『資本論』を読む会の報告

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2008年 08月 19日

第111回 8月19日 第1章 第1節・第2節 


8月19日(火)に第111回の学習会を行いました。 「第1章 商品 第1節 商品の二つの要因 使用価値と価値(価値実体 価値量)」の第18段落と「第2節 商品に表される労働の二重性」の第1段落から第5段落までを輪読、検討しました。
●は議論の報告、■は資料、★は報告者によるまとめや意見、問題提起です。

■テキストの内容と議論
第1章 商品 第1節 商品の二つの要因 使用価値と価値(価値実体 価値量)
     

第18段落
・ある物は、価値ではなくても、使用価値であることがありうる。
・それは人間にとってのそのものの効用が労働によって媒介されていない場合である。
・たとえば空気や処女地や自然の草原や野生の樹木などがそれである。
・ある物は、商品ではなくても、有用であり人間労働の生産物であることがありえる。
・自分自身の生産物によって自分の欲望を満足させる人は、使用価値はつくるが、商品は作らない。
・商品を生産するためには、彼は使用価値を生産するだけではなく、他人のための使用価値、社会的使用価値を生産しなければならない。{しかも、ただ単に他人のためというだけではない。中世の農民は領主のために年貢の穀物を生産し、坊主のために十分の一税の穀物を生産した。しかし、年貢の穀物も十分の一税の穀物も、他人のために生産されたということによっては、商品にはならなかった。商品になるためには、生産物は、それが使用価値として役立つ他人の手に交換によって移されなければならない。}
・最後に、どんな物も、使用対象であることなしには、価値ではあり得ない。
・物が無用であれば、それに含まれている、労働も無用であり、労働の中にはいらず、したがって価値を形成しないのである。

●「大気とか日光などを自然財と呼ぶことがある」との発言がありました。

●「社会的使用価値とは、他人のための使用価値のことだということを確認しておこう」との発言がありました。

●《物が無用であれば》について、「無用とは、売れなかった商品のことだという論者もいるようだが、そうではなくて使用価値を持たないということではないか 。使用価値を持たないかぎり価値を持つことはないとマルクスは述べている」との発言がありました。

●直接にこの段落に関連してというわけではありませんが、「社会的必要労働時間」について「過去にその商品の生産に必要とされた労働時間ではなく、これから生産する際に必要な労働時間と理解すべきではないか」との発言があり議論になりました。明確な結論には至らず、文章化して検討することになりました。

第1章 商品 第2節 商品に含まれている労働の二重性

第1段落
・最初から商品はわれわれにたいして二面的なものとして、使用価値および交換価値として、現れた。
・次には、労働も、それが価値にあわされているかぎりでは、もはや、使用価値の生みの母としてのそれに属するような特徴を持ってはいないということが示された。
・このような商品に含まれている労働の二面的な性質は、わたしがはじめて批判的に指摘したものである。
・この点は、経済学の理解にとって決定的な跳躍点であるから、ここでもつと詳しく説明しておかなければならない。

●「表題では《二重性》という言葉が使われているが、本文には登場しない。《労働の二重性》とは《労働の二面的な性質》のことだろう」との発言がありました。

■第1節第11段落では《労働生産物の有用性といっしょに、労働の生産物に表されている労働の有用性は消え去り、したがってまたこれらの労働の具体的形態も消え去り、これらの労働はもはや互いに区別されることなく、すべてことごとく同じ人間労働に、抽象的人間労働に、還元されている。》と述べられていた。


●《このような商品に含まれている労働の二面的な性質は、わたしがはじめて批判的に指摘したものである》と述べているが、古典派に労働の二面的な性質についての認識が全くなかったわけではない。マルクスが《はじめて批判的に指摘した》のだ。久留間鮫造・玉野井芳郎『経済学史』(岩波全書)の第1章に一般性において把握された労働についての興味ある叙述がある」との発言がありました。

■最初の部分は、長谷部訳では《最初に商品は、二者闘争的なもの、すなわち使用価値および交換価値として、われわれに現象した。》となっている。

■この後の第8段落では「労働は素材的冨の父であり、土地はその母である」というウィリアム・ベティの言葉が紹介されている。

●《決定的な跳躍点》の「跳躍点」は「要(かなめ)」「中軸」「旋回点」などと訳すこともできるとの指摘がありました。

第2段落
・二つの商品、たとえば1着の上着と10エレのリンネルをとってみよう。
・前者は後者の2倍の価値をもっており、したがって、10エレのリンネル=Wならば、1着の上着=2W であるとしよう。

●「このWは、ドイツ語のWert(価値)の略記だろう」との発言がありました。

第3段落
・上着は、ある特殊な欲望を満足させる使用価値である。
・それを生産するためには、一定種類の生産的活動が必要である。
・この活動は、その目的、作業様式、対象、手段、結果によって規定されている。
・このようにその有用性がその使用価値に、またはその生産物が使用価値であるということに、表される労働を、われわれは簡単に有用労働と呼ぶ。
・この観点のもとでは、労働はつねにその有用効果に関連して考察される。

★《その有用性》とは「労働の有用性」、《その有用効果》とは「労働のもつ有用効果」だと思われるが、それでいいのだろうか?



第4段落
・上着とリンネルとか質的に違った使用価値であるように、それらの存在を媒介する労働も質的に違ったもの――裁縫と織布である。
・もし、これらの物が質的に違った使用価値でなく、したがって質的に違った有用労働の生産物でないならば、それらはおよそ商品として相対することはありえないであろう。
・上着は上着とは交換されないのであり、同じ使用価値が同じ使用価値と交換されることはないのである。

第5段落
・いろいろに違った使用価値または商品体の総体のうちには、同様に多種多様な、属や種や科や亜種や変種を異にする有用労働の総体――社会的分業が現れている。
・社会的分業は商品生産の存在条件である。
・といっても、商品生産が逆に社会的分業の存在条件であるのではない。
・古代インドの共同体では、労働は社会的に分割されているが、生産物が商品になるということはない。
・あるいはまた、もっと手近な例をとってみれば、どの工場でも労働は体系的に分割されているが、この分割は、労働者たちが彼らの個別的生産物を交換することによって媒介されてはいない。
・ただ、独立に行われていて互いに依存しあっていない私的労働の生産物だけが、互いに商品として相対する。

【種】 
生物分類の基準単位。英語ではspecies。種の概念はリンネにより形態の不連続性を基礎として設定された(18世紀中ごろ)。その後進化論,遺伝法則の確立,生態学的見地の導入などによって少しずつ修正を加えられ,現在,最も広く受け入れられている定義では,相互に交配して生殖能力のある子孫をつくることができる自然集団で,しかも他の集団から生殖的に隔離されたものを指す。属genus,科family,目order,綱class,門phylum,divisionなど他の上位の分類単位と異なって,種は生物の生活単位としての実体をもち,生物群集や生態系の中で固有の役割を果たしている。種の記載には,分類学上の約束に従って,二名法(学名)が用いられる。種を細分する場合は亜種,変種,品種が用いられるが,これらの厳密な定義は困難である。
(マイペディア)

●《古代インドの共同体》とはいつ頃のどのような共同体だろうかとの疑問が出されましたが、分かりませんでした。


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by shihonron | 2008-08-19 23:30 | 学習会の報告


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