『資本論』を読む会の報告

shihonron.exblog.jp
ブログトップ
2007年 12月 31日

第84回 12月18日 第7章 剰余価値率 第1節 労働力の搾取度

12月18日(火)に第84回の学習会を行いました。「読む会通信№264」をもとに前回の復習を行なった後、「第7章 剰余価値率」の第6段落から第10段落までを輪読、検討しました。

●は議論の報告、■は資料、★は報告者によるまとめや意見や問題提起です。

■テキストの内容と議論
第7章 剰余価値率
第6段落
・もう一つの困難は、可変資本の元来の形態から生ずる。
・たとえば、前例ではC´=410ポンドの不変資本+90ポンドの可変資本+90ポンドの剰余価値 である。
・しかし、90ポンドは一つの与えられた量、すなわち不変量であり、したがって、それを可変資本として取り扱うことは不合理のように見える。
・しかし、90ポンドVすなわち90ポンドの可変資本は、ここではじつはただこの価値が通過する過程の象徴でしかないのである。
・労働力の買い入れに前貸しされる資本部分は、一定量の対象化された労働であり、したがって、買われる労働力の価値と同じに不変な価値量である。
・ところが、生産過程そのものでは、前貸しされた90ポンドに代わって、自ら活動する労働力が現れれ、死んでいる労働に代わって生きている労働が現れ、静止量に代わって流動量が、不変量に代わって可変量が現れるのである。
・その結果は、vの再生産・プラス・vの増加分である。
・資本主義的生産の立場から見れば、この全課程は、労働力に転換される元来は不変な価値の自己運動である。
・過程もその結果も、この価値のおかげである。
・それゆえ、もし90ポンドの可変資本とみずから増殖する価値という定式が矛盾したものに見えるとしても、それはただ資本主義的生産に内在する一つの矛盾を表しているだけなのである。

●《もう一つの困難》の「困難」とはどういう意味かという疑問が出され、「理解するこがむずかしいこと、あるいは難問といった意味ではないか」との発言がありました。また、「もう一つの」とあるが、これ以前にどんな困難が指摘されていたのかが問題となりました。これについては、「第5段落の《現実の価値変化も、また価値が変化する割合も、総資本の可変成分が増大するので前貸総資本もまた増大するということによって不明にされるのである》ということではないか」との発言がありました。

★《可変資本の元来の形態》は、新日本出版社版では《可変資本の最初の形態》マルクスコレクション版では《可変資本のもともとの形態》、長谷部訳では《可変資本の本源的形態》と訳されている。可変資本は、貨幣という形態で過程を開始するということだろう。

★《90ポンドvすなわち90ポンドの可変資本は、ここではじつはただこの価値が通過する過程の象徴でしかない》と書かれているがこの「象徴」とは、90ポンドという貨幣形態での可変資本は、可変資本が運動の過程で取る一つの形態であるに過ぎないという意味だと思われる。可変資本は、貨幣―労働力…生産物(商品の)の一部分―貨幣という形態変換をしつつ運動する。

★ 「死んでいる労働」=対象化された労働=価値
  「生きている労働」=流動状態にある労働力=価値を形成する

●《資本主義的生産の立場》とはどういう意味かが問題となり「資本家的立場のこと、資本家の持っている観念という意味ではないか」という発言がありましたが、これに対して「資本家の観念とはいえないのではないか」という疑義が出されました。

★《過程もその結果も、この価値のおかげである》という認識は、資本家的立場からのものである。

●《資本主義的生産に内在する一つの矛盾》とは何かが問題となり、取得法則の転回を指しているのではないか」との発言がありました。

★資本家と労働者は市場で等価交換(労働力商品の価値通りでの売買)を行うが、それは実質的には(労働と労働との交換としてみれば)不等価交換であるということを《資本主義的生産に内在する一つの矛盾》といっているように思える。

第7段落
・不変資本をゼロに等しいとすることは、一見したところ奇妙に思われる。
・とはいえ、それは日常生活では人々がいつでもやっていることである。
・たとえば、イギリスが綿工業であげる利益を計算しようとする人は、まず第一に、合衆国やインドやエジプトなどに支払われる綿花価格を引き去る。
・すなわち、彼は生産物価値のうちただ再現するだけの資本価値をゼロに等しいとするのである。

●「利益を計算するときには原材料費だけではなく人件費も引き去るのではないか」との発言がありこれに対して「確かにその通りだが、原材料費を引き去ることを取り上げればそれは原材料費をゼロと見なすことだといっているのではないか」との発言がありました。

第8段落
・もちろん、剰余価値の直接の源泉であり剰余価値によってその価値変化を表される資本部分にたいする剰余価値の比率だけではなく、前貸総資本にたいする剰余価値の比率もまた大きな経済的意義を持っている。
・それゆえ、われわれは第3部ではこの比率を詳細に論ずるのである。
・資本の一部分を労働力に転換することによって価値増殖するためには、資本のもう一つの部分は生産手段に転化されなければならない。
・可変資本が機能するためには、不変資本が労働過程の一定の技術的性格に応じて適当な割合で前貸しされなければならない。
・しかし、ある化学的な処置のためにレトルトやその他の容器を必要とするという事情は、分析に対してレトルトそのものを捨象することを妨げるものではない。
・価値創造と価値変化がそれ自身として、すなわち純粋に考察されるかぎりでは、生産手段は、不変資本のこの素材的な姿は、ただ、流動的な価値形成的な力がそこに固定されるべき素材を提供するだけである。
・それだから、この素材の性質も、綿花であろうと鉄であろうと、何でもかまわないのである。
・また、この素材の価値もどうでもよいのである。
・ただ、この素材が、生産過程中に支出される労働量を吸収することができるだけの十分な量でありさえすればよいのである。
・それだけの量が与えられていさえいれば、その価値が上がろうと下がろうと、またそれが土地や海のように無価値であろうと、それによって価値創造と価値変化との過程が影響されることはないのである。

