『資本論』を読む会の報告

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2007年 04月 16日

第54回  4月10日  第3章 貨幣または商品流通 第3節 貨幣 b 支払手段


4月10日(火)に第54回の学習会を行いました。前回にひきつづき「読む会通信」№242を使って復習をしたあと、「第3章 貨幣または商品流通 第3節 貨幣 b 支払手段」の第4段落から第7段落までを輪読、検討しました。
 
●は当日の議論の報告、■は資料的なもの、★は報告作成者の個人的意見です。

■テキストの内容と議論    
第3章 貨幣または商品流通 第3節 貨幣 b 支払手段


第4段落
・買い手は自分が商品を貨幣に転化させるまえに貨幣を商品に転化させる。
・すなわち第一の商品変態よりもさきに第二の商品変態を行なう。
・売り手の商品は流通するが、その価格をただ私法上の貨幣請求権に実現するだけである。
・その商品は貨幣に転化するまえに使用価値に転化する。
・その商品の第一の変態はあとからはじめて実行される。

★(貨幣支払約束)→(商品)貨幣は観念的購買手段として機能 
              商品は使用価値に転化

 (商品)→(貨幣請求権)  価格の観念的実現

★買い手 (貨幣支払約束)→(売り手の商品) 【購買】(第二の商品変態 G―W)
       (買い手の商品)→(貨幣)     【販売】(第一の商品変態 W―G)      
        売り手への貨幣支払

★売り手 (売り手の商品)→(貨幣請求権)  【販売】
      (貨幣請求権)→(貨幣)

第5段落
・流通過程のどの一定期間にも、満期になった諸債務は、その売りによってこれらの債務が生まれた諸商品の価格総額を表わしている。
・この価格総額の実現に必要な貨幣量は、まず第一に支払手段の流通速度によって定まる。
・この流通速度は二つの事情によって定まる。
・第一には、Aが自分の債務者Bから貨幣を受け取って次にこの貨幣を自分の債権者Cに支払うというような債権者と債務者との関係の連鎖であり、第二には支払期限と支払期限との間の時間の長さである。
・いろいろな支払の連鎖、すなわちあとから行なわれる第一の変態の連鎖は、さきに考察した諸変態列のからみ合いとは本質的に違っている。
・流通手段の流通では、売り手と買い手の関連がただ表現されているだけではない。
・この関連そのものが、貨幣流通において、また貨幣流通とともに、はじめて成立するのである。
・これに反して、支払手段の運動は、すでにそれ以前にできあがっている社会的な関連を表わしているのである。

●支払手段の流通速度とは何かが問題となりました。「それは、支払手段として機能する貨幣が一定の期間に何回持ち手を変えるかということであり、流通回数といった方が分りやすい」という意見が出されました。

■ ◎「さまざまな支払期限のあいだの時間の長さ」とは?
 ここで問題になったのは下線の部分についてです。まず「さまざまな支払い期限のあいだの時間の長さ」とは一体どういうことか、またそれは支払手段の流通速度にどのように関係するのかということと、もう一つはそれはその前にある「債務者と債権者との諸関係の連鎖」に含まれるのではないか、という疑問です。これも色々と議論は出ましたが、しかし最終的にはこれだいう解決には至らなかったように思います。この問題を少し考えてみましょう。
 流通手段としての貨幣の流通速度とは、同じ貨幣片が与えられた時間内に流通する(商品の価格を実現する)回数でした。だから今回の場合の「支払手段の流通速度」というのも、与えられた時間内に同じ貨幣片が支払手段として支払われる回数ということになります。これは流通手段の場合と同様、「さしあたり」次の(第6)パラグラフで述べているような「相殺」を考えに入れないとすれば、時間的・空間的に平行して行われる諸支払いの場合は同じ貨幣片がそれらの諸支払いを同時に果たすことは出来ません。だから諸支払いが時間的に継続して起こることが必要です。しかし継続して起こるにしても、まずその連鎖が問題になります。例えばAがBに支払っても、BがCへの支払いの必要がないなら、同じ貨幣片は続けて支払われないからです。また連鎖があったとしても、その間隔がやはり問題になります。つまりAがBに支払っても、BがCに支払うまでには長い期間がある場合、次にCがDに支払うにはさらに長い期間が生じる場合を考えると、そういう場合には、今問題にしている一定期間内の枠の外に出てしまうかも知れません。だから期間が短ければ短いほど、一定期間内における連鎖によって同じ貨幣片が支払い手段として支払われる頻度が高くなります。つまり速度が早くなるわけです。だからやはり連鎖だけではなく、「諸支払い期限のあいだの時間の長さ」も支払手段の速度を規定する要因として考える必要があるわけです。だいたい以上のように考えたらよいのではないでしょうか。 (『資本論』学ぶ会ニュース NO.45 2000年8月30日)

