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『資本論』を読む会の報告

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2007年 06月 26日

第63回  6月19日  第4章 貨幣の資本への転化 第1節 資本の一般的定式

6月19日(火)に第63回の学習会を行いました。「第2篇 貨幣の資本への転化 第4章 貨幣の資本への転化 第1節 資本の一般的定式」の第20段落から最後(第25段落)までと「第2節 一般的定式の矛盾」の第1段落を輪読、検討しました。(第2節については次回まとめて報告します。)

■テキストの内容と議論
第4章 貨幣の資本への転化 第1節 資本の一般的定式 
   

第20段落
・諸商品の価値が単純な流通の中でとる独立な形態、貨幣形態は、ただ商品交換を媒介するだけで、運動の最後の結果では消えてしまっている。
・これに反して、流通G―W―Gでは、両方とも、商品も貨幣も、ただ価値そのものの別々な存在様式として、すなわち貨幣はその一般的な、商品はその特殊的な、いわば仮装しただけの存在様式として、機能するだけである。
・価値は、この運動のなかで消えてしまわないで絶えず一方の形態から他方の形態に移って行き、そのようにして、一つの自動的な主体に転化する。
・自分を増殖する価値がその生活の循環の中で交互にとってゆく特殊な諸現象形態を固定してみれば、そこで得られるのは、資本は貨幣である、資本は商品である、という説明である。
・しかし、実際には、価値はここでは一つの過程の主体になるのであって、この過程のなかで絶えず貨幣と商品とに形態を変換しながらその大きさそのものを変え、原価値としての自分自身から剰余価値としての自分を突き放し、自分自身を増殖するのである。
・なぜならば、価値が剰余価値をつけ加える運動は、価値自身の運動であり、価値の増殖であり、したがって自己増殖であるからである。
・価値は、それが価値だから価値を生む、という神秘的な性質を受け取った。
・それは、生きている仔を生むか、または少なくとも金の卵を生むのである。

■《諸商品の価値が単純な流通の中でとる独立な形態、貨幣形態》の「独立な形態」は、長谷部訳では「自立的な形態」となっている。

■「存在様式」は、長谷部訳では「実存様式」となっている。

●《資本は貨幣である、資本は商品である、という説明》について「これは間違った説明だ」との発言があり、これに対して「資本は、貨幣や商品の形態をとるのであり間違っているというのはどうか」との意見が出されました。最初の発言者は「この箇所につけた注で引用されているマクラウドは《生産的目的のために使用される通貨は資本である》と言い、ジェームス・ミルは《資本は商品である》と言っている。どちらも資本の一つの形態をとらえて、それが資本だと主張するのは正しくない説明だと述べているのではないか」と答えました。

■《この過程のなかで絶えず貨幣と商品とに形態を変換しながらその大きさそのものを変え、原価値としての自分自身から剰余価値としての自分を突き放し、自分自身を増殖するのである。》は、長谷部訳では次のようになっている。
《この過程においては、価値が貨幣形態と商品形態とのたえざる変換のもとでその大いさそのものを変じ、本源的価値としての自分じしんから剰余価値としての自分をうち出汁、自分じしんを増殖するのである。》(131頁)

●単純な商品の流通 W―G―W については「第3章 貨幣 第2節 流通手段 a 商品の変態」でも取り上げられていた。その運動(変態)の主体は商品であったといえるのではないかとの発言がありました。

第21段落
・このような過程のなかで価値は貨幣形態と商品形態とを取ったり捨てたりしながらしかもこの変換のなかで自分を維持し自分を拡大するのであるが、このような過程の全面をおおう主体として価値はなによりもまず一つの独立な形態を必要とするのであって、この形態によって価値の自分自身との同一性が確認されなければならないのである。
・そして、このような形態を、価値はただ貨幣においてのみもっているのである。
・それだからこそ、貨幣は、どの価値増殖過程でもその出発点と終点とをなしているのである。
・それは100ポンド・スターリングだった、それは今では110ポンドである、等々。
・しかし、貨幣そのものはここではただ価値の一つの形態として認められるだけである。・というのは、価値はその二つの形態をもっているからである。
・商品形態をとることなしには、貨幣は資本にはならない。
・だから、貨幣はここでは貨幣蓄蔵の場合のように商品にたいして対抗的な態度はとらないのである。
・資本家は、すべての商品が、たとえそれがどんなにみすぼらしく見えようとも、どんなにいやな臭いがしようとも、内心と真実とにおいては貨幣であり、内的に割礼をうけたユダヤ人であり、しかも貨幣をより多くの貨幣にするための奇跡を行なう手段であるということを知っているのである。

