『資本論』を読む会の報告

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2006年 12月 30日

第41回  12月19日 第3章 第2節 流通手段 a 商品の変態

 12月19日(火)に第41回の学習会を行いました。「読む会通信№230」を使って前回の復習をした後、「第3章 貨幣または商品流通 第2節 流通手段 a 商品の変態」の第1段落から第4段落までを輪読、検討しました。
 また、前回議論になった第1節第20段落冒頭の「相対的価値形態一般」についての意見をまとめた文書が出されました。

■テキストの内容と議論    
第3章 貨幣または商品流通 第2節 流通手段 a 商品の変態


第1段落
・すでに見たように、諸商品の交換過程は、矛盾した互いに排除しあう諸関係を含んでいる。
・商品の発展は、これらの矛盾の運動を可能にするような形態をつくりだす。
・これは一般に現実の矛盾が解決される方法である。
・たとえば、一物体が絶えず他の一物体に落下しながら、また同様に絶えずそれから飛び去るということは、一つの矛盾である。楕円は、この矛盾が実現されるとともに解決される諸運動形態の一つである。

●商品の交換過程に含まれている「矛盾した互いに排除しあう諸関係」とは、「商品は、使用価値として実現されるまえに価値として実現されなければならない」「他方では、商品は、自分を価値として実現しうるまえに、自分を使用価値として実証しなければならない」(国民文庫157-158頁・原頁100)ということ。

●「商品の発展」とは、貨幣が生み出されたことを指している。「商品は、ただそれが二重形態、すなわち現物形態と価値形態をもつかぎりでのみ、商品としてあらわれるのであり、言いかえれば商品という形態をもつのである。」(国民文庫93頁・原頁62)
「商品の発展」とは、価値形態の発展に他ならない。

●「一物体が絶えず他の一物体に落下しながら、また同様に絶えずそれから飛び去る」の例として、太陽に対する惑星や地球に対する月が考えられるのではないかとの発言がありました。

●「矛盾が実現される」とは、「矛盾があらわれる」というた意味と理解できる。


第2段落
・交換過程が諸商品を、それが非使用価値であるところの手から、それらが使用価値であるところの手に移すかぎりでは、この過程は社会的物質代謝である。
・ある有用な労働様式の生産物が、他の有用な労働様式の生産物と入れ替わるのである。
・ひとたび、使用価値として役だつ場所に達すれば、商品は、商品交換の部面から消費の部に落ちる。
・ここでわれわれが関心をもつのは、前の方の部面だけである。
・そこで、われわれは全課程を形態の面から、つまり、社会的物質代謝を媒介する諸商品の形態変換または変態だけを、考察しなければならない。

●「諸商品を、それが非使用価値であるところの手から、それらが使用価値であるところの手に移す」とは「使用価値としての商品の実現」のことである。

●「ある有用な労働様式の生産物」とは、具体的・有用的労働の生産物のことであり、ある使用価値という意味であろう。

■物質代謝  【代謝 たいしゃ】
物質代謝,物質交代,新陳代謝とも。生体内にある物質が分解・合成されることで,多くの化学反応の連続によって起こる。反応の一つ一つに別々の酵素が働くので,代謝には一群の酵素がリレー式に作用する。普通,合成代謝(同化)はエネルギーの消費を伴い,分解代謝は(異化)エネルギーの獲得を伴う。このように代謝をエネルギーの観点からみた場合,エネルギー代謝またはエネルギー交代という。また,酸素を必要とするかしないかによって好気的代謝,嫌気(けんき)的代謝,代謝を受ける物質の種類によって糖代謝,脂質代謝,タンパク質代謝などに分けられる。 (マイペディア)

■「労働は、使用価値の形成者としては、有用労働としては、人間の、すべての社会状態から独立した存在条件であり、人間と自然とのあいだの物質代謝を、したがって人間の生活を媒介するための、永遠の自然必然性である。」(第1章第2節「商品に表される労働の二重性」の第7段落 国民文庫85頁・原頁57)

