『資本論』を読む会の報告

shihonron.exblog.jp
ブログトップ
2007年 03月 12日

第50回  3月6日  第3章 貨幣または商品流通 第3節 貨幣 前文 a 貨幣蓄蔵

3月6日(火)に第50回の学習会を行いました。「読む会通信」№239を使って前回の復習をした後、「第3章 貨幣または商品流通 第3節 貨幣」の前文と「a 貨幣蓄蔵」の第1段落から第6段落までを輪読、検討しました。
 
●は当日の議論の報告、■は資料的なもの、★は報告作成者の個人的意見です。

■テキストの内容と議論    
第3章 貨幣または商品流通 第3節 貨幣


前文
・価値尺度として機能し、したがってまた自分の肉体でかまたは代理物によって流通手段として機能する商品は、貨幣である。
・それゆえ、金(または銀)は貨幣である。
・金が貨幣として機能するのは、一方では、その金(または銀)の肉体のままで、したがって貨幣商品として、現われなければならない場合、すなわち価値尺度の場合のように単に観念的でもなく流通手段の場合のように代理可能でもなく現われなければならない場合であり、他方では、その機能が金自身によって行なわれるか代理物によって行なわれるかにかかわりなく、その機能が金を唯一の価値姿態または交換価値の唯一の定在として、単なる使用価値としての他のすべての商品にたいして固定させる場合である。

■第3節の表題「貨幣」について、新日本出版版では次のような訳者による注がついている。《この「貨幣」は、貨幣一般を意味するDas Geld(第3章の表題)ではなく、定冠詞のないGeld(英語では money)であり、価値尺度および流通手段という第一および第二の規定にたいして「第三の規定における貨幣」とマルクスが呼んだものである。フランス語版では、この表題は La monnaie l'argent となり、次の最初のパラグラフもすっかり書き換えられている。》

■フランス語版ではこの箇所は次のようになっている。
《これまでわれわれは、貴金属を、価値尺度と流通手段という二重の姿態のもとで考察してきた。貴金属は、観念的な貨幣として第一の機能を果たし、第二の機能では象徴によって代表されることができる。だが、貴金属がその金属体のままで、商品の実在の等価物すなわち貨幣商品として現われなければならない機能が存在する。もう一つの機能、すなわち、貴金属が、あるいはみずからあるいは代理人によって果たしえても、日用商品の価値の唯一無二の的確な化身としてこの商品に対面する機能も、存在する。どちらの場合も、貴金属が厳密な意味での貨幣として、価値尺度や鋳貨としての機能と対照的に機能する、とわれわれは言うのである。》(『フランス語版資本論』上巻 江夏美千穂・上杉聰彦訳 法政大学出版会 110頁)
 
●「一方では」「他方では」として述べられているのはどんな事柄なのかとの疑問が出されました。「一方では」は蓄蔵貨幣や世界貨幣、「他方では」は支払い手段のことを述べているのではないかという発言がありましたが、第3節を終えた後で議論しようということになりました。

●「交換価値の唯一の定在」と書かれているが、「価値の唯一の定在」というべきではないのかという疑問が出されました。すぐに結論は出ず、今後の課題となりました。

第3章 貨幣または商品流通 第3節 貨幣 a 貨幣蓄蔵

第1段落
・二つの反対の商品変態の連続的な循環、または売りと買いとの流動的な転換は、貨幣の無休の流通、または流通の永久自動機関[perpetuum mobile]としての貨幣の機能に現われる。
・変態列が中断され、売りが、それに続く買いによって補われなければ、貨幣は不動化され、または、ボアギュベールの言うところでは、可動物[meuble]から不動物[immeuble]に、鋳貨から貨幣に転化する。

第2段落・商品流通そのものの最初の発展とともに、第一の変態の産物、商品の転化した姿態または商品の金蛹を固持する必要と熱情とが発展する。
・商品は、商品を買うためではなく、商品形態を貨幣形態と取り替えるために、売られるようになる。
・この形態変換は、物質代謝の単なる媒介から自己目的になる。
・商品の離脱した姿は、商品の絶対的に譲渡可能な姿またはただ瞬間的な貨幣形態として機能することを妨げられる。
・こうして、貨幣は蓄蔵貨幣に化石し、商品の売り手は貨幣蓄蔵者になるのである。

