『資本論』を読む会の報告

shihonron.exblog.jp
ブログトップ
2008年 06月 23日

第13章 第8節のレジュメその1

第8節 大工業によるマニュファクチュア,手工業,家内労働の変革        s.483
a 手工業と分業とにもとづく協業の廃棄
機械を基礎とする手工業経営の再生産は,ただ工場経営への過渡をなす
① すでに見たように機械は手工業にもとづく協業を廃棄し(一例は草刈機),また手工業的労働の分業にもとづくマニュファクチュアを廃棄する(一例は縫針製造用の機械)。
 たった1台の機械が11時間の1労働日に14.5万本を供給する(A・スミスによれば,彼の時代には10人の男が分業によって1日に4.8万本以上の縫針)。女一人または少女一人が平均して4台のこの機械を見張っているので,一人で1日に約60万本以上の縫針を生産する。単一の作業機が協業やマニュファクチュアに代わって現われるかぎりでは,この作業機そのものがまた手工業的経営の基礎になることができる。しかし,このように機械を基礎として手工業経営が再生産されるということは,ただ工場経営への過渡をなすだけでる。
 蒸気や水のような機械的動力が人間の筋肉に代わって機械を動かすようになりさえすれば,いつでも工場経営が現われるのが通例である。散在的・一時的には,小経営が,蒸気の賃借りや小型の熱機関の使用などによって,機械的動力と結びつけられるということもありうる。コヴェントリの絹織物業では「小屋工場」の実験が自然発生的に広がった。方形に建てた小屋の列の中央に,蒸気機関を置くエンジン・ハウスが一つ設けられ,この蒸気機関が小屋のなかの織機とシャフトで連結された。蒸気は織機1台当たり21/2シリングで賃借りされていた。小屋工場と本来の工場との戦いは12年以上も続いた。それは,300の小屋工場の全滅で終わった。
・たとえば封筒製造や鉄ペン製造などは,通例は,工場経営になるまでの短期間の過渡段階として,まず手工業経営を,次にマニュファクチュア経営を通った。このような変態は,製品のマニュファクチュア的生産が一連の段階的諸過程からではなく多数の無関連な過程から成っている場合には,やはり非常に困難である。こういうことは,たとえば鉄ペン工場の大きな障害になっていた。しかし,15年ほども前に,6つの無関連な過程を一度にやってしまう自動装置が発明された。

b マニュファクチュアと家内労働とへの工場制度の反作用            s.485
① マニュファクチュア編成の解体
 工場制度の発展につれて,またそれに伴う農業の変革につれて,すべての他の産業部門でも生産規模が拡大されるだけでなく,それらの部門の性格も変わってくる。生産過程をそのいろいろな構成段階に分解し,そこに生ずる諸問題を力学や化学など,要するに自然科学の応用によって解決するという機械経営の原理は,どこでも決定的になってくる。こうして,機械は,ある時はこの,ある時はあの部分過程をとらえるために,マニュファクチュアに侵入してくる。それとともに,旧来の分業から生じたマニュファクチュア編制の堅い結晶は解けて,それに代わって不断の変転が現われる。このことは別としても,全体労働者または結合労働人員の構成は根底から変革される。
分業計画は"cheap labour"の充用を基礎とする
 マニュファクチュア時代とは反対に,いまや分業の計画は,婦人労働やあらゆる年齢層の子どもの労働や不熟練工の労働,イギリス人が "cheap labour" 安い労働と呼んでいる労働の充用をできるかぎり基礎とするようになる。⇒機械の使用とは関わり無く,すべての結合された生産,家内工業にもあてはまる。
家内工業は工場やマニュファクチュアや問屋の外業部=資本が支配する別軍=下請け
 いわゆる近代的家内工業と古い型の家内工業とには名称のほかにはなんの共通点もない。後者のほうは,独立な都市手工業と独立な農民経営,労働者家族の家を前提するものである。家内工業は今では工場やマニュファクチュアや問屋の外業部に変わっている。資本によって場所的に大量に集中され直接に指揮される工場労働者やマニュファクチュア労働者や手工業者のほかに,資本は,大都市のなかや郊外に散在する家内労働者の別軍をも,目に見えない糸で動かすのである。たとえば,アイルランドのロンドンデリのティリ会社のシャツ工場は,1000人の工場労働者と田舎に分散している9000人の家内労働者とを使用している。
② 工場よりも露骨な近代的マニュファクチュアでの労働力の搾取・家内労働ではもっと露骨
・工場にある技術的基礎や筋力に代わる機械の使用や労働の容易さがマニュファクチュアにはほとんどない。また,マニュファクチェアでは女や未成年者の身体が最も容赦なく毒物などの影響にさらされている。
・この搾取は,いわゆる家内労働では,マニュファクチュアで行なわれるよりももっと露骨になる。なぜならば,労働者たちの抵抗能力は彼らの分散に伴って減ってゆき,
   多くの盗人的寄生者が本来の雇い主と労働者とのあいだに押し入り,
   どこでも家内労働は同じ生産部門の機械経営や少なくともマニュファクチュア経営と戦っており,    貧窮は労働者からどうしても必要な労働条件である空間や光や換気などをさえも取り上げ,       就業の不規則性は増大し,
   労働者どうしのあいだの競争が必然的に最高度に達するからである(大工業と大農業とによって「過剰」    にされた人々の最後の逃げ場)。
・機械経営によってはじめて体系的に完成される生産手段の節約は,はじめから,同時に冷酷きわまる労働力の乱費なのであり,労働機能の正常な諸前提の強奪なのであるが,それが今では,一つの産業部門のなかで労働の社会的生産力や結合労働過程の技術的基礎の発展が不十分であれほあるほど,このような敵対的な殺人的な面をますます多くさらけ出すのである。

