『資本論』を読む会の報告

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2007年 07月 30日

第68回 7月24日 第4章 貨幣の資本への転化 第3節 労働力の売買

7月24日(火)に第68回の学習会を行いました。前回の復習をした後、「第2篇 貨幣の資本への転化 第4章 貨幣の資本への転化 第3節 労働力の売買」の第4段落から第9段落までを輪読、検討しました。

●は当日の議論の報告、■は資料的なもの、★は報告作成者の個人的意見です。

■テキストの内容と議論
第4章 貨幣の資本への転化 第3節 労働力の売買 
    

第4段落
・貨幣所持者が労働力を市場で商品として見いだすための第二の本質的な条件は、労働力所持者が自分の労働の対象化されている商品を売ることができないで、ただ自分の生きている肉体のうちにだけ存在する自分の労働力そのものを商品として売り出さなければならないということである。

★第3段落では、貨幣所持者が労働力を市場で商品として見いだすための第一の本質的な条件として、労働力の所持者が労働力を売り出すこと、そのためには労働力の所持者は「労働力を自由に処分することができなければならず、したがって彼の労働能力の、彼の一身の自由な所持者でなければならない。」と述べられていた。

第5段落
・ある人が自分の労働力とは別な商品を売るためには、もちろん彼は生産手段たとえば原料や労働用具などをもっていなければならない。
・彼は革なしで長靴をつくることはできない。
・彼にはそのほかに生活手段も必要である。
・未来の生産物では、したがってまたその生産がまだ終わっていない使用価値では、だれも、未来派の音楽家でさえも、食ってゆくことはできない。
・そして、人間は、地上に姿を現した最初の日と変わりなく、いまもなお毎日消費しなければならない。
・彼が生産を始める前にも、生産しているあいだにも。
・もし生産物が商品として生産されるならば、生産物は生産されてから売られなければならないのであって、売られてからはじめて生産者の欲望を満足させることができるのである。
・生産時間にさらに販売のために必要な時間が加わってくるのである。

●「生産手段」という言葉はここではじめて登場したのではないかとの発言がありました。これに対して第1章第1節第2段落「商品は、まず第一に、外的対象であり、その諸属性によって人間のなんらかの種類の欲望を満足させる物である。この欲望の性質は、それがたとえば胃袋から生じようと空想から生じようと、少しも事柄を変えるものではない。ここではまた、物がどのようにして人間の欲望を満足させるか、直接に生活手段として、すなわち受用の対象としてか、それとも回り道をして、生産手段としてかということも、問題ではない。」が最初に登場した箇所だとの指摘がありました。

●労働力の販売は、労働力所持者が生産手段も生活手段ももっていないという条件の下で必然となる。ここで、生産手段だけではなく生活手段ももっていないことの指摘に注目しておこうとの発言がありました。

第6段落
・だから、貨幣が資本に転化するためには、貨幣所持者は商品市場で自由な労働者に出会わなければならない。
・自由というのは二重の意味でそうなのであって、自由な人として自分の労働力を自分の商品として処分できるという意味と、他方では労働力のほかには商品として売るものをもっていなくて、自分の労働力の実現のために必要なすべての物から解き放たれており、すべての物から自由であるという意味で、自由なのである。

■冒頭の「だから」は、新日本出版社版やフランス語版では「したがって」と訳されている。

●〈ドイツ語に「Vogelfrei」という単語がある。Vogelとはワンダーフォーゲルのフォーゲルで鳥という意味、freiは英語のfree と同じで自由なという意味。Vogelfreiは、鳥のように自由なということになるが、行き倒れた人を鳥が自由についばむといった意味がある。〉との発言がありました。

■ vo・gel・frei [フォーゲル・フライ](形容詞)
法律の保護外に置かれた
(4格の名詞)+für vogelfrei erklären…(4格)から法律の保護を奪う