■「全面をおおう主体」は、長谷部訳では「支配的主体」となっている。

■《貨幣そのものはここではただ価値の一つの形態として認められるだけである》は、長谷部訳では《貨幣そのものは、ここでは価値の一つの形態としてのみ意義をもつ》となっている。

●「認められる」「意義をもつ」の原文は、おそらくgeltenだろうとの発言がありました。日本語では「通用する」「妥当する」と訳されることもある。

■gel・ten*  [ltnゲルテン]  〔(現在形)du giltst, er gilt(過去形)galt(過去分詞)gegolten〕
1(自動詞)
【1】効力がある,有効である,通用する
Ihr Pass gilt nicht mehr.あなたのパスポートはもう無効です
Das gilt nicht.(ゲームなどで)それは反則だ
《für+(4格の名詞)と》Das Gesetz gilt für alle Bürger.その法律はすべての市民に適用される
Das gilt auch für dich! それは君の場合も同じだ!
《von+(3格の名詞)と》Das Gleiche gilt auch von ihm.同じことは彼についても言える
【2】(alsまたはfür ...)〔…と〕見なされている,〔…で〕通っている
Er gilt als(またはfür)klug.彼は賢いと思われている
Er gilt als ein nüchternerMann.彼は冷静な男とみなされている((参考)alsのあとには1格の名詞や形容詞,fürのあとには4格の名詞や形容詞がくる)
【3】((3格の名詞))〔…(3格)に〕向けられている
Diese Worte gelten ihm.その言葉は彼に向けられている
◆(4格の名詞)+gelten lassen…(4格)を承認する
Ich lasse diese Erklärung nicht gelten.私はこの釈明を認めない
2(他動詞)((4格の名詞))〔…(4格)に〕値する,〔…(4格)の〕価値がある
Diese Münze gilt 30 Mark.この硬貨は30マルクの価値がある
Sein Wort gilt bei uns wenig.彼の言うことはわれわれの間では信用がない
Was gilt die Wette? 何を賭けようか?
3(非人称動詞)
【1】(zu不定詞句)〔…することが〕重要である
Jetzt gilt es zu zeigen, dass du ein Mann bist.今こそ君が男だということを示すべきだ
【2】((4格の名詞))(文語)〔…(4格)に〕かかわる
Es gilt das Glück deiner Familie.君の家族の幸せにかかわることだ
(三修社「アクセス独和辞典」 http://www5.mediagalaxy.co.jp/sanshushadj/)

●《貨幣はここでは貨幣蓄蔵の場合のように商品にたいして対抗的な態度はとらない》の「対抗的態度」とはどういう意味かとの疑問が出され、貨幣蓄蔵においては貨幣形態を固持する、けっしてそれで商品を購入しないということだろうという結論になりました。


第22段落
・単純な流通では、商品の価値は、せいぜい商品の使用価値に対立して貨幣という独立な形態を受け取るだけであるが、その価値はこでは、突然、過程を進行しつつある、自分自身で運動する実体として現われるのであって。この実体にとっては商品や貨幣は両方ともただの形態でしかないのである。
・だが、それだけではない。
・いまや価値は、諸商品の関係を表わしているのではなく、いわば自分自身にたいする私的な関係にはいるのである。
・それは、原価値としての自分を剰余価値としての自分自身から区別する。
・つまり父なる神としての自分を子なる神としての自分自身から区別するのであるが、父も子も同じ年なのであり、しかも実は両者は一身なのである。
・なぜならば、ただ10ポンド・スターリングという剰余価値によってのみ、前貸しされた100ポンドは資本になるのであって、それが資本になるやいなや、すなわち子が生まれて子によって父が生まれるやいなや、両者の区別は再び消えてしまって、両者は一つのもの、110ポンドであるからである。

★資本としての貨幣の流通 G―W―G’においてはは、価値は自分自身で運動する実体である。単純な商品の流通 W―G―W において貨幣は商品の使用価値に対立する、商品の価値の独立的表現(いわば商品の影)でしかなかったが、今や価値そのものが主体となり、商品や貨幣という形態をとる。

★「価値は、諸商品の関係を表わしているのではなく、いわば自分自身にたいする私的な関係にはいる」とはどういうことか? 労働生産物は、他の労働生産物との交換関係のなかで商品になる。交換関係は、価値としての関係であり、価値は商品と商品の関係(物理的とか化学的などの自然的関係ではなく社会的関係)を表わしているといえるのではないか。《自分自身にたいする私的な関係》ではなく、他の商品との社会的な関係を表わしていると理解できるのではないか。