レトルト (オランダ)[retort]
化学実験器具の一。蒸留・乾留を行うもの。ガラスまたは金属製。球状の加熱反応部と、その上部から側方下向きに出ている細長い管とからなる。似た形で工業用の大型蒸留装置をもいう。(大辞林 第二版)

第9段落
・こういうわけで、われわれはさしあたりは不変資本部分をゼロに等しいとする。
・したがって、前貸しされる資本は c+v からvに、また、生産物価値は(c+v)+m は価値生産物(v+m)に縮小される。
・価値生産物=180ポンドが与えられていて、生産過程の全継続期間にわたって流動する労働がそれで表されるとすれば、われわれは、剰余価値=90ポンドを得るためには、可変資本の価値=90ポンドを引き去らなければならない。
・90ポンド=mという数は、ここでは、生産された剰余価値の絶対量を表している。
・しかし、その比例量、すなわち可変資本が価値増殖した割合は、明らかに、可変資本にたいする剰余価値の比率によって規定されている。
・またm/vで表されている。
・つまり前例では90/90=100% である。
・この可変資本の価値増殖の割合、または、剰余価値の比例量を私は剰余価値率と呼ぶのである。

★剰余価値率= m/vであり、それは可変資本の価値増殖の割合を表す。

第10段落
・すでに見たように、労働者は労働過程の一部分ではただ自身の労働力の価値、すなわち自分の必要生活手段の価値を生産するだけである。
・彼は社会的分業にもとづく状態のもとで生産するのだから、自分の生活手段を直接に生産するのではなく、ある特殊な商品、たとえば糸という形で自分の生活手段の価値に等しい価値、または彼が生活手段を買うための貨幣に等しい価値を生産するのである。
・彼の労働日のうちで彼がこのために費やす部分は、彼の平均一日の生活手段の価値に応じて、すなわちこの生活手段の生産のために必要な一日平均の労働時間に応じて、比較的大きいこともあれば小さいこともある。
・彼の一日の生活手段の価値が、平均して、対象化された6時間労働を表すとすれば、労働者はこの価値を生産するために平均して毎日6時間労働しなければならない。
・かりに彼が資本家のためではなく自分自身のために独立に労働するとしても、その事情が変わらないかぎり、自分の労働力の価値を生産してそれによって自分自身の維持または不断の再生産に必要な生活手段を得るためには、やはり平均して1日のうちの同じ可除部分だけ労働しなければならないであろう。
・しかし、1労働日のうち彼が労働力の日価値たとえば3シリングを生産する部分では、彼はただ資本家によってすでに支払われた労働力の価値の等価を生産するだけだから、つまり新たに創造された価値でただ前貸可変資本価値を補填するだけだから、この価値生産は単なる再生産として現れるのである。
・だから、1労働日のうちこの再生産が行われる部分を私は必要労働時間と呼び、この時間中に支出される労働を必要労働と呼ぶのである。
・労働者のために必要、というのは、彼の労働の社会的形態にかかわりなく必要だからである。
・資本とその世界のために必要、というのは、労働者の不断の存在はこの世界の基礎だからである。

★《資本家のためではなく自分自身のために独立に労働する》とは、独立生産者などのことだろう。マルクスは《自分の労働力の価値を生産してそれによって自分自身の維持または不断の再生産に必要な生活手段を得るため》と述べているが、独立生産者の場合には労働力の価値は問題にならない(労働力は商品として売られるわけではない)。ここでは、賃労働者における必要労働を投影するような形で述べているのではないか。

●「マルクスはここで、《彼の労働の社会的形態にかかわりなく必要》と述べている。必要労働は、歴史貫通的(超歴史的)な概念ではないか」との発言がありました。

■《言うまでもなく、社会形態が異なれば、必須生活手段と剰余生産物への新生産物の分割のあり方も量的・質的に著しく異なる。とりわけ階級社会では、必須生活手段は剰余生産物に比べて量・質ともに貧弱であらざるをえない。しかし、ここでも階級間の力関係の変化で必須生活手段の内容は変化しうるものであって、固定的なものではけっしてない。かなめは、どんな社会でも、社会の総生産物は労働する諸個人の再生産にはいる部分とそれを超える部分とに分かれるのだというところにある。必須労働と剰余労働との区別は階級社会だけのものだとする一部の論者は、このことの意義と重要性とに気づいていないのである。》(大谷禎之介『図解社会経済学』27ページ 大谷禎之介氏は、通常の訳語では「必要生活手段」「必要労働」とされているものを「必須生活手段」「必須労働」と訳している。)

▲1月5日に、誤字・脱字などを訂正しました。


[PR]

by shihonron | 2007-12-31 14:00 | 学習会の報告


<< 第85回 1月8日 第7章 剰...      第83回 12月4日 第6章 ... >>