★「この形態変換」とは、商品の貨幣への転化 W―G のこと。

★「商品の絶対的に譲渡可能な姿」とは、他のすべての商品にたいして直接的交換可能性の形態にあるということ。

★「瞬間的な貨幣形態」とは、買うための売り W―G―W のGのこと。

第3段落

・商品流通が始ったばかりのときには、ただ使用価値の余剰分だけが貨幣に転化する。
・こうして、金銀は、おのずから、有り余るものまたは富の社会的な表現になる。
・このような貨幣蓄蔵の素朴な形態が永久化されるのは、かたく閉ざされた欲望範囲が伝統的な自給自足的な生産様式に対応している諸民族の場合である。
・たとえばアジア人、ことにインド人の場合がそうである。
・ヴァンダリントは、商品価格は一国に存在する金銀の量によって規定されると妄信しているのであるが、彼は、なぜインドの商品があんなに安いのか? と自問する。
・答えは、インド人は貨幣を埋蔵するからだ、というのである。
・彼の言うところでは、1602-1734年に、インド人は1億5000万ポンド・スターリングの銀を埋めたが、それは元来はアメリカからヨーロッパにきたものだった。
・1856-1866年に、つまり10年間に、イギリスはインドとシナに(シナに輸出された金属は大部分再びインドに向かって流れる)1億2000万ポンド・スターリングの銀を輸出したが、この銀は以前にオーストラリアの金と交換して得られたものだった。

★「欲望範囲」が生産様式に対応していると述べていることに注意しておこう。使用価値の多様さとそれに対する欲望もまた生産力の高さに規定されているということではないか。

●「1602-1734年の100年余の期間に埋められた銀の量と1856-1866年の10年間に埋められた銀の量がほぼ等しいことに注目しておこう」との発言がありました。

●「シナに輸出された金属は大部分再びインドに向かって流れる」に関連して、三角貿易やアヘン戦争についての説明がされました。

■アヘン戦争
1840年―1842年,清朝のアヘン密貿易禁止をめぐる英国と清朝間の戦争。清では雍正帝以来アヘン禁止が祖法とされた。18世紀末以降インド産アヘンの密貿易が盛行し吸煙の害が政治問題化,また茶,絹などの輸出による外国銀流入はアヘン貿易によって銀の国外流出に転じ,財政上からも問題化した。このため1839年道光帝は林則徐を欽差大臣として広東(カントン)に派遣。林は広東でアヘンの没収,棄却など強硬策をとり,英国との交易禁止という挙にでた。1840年英国は遠征軍を派遣し,清朝は林則徐を罷免して,和を策したが成功しなかった。1842年6月総攻撃を再開した英軍に大敗,8月南京条約が締結され,清の鎖国はくずれた。なお,アロー戦争(1856年―1860年)を第2次アヘン戦争ともいう。 (マイペディア)

■アヘン貿易
18世紀後半から,イギリス東インド会社がインド産アヘンを中国向けに輸出した貿易。実際は,中国からの茶の輸入の資金として,英国がインド(ベンガル地方と中央インドの藩王国など)につくらせたアヘンを中国に売り,インド人の受け取る代金で英国のつくった工業製品の消費を可能にさせる,という三角貿易であった。また,植民地インドにおける英国の歳入の17%(19世紀平均)はアヘン専売収入が占め,中国への輸出は清朝の禁令のため,中国人商人を介した密貿易で行われた。
(マイペディア)

■三角貿易 
外国貿易によって生じる2国間の国際収支の不均衡を調整するため,第三国を交えて貿易し3国間で差額を相殺し合い,各国相互の貿易量を拡大しようとする方式。多角貿易のうち3国間で行うものをいう。 (マイペディア)

第4段落
・商品生産がさらに発展するにつれて、どの商品生産者も、諸物の神経[ nervus rerum]、「社会的な質物」を確保しておかなければならなくなる。
・彼の欲望は絶えず更新され、絶えず他人の商品を買うことを命ずるが、彼自身の商品の生産と販売は、時間がかかり、また偶然によって左右される。
・彼は、売ることなしに買うためには、まえもって、買うことなしに売っていなければならない。
・このような操作は、もし一般的に行なわれるとすれば、それ自身と矛盾しているように見える。
・しかし、貴金属はその生産源では直接に他の商品と交換される。
・ここでは、売り(商品所持者の側での)が、買い(金銀所持者の側での)なしに行なわれる。
・そして、それ以後の、あとに買いの続かない売りは、ただすべての商品所持者のあいだへの貴金属の再分配を媒介するだけである。
・こうして、交易のすべての点に、大小さまざまな金属蓄蔵が生ずる。
・商品を交換価値として、また交換価値を商品として固持する可能性とともに、黄金欲が目覚めてくる。
・商品流通の拡大につれて、貨幣の力が、すなわち富のいつでも出動できる絶対的に社会的な形態の力が、増大する。
・「金は素晴らしいものだ! それをもっている人は、自分が望むすべてのものの主人である。そのうえ、金によって魂を天国に行かせることさえできる」(コロンブス『ジャマイカからの手紙』1503年。)