■《商品の価値対象性は、どうにもつかまえようのわからないしろものだということによって、マダム・クイックリとは違っている。商品体の感覚的に粗雑な対象性とは正反対に、商品の価値対象性には一分子も自然素材ははいっていない。それゆえ、ある一つの商品をどんなにいじりまわしてみても、価値物としては相変わらずつかまえようがないのである。とはいえ、諸商品は、ただそれらが人間労働という同じ社会的な単位の諸表現であるかぎりでのみ価値対象性をもっているのだということ、したがって商品の価値対象性は純粋に社会的であるということを思い出すならば、価値対象性は商品と商品との社会的な関係のうちにしか現われえないということもまたおのずと明らかである。われわれも、じっさい、諸商品の交換価値または交換関係から出発して、そこに隠されている価値を追跡したのである。いま、われわれは再び価値のこの現象形態に帰らなければならない。》(「第1章 第3節 価値形態または交換価値」の第2段落 国民文庫93頁・原頁62) 

第23段落
・つまり、価値は、過程を進みつつある価値、課程を進みつつある貨幣になるのであり、そしてこのようなものとして資本になるのである。
・それは、流通から出てきて、再び流通にはいって行き、流通のなかで自分を維持し自分を何倍にもし、大きくなって流通から帰ってくるのであり、そしてこの同じ循環を絶えず繰り返してまた新しく始めるのである。
・G―G’、貨幣を生む貨幣――money which begets money――、これが資本の最初の通訳、重商主義者たちの口から出た資本の描写である。

■「資本の最初の通訳、重商主義者たち」は、長谷部訳では「資本の最初の通弁たる重商主義者たち」となっている。

第24段落
・売るために買うこと、もっと完全に言えば、より高く売るために買うこと、G―W―G’は、たしかに、ただ資本の一つの種類だけに、商人資本だけに特有な形態のように見える。
・しかし、産業資本もまた、商品に転化し商品の販売によってより多くの貨幣に再転化する貨幣である。
・買いと売りとの中間で、すなわち流通過程の外で行なわれるかもしれない行為は、この運動形態を少しも変えるものではない。
・最後に利子生み資本では、流通G―W―G’は、短縮されて、媒介のない結果として、いわば簡潔体で、G―G’として、より多くの貨幣に等しい貨幣、それ自身よりも大きい価値として、現われる。

●ここで本文でははじめて「産業資本」が登場するとの指摘がありました。

■《産業資本もまた、商品に転化し商品の販売によってより多くの貨幣に再転化する貨幣である。》は、長谷部訳では《産業資本もまた、貨幣――みずから商品に転形し、そして商品の販売によって、みずからをより多くの貨幣に再転化する貨幣――である。》となっている。

●「商人資本」について前期的資本のみをさしているのだろうか、「商業資本」と区別してこの言葉が使われているのだろうかの疑問が出され、調べてみることになりました。

■『資本論辞典』(青木書店)の「商業資本」の項目では「〈商業資本〉および〈商人資本〉という用語も、同じ意味のものとして使用されているとみてよい。」と書かれています。(253頁)

■シスモンディ  1773‐1842
スイスの経済学者,歴史家。シモンド・ドゥ・シスモンディが姓であるが,ふつうはシスモンディとよばれる。経済学史上,古典派とロマン派の境界に位置する。ジュネーブの上流階級に属する新教徒牧師の家に生まれたが,フランス革命の政治的・経済的衝撃によって地位と財産を失った一家は,一時イギリスに,ついでイタリアに亡命し,トスカナのペッシャに定住する。しかし,シスモンディの政治家,思想家としての活動の場所は,革命後のジュネーブとパリであり,死んだのはジュネーブ近郊であった。経済学においては,彼はアダム・スミスの信奉者として出発するが,ヨーロッパ各国で恐慌のなかにある労働者の窮乏をみたり,イギリスでロバート・オーエンに会ってその影響をうけたりして,主著《経済学新原理》2 巻 (1819) では資本主義批判に転じた。彼の対策は,独立小生産者の社会の再建であったので,小市民的あるいはロマン主義的反動とよばれることがあるが,最初のリカード派社会主義者という評価もある。ほかに,《中世イタリア諸共和国史》16 巻 (1807‐18), 《フランス史》31 巻 (1821‐44) など著書多数。  (水田 洋 世界大百科事典)

