『資本論』を読む会の報告

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2008年 09月 30日

第116回 9月30日 第1章 商品 第3節 A 2 a

9月30日(火)に第116回の学習会を行いました。 「読む会通信№307」を元に前々回、前回の復習をした後、「第1章 商品 第3節 価値形態または交換価値」の「A 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態 2 a 相対的価値形態の内実」の第6段落から最後(第11段落)までを輪読、検討しました。
 今回の学習会には、2009年2月から3月にかけて『カール・マルクス:資本論、第一巻』というドキュメンタリー演劇を東京で上演するドイツのアーティスト集団リミニ・プロトコルの方が日本における『資本論』をめぐる情況調査の一環として見学にこられました。

 フェスティバル/トーキョーのホームページ 
 http://festival-tokyo.jp/index.html

●は議論の報告、■は資料、★は報告者によるまとめや意見、問題提起です。

■テキストの内容と議論
第1章 商品 第3節 価値形態または交換価値 
A 単純な、個別的なまたは、偶然的な価値形態
2 相対的価値形態 a 相対的価値形態の内実


第6段落
・しかし、リンネルの価値をなしている労働の独自な性格を表現するだけでは、十分ではない。
・流動状態にある人間の労働力、すなわち人間労働は、価値を形成するが、しかし価値ではない。
・それは、凝固状態において、対象的形態において、価値になるのである。
・リンネル価値を人間労働の凝固として表現するためには、それを、リンネルそのものとは物的に違っていると同時にリンネルと他の商品とに共通な「対象性」として表現しなければならない。
・課題はすでに解決されている。

★第5段落では、上着がリンネルに等置されることによって、上着をつくる裁縫労働がリンネルを織る織布労働に等置されることで、裁縫は抽象的・人間的労働に還元さた。この関係の中では裁縫は抽象的・人間的労働以外の意味を持たなくなる。織布は、抽象的・人間的労働でしかない裁縫と等しいが故に、裁縫もまた抽象的・人間的労働であることが示されることが述べられていた。第6段落で、流動状態にある労働(価値の実体)のレベルではなく、労働が対象化・凝固した物(価値)のレベルのことが述べられている。

★「課題はすでに解決されている」ことの内容は続く箇所で述べられている。

第7段落
・リンネルの価値関係のなかで上着がリンネルと質的に等しいもの、同じ性質のものとして認められるのは、上着が価値であるからである。
・それだから、上着はここでは、価値がそれにおいて現れる物、または手でつかめるその現物形態で価値を表している物として認められているのである。
・ところで、上着は、上着商品の肉体は、たしかに一つの単なる使用価値である。
・上着が価値を表していないことは、有り合わせのリンネルの一片が価値を表していないのと同じことである。
・このことは、ただ上着がリンネルとの価値関係のなかではそのそとでよりもより多くを意味しているということを示しているだけである。
・ちょうど、多くの人間が金モールのついた上着のなかではそのそとでよりもより多くを意味しているように。

●「ここでリンネルの価値関係と述べているのは、リンネル=上着という価値関係は、リンネルによって結ばれたものであることを示しているのではないか。リンネルが主体であり、上着は受動的にリンネルに等置されるという関係だ」との発言がありました。

●「金モールのついた上着のなかではそのそとでよりもより多くを意味しているとはどういうことか」との疑問が出され、「金モールのついた軍服などの制服を着ているときには、将軍とか船長とかパイロットといった社会的役割をもった人という意味を持つ、私服を着ているときのただの人より多くを意味しているということだろう」との結論になりました。

■ モール  [(ポルトガル) mogol]
(1)〔インドのムガル帝国に由来するという。「莫臥児」とも書く〕緞子(どんす)に似た浮き織りの織物。たて糸に絹糸を、よこ糸に金糸・銀糸・色糸を用いて花紋などを織りだしたもの。金糸を用いたものを金モール、銀糸を用いたものを銀モールという。名物裂(ぎれ)として茶人に愛好された。モール織り。
(2)金・銀あるいは色糸をからませた飾り撚(よ)りの糸。モール糸。
(3)針金に色糸・ビニールなどを撚りつけたもの。クリスマスの飾りや手芸などに用いる。 (大辞林 第二版より)