c 近代的マニュファクチュア----bの諸命題の実例①               s.486
① 前述の原則の例(労働日に関する章にも多数の例証)。バーミンガムとその付近の金属マニュファクチュアは,30,000人の子どもと少年,それに10,000人の女を,多くは非常に重い労働に使用している。彼らはここでは健康に有害な黄銅鋳造場やボタン工場や琺瑯・メッキ・ラック塗り作業で働いている。ロンドンのいくつかの新聞・書籍印刷工場は,成年工および未成年工の労働が過度なために「屠殺場」という名誉ある名称をえた。同じ過度労働は製本工場でも行なわれ,その犠牲はここではことに女や少女や子どもである。ロープ製造工場での未成年者の激しい労働。製塩所やろうそく製造その他の化学マニュファクチュアでの夜間労働。機械経営でない絹織物工場では織機を動かすための少年の殺人的消耗。
・最も卑しまれる,最も不潔な,最も賃金の低い労働の一つで,好んで若い娘や女が用いられるのは,ぼろの選別である。ぼろ⇒肥料・寝具用毛くず・再生羊毛・紙の原料。
・過度労働,困難で不適当な労働,その結果として幼少時からこき使われる労働者の粗暴化,これらのものの典型的な実例として認められるのは,鉱山業や炭鉱業と並んで瓦や煉瓦の製造である。
② この階級全体に子どもの時から大酒飲みが多いのは,まったく当然のことでしかない。
③ 近代的マニュファクチュアにおける労働条件の資本主義的節約。いろいろな作業場〔workshops〕,ことにロンドンの印刷業者や裁縫業者の作業場の描写には,われわれの小説家たちのどんなにいやらしい想像もかなわない。労働者の健康状態に及ぼす影響は,言うまでもなく明らかである。ドクター・サイモン(枢密院の最高医務官で『公衆衛生報告書』の編纂官)----「私の第4次報告書」(1861年)「-----いまや,無数の男女労働者の生命が,彼らの単なる就業が生み出す果てしない肉体的苦痛によって,いたずらにさいなまれ縮められるのである。」
④ 作業場が健康状態に及ぼす影響の例証-----死亡統計表(サイモン)。
10万人当たり死亡数-----ロンドンの裁縫業や印刷業では農業の約2倍(35~45歳 45~55歳)