■「マルクスは古典派経済学の始めと終わりの代表者を、イギリスにおいてペティとリカード、フランスにおいてはポアギュベールとシスモンディにもとめ、シスモンディをリカードに対応させて評価している。《リカードにおいて経済学がおそれることなく、その最後の結論をひきだし、それをもって終結をつげたとすれば、シスモンディは、経済学の自己自身に対する疑惑を表明することによって、この終結を補完したのである。》」
(『資本論辞典』494頁)


■ペティ William Petty 1623‐87
イギリスの経済学者,統計学者。はじめ船乗りであったが,1643 年大陸に渡り医学と数学を学び,帰国後オックスフォード大学の解剖学の教授。 52 年,クロムウェルのアイルランド派遣軍の軍医として従軍,さらにアイルランドの没収地の測量〈ダウン・サーベー〉の仕事を行った。 62 年王立協会会員。主要著作は《租税貢納論》(1662),《政治算術》 (1690), 《アイルランドの政治的解剖》 (1691) だが,特に《政治算術》において,〈数と量と尺度〉を用いる議論によってイギリスとフランスの国力比較を試みた。これによって彼は〈政治算術〉なる学問の創始者となったが,また国富の推定にあたって労働を価値の尺度と考え,余剰利得という概念をも提起したことから,マルクスによって〈経済学の最初の形態〉と呼ばれるにいたった。しかし,土地または自然にも価値を生む力があると考えていた点では,労働価値論としては不十分さを残している。友人のJ.グラントとともに〈近代統計学の父〉ともいわれる。 竹内 啓+ 浜林 正夫  (世界大百科事典)

■ リカード David Ricardo 1772‐1823
古典派経済学の完成者とみなされ,今日にも大きな影響力を及ぼしているイギリスの経済学者。オランダ生れのユダヤ教徒の株式仲買人の子としてロンドンに生まれ,初等教育だけで 14 歳から父の見習として働いたが, 1793 年クエーカー教徒との結婚のため父に義絶された。その後独立の株式仲買人となり,とくに公債引受人として成功し,大きな財産を築いた。 1819 年 42 歳のとき,イギリス南西部のグロスターシャーの土地を購入して事業を退き, 地金論争 (1809‐12) ころからしだいに関心を強めていた経済学面での研究・文筆生活にはいったが,主著刊行時と同様,J.ミルの強制に近いまでの勧告によって同年下院議員となり,耳疾の悪化で急死するまで,その地位にとどまった。
 リカードは,職業柄,初めから金融問題を中心に経済問題に関心をもっていたはずだが,その関心に弾みを与えたのは,1797 年夫人の病気療養のために赴いたバース温泉で偶然接した A.スミスの《国富論》だったといわれる。 1809 年,当時の兌換 (だかん) 停止下での物価騰貴問題について《モーニング・クロニクル》紙に〈金の価格〉を寄稿,翌 10 年それを整理・再編成したパンフレット《地金の高価格》を公刊して,兌換停止が物価騰貴の原因だとして当時のイングランド銀行の不換銀行券の過剰発行を批判し,兌換の再開を求めたが,これが同年発表された《地金委員会報告書》と同一線上のものだったため,一躍経済学者として注目されるようになった。引き続く穀物法論争 (1813‐15) 時には, J.ミルの強い影響下にパンフレット《低廉な穀物価格が資本の利潤に及ぼす影響についての一試論》 (通称《利潤論》) を著して穀物法を擁護するマルサスを批判し,穀物の輸入制限は穀価騰貴=賃金騰貴によって利潤の減少と地代の増加をもたらすから,地主階級の利害と資本家・労働者階級の利害とは対立するとして, 差額地代論を中心に,価値論を除く,主著《経済学および課税の原理》(1817) の長期動態論の主要骨格を提示し,穀物の自由貿易への漸次的移行を提唱した。主著で展開された投下労働価値論からはリカード派社会主義やマルクス経済学が生まれ,また彼の差額地代論からはやがて土地国有化論が生まれた。 P.スラッファ編 (M.ドッブが協力) の《リカード全集》 (1951‐73) がある。     早坂 忠 (世界大百科事典)


第25段落
・要するに、実際に、G―W―G’は、直接に流通過程に現われているとおりの資本の一般的な定式なのである。

▼7月1日に、誤字脱字を訂正しました。



by shihonron | 2007-06-26 00:00 | 学習会の報告


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