■発言者のIさんから、後日つぎのような紹介がありました。
〈先週発言したことについて,検索してみました。
「Vogelfrei マルクス」で検索したら                 http://www.osk.3web.ne.jp/~kamamat/matusige/tuika1/roumusyagainen1.htm

《労務者》概念と差別の起源 というのが載っています。その末尾にこう書いてあります。真意は理解できない部分もありますが。

「ドイツ語では、《浮浪者》に対して「フォーゲルフライ(Vogelfrei)」という言葉があります。フォーゲルというのは鳥なんですね。フライは英語のフリー。《鳥のように自由な》というわけですが、しかし、行き倒れになって《鳥が自由についばむ》ままにゆだねられる、という意味に使われ、これが定住してない人を指します。ですから字引を引くと《鳥のように自由な》とは訳してない。《法の保護の埒外に置かれた》というんです。つまり《カゴのなかにいない》ということ。カゴのなかにいないと法律は護ってくれない。これはドイツ語としてはおもしろいことだと思うんだけども、鳥のように自由だと、いつ、どんな殺され方をしても文句はいえない。それは《無宿人》がそうでしょ。そのへんで、さっきからドイツ語のことで考えていたんです。」

資本論では第24章で,マルクスは6箇所ほど使用しています。国民文庫(3)p361,362,364,374,392,405等。特にp361「人間の大群が突然暴力的にその生活維持手段から引き離されて無保護なプロレタリアとして云々」

ここで「無保護な」のところをドイツ語原典にあたってみましたところ,すべて vogelfrei になっています。マルクスは「生活維持手段から引き離されて」の意味で使っていると思われます。〉

第7段落
・なぜこの自由な労働者が流通部面で自分の前に立ち現れるかという問題には、労働市場を商品市場の一つの特殊な部門として自分の前に見いだす貨幣所持者は関心をもたない。
・そしてこの問題はしばらくは我々の関心事でもない。
・われわれは、事実にしがみつくという、貨幣所持者が実地にやっていることを、理論的にやるわけである。
・とはいえ、一つのことは明らかである。
・自然が、一方の側に貨幣または商品の所持者を生みだし、他方の側にただ自分の労働力だけの所持者を生みだすのではない。
・この関係は、自然史的な関係ではないし、また、歴史上のあらゆる時代に共通な社会的関係でもない。
・それは、明らかに、それ自身が、先行の歴史的発展の結果なのであり、多くの経済的変革の産物、たくさんの過去の社会的生産構成体の没落の産物である。

★さしあたりは「二重の意味で自由な労働者」の存在を所与のものとして受け取って分析を進める。それがどのように生みだされたのかについては、後に第24章「いわゆる本源的蓄積」でとりあげられることになる。

●「社会的生産構成体」というのは、「経済的社会構成体」と同じ意味なのだろうかとの疑問が出されました。結論は出ませんでしたが、この箇所は新日本出版社版では「それは明らかに、それ自身、先行の歴史的発展の結果であり、幾多の経済的変革の産物、すなわち社会的生産の全一連の古い諸構成体の没落の産物である。」(上製版289頁)、フランス語版では「それは明らかに、先行する歴史的発展の結果であり、あらゆる一連の古い社会的生産形態の破壊から生じた多数の経済的革命の産物である。」(157頁)となつている。

第8段落
・さきに考察した経済的諸範疇もまたそれらの歴史的痕跡を帯びている。
・生産物の商品としての定在のうちには一定の歴史的な諸条件が包み込まれている。
・商品になるためには、生産物は、生産者自身のための直接的生活手段として生産されてはならない。
・われわれが、さらに進んで、生産物のすべてが、または単にその多数だけでも、商品という形態をとるのは、どんな事情のもとで起きるかを探究したならば、それは、ただ、まったく独自な生産様式である資本主義的生産様式の基礎の上だけで起きるものだということが見いだされたであろう。
・とはいえ、このような探究は商品の分析には遠いものだった。
・商品生産や商品流通は、非常に大きな生産物量が直接に自己需要に向けられていて商品に転化していなくても、つまり社会的生産過程がまだその広さからも深さからも完全には交換価値に支配されていなくても、行なわれうるのである。
・生産物が商品として現われることは、社会内の分業がかなり発展して、最初は直接的物々交換に始る使用価値と交換価値との分離がすでに実現されていることを条件とする。
・しかし、このような発展段階は、歴史的に非常に違ったいろいろな経済的社会構成体に共通なものである。

