『資本論』を読む会の報告

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2008年 07月 30日

第109回  7月30日 第1章 商品 第1節 

7月30日(水)に第109回の学習会を行いました。 「第1章 商品 第1節 商品の二つの要因 使用価値と価値(価値実体 価値量)」の第7段落から第11段落までを輪読、検討しました。
●は議論の報告、■は資料、★は報告者によるまとめや意見、問題提起です。

■テキストの内容と議論
第1章 商品 第1節 商品の二つの要因 使用価値と価値(価値実体 価値量)     

第7段落

・さらに、二つの商品、たとえば小麦と鉄とをとってみよう。
・それらの交換関係がどうであろうと、この関係は、つねに、与えられた量の小麦がどれだけかの量の鉄に等置されるという一つの等式で表すことができる。
・たとえば 1クォーターの小麦=aツェントナーの鉄 というように。
・この等式はなにを意味しているのか?
・同じ大きさの一つの共通物が、二つの違った物のうちに、すなわち1クォーターの小麦のなかにも、aツェントナーの鉄のなかにも、存在するということである。
・だから、両方とも或る一つの第三のものに等しいのであるが、この第三のものは、それ自体としては、その一方でもなければ他方でもないのである。
・だから、それらのうちのどちらもそれが交換価値であるかぎり、この第三のものに還元できるものでなければならないのである。

●《それらの交換関係がどうであろうと》は、新日本版では《それらの交換比率がどうであろうとも》となっていることが紹介されました。意味としては「交換比率」という訳の方が適切だろうという結論になりました。

●「第六段落では、1クォーターの小麦の様々な交換価値(x量の靴墨、y量の絹、z量の金)について述べており、右辺に注目していた。第7段落では、両辺に注目している」との発言がありました。

★《それらのうちのどちらもそれが交換価値であるかぎり、この第三のものに還元できるものでなければならないのである》と書かれているが、1クォーターの小麦=aツェントナーの鉄 という等式は1クォーターの小麦の交換価値はaツェントナーの鉄であるということを意味している。そしてこの段落では、この等式はその右辺と左辺を入れ替えた aツェントナーの鉄=1クォーターの小麦 という等式を含んでいるものとして扱われている。右辺と左辺を入れ替えた等式はaツェントナーの鉄の交換価値は1クォーターの小麦であるということを意味している。一つの商品(右辺の商品)はそれが等置されている商品(左辺の商品)の交換価値である。

★1クォーターの小麦=aツェントナーの鉄 という等式は、量的なことを度外視すれば、小麦=鉄 ということになる。量的な等置には質的な等置が前提されている。

第8段落
・簡単な幾何学上の一例は、このことをもっとわかりやすくするであろう。
・およそ直線形の面積を測定し比較するためには、それらをいくつかの三角形に分解する。
・その三角形そのものを、その目に見える形とはまったく違った表現―― その底辺と高さとの積の二分の一 ――に還元する。
・これと同様に、諸商品の諸交換価値は、それらがあるいはより多くあるいはより少なく表しているある一つの共通なものに還元されるのである。

●この例でわかりやすいのだろうかという疑問が出されましたが、例について細かく詮索するのはやめ、aツェントナーの鉄の交換価値である1クォーターの小麦や1クォーターの小麦の交換価値であるaツェントナーの鉄等々、様々な商品の様々な交換価値はある一つの共通なものに還元されるということを確認して先に進もうということになりました。

第9段落
・この共通なものは、商品の幾何学的とか物理学的とか化学的などというような自然的な属性ではありえない。
・およそ商品の物体的な属性は、ただそれが商品を有用にし、したがって使用価値にするかぎりでしか問題にならないのである。
・ところが、商品の交換関係を明白に特徴づけているものは、まさに商品の使用価値の捨象なのである。
・この交換関係のなかでは、ある一つの使用価値は、それがただ適当な割合でそこにありさえすれば、ほかのどの使用価値ともちょうど同じだけのものと認められるのである。
・あるいは。かの老バーボンが言っているように、「一方の商品種類は、その交換価値が同じ大きさならば、他方の商品種類とおなじである。同じ大きさの交換価値をもつ諸物のあいだには差違や区別はないのである。」

●「第7段落の《交換関係》を《交換比率》と読み替えるなら、本文ではここではじめて《交換関係》という表現が登場しているのではないか」との発言がありました。

■この箇所以前に《交換関係》という言葉が登場するのは、第5段落の注6である。
《(6) 「価値とは、ある物と他のある物とのあいだ、ある生産物量と他のある生産物量とのあいだに、成立する交換関係である」(ル・トローヌ『社会的利益について』、所収『重農主義学派』デール版、パリ、一八四六年、八八九ページ)。》