●「さきに考察した諸変態列のからみ合い」とは何かという疑問が出され、「流通手段のところで考察されたもののことだ」という結論になりました。

■《ある一つの商品の循環をなしている二つの変態は、同時に他の二つの商品の逆の部分変態をなしている。同じ商品(リンネル)が、それ自身の変態の列を開始するとともに、他の一商品(小麦)の総変態を閉じる。その第一の変態、売りでは、その商品はこの二つの役を一身で演ずる。これに反して、生けとし生けるものの道をたどってこの商品そのものが化していく金蛹としては、それは同時に第三の一商品の第一の変態を終わらせる。こうして、各商品の変態列が描く循環は、他の諸商品の循環と解きがたくからみ合っている。この総過程は商品流通として現われる。》(国民文庫200頁・原頁126)

★現金売買では、貨幣流通によって売り手―買い手という関係がはじめて成立する。支払手段の運動は、債権者―債務者という掛売買によってすでに成立している関係を表わしている。

第6段落
・多くの売りが同時に並んで行なわれることは、流通速度が貨幣量の代わりをすることを制限する。
・反対に、このことは支払手段の節約の一つ新しい梃子(てこ)になる。
・同じ場所に諸支払が集中されるにつれて、自然発生的に諸支払の決済のための固有な施設と方法が発達してくる。
・たとえば中世の振替(virements)がそれである。
・AのBにたいする、BのCにたいする、CのAにたいする、等々の債権は、ただ対照されるだけで或る金額までは正量と負量として相殺されることができる。
・こうして、あとに残った債務差額だけを精算すればよいことになる。
・諸支払の集中が大量になればなるほど、相対的に差額は小さくなり、したがって流通する支払手段の量は小さくなるのである。

■ リヨン [Lyon]
フランス南東部、ローヌ川とソーヌ川との合流点にある都市。水陸交通の要地。伝統的な絹織物工業で知られ、機械・化学工業も盛ん。古代ローマの遺跡や大聖堂などがある。 (大辞林 第二版)

■振替制度 ふりかえせいど
通貨による決済に代わり,取引銀行の預金口座の移転を行い帳簿上のみで債権債務を決済する仕組み。現在日本では普通銀行の預金振替,郵便局の扱う郵便振替,日本銀行の当座勘定交換尻決済の振替がある。歴史的にはヨーロッパ,なかでもドイツで17世紀以降発達,小切手を使用せず振替証書で預金口座の付け替えを行っており,英国や米国では小切手で振替をした。日本にこの制度が導入されたのは1906年,郵便振替が初めである。

■手形交換所 てがたこうかんじょ
一定地域内にある多数の銀行が相互に取り立てる手形,小切手,公社債,郵便小為替,諸官庁の支払通知書などを毎日一定時刻に持ち寄って交換し,受取総額と支払総額の差額(交換尻(じり))のみを決済する場所,またはこの決済を協定する銀行の団体。交換尻は通常各行が日本銀行にもっている当座預金勘定を増やしたり減らしたりして決済する。日本では1879年大阪に創設。法務大臣の指定を受けた手形交換所は1997年末現在全国に185ヵ所。 (マイペディア)

