『資本論』を読む会の報告

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2007年 02月 28日

第49回  2月27日  第3章 貨幣または商品流通 第2節 流通手段 c 鋳貨 価値章標

2月27日(火)に第49回の学習会を行いました。「読む会通信」№238を使って前回の復習をした後、「第3章 貨幣または商品流通 第2節 流通手段 c 鋳貨 価値章標」の第7段落から最後(第8段落)までを輪読、検討しました。

 前回問題になった二つの箇所についての資料として、大谷禎之介氏の論文「貨幣の機能」(「経済志林」第61巻第4号)から以下の叙述が紹介されました。

■第2段落の「18世紀までの中世および近世の鋳造史は、このような混乱の歴史をなしている。」について
《摩滅鋳貨が完全鋳貨の象徴として、仮象の金として流通し、鋳貨の名目金量と実質金量が分離するようになると、この事情を自分の金もうけのために利用する連中が必ず出てくる。というのも、流通のなかで次第に摩滅した鋳貨でも、人為的に削られた鋳貨でも、摩滅の程度が同じであれば、まったく同じものとして通用するからである。荒っぽく金貨を削る「削り屋」、穴をあけてほかの金属を詰め込む「詰め物屋」、金貨どうしを擦り合わせて落ちた金粉を集める「金粉取り」と呼ばれるような連中や大がかりに鋳貨を変造する私的な投資家ばかりか、さらには鋳貨当局である政府自身が、この事情を利用し、軽量鋳貨を完全鋳貨として流通させて差額をふところにいれようとすることになる。完全量目の鋳貨が見つかれば、たちまちのうちに、どこかで外科手術を受けて、体重を減らすことになる。ちなみに、18世紀までの中世および近世の鋳貨史は、このような変造とそれによる混乱の歴史となっているのである。》(274-275頁)

■第3段落の「これらの衛星が金そのものの地位に定着するのを阻止するために、金のかわりにこれらの金属だけが支払われる場合にそれを受け取らなければならない割合が、法律によって非常に低く規定される。」について
《銀貨や銅貨が流通することのできるのも、すでに見たように、流通手段としての貨幣の価値としての自立的定在が一時的・瞬過的なものであって、その機能を果たすのは貨幣の単に象徴的存在でも十分だ、ということにもとづいているのである。しかし、銀貨や銅貨が無制限に流通にはいり、しかも小規模流通部面を越えて高額取引の部面にまで侵入するようになれば、金鋳貨ないし金地金は姿を消して、取引はもっぱら銀・銅貨によって行なわれるようになり、それらが金の独占的な地位を奪い取る可能性があるので、法律で、それらの鋳貨によって支払われる場合に一回の支払いで受け取らなければならない貨幣額をきわめて低く限定することが行なわれる。たとえば、わが国の貨幣法では、銀貨は10円まで、ニッケル貨は5円まで、青銅貨は1円までが〈法貨〉として通用するものとしていた。つまり、受け手は、これらの額を超える金額については、これらの鋳貨を受け取ることを拒否して、金貨での支払いを請求することができたのである。このように〈本位貨幣〉以外の鋳貨は、補助的な理由通手段であるから〈補助鋳貨〉と呼ばれるのである。》(278頁)

■テキストの内容と議論    
第3章 貨幣または商品流通 第2節 流通手段 c 鋳貨 価値章標 


第7段落
・紙幣は金章標または貨幣章標である。
・紙幣の商品価値に対する関係は、ただ、紙幣によって象徴的感覚的に表されているのと同じ金量で商品価値が観念的に表されているということにあるだけである。
・ただ、すべての他の商品量と同じにやはり価値量である金量を紙幣が代表するかぎりにおいてのみ、紙幣は価値章標なのである。

●「すべての他の商品量と同じに」とはどういうことかとの疑問が出されました。「ここでは、すべての他の商品の一定量が使用価値であると同時に一定の価値量であるのと同様に一定量の金もまた一定の価値量であるということではないか」との発言がありました。