■《諸物の神経[ nervus rerum]、「社会的な質物」を確保しておかなければならなくなる。》は、新日本出版社版では《“万物の神経”である「社会的動産担保」を確保しなければならなくなる。》となっている。

■【質物】しちもつ  質におく品物。しちぐさ。(大辞林 第二版)

●「《このような操作は、もし一般的に行なわれるとすれば、それ自身と矛盾しているように見える》とは、すべての人々が買うことなしに売ることはできないように見えるということではないか。しかし、産金業者は、いわば売ることなしに買うのであり、このことによって一般商品の生産者は、買うことなしに売ることができるということではないか」との発言がありました。

★一般商品の生産者も、過去に「買うことなしの売り」によって手にした貨幣でもって買うことがある。そのかぎりでは、「買うことなしの売り」と「売ることなしの買い」が並存するといえると思える。

●「《貴金属の再分配》とは、産金業者から新たに流通にはいってきた金属のことをさしているのか」との疑問が出されましたが、明確な結論は出ませんでした。

●「《商品を交換価値として、また交換価値を商品として固持する可能性》とは、商品を、価値として通用する形態=貨幣に転化して保持することをさしていると思えるが、《交換価値を商品として固持する》という表現はよく分らない」との発言がありました。(★内容としては、あらゆるものが商品として現われるような《商品流通の拡大》のことと思える。)

●「第2段落・第3段落では《商品流通そのものの最初の発展》の時期=《商品流通が始ったばかりのとき》について述べ、第4段落では《商品生産がさらに発展》した段階でのことを対比的に述べている」との発言がありました。

■コロンブス  1451-1506
イタリアの航海者。イタリア語名ではコロンボCristoforo Colomboで,Columbusは英語表記。ジェノバ生れ。大西洋を西航してインドに達し得ると考え,数学者トスカネリらの支持を得た。1492年スペイン宮廷の援助と総督の地位を得ることに成功,8月サンタ・マリア号など3隻の船でパロスを出帆した。10月バハマ諸島のグアナハニ島に上陸,そこをインドの一部と誤認し神に感謝しつつ〈サン・サルバドル(聖なる救済者)〉と名づけた。その後キューバなどに寄りながら1493年帰国。第2回(1493年―1496年),第3回(1498年―1500年)と航海を重ねるが原住民の反乱に悩まされ,第4回航海(1502年―1504年)の際には総督の地位からはずされた。その後も宮廷は彼を重んぜず,彼は死に至るまでアジアの一部を発見したと信じつつ失意のうちに死んだ。コロンブスがアメリカ大陸から持ち帰ったとされるものに梅毒,タバコ,トウガラシなどがある。(マイペディア)

第5段落
・貨幣を見てもなにがそれに転化したのかはわからないのだから、あらゆるものが商品であろうとなかろうと、貨幣に転化する。
・すべてのものが売れるものとなり、買えるものとなる。
・流通は、大きな社会的坩堝となり、いっさいのものがそこに投げ込まれてはまた貨幣商品となって出てくる。
・この錬金術は聖骨でさえ抵抗できないのだから、もっとこわれやすい、人々の取引外にある聖物[res sacrosanctae, extra commercium hominum]にいたっては、なおさらである。
・貨幣ではいっさいの質的な相違が消え去っているように、貨幣そのものもまた徹底的な平等派としていっさいの相違を消し去るのである。
・しかし、貨幣はそれ自身商品であり、だれの私有物にもなれる外的なものである。
・こうして、社会的な力が個人の個人的な力になるのである。
・それだからこそ、古代社会は貨幣をその経済的および道徳的秩序の破壊者として非難するのである。
・すでにその幼年期にプルトンの髪をつかんで地中から引きずりだした近代社会は、黄金の聖杯をその固有の生活原理の光り輝く化身としてたたえるのである。

■《もっとこわれやすい、人々の取引外にある聖物》は、フェニキアの乙女のこと。

●「《社会的な力》とはなにをさしているのか」との疑問が出され、「どんなものでも入手可能にする貨幣=価値の力のことだろう」ということになりました。

■《個人の個人的な力》は、新日本出版版では《私人の私的な力》となっている。
英語版では But money itself is a commodity, an external object, capable of becoming the private property of any individual. Thus social power becomes the private power of private persons. である。

