『資本論』を読む会の報告

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2008年 08月 26日

第112回 8月26日 第1章 商品 第2節 

8月26日(火)に第112回の学習会を行いました。 「第1章 商品 第2節 商品に表される労働の二重性」の第6段落から第9段落までを輪読、検討しました。
●は議論の報告、■は資料、★は報告者によるまとめや意見、問題提起です。

■テキストの内容と議論
第1章 商品 第2節 商品に含まれている労働の二重性


第6段落
・こうして、どの商品にも、一定の合目的的な生産活動または有用労働が含まれているということがわかった。
・いろいろな使用価値はそれらのうちに質的に違った有用労働が含まれていなければ、商品として相対することはできない。
・社会の生産物が一般的に商品という形態をとっている社会では、すなわち商品生産者の社会では、独立生産者の私事として互いに独立に営まれるいろいろな有用労働のこのような質的違いが、一つの多肢的な体制に、すなわち社会的分業に、発展するのである。

●「最初の二つの文章は、それぞれ第3段落、第4段落で述べたことを再確認している」との発言がありました。

●「《社会の生産物が一般的に商品という形態をとっている社会》《商品生産者の社会》とは資本主義社会だろう。つづけて出てくる独立生産者とはどのような存在だろうか。自分の生産手段を用いて労働する小商品生産者のことだとすると、前に述べていることと矛盾する。この独立生産者は、資本家から抽象して得られた商品生産者のことだと理解するべきだ」との発言がありました。これに関連して「新日本版では、独立生産者ではなく《自立した生産者》となっている」との指摘があり、「商品生産者とは、生産手段を所有し自分の裁量で生産する者ということだろう」との発言がありました。

■《多肢的な体制》は新日本版では《多岐的な体制》となっている。

■ 【多岐】(名・形動)[文]ナリ
〔道が多方面に分かれている意から〕物事が多方面にかかわりをもつ・こと(さま)。
「問題が―にわたる」「複雑―」 (大辞林 第二版より)

■【肢】 〔身体の枝の意〕手足。
「来目部をして夫と婦の四の―を木に張りて/日本書紀(雄略訓)  (大辞林 第二版より)

第7段落
・ともあれ、上着にとっては、それを着る人が仕立屋自身であろうと彼の顧客であろうと、どうでもかまわないのである。
・どちらの場合にも、上着は使用価値として働くのである。
・同時に、上着とそれを生産する労働との関係も、裁縫が特殊な職業になり社会的分業の独立な分肢になるということによっては、それ自体としては少しも変化しない。
・人間は、衣服を着ることの必要に強制されたところでは、だれかが仕立屋になるよりも何千年もまえから裁縫をやってきた。
・しかし、上着やリンネルなど、すべての天然には存在しない素材的冨の存在は、つねに、特殊な自然素材を特殊な人間欲望に適合させる特殊な合目的的生産活動によって媒介されなければならなかった。
・それゆえ、労働は使用価値の形成者としては、有用労働としては、人間の、すべての社会形態から独立した存在条件であり、人間と自然のあいだの物質代謝を、したがって人間の生活を媒介するための、永遠の自然必然性である。

★使用価値にとっては誰に消費されるかは無関係。つねに有用物として消費者の欲求を満たすだけ。使用価値を生産する有用労働はどんな時代でもなされてきたし、なされていく。

●《素材的冨》について「素材というと原料みたいだが、そうではなくて物質的ということだ。」との発言がありました。

■長谷部訳では、《素材的冨》は《質料的冨》、《自然素材》は《自然質料》、《物質代謝》は《質料変換》となっている。

●《物質代謝》とはどんなことかについて議論になり「人間と自然との物質代謝とは。人間が自然からものを取り入れたり自然に帰したりすること」「物質のやりとり」といった発言がありました。

■【物質交代】
生命維持のために生体内で行われる物質の化学変化。食物として外界から摂取された物質は種々の合成や分解を経て、生体成分や生命活動のための物質およびエネルギー源となり、また不要物として排出される。新陳代謝。代謝。物質代謝。メタボリズム。 (大辞林 第二版より)

■【代謝】
(1)生体内の物質とエネルギーとの変化。外界から取り入れた物質をもとにした合成と分解とからなる物質の交代と、その物質の変化に伴って起こるエネルギーの生産や消費からなるエネルギー交代とが密接に結びついている。
→物質交代
(2)「新陳代謝」の略。

■ 【新陳代謝】
(1)新しい物が古い物にとってかわること。
「新旧選手の―がうまくいく」
(2)物質交代。

■[自然過程の意識的制御としての労働] 人間は、自然に働きかけて、自然から彼の欲求を充たす使用価値を取得し、消費後の廃棄物を自然のなかに戻す。これが人間特有の物質代謝の全過程である。このうち、使用価値を生産するための活動が労働である。不要物の廃棄は、しばしば、意図しない自然の形態変化(環境の汚染や破壊など)を引き起こすのであり、生産活動に必然的にともなう人間活動として経済学の対象の重要な一部をなしている。
                   (大谷禎之介『図解社会経済学』11頁)

●《永遠の自然必然性》を分かり易くいうとどういえるかが問題になり、「いつでもそうせざるをえないこと」「変わることのない当たり前のこと」という発言がありました。

第8段落
・使用価値である上着やリンネルなど、簡単に言えばいろいろな商品体は、二つの要素の結合物、自然素材と労働との結合物である。
・上着やリンネルなどに含まれている有用労働の総計を取り去ってしまえば、あとには常に或る物質的な土台が残るが、それは人間の助力なしに天然に存在するものである。
・人間は、彼の生産において、ただ自然そのものがやるとおりにやることができるだけである。
・すなわち、ただ素材の形態を変えることができるだけである。
・それだけではない。
・この形をつける労働そのものにおいても、人間はつねに自然力にささえられている。
・だから、労働は、それによって生産される使用価値の、素材的冨の、ただ一つの源泉なのではない。
・ウィリアム・ペティの言うように、労働は素材的冨の父であり、土地はその母である。

●《自然そのものがやるとおり》とはどういうことかとの疑問が出され「無から有を造り出す(創造)のではなく、すでに存在している物の形態を変化させるということだろう」との発言がありました。

●《自然力にささえられている》とはどういうことかとの疑問が出され「自然法則といったことではないか」「生糸はカイコのおかげだといえるのでは」との発言がありました。

●《土地》は、マルクスコレクション版では《大地》、英語版では《earth》となっていることが紹介され「土地というより大地=自然という方が適切に思える」との発言がありました。

第9段落
そこで今度は使用対象であるかぎりでの商品から商品-価値に移ることにしよう。

●《商品-価値》という表記についてなぜ「-」で商品と価値が結ばれているのかとの疑問が出されました。これに対して「長谷部訳では《商品価値》、フランス語版では《商品の価値》となっている。」との紹介があり、「使用対象であるかぎりでの商品に対して価値であるかぎりでの商品ということではないか」との発言がありました。

★商品であるということは、使用価値であるだけではなく価値でもあるということだ。使用対象であるかぎりでの商品とは、商品体=「物体としての商品」のことであり、それは有用物(使用価値)である。ある物を商品にするのは、使用価値であるということではなく、価値であるということだ。


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by shihonron | 2008-08-26 23:30 | 学習会の報告


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