d 近代的家内労働----bの諸命題の実例②                     s.489
① 次に家内労働を見てみよう。この,大工業の背後につくり上げられた資本の搾取部面と,その恐ろしい状態とについて想像するためには,イギリスのへんぴな村のいくつかで営まれている見かけはまったく牧歌的な釘製造業を見れはよい。ここでは,レース製造業と表わら細工業とのうちの,まだ全然機械経営になっていない部門かまたはまだ機械経営やマニュファクチュア経営と競争していない部門からの二つ三つの例で十分である。
② イギリスのレース生産に従事する150,000人のうちで約10,000が1861年の工場法の適用を受ける。残りの140,000のうちの非常な多数が女と男女の少年と子どもである。といっても,男はほんのわずかなのであるが。レース製造女工で大部分は17歳から24歳までの患者686人のうち肺病患者は次のような割合だった。
1852年------45人中1人 1861年------8人中1人
③ 肺病率におけるこの進歩は,どんなに楽天家の進歩論者にも,満足なものであるにちがいない。
④ 1861年の工場法は,機械によって行なわれるかぎりでの本来のレース製造を規制。
われわれがここで簡単に,-----いわゆる家内労働者であるかぎりで,顧慮しようとする部門は,(1)仕上げと(2)レース編みとに分かれる。
⑤ レースの仕上げは,いわゆる「女親方の家」〔"Mistress Houses"〕でか,または女たちによって単独にかまたは子どもといっしょに自宅で,家内労働として営まれる。「女親方の家」を管理する女たちは,自分自身も貧乏である。仕事場は彼女たちの自宅の一部になっている。彼女たちは,工場主や商店の持ち主などから注文を受け,自分の家の広さや変動する仕事の需要に応じて,女や少女や小さな子どもを使っている。従業女工の数は,これらの仕事場のいくつかでは20人から40人まで,そのほかでは10人から20人までのあいだで変動する。子どもが仕事を始める平均最低年齢は6歳であるが,5歳未満のこともよくある。普通の労働時間は朝の8時から晩の8時まで続き,その間に一時間半の食事時間はあるが,その食事は不規則であり,穴のような臭い仕事場でとられることも多い。景気のよい時には,労働はしばしば朝の8時(ときには6時)から夜の10時か11時か12時までも続く。-----
⑥ 労働時間が延ばされるにつれて,「長い棒」が刺激剤として「女親方」の役に立つ。
("Their work is like slavery.")
⑦ 女が自分の子どもといっしょに自宅で,つまり現代的意味では借り部屋で,しばしば屋根裏部屋で,働いている場合には,事態はもっと悪いこともあるであろう。この種の仕事は,ノッティンガムの周辺80マイルの範囲に出される。問屋で働いている子どもが夜の9時か10時にそこを出るときには,自宅で仕上げるためにもう1束持って帰らされることもよくある。-----「それはお母さんのぶんだ」というもっともらしい言葉を添えるのであるが,哀れな子どもが寝ずに手伝わなければならないということは十分承知の上なのである。
⑧ レース編み業は,-----一般に農業日雇い労働者の小屋が仕事場になっている。-----レース仕上げについて述べた状態はここでも再現する。ただ,「女親方の家」に代わって,貧しい女たちが自分の小屋で開いているいわゆる「レース学校」〔"lace schools"〕が現われるだけである。------
⑨ 空間について言えば,
「あるレース学校では,18人の少女と女教師がいて,一人当たり35立方フィートである。-----この産業では,2歳から21/2歳の子どもが使われていることもある。」
⑩ 麦わら編み-----。1861年には麦わら編みと麦わら帽子製造とに48,043人が従事。そのうち3815人が各年齢層の男性,その他は女性,14,913人は20歳末満,約7000は子ども。-----ここでは「麦わら細工学校」〔"straw plait schools"〕が現われる。ここでは普通は4歳から麦わら細工の課業を始める。もちろん,教育は受けない。この施設では彼らはただ労働だけをやらされ,半ば飢えた母親の命ずる仕事をたいていは1日に30ヤード仕上げなければならない。------
⑪ -----貧しくおちぶれた親たちは,子どもたちからできるだけたくさんたたき出そうと思うだけである。子どもたちが成長すれば,もちろん,親のことなどは少しもかまわずに見捨ててしまう。-----
⑫ そして,このような模範家族の故国は,キリスト教では確かに権威者であるモンタランベール伯に言わせれば,ヨーロッパリキリスト教模範国なのだ!
⑬ 労賃は,以上に述べた産業部門では一般にみじめなものであるが,特にレース製造地帯で一般的に行なわれている現物賃金制度(トラック・システム)によって,その名目金額よりもずっと低く押し下げられる。
 * ⑤~⑬の概要は資本論辞典「苦汗制度」(KⅠ,第19章 s.577)の説明とし引用されている


[PR]

by shihonron | 2008-06-23 10:00 | レジュメ


<< 第13章 第8節のレジュメ その2      第105回  6月17日 第1... >>