■長谷部訳や英語版では、第4段落と第五段落はひとつの段落になっている。

■プルトンは、ギリシア神話の富の神ハデスのこと。

■ハデス
 ギリシア神話で,地下の冥府の王。その名は〈見えざる者〉の意。地中に埋蔵される金銀などの富の所有者としてプルトン (富者) とも呼ばれたところから,ローマ神話ではプルトPluto,またはそのラテン訳のディスDisが彼の呼称となっている。ティタン神族のクロノスの子として生まれ,兄弟のゼウス,ポセイドンと力を合わせて,当時,世界の覇者であった父神とティタン神族を 10 年にわたる戦いで征服し,ゼウスが天,ポセイドンが海の王となったとき, ハデスは冥界の支配権を得た。のち,みずからの姉妹にあたる女神デメテルの娘ペルセフォネを地上からさらって后とした 。
 古代ギリシア人の考えによれば,死者の亡霊はまずヘルメスによって冥界の入口にまで導かれ,ついで生者と死者の国の境の川ステュクスまたはアケロンを渡し守の老人カロンに渡されたあと,三つ頭の猛犬ケルベロスの番するハデスの館で,ミノス,ラダマンテュス,アイアコスの3判官に生前の所業について裁きを受ける。その結果,多くの亡霊はアスフォデロス (不鰻花) の咲きみだれる野にさまようことになるが,神々の恩寵めでたき英雄や正義の人士はエリュシオンの野 (古い伝承では,はるか西方の地の果て,のちに冥界の一部と考えられた) に送られて至福の生を営む一方,シシュフォスやタンタロスのごとき極悪人はタルタロスなる奈落へ押しこめられ,そこで永遠の責め苦にあうものと想像された。  水谷 智洋 (世界大百科事典)

第6段落・使用価値としての商品は、ある特殊な欲望を満足させ、素材的な富の一つの特殊な要素をなしている。
・ところが、商品の価値は、素材的な富のすべての要素に対するその商品の引力の程度を表わし、したがってその商品の所有者の社会的な富の大きさを表わしている。
・未開の単純な商品所持者にとっては、また西ヨーロッパの農民にとってさえも、価値は価値形態から不可分なものであり、したがつて金銀蓄蔵の増加は価値の増加である。
・もちろん、貨幣の価値は変動する。
・それ自身の価値変動の結果であるにせよ、諸商品の価値変動の結果であるにせよ、しかし、このことは、一方では、相変わらず200オンスの金は100オンスよりも、300オンスは200オンスよりも大きな価値を含んでいるということを妨げるものではない。
・他方では。この物の金属的現物形態がすべての商品の一般的等価形態であり、いっさいの人間労働の直接に社会的な化身であるということを妨げるものではない。
・貨幣蓄蔵の衝動はその本性上無際限である。
・質的には、またその形態から見れば、価値は無制限である。
・すなわち、素材的な富の一般的な代表者である。
・貨幣はどんな商品にも直接に転換されうるからである。
・しかし、同時に、どの現実の貨幣額も、量的に制限されており、したがってまた、ただ効力を制限された購買手段でしかない。
・このような、貨幣の量的な制限と質的な無制限との矛盾は、貨幣蓄蔵者をたえず蓄積のシシュフォス労働へと追い返す。
・彼は、いくら新たな征服によって国土をひろげても国境をなくすことのできない世界征服者のようなものである。

●「《価値は価値形態から不可分なもの》とはどういうことか」との疑問が出され、「価値は、その現象形態である貨幣=貴金属そのものだとみなされることではないか」との発言がありました。

●「諸商品の価値変動の結果として貨幣の価値が変動するというのがよく分らない」との疑問が出され、「貨幣商品の価値はさまざまな商品のさまざまな量によって表現される(物価表を逆から読むこと)ことを述べているのではないか」との発言がありました。

★貨幣の価値の大きさは、貨幣商品(金や銀など)の生産に社会的に必要な労働時間によって決まるので、それが変化しない場合には価値変動はないように思える。貨幣の価値に変化がなくても、諸商品の価値変動によって、同じ額の貨幣で入手できる諸商品の量(さまざまな使用価値の量)が変動することを述べているということだろうか。

★「一方では」以下は、貨幣商品間の大小関係は不変だという量の問題について、「他方では」以下は、貨幣が 《すべての商品の一般的等価形態であり、いっさいの人間労働の直接に社会的な化身である》という質の問題について述べている。

■【シシュフォス [Sisyphos]】 
ギリシャ神話中のコリント王。ゼウスから怒りを買い死神を送られたが、死神をだまし捕らえたため、しばらく死ぬ者が絶えたという。重なる悪業の罰として、地獄でたえず転がり落ちる大石を山頂へ押し上げる永遠の空しい苦業を課せられた。シジフォス。 (大辞林 第二版より)


[PR]

by shihonron | 2007-03-12 23:00 | 学習会の報告


<< 第51回  3月13日  第3...      第49回  2月27日  第3... >>