★「社会的物質代謝」とは、人と人との間での物質代謝であり、人と自然との間での物質代謝と区別されているのではないか。

第3段落
・この形態変換の理解がまったく不十分なのは、価値概念そのものが明らかになっていないことを別とすれば、ある一つの商品の形態変換は、つねに二つの商品の、普通の商品と貨幣商品との交換において行なわれるという事情のせいである。
・商品と金の交換というこの素材的な契機だけを固執するならば、まさに見るべきもの、すなわち形態の上に起きるものを見落とすことになる。
・金はただの商品としては貨幣ではないということ、そして、他の商品は、それらの価格において、それら自身の貨幣姿態としての金に自分自身を関係させるのだということを、見落とすのである。

●商品の形態変化とは、まずはある商品が、商品形態から貨幣形態に変わることだと理解すべきだとの意見が出されました。

●「素材的な契機」とは、使用価値の側面という意味であり、ある使用価値が金という使用価値に姿を変えたことのみを捕らえるに留まるのは不十分ということ。

★ある商品の価値は、最初はある使用価値を担い手として価格の形態で表現され、実際に貨幣に転化することで、価値にふさわしい形態を得ると理解できるのではないか。

第4段落
・商品はさしあたりは金めっきもされず、砂糖もかけられないで、生まれたままの姿で、交換過程にはいる。
・交換過程は、商品と貨幣とへの商品の二重化、すなわち商品がその使用価値と価値との内的な対立をそこに表すところの外的な対立を生みだす。
・この対立では、使用価値としての諸商品が交換価値としての貨幣に相対する。
・他方、この対立のどちら側も商品であり、したがって使用価値と価値との統一体である。
・しかしこのような、差別の統一は、両極のそれぞれに逆に表されていて、そのことによって同時に両極の相互関係を表している。
・商品は実在的には使用価値であり、その価値存在は価格においてただ観念的に現われているだけである。
・そして、この価格が商品を、その実在の価値姿態としての対立する金に、関係させている。
・逆に、金材料は、ただ価値の物質化として、貨幣として、認められているだけである。
・それゆえ、金材料は実在的には交換価値である。
・その使用価値は、その実在の使用姿態の全範囲としての対立する諸商品にそれを関係させる一連の相対的価値表現において、ただ観念的に現われているだけである。
・このような、諸商品の対立的な諸形態が、諸商品の交換過程の現実の運動形態なのである。

★交換過程では、ある商品と貨幣が相対する。ある商品は、実在的には使用価値であり、その価値は価格によって観念的に表されている。貨幣は、実在的には交換価値であり、その使用価値は、価格をもつあらゆる商品のさまざまな使用価値によって観念的に表されている。

■「貨幣商品の使用価値は二重になる。それは、商品としてのその特殊な使用価値、たとえば金が虫歯の充填や奢侈品の原料などに役だつというような使用価値のほかに、その独自な社会的機能から生ずる一つの形態的使用価値を受け取るのである。
 他のすべての商品はただ貨幣の特殊的等価物でしかなく、貨幣は他の諸商品の一般的等価物なのだから、他の諸商品は、一般的商品としての貨幣に対して、特殊的諸商品として相対するのである。」(第2章交換過程 第12・13段落 国民文庫164頁・原頁104)

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【意見をまとめたメモ】

「相対的価値形態一般」とは何か  
                  
                                    2006.12.19 K・N

『資本論』第3章第1節「価値の尺度」の第20段落では次のように述べられている。

「相対的価値形態一般がそうであるように、価格は、ある商品たとえば1トンの鉄の価値を、一定量の等価物たとえば1オンスの金が直接に交換されうるということによって表現するのであるがけっして、逆に鉄のほうが金と直接に交換されうるということによって表現するのではない。」(国民文庫186頁・原頁117)

  問題は、ここで「相対的価値形態」と書かれているものは何であるかである。

 最初に、『資本論』において、「相対的価値形態」やこの用語と関連のある「相対的価値表現」がどのように用いられてきたのか見よう。

 相対的価値形態という表現が最初に登場するのは、第1章第3節「価値形態または交換価値」の「A 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態 1.価値表現の両極 相対的価値形態と等価形態」の第2段落においてである。