●「さきに考察した経済的諸範疇」とは何かという疑問が出され、「商品、貨幣、資本ではないか」との発言がありました。

●「《交換価値に支配される》とは価値法則が貫徹することを意味しており、資本主義社会になってはじめて価値法則が社会全体をとらえるということではないか」との発言がありました。★果たしてそうか、再検討した方がいいように思えます。

■ 社会構成体 しゃかいこうせいたい Gesellschaftsformation[ドイツ]
 史的唯物論の立場から社会発展を世界史的に把握する際の基本概念。発展段階あるいは歴史の時代区分にも相当する。 経済的社会構成体ökonomische Gesellschaftsformationあるいは社会経済構成体sozialökonomische Formation ともいう。人間は生きていくために,彼自身の意志を超えて与えられている一定の社会関係にはいらねばならない。この関係の基本が生産関係であり,これは,その時代に相応する発達程度の生産力に照応している。こうした生産諸関係の総体が社会の経済的構造であり,いわば土台 Basis (下部構造 Unterbau) である。政治的・法律的諸制度や社会的諸意識形態すなわちイデオロギーあるいは固有の文化などは,いわば上部構造Überbau であって,こうした土台のうえにのみ成立し,そこからさまざまな規定や制約を受ける。そこで,その時代に相応する生産諸力が特性的な経済的構造に編成されるしかたを生産様式と呼ぶとすれば,生産様式は土台と上部構造との関係をも基本的な点で特色づけることになり,ここに歴史的に固有な社会構成体が成り立つのである。
 社会構成体は累重的かつ前進的に生成する。マルクスは《経済学批判》序言でアジア的,古代的,封建的,近代ブルジョア的という四つの生産様式をあげ,その発展段階を示唆したが,現在では原始共同体,奴隷制社会,封建制社会,資本主義社会,社会主義社会という 5 段階を想定するのが定説とされている。こうした諸段階は,一つの社会構成体の内部で生産力が十分に発達し,既存の生産諸関係がそれに照応しなくなることによって土台が変わり,それに応じて徐々に,あるいは急激に上部構造が変革されることを通じて継起していく。こうした変化を具体的に表現するものが階級闘争であり,社会革命である。しかし,上部構造はとくにその文化的な面でしばしば強い相対的自律性をもち,具体的にある地域にある民族によって形成される社会の発展を制約するものであるから,こうした発展段階がすべての社会によって順次にたどられるのではない。  庄司 興吉 (世界大百科事典)

第9段落
・あるいはまた貨幣に目を向けるならば、それは商品交換のある程度の高さを前提する。
・種々の特殊な貨幣形態、単なる商品等価物、または流通手段、または支払手段、蓄蔵貨幣、世界貨幣は、あれこれの機能の範囲の相違や相対的な重要さにしたがって、社会的生産過程の非常にさまざまな段階をそし示している。
・それにもかかわらず、これらのすべての形態が形成されるためには、経験の示すところでは、商品流通の比較的わずかな発展で十分である。
・資本はそうではない。
・資本の歴史的存在条件は、商品・貨幣流通があればそこにあるというものではけっしてない。
・資本は、生産手段や生活手段の所持者が市場で自分の労働力の売り手としての自由な労働者に出会うときにはじめて発生するのであり、そして、この一つの歴史的な条件が一つの世界史を包括しているのである。
・それだから、資本は、はじめから社会的生産過程の一時代を告げ知らせているのである。
●「単なる商品等価物」とは何かという疑問が出され、「商品価値を表現するという貨幣の機能=価値尺度機能のことを述べており、《単なる》というのは《実在的な物体形態からは区別された、したがって単に観念的な、または想像された形態》という意味で使われているのではないか」との発言がありました。