第7段落
・支払手段としての貨幣は、媒介されない矛盾を含んでいる。
・諸支払が相殺されるかぎり、貨幣はただ観念的に計算貨幣または価値尺度として機能するだけである。
・現実の支払がなされなければならないかぎりでは、貨幣は、流通手段として、すなわち物質代謝のただ瞬間的な媒介的な形態として現われるのではなく、社会的労働の個別的な化身、交換価値の独立な定在、絶対的商品として現われるのである。
・この矛盾は、生産・商業恐慌中の貨幣恐慌と呼ばれる瞬間に爆発する。
・貨幣は恐慌が起きるのは、ただ、諸支払の連鎖と諸支払の人工的な組織とが十分に発達している場合だけのことある。
・この機構の比較的一般的な攪乱が起きれば、それがどこから生じようとも、貨幣は、突然、媒介なしに、計算貨幣というただ単に観念的な姿から堅い貨幣に一変する。
・それは、卑俗な商品では代わることができないものになる。
・商品の使用価値は無価値になり、商品の価値はそれ自身の価値形態の前に影を失う。
・たったいままで、ブルジョアは、繁栄に酔い開化を自負して、貨幣などは空虚な妄想だと断言していた。
・商品こそは貨幣だ、と。
・いまや世界市場には、ただ貨幣だけが商品だ! という声が響きわたる。
・鹿が清水を求めて鳴くように、彼の魂は貨幣を、この唯一の富を求めて叫ぶ。
・恐慌のときには、商品とその価値姿態すなわち貨幣との対立は、絶対的な矛盾にまで高められる。
・したがったまた、そこでは貨幣の現象形態がなんであろうとかまわない。
・支払に用いられるのがなんであろうと、金であろうと、銀行券などの信用貨幣であろうと、貨幣飢饉に代わりはないのである。

●「媒介されない矛盾」とはどういうことかという疑問が出され「展開されない(解決されない)矛盾、絶対的な矛盾ということではないか」との意見が出されました。

■信用貨幣 しんようかへい
信用を基礎にして流通する貨幣(厳密には貨幣代用物)。基本的には支払手段としての貨幣機能から生じたもので,最初に商業信用に基づいて商業手形が信用貨幣になったが,銀行信用の発展に伴い,これを基礎にして流通する銀行券が現代の代表的な信用貨幣になっている。当座預金による預金貨幣はその発展した形態。

★「影を失う」とはどういう意味なのだろうか?