そこでは次のように述べられている。

〈1.価値表現の両極・・相対的価値形態と等価形態

 すべての価値形態の秘密は、この単純な価値形態のうちに潜んでいる。だから、この価値形態の分析には真の困難がある。
 ここでは、種類を異にする二つの商品AとB、われわれの例ではリンネルと上着とは、明らかに、二つの異なった役割を演じている。リンネルはその価値を上着で表現し、上着はこの価値表現の材料として役だっている。第一の商品は能動的役割を演じ、第二の商品は受動的役割を演じている。第一の商品の価値は相対的価値として表されている。すなわち、この商品は相対的価値形態にある。第二の商品は等価として機能する。すなわち、等価形態にある。

 相対的価値形態と等価形態とは、たがいに依存しあい、たがいに制約しあう、不可分の契機であるが、同時に、たがいに排除しあう、あるいは対立しあう、両極端、すなわち同一価値表現の両極である。この両極は、つねに、この価値表現によってたがいに関係させられる別々の商品に配分される。私は、たとえば、リンネルの価値をリンネルで表現することはできない。20エレのリンネル=20エレのリンネル というのは、決して価値表現ではない。この等式が語るのはむしろ逆に、二〇エレのリンネルは二〇エレのリンネル、すなわち一定量の使用対象であるリンネル、以外の何物でもないということである。したがって、リンネルの価値は、ただ相対的に、すなわち他の商品でしか、表現されえない。それゆえ、リンネルの相対的価値形態は、何かある他の商品がリンネルに相対して等価形態にあることを前提する。他面、等価の役をつとめるこの他の商品は、同時に相対的価値形態にあることはできない。この商品は自分の価値を表現するのではない。この商品は、他の商品の価値表現に材料を提供するだけである。

 たしかに、20エレのリンネル=1着の上着 または、二〇エレのリンネルは一着の上着に値する、という表現は、1着の上着=20エレのリンネル または、一着の上着は二〇エレのリンネルに値する、という逆の関係を含んでいる。しかし、そうは言っても、上着の価値を相対的に表現するためには、私はやはりこの等式を逆にしなければならず、そしてそうするやいなや、上着ではなくリンネルが等価物となる。したがって、同じ商品は同じ価値表現においては同時に両方の形態で現れることはできない。この両形態は、むしろ対極的に排除しあうのである。
 そこで、ある一つの商品が相対的価値形態にあるか、それと対立する等価形態にあるかは、もっぱら、価値表現におけるその商品のそのつどの位置・・すなわち、その商品は、自分の価値を表現される商品なのか、それとも、それで価値が表現される商品なのか・・にかかっている。〉 (電子テキスト版・原頁63-64)

 ここでの「相対的価値形態一般」は、ある商品の価値が他の商品の使用価値で表現されること、つまり「相対的価値表現一般」あるいは「価値形態一般」のことであると思われる。それは価値方程式の左辺をさしているのではない。
 「相対的価値形態一般がそうであるように、価格は…」と書かれているように、ここでの主題は価格(価格形態・貨幣形態)であることからもそう理解すべきだと思われる。
 「相対的価値形態一般」とは、A(単純な 個別的な 偶然的な価値形態)、B(全体的な、または展開された価値形態)、C(統一的な価値形態)、D(貨幣形態)のどの価値形態においても共通なという意味でる。
 どの価値形態にあっても、相対的価値形態にある商品(価値方程式の左辺の商品)の価値を、一定量の等価物商品(等価形態にある商品、価値方程式の右辺に置かれている商品)が直接に交換される(相対的価値形態にある商品に対して直接的交換可能性をもつ)ということによって表現するのであって、逆に相対的価値形態にある商品のほうが等価物商品と直接に交換されうるということによって表現するのではないということを述べている。
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by shihonron | 2006-12-30 00:00 | 学習会の報告


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