『資本論』を読む会の報告

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2007年 09月 17日

第72回 9月4日  第5章 労働過程と価値増殖過程 第1節 労働過程

9月4日(火)に第72回の学習会を行いました。「第3篇 絶対的剰余価値の生産 第5章 労働過程と価値増殖過程 第1節 労働過程」の第1段落から第6段落までを輪読、検討しました。

■テキストの内容と議論
第5章 労働過程と価値増殖過程 第1節 労働過程 
    

第1段落
・労働力の使用は労働そのものである。
・労働力の買い手は、労働力の売り手に労働させることによって労働力を消費する。
・このことによって労働力の売り手は、現実に、活動している労働力、労働者になるのであって、それ以前はただ潜勢的にそうだっただけである。
・彼の労働を商品に表わすには、彼はそれをなによりも使用価値に、なにかの種類の欲望を満足させるのに役だつ物に表わさなければならない。
・だから、資本家が労働者につくらせるものは、ある特殊な使用価値、ある一定の品物である。
・使用価値または財貨の生産は、それが資本家のために資本家の監督のもとで行なわれることによっては、その一般的な性質を変えるものではない。
・それゆえ、労働過程はまず第一にどんな特定の社会的形態にもかかわりなく考察されなければならないのである。

■表題の「第5章 労働過程と価値増殖過程」「第1節 労働過程」は、フランス語版では「第7章 使用価値の生産と剰余価値の生産」「第1節 使用価値の生産」となっている。

●「《彼の労働を商品に表わす》と述べられている箇所での労働は、具体的有用労働のことだろうかとの疑問が出されました。

★《彼の労働を商品に表わす》と述べられている箇所での労働は、具体的有用労働でもあり抽象的人間労働でもあると考えられる。商品は、使用価値であると同時に価値であり、具体的有用労働は使用価値に対象化され、抽象的人間労働は価値に対象化される。つづいて出てくる「それ」は「労働」を指しているが、ここでは使用価値に表わされるとされているかぎりで具体的有用労働のことである。商品はまず何よりも有用物でなければならない。《使用価値は、富の社会的形態がどんなものであるかにかかわりなく、富の素材的な内容をなしている。われわれが考察しようとする社会形態にあっては、それは同時に素材的な担い手になっている――交換価値の。》(国民文庫73頁・原頁50)と述べられていたように、使用価値は価値の担い手なのである。

■フランス語版では次のようになっている。
《労働力の売り手が商品を生産するためには、彼の労働は有用でなければならない。すなわち、使用価値のうちに実現されなければならない。したがって、資本家が自分の労働者に生産させるものはある個別的な使用価値、ある個別的な物品である。》
《したがってわれわれは、社会のあれこれの経済的発展段階が有用労働に刻印するかもしれない個々の独自性はすべて度外視して、まず、有用労働一般の運動を考察しなければならない。》(上巻167頁)

■《[具体的労働=有用的労働]変形作用としての労働とは、特定の生産手段を特定の仕方で形態変化させて特定の使用価値を生産する合目的的活動のことである。(中略)この意味での労働は、特定の具体的形態における労働だから具体的労働と呼ばれ、また、なんらかの有用物を生産する労働だから有用的労働と呼ばれる。
[抽象的労働=人間的労働]労働力支出としての労働とは、人間の力の支出、発揮として見られた活動である。(中略)この意味での労働は、さまざまの具体的形態をもつ現実の労働から労働力支出という共通の質だけを抽象してみた労働だから抽象的労働と呼ばれ、またその共通の質が人間の労働力の支出だから人間的労働とも呼ばれる。抽象的労働の量は継続時間で測られる。その計測単位は、時間(time)の計測単位である、時間(hour)、分、などである。なお「人間の労働」、あるいはたんに「人間労働」と言うときには、一般に、具体的労働と抽象的労働との両面をもつ人間の労働のことを指し、「人間的労働」と言うとき、つまり「的」を入れて言うときには、人間の労働の一つの側面である、人間労働力の支出としての労働(つまり抽象的労働)のことを指す。》(大谷禎之介『図解社会経済学』18-19頁)