●《ある一つの使用価値》と書かれているが、意味としては「ある一つの商品」であり、その方がわかりやすいのではないかとの発言がありました。

■《認められる》は、新日本版では《通用する》、長谷部訳では《意義を持つ》と訳されている。「ゲルテンする」ということである。

gel・ten* [ltnゲルテン] (三修社『新ロボワード アクセス独和辞典』より)
〔(現在形)du giltst, er gilt(過去形)galt(過去分詞)gegolten〕
1(自動詞)
【1】効力がある,有効である,通用する
Ihr Pass gilt nicht mehr.あなたのパスポートはもう無効です
Das gilt nicht.(ゲームなどで)それは反則だ
《fur+(4格の名詞)と》Das Gesetz gilt fur alle Burger.その法律はすべての市民に適用される
Das gilt auch fur dich! それは君の場合も同じだ!
《von+(3格の名詞)と》Das Gleiche gilt auch von ihm.同じことは彼についても言える
【2】(alsまたはfur ...)〔…と〕見なされている,〔…で〕通っている
Er gilt als(またはfur)klug.彼は賢いと思われている
Er gilt als ein nuchternerMann.彼は冷静な男とみなされている((参考)alsのあとには1格の名詞や形容詞,furのあとには4格の名詞や形容詞がくる)
【3】((3格の名詞))〔…(3格)に〕向けられている
Diese Worte gelten ihm.その言葉は彼に向けられている
◆(4格の名詞)+gelten lassen…(4格)を承認する
Ich lasse diese Erklarung nicht gelten.私はこの釈明を認めない
2(他動詞)((4格の名詞))〔…(4格)に〕値する,〔…(4格)の〕価値がある
Diese Munze gilt 30 Mark.この硬貨は30マルクの価値がある
Sein Wort gilt bei uns wenig.彼の言うことはわれわれの間では信用がない
Was gilt die Wette? 何を賭けようか?
3(非人称動詞)
【1】(zu不定詞句)〔…することが〕重要である
Jetzt gilt es zu zeigen, dass du ein Mann bist.今こそ君が男だということを示すべきだ
【2】((4格の名詞))(文語)〔…(4格)に〕かかわる
Es gilt das Gluck deiner Familie.君の家族の幸せにかかわることだ

第10段落
・使用価値としては、商品はなによりもまず、いろいろに違った質であるが、交換価値としては、ただいろいろに違った量でしかあり得ないのであり、したがって一分子の使用価値も含んではいないのである。

★使用価値としては、商品がどんな性質を持っていてどんな欲望を充足させることができるかが問題になる。言い換えればその商品がどんなものであるか(いかなる質を持っているか)が問題になる。交換価値としては、諸商品はすべて同じ物(質的に違いのないもの)とみなされ、質(なんであるか)ではなく量(どれだけか)だけが問題になる。

第11段落
・そこで商品体の使用価値を問題にしないことにすれば、商品体に残るものは、ただ労働生産物という属性だけである。
・しかし、この労働生産物も、われわれが気がつかないうちにすでに変えられている。
・労働生産物の使用価値を捨象するならば、それを使用価値にしている物体的な諸成分や諸形態を捨象することになる。
・それは、もはや机や家や糸やその他の有用物ではない。
・労働生産物の感覚的性状はすべて消し去られている。
・それはまた、もはや指物労働や建築労働や紡績労働やその他の一定の生産的労働の生産物でもない。
・労働生産物の有用性といっしょに、労働の生産物に表されている労働の有用性は消え去り、したがってまたこれらの労働の具体的形態も消え去り、これらの労働はもはや互いに区別されることなく、すべてことごとく同じ人間労働に、抽象的人間労働に、還元されている。

●「岡崎訳では《抽象的人間労働》となっているが、長谷部訳では《抽象的・人間的労働》となっている。長谷部訳の方が適切だと思う」との発言がありました。

★ 「使用価値」 ― 物体的な諸成分や諸形態 ――――――――具体的・有用的労働
  
   「労働生産物」― 感覚的性状はすべて消し去られている ――抽象的・人間的労働

■ 大谷禎之介氏は「抽象的労働=人間的労働」について次のように述べている。
《労働力支出としての労働とは、人間の力の支出、発揮として見られた活動である。「君はたくさん労働するが、僕はあまり労働しない」。「僕は昨日たくさん労働したが、今日はあまり労働しなかった」、「これを生産するのには多くの労働がいるが、あれを生産するのには少しの労働しか要らない」などと言うとき、ひとは「労働」という言葉をこの意味で使っている。この意味での労働は、さまざまの具体的形態をもつ現実の労働から労働力支出という共通の質だけを抽象してみた労働だから抽象的労働と呼ばれ、またその共通の質が人間の労働力の支出だから人間的労働とも呼ばれる。抽象的労働の量は継続時間で測られる。その計測単位は、時間(time)の計測単位である。時間(hour)、分、などである。なお「人間の労働」、あるいはたんに「人間労働」と言うときには、一般に具体的労働と抽象的労働との両面をもつ人間の労働のことを指し、「人間的労働」と言うとき、つまり「的」をいれて言うときには、人間の労働の一つの側面である、人間労働力の支出としての労働(つまり抽象的労働)のことを指す》(『図解社会経済学』18-19頁)


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by shihonron | 2008-07-30 12:30 | 学習会の報告


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