間の属性である。価値は、この意味では必然的に交換を含んでいるが、富はそうではない。」「富」(使用価値)「は人間の属性であり、価値は商品の属性である。人間や社会は富んでいる。真珠やダイヤモンドには価値がある。……真珠やダイヤモンドには、真珠やダイヤモンドとしての価値があるのだ」

●ここで商品が言うことは正しいのかどうかで議論がありました。物の自然的属性である使用価値を人間の属性だと言い、社会的属性(人と人との関係の表現)である価値を物としての商品にそなわっている(自然的属性)と言っている。それは、逆立ちした考え(転倒した観念)でありまちがっているとの結論になりました。マルクスは、どのように商品が人を惑わしているかを、商品自身に語らせたといえるのではないでしょうか。

第21段落
・真珠やダイヤモンドのなかに交換価値を発見した化学者はまだ一人もいない。ところが、特に日金的な深慮を自称するこの化学的実体の経済学的発見者たちは、物の使用価値はその物的属性にかかわりがないのに、その価値は物としてのそれにそなわっているということを見いだすのである。
・ここで彼らの見解を裏づけるものは、物の使用価値は人間にとって交換なしに、つまり物と人間との直接的関係において実現されるが、物の価値は逆にただ交換においてのみ、すなわち一つの社会的過程においてのみ実現される、という奇妙な事情である。
・ここで、あの好人物のドッグベリが思い出されないだろうか? 彼は番卒のシーコールに教える。
「およそ容貌の善悪は運命の賜であるんじゃが、読むと書くとは自然にして具わるんじゃから」と。

●「使用価値の実現」「価値の実現」とはどういうことかとの疑問が出されました。「使用価値の実現」とは使用する(消費する)であり、「価値の実現」とは、他の商品と交換されること(貨幣が生まれていれば貨幣と交換される、つまり「売れること」――この場合には「価格の実現」とよぶべきか)ではないかとの意見が出されました。

●ドッベリのせりふをどう理解するかで少し議論になりました。結論としては、容貌は生まれつきで決まり(自然に具わる)、読み書きは自然にではなく学習によって具わるのに、逆のことを言っている。使用価値は人間の属性であり、価値は物の自然的属性であると主張する経済学者たちの誤りは、ドッベリと同様に逆立ちした考えであることをこの引用で述べているのだろうということになりました。
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by shihonron | 2006-06-30 21:00 | 学習会の報告


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