●「具体的有用労働は使用価値に対象化されるといった表現をすることができるのだろうか」との疑問が出され、そうした表現もありうるのではないかという発言がありました。

第2段落
・労働は、まず第一に人間と自然とのあいだの一過程である。
・この過程で人間は自分と自然との物質代謝を自分自身の行動によって媒介し、規制し、制御するのである。
・人間は、自然素材にたいして彼自身一つの自然力として相対する。
・彼は、自然素材を、彼自身の生活のために使用されうる形態で獲得するために、彼の肉体にそなわる自然力、腕や脚、頭や手を動かす。
・人間はこの運動によって自分の外の自然に働きかけてそれを変化させ、そうすることによって同時に自分自身の自然[天性]を変化させる。
・彼は、彼自身のうちに眠っている潜勢力を発現させ、その諸力の営みを彼自身の統御に従わせる。
・ここでは、労働の最初の動物的な本能的な諸形態は問題にしない。
・労働者が彼自身の労働力の売り手として商品市場に現われるという状態に対しては、人間労働がまだその最初の本能的な形態から抜け出していなかった状態は、太古的背景のなかに押しやられているのである。
・われわれは、ただ人間だけにそなわるものとしての形態にある労働を想定する。
・蜘蛛は、織匠の作業にも似た作業をするし、蜜蜂はその蝋房の構造によって多くの人間の建築師を赤面させる。
・しかし、もともと最悪の建築師でさえ最良の蜜蜂にまさっているというのは、建築師は蜜房を蝋で築く前にすでに頭のなかで築いているからである。
・労働過程の終わりには、その始めにすでに労働者の心像のなかには存在していた、つまり観念的にはすでに存在していた結果が出てくるのである。
・労働者は、自然的なものの形態変化を引き起こすだけではない。
・彼は自然的なもののうちに、同時に彼の目的を実現するのである。
・その目的は彼が知っているものであり、法則として彼の行動を規定するものであって、彼は自分の意志をこれに従わせなければならないのである。
・そして、これに従わせるということは、ただそれだけの孤立した行為ではない。
・労働する諸器官の緊張のほかに、注意力として現われる合目的的な意志が労働継続期間全体にわたって必要である。
・しかも、それは、労働がそれ自身の内容と実行の仕方とによって労働者を魅了することが少なければ少ないほど、したがって労働者が労働を彼自身の肉体的および精神的諸力の自由な営みとして享受することが少なければ少ないほど、ますます必要になるのである。

■《彼は、彼自身のうちに眠っている潜勢力を発現させ、その諸力の営みを彼自身の統御に従わせる。》は、新日本出版社版では《彼は自分の自然のうちに眠っている諸力能を発展させ、その諸力の働きを自分自身の統御に服させる。》(304頁)

●《労働の最初の動物的な本能的な諸形態》とはどんなものかとの疑問が出され、採取や狩猟ではないかとの発現がありました。

■《[労働は富の源泉であり、人間活動の基本である]労働は自然とともに物質的富の源泉であり、したがって人間生活の根本的条件である。労働はあらゆる社会を通じて、人間の生存と社会の存続にとっての第1の条件であったし、今後もそうであることをやめない。
[労働は個人の人間的発達の不可欠の条件である]労働によって人間は自分の外にある自然を変化させるが、同時に、自分自身の肉体にそなわる自然力、腕や脚や、頭や手を動かすことによって、自分自身の人間的自然を変化させる。すなわち、自分自身のなかに潜んでいる力を発現させ、自分自身の統御に従わせる。こうして自分自身の諸能力を発展させ、人間としての自分自身を発展させるのである。労働なしに個人の人間的発展はありえない。
[労働が人間そのものをつくりだした]歴史的には、ある種の類人猿がホモ・サピエンスに転化する過程で、労働が決定的な役割を果たした。自然史のなかでの人類の出現は労働なしにはありえなかった。まさしく労働が人間そのものをつくりだしたのである。
[労働は人間実践の本源的形態、人間の本源的存在形態である]人間生活の本質は、主体としての人間が客体としての現実を目的意識的、合目的的に変革する活動、つまり実践である。人間は、この活動によって、自分自身の欲求を満足させる。人間が行なうあらゆる実践活動のなかで、労働こそ最も本源的かつ基本的な実践である。労働は人間の本源的な存在形態そのものでさえある。だから人間諸個人は、本源的かつ本質的には労働する諸個人なのである。
[現代社会の労働はそのようなものとして現われていない]目的を達成することによって欲求を満足させる労働は、本来、人間にとって喜びの源泉であるはずであり、魅力あるものであり、それ自体が人間欲求の対象であるはずである。しかし現代の社会では、労働は一般にはそのようなものとして現われず、人間に喜びを与えるものであるどころか、しばしば苦痛の源泉であり、〈しなくてもよければしたくないもの〉となっている。なぜこのようなことになるのであろうか。経済学はこの問いに答えなければならない。》(大谷禎之介『図解社会経済学』13-14頁)

■《[自然過程の意識的統御としての労働]人間は、自然に働きかけて、自然から彼の欲求を充たす使用価値を取得し、消費後の廃棄物を自然のなかに戻す。これが人間特有の物質代謝の全過程である。このうち、使用価値を生産するための人間の活動が労働である。不要物の廃棄は、しばしば、意図しない自然の形態変化(環境の汚染や破壊など)を引き起こすのであり、生産活動に必然的にともなう人間活動として経済学の重要な一部をなしている。》(大谷禎之介『図解社会経済学』11頁)

第3段落
・労働過程の単純な諸契機は、合目的的な活動または労働そのものとその対象とその手段である。

第4段落
・人間のために最初から食料や完成生活手段を用意している土地(経済的には水もそれに含まれる)は、人間の手を加えることなしに、人間労働の一般的対象として存在する。
・労働によってただ大地との直接的な結びつきから引き離されるだけの物は、すべて、天然に存在する労働対象である。
・それは、たとえばその生活要素である水から引き離されて捕らえられる魚であり、原始林で伐り倒される木であり、鉱脈からはぎ取られる鉱石である。
・これに反して、労働対象がそれ自体すでに過去の労働によって濾過されているならば、われわれはそれを原料と呼ぶ。
・たとえば、すでにはぎ取られていてこれから洗鉱される鉱石はそれである。
・原料はすべて労働対象であるが、労働対象はすべて原料であるとはかぎらない。
・労働対象が原料であるのは、ただ、すでにそれが労働によって媒介された変化を受けている場合だけである。