■◎恐慌の二つの抽象的な可能性
 恐慌の可能性を論じるところでは、マルクスの叙述は弁証法的になって難しくなるように思えます。例えばすでに学んだ第三章第二節「a 商品の変態」の終わりの部分に出てくる販売と購買の分離による恐慌の可能性を論じているところでも、新しく参加した人が「マルクスは衒学的だ」などとぼやいていたことを思い出します。その部分も復習のために紹介しておきましょう。
 〈商品に内在的な対立、すなわち使用価値と価値との対立、私的労働が同時に直接に社会的労働として現れなければならないという対立、特殊な具体的労働が同時にただ抽象的一般的労働としてのみ通用するという対立、物の人格化と人格の物化との対立--この内在的矛盾は、商品変態上の諸対立においてそれの発展した運動諸形態を受け取る。だから、これらの形態は、恐慌の可能性を、といってもただ可能性のみを、含んでいる〉。
 このように恐慌は資本主義的生産に内在する矛盾の爆発として生じます。もちろん、ここで論じているのは商品流通に内在する矛盾であり、だからそれはまだ恐慌の抽象的な可能性に過ぎないのですが、しかしマルクスはいずれも矛盾の発現として論じていることが分かります。マルクスは後者を恐慌の抽象的可能性の「第一の形態」とし、前者を「第二の形態」ともしています。
 興味深いのは恐慌の抽象的可能性の「第一の形態」は「媒介されなければならない矛盾」から生まれ、「第二の形態」は「媒介されない矛盾」の発現であるということです。
 まず「第一の形態」の矛盾について分かりやすく説明している『マルクス経済学レキシコン』の栞(№6)の一文を紹介しましょう。
 〈商品は、使用価値と価値という対立物の直接的統一だから、それ自体一つの矛盾だ。だがこの矛盾は、商品の現実の交換過程のなかで、はじめて、媒介されなければならない現実的な矛盾として現れてくる。商品の使用価値としての実現と商品の価値としての実現との矛盾、等々としてね。この矛盾を媒介するものが貨幣だが、どのようにしてこの矛盾を媒介するのかというと、商品の交換過程のなかにある、商品の譲り渡しと譲り受けという二つの契機を、W-GとG-Wの二つの変態に分離することによってだね。これで矛盾がなくなるかといえば、もちろんそうではない。相合して一体をなす二契機が、外的に対立した二つの過程に独立化し、この両過程を通して、使用価値と価値との統一としての商品の矛盾が展開されることになる。交換過程の矛盾は一般化され、普遍化されざるをえない。この独立化は、それが進んでいって、ついには内在的な統一が強力的につらぬかざるをえない点にたちいたる可能性を含んでいる。これは可能性に過ぎないのだが、ともかくも、ここには恐慌の抽象的な可能性があるわけだ〉(9頁)
 ところが支払手段の機能からくる恐慌の抽象的な可能性の場合は、「媒介されない矛盾」の発現なのです。学習会でも、最初に「一つの媒介されない矛盾」とは何か、という質問が出されました。これについては続けてマルクス自身が説明しているように、支払手段としての貨幣の機能が、諸支払いが相殺される限りは観念的なものとして機能するが、しかし現実の支払いが行われなければならないとなれば、交換価値の自立した定在として、つまり現実の「貨幣としての貨幣」、「本来の貨幣」でなければならないという矛盾だと説明されました。しかし①これは果たして矛盾と言えるのかどうか、②「媒介されない」とはどういうことか、という疑問が出されました。
 まず①について、一般に、矛盾とは、例えば「AはAであるとともに非Aでもある」といった関係のことです。つまり互いに排斥の関係にありながら、同時に共存していなければならないような関係です。だから支払手段として機能する貨幣は、一方では観念的でもよいが、しかし他方では現実的な貨幣でもなければならないというのですから、明らかにそれは矛盾です。では②それが「媒介されない」とはどういうことでしょうか。まず単純な誤解としてこの「媒介されない」というのは、そのすぐ後に出てくる「素材変換のただ一時的な媒介的な形態」ということに対応させて、素材変換を「媒介しない」ということではないか、という意見も出されましたが、しかしこれはそうした意味ではなく、新日本新書版で「媒介されない」というところに[直接的]と書き換えがあるように、そのあとに出てくる「貨幣は、突然かつ媒介なしに、計算貨幣というただ観念的なだけの姿態から硬い貨幣に急変する」とあるような意味での、つまり「直接的な移行を強制されるような」という意味だろうということになりました。
 つまり交換過程に内在する矛盾の場合は、貨幣に媒介されてより発展した運動諸形態を獲得するような矛盾だったのですが、しかし支払手段の機能に内在する矛盾は、そうしたものではなく、直接的に移行しあうような矛盾だといえます。
 次にこのパラグラフで理解困難として質問が出たのは「商品の使用価値は無価値になり、商品の価値はそれ自身の価値形態をまえにして姿を消す」という部分です。これは一体どう理解すれば良いのでしょうか?
 しかしこの部分については、この部分をだけを取り出してどうこういうよりも、『経済学批判』の当該箇所を紹介しておくだけで十分と思います(下線部分を参照)。
 〈だから諸支払いの連鎖とそれらを相殺する人為的制度とがすでに発達しているところでは、諸支払いの流れを強力的に中断して、それらの相殺の機構を攪乱する激動が生じると、貨幣は突然に、価値の尺度としてのそのかすみのような幻の姿から、硬貨すなわち支払手段に急変する。だから、商品所持者がずっとまえから資本家になっており、彼のアダム・スミスを知っており、金銀だけが貨幣であるとか、貨幣は一般に他の諸商品とは違って絶対的に商品であるとかいう迷信を見下して嘲笑している、そういう発達したブルジョア的生産の状態のもとでは、貨幣は突然に、流通の媒介者としてではなく、交換価値の唯一の十全な形態として、貨幣蓄蔵者が考えているのとまったく同様な唯一の富として再現する。……これが、貨幣恐慌と呼ばれる、世界市場恐慌の特殊な契機である。こういう瞬間に唯一の富として叫び求められる「至上の善」は貨幣、現金であって、これとならんでは、他のすべての商品は、それらが使用価値であるという、まさにその理由から、無用なものとして、くだらないもの、がらくたとして、またはわがマルティーン・ルター博士の言うように、たんなる華美と飽食として現れる〉  (『資本論』学ぶ会ニュース NO.46 2000年10月9日)


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by shihonron | 2007-04-16 00:00 | 学習会の報告


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