第8段落
・最後に問題になるのは、なぜ金はそれ自身の単なる無価値な章標によって代理されることができるのか? ということである。
・しかし、すでに見たように、金がそのように代理されることができるのは、それがただ鋳貨または流通手段としてのみ機能するものとして孤立化または独立化されるかぎりでのことである。
・ところでこの機能の独立化は、摩滅した金貨がひきつづき流通することのうちに現われるとはいえ、たしかにそれは一つ一つの金鋳貨について行なわれるのではない。
・金貨が単なる鋳貨または流通手段であるのは、ただ、それが現実に流通しているあいだだけのことである。
・しかし、一つ一つの金鋳貨にはあてはまらないことが、紙幣によって代理されることができる最小量の金にあてはまるのである。
・この最小量の金は、つねに流通部面に住んでいて、ひきつづき流通手段として機能し、したがってただこの機能の担い手としてのみ存在する。
・だから、その運動は、ただ商品変態W―G―Wの相対する諸過程の継続的な相互変換を表しているだけであり、これらの過程では商品にたいしてその価値姿態が相対したかと思えばそれはまたすぐに消えてしまうのである。
・商品の交換価値の独立的表示は、ここではただ瞬間的な契機でしかない。
・それは、またすぐに他の商品にとって代わられる。
・それだから、貨幣を絶えず一つの手から別の手に遠ざけていく過程では、貨幣の単なる象徴的な存在でも充分なのである。
・商品価格の瞬間的に客体化された反射としては、貨幣はただそれ自身の章標として機能するだけであり、したがってまた章標によって代理されることができるのである。
・しかし、貨幣の章標はそれ自身の客観的に社会的な有効性を必要とするのであって、これを紙製の象徴は強制通用力によって与えられたのである。
・ただ、一つの共同体の境界によって画された、または国内の、流通部面のなかだけで貨幣はまったく流通手段または鋳貨としてのその機能に解消してしまうのであり、したがってまた、紙幣において、その金属実体から外的に分離された、ただ機能的な存在様式を受け取ることができるのである。

●「たしかにそれは一つ一つの金鋳貨について行なわれるのではない。」とはどういうことか、なぜこう述べられているのかとの疑問が出されました。これについて「流通手段としてのみ機能する(機能の独立化)のは、流通部面に存在するかぎりでのことであり、一つ一つの金鋳貨は、ただ流通手段としてのみ機能するのではない(後で出てくる蓄蔵貨幣などともなりうる)ということではないか」との発言がありました。

■「紙幣によって代理されることができる最小量の金」については次のように述べられていた。《流通部面が吸収しうる金量は、たしかに、ある平均水準の上下に絶えず動揺している。とはいえ、与えられた一国における流通手段の量は、経験的に確認される一定の最小限より下にはけっして下がらない。この最小量が絶えずその成分を取り替えるということ、すなわち、つねに違った金片から成っているということは、もちろん、この最小量の大きさを少しも変えはしないし、それが流通部面を駆けまわっているということを少しも変えはしない。それだからこそ、この最小量は紙製の象徴によって置き替えることができるのである。》(国民文庫225頁・原頁141-142)」

★「商品の交換価値の独立的表示」とは、W―G―WのG(貨幣形態)をさしている。そして、それはすぐに商品に転化するので「瞬間的な契機でしかない」のである。

★ 「貨幣を絶えず一つの手から別の手に遠ざけていく過程」とは流通過程のこと。《貨幣は、絶えず商品に代わって流通場所を占め、それにつれて自分自身の出発点から遠ざかって行きながら、商品を絶えず流通部面からとおざけて行く。それゆえ、貨幣運動はただ商品流通の表現でしかないのに、逆に商品流通がただ貨幣流通の結果としてのみ表れるのである。》(国民文庫206頁・原頁130)

■「金属実体から外的に分離された、ただ機能的な存在様式を受け取る」に関連して。《流通過程そのものが鋳貨の実質純分を名目純分から分離し、その金属定在をその機能的定在から分離する》(国民文庫222頁・原頁140)《金の鋳貨定在は完全にその価値実体から分離する。つまり、相対的に無価値なもの、紙券が金に代わって鋳貨として機能することができる。》(国民文庫224頁・原頁140)


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by shihonron | 2007-02-28 23:00 | 学習会の報告


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