■「完成生活手段」は、他の訳では「既成の生活諸手段」(新日本出版社版)、「そのまま利用できる生活手段」(筑摩マルクス・コレクション)となっている。

ダブリン アイルランドの首都。アイルランド島東岸にある港湾都市。造船・織物・醸造業が発達。プロテスタントの教会やダブリン城など古建築が多い。


第5段落
・労働手段とは、労働者によって彼と労働対象とのあいだに入れられてこの対象への彼の働きかけの導体として彼のために役だつ物またはいろいろな物の複合体である。
・労働者は、いろいろな物の機械的、物理的、化学的な性質を利用して、それらのものを、彼の目的に応じて、ほかのいろいろな物にたいする力手段として作用させる。
・労働者が直接に支配する対象は――完成生活手段、たとえば果実などのつかみどりでは、彼自身の肉体的器官だけが労働手段として役だつのであるが、このような場合を別として――労働対象ではなく、労働手段である。
・こうして自然的なものがそれ自身の活動の器官になる。
・その器官を彼は、聖書の言葉にもかかわらず、彼自身の肉体器官につけて加えて、彼の自然の姿を引き伸ばすのである。
・土地は彼の根源的な食糧倉庫であるが、同様にまた彼の労働手段の根源的な武器庫でもある。
・それは、たとえば彼が投げたりこすったり圧したり切ったりするのに使う石を提供する。
・土地はそれ自身一つの労働手段ではあるが、それが農業で労働手段として役立つためには、さらに一連の他の労働手段とすでに比較的高度に発達した労働力とを前提する。
・およそ労働過程がいくらかでも発達していれば、すでにそれは加工された労働手段を必要とする。
・最古の人間の洞窟のなかにも石製の道具や石製の武器が見いだされる。
・加工された石や木や骨や貝殻のほかに、人類史の発端では、馴らされた、つまりそれ自身すでに労働によって変えられた、飼育された動物が、労働手段として主要な役割を演じている。
・労働手段の使用や創造は、萌芽としてはすでにある種の動物も行なうことだとはいえ、それは人間特有の労働過程を特徴づけるものであり。それだからこそ、フランクリンも人間を“a tool-making animal ”すなわち道具を作る動物だと定義しているのである。
・死滅した動物種属の体制の認識にとって遺骨の構造がもっているのと同じ重要さを、死滅した経済的社会構成体の判定にとっては労働手段の遺物がもっているのである。
・なにがつくられたかではなく、どのようにして、どんな労働手段でつくられるかが、いろいろな経済的時代を区別するのである。
・労働手段は、人間の労働力の発達の測定器であるだけではなく、労働がそのなかで行なわれる社会的諸関係の表示器でもある。
・労働手段そのもののうちでも、全体としての生産の骨格・筋肉系統と呼ぶことのできる機械的労働手段は、ただ労働対象の容器として役だつだけでその全体をまったく一般的に生産の脈管系統と呼ぶことのできるような労働手段、たとえば管や槽や駕籠壺などに比べて、一つの社会的生産時代のはるかにより決定的な特徴を示している。容器としての労働手段は、化学工業ではじめて重要な役割を演ずるのである。

■《労働者は、いろいろな物の機械的、物理的、化学的な性質を利用して、それらのものを、彼の目的に応じて、ほかのいろいろな物にたいする力手段として作用させる。》は、新日本出版社版では《彼は、れらの諸物を彼の目的に応じて、他の諸物に働きかける力の手段として作用させるために、それらの物の機械的・物理的・化学的諸属性を利用する。》(308頁)となっている。

■《死滅した動物種属の体制》は、新日本出版社版では《絶滅した動物種属の身体組織》(309頁)となっている。

●農業において土地は労働対象といえるのではないかとの疑問が出されましたが、今後の宿題ということになりました。

第6段落
・もっと広い意味で労働過程がその手段のうちに数えるものとしては、その対象への労働の働きかけを媒介ししたがってあれこれの仕方で活動の導体として役だつ物のほかに、およそ過程が行なわれるために必要なすべての対象的条件がある。
・それらは直接には過程にはいらないが、それらなしでは過程はまったく進行することができないか、またはただ不完全にしか進行することができない。
・この種類の一般的労働手段はやはり土地そのものである。
・なぜならば、土地は、労働者に彼の立つ場所[ locus stand]を与え、また彼の過程に仕事の場所[field of employment]を与えるからである。
・この種類のすでに労働によって媒介されている労働手段は、たとえば作業用の建物や運河や道路などである。

★9月22日に誤字を訂正しました。 


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by shihonron | 2007-09-17 00:00 | 学習会の報告


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