■新日本出版社版では「貨幣の特殊な諸形態――単なる商品等価物、または流通手段、または支払手段、蓄蔵貨幣、世界貨幣――は、いずれかの機能の作用範囲の違いと相対的優越とに応じて、社会的生産過程のきわめて異なる諸段階を示している」(上製版290頁)、フランス語版では「単なる等価物、流通手段、支払手段、蓄蔵貨幣、準備金などとしての貨幣の多様な機能は、それらの一方が他方にたいして相対的に優越することによって、社会的生産のきわめて多様な段階を示している。」(157-158頁)となっている。

●《この一つの歴史的な条件が一つの世界史を包括しているのである》とはどういうことかとの疑問が出されました。

■この箇所はフランス語版では《資本は、生産手段や生活手段の保有者が市場で、自分の労働力をそこに売りに来る自由な労働者に出会うところで、はじめて生まれるのであって、この唯一無二の歴史的条件が、新しい世界全体を包括する。》(158頁)となっている。

●注41に出てくる「賃労働」とはどういう意味で使われているのかという疑問が出されました。

■ 賃労働 ちんろうどう
 商品として売買される労働力によって遂行される労働。生産手段を奪われた無産者は,労働力を売って生活することを経済的に強制され,労働の代償として賃金を受け取る。労働が全部不払の形をとる奴隷労働,支払・不払部分が分割されている農奴労働に対し,全部支払の外観をとるが,実は賃労働の過程で剰余価値が生み出され,不払労働がなされる。 (マイペディア)

■ 賃労働 ちんろうどう wage labour∥Lohnarbeit[ドイツ]
 賃金収入を得るために雇用主に労働を提供すること。資本主義社会になって初めてこのような形態の労働が行われるようになった。奴隷や農奴の場合は,一定の時間決めで労働力を売るということはなかったし,また彼らは人格的にも主人や領主に従属していた。だから賃労働が支配的な形態となるためには,単なる社会への商品経済の浸透だけではなく,封建的な束縛から解放され,またこれといった生産手段をもたず,したがって生活手段ももたない,いわゆる〈二重の意味で自由〉な労働者が歴史的にまた恒常的につくりだされねばならなかった。歴史的には,これは封建的家臣団の解体やイギリスで最も典型的にエンクロージャー (囲込み運動) として現れた農民の土地からの追い出しによって行われた。 労働の対価として受けとる賃金が労働力の価値に相当し,したがって労働者は労働力を再生産するに必要な生活資料を買い戻せるにすぎないことによって,労働者が資本の再生産過程に繰り返し登場する。こうして賃労働は恒常的につくりだされる。労働者はその労働力を売ることによって,資本家ないしその代理の命ずる場所で,彼らの指揮のもとに労働に従事しなければならないのであるが,それは,そうすることによってのみ賃金が支払われるからである。そして,この賃金の後払いが労働者に対する資本家の支配を容易にし,また賃金が生活資料を買い戻すにすぎないところから,労働者は〈賃金奴隷〉として特徴づけられることもある。資本の再生産は,こうしてその実,資本家と労働者の関係の再生産にほかならないことになる。そればかりか,資本の蓄積は,より拡大された規模で賃労働者をつくりだし,彼らを資本の下に従属させることになる。賃労働者は資本の蓄積がつくりだす景気循環によって産業に吸収され,またそこから反発されながら全体としては資本家の指揮・命令に服し,賃労働を繰り返すことを余儀なくされているのである。   大塚 忠 (世界大百科事典)


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by shihonron | 2007-07-30 00:00 | 学習会の報告


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