第8段落
・上着の生産では、実際に、裁縫という形態で、人間の労働力が支出された。
・だから上着のなかには人間労働が積もっている。
・この面から見れば、上着は「価値の担い手」である。
・といっても、このような上着の属性そのものは、上着のどんなすり切れたところからも透いて見えるわけではないが。
・そして、リンネルの価値関係のなかでは、上着はただこの面からだけ、したがってただ具体化された価値としてのみ、価値体としてのみ、認められるのである。
・ボタンまでかけた上着の現身にもかかわらず、リンネルは上着のうちに同族の美しい価値魂を見たのである。
・とはいえ、リンネルにたいして上着が価値を表すということは、同時にリンネルにとって価値が上着という形態をとることなしには、できないことである。
・たとえば、個人Aが個人Bにたいして王位にたいする態度をとるということは、同時にAにとっては王位がBの姿をとり、したがって顔つきや髪の毛やその他なお多くのを国王が替わるごとに取り替えることなしには、できないのである。

■《使用価値は、ただ使用または消費によってのみ実現される。使用価値は、冨の社会的形態がどんなものであるかにかかわりなく、冨の素材的内容をなしている。われわれの考察しようとする社会形態にあっては、それは同時に素材的な担い手になっている――交換価値の。》   (国民文庫73頁・原頁50)

★上の引用文で、交換価値を「価値の現象形態」と読み替えるなら、使用価値は価値の現象形態の素材的担い手であるということになる。

■《使用価値であるということは、商品にとって必要な前提であると思われるが、商品であるということは、使用価値にとって無関係な規定であるように思われる。経済的形態規定にたいしてこのように無関係な場合の使用価値は、すなわち使用価値としての使用価値は、経済学の考察範囲外にある。使用価値がこの範囲内にはいってくるのは、使用価値そのものが形態規定である場合だけである。直接には使用価値は、一定の経済的関係である交換価値があらわされる素材的土台である。》(『経済学批判』国民文庫版25頁)

★《このような上着の属性》とは価値=抽象的・人間的労働の対象化であるということ。

★「価値体」という言葉は、ここで初めて登場する。その意味は「具体化された価値」であり、第7段落では「価値がそれにおいて現れる物」「手でつかめるその現物形態で価値を表している物」と表現されていた。

■うつし-み 【▽現身】
〔江戸時代の国学者が上代語「うつせみ」「うつそみ」の語源と考えて作った語〕この世に生きている身。うつそみ。
「―は世にはかなくて言の葉の花のみ見むと思ひかけきや/杉のしづ枝」(大辞林 第二版より)

第9段落
・こうして、上着がリンネルの等価物となっている価値関係のなかでは、上着形態は価値形態として認められる。
・それだから、商品リンネルの価値が商品上着の身体で表され、一商品の価値が他の商品の使用価値で表されるのである。
・使用価値としてはリンネルは上着とは感覚的に違った物であるが、価値としてはそれは「上着に等しいもの」であり、したがって上着に見えるのである。
・このようにして、リンネルは自分の現物形態とは違った価値形態を受け取る。
・リンネルの価値存在が上着とのその同等性に現れることは、キリスト教徒の羊的性格が神の子羊とのその同等性に現れるようなものである。

●「上着形態は価値形態として認められると述べられているが、この場合の価値形態とはどういうことか」との疑問が出されました。「価値形態という言葉は、相対的価値形態と等価形態の二つを含む単純な価値形態といった使い方がされているが、ここでは価値の現象形態、価値を表しているものといった意味ではないか」との発言がありました。

★リンネル=上着という価値関係のなかでは、価値体として認められるということを《上着形態は価値形態として認められる》と表現しているように思える。

★リンネルは、価値としては上着に見えるとマルクスは述べている。別の言い方をするなら、リンネルの価値形態は上着だということではないか。

●「価値存在というのは、価値性格と同じと考えていいのか」との疑問が出され、マルクスコレクション版では「価値―存在」、フランス語版では「価値属性」となっていることが紹介されました。

●新日本版では神の子羊にキリストという補足がされていることが紹介され、「キリストを神の子羊というのか」との疑問が出されました。学習会終了後調べた結果、キリストのことをさして神の子羊ということが確認できました。子羊には、生け贄という意味も含まれているようです。

■《イザヤ書の53章にはこんな預言が記されています。「彼が担ったのはわたしたちの病/彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに/わたしたちは思っていた/神の手にかかり、打たれたから/彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。わたしたちは羊の群れ/道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて/主は彼に負わせられた。苦役を課せられて、かがみ込み/彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように/毛を切る者の前に物を言わない羊のように/彼は口を開かなかった。捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。」》
 http://www.nskk.org/osaka/church/sakai/messages/2005_1_16.htm

■《「生贄の子羊」・・・キリスト教において 全人類救済の為に犠牲となったイエス・キリストの象徴。または三位一体(父なる神・神の一人子キリスト・精霊)の象徴。本来は羊文化圏の中近東において 自らを他の生命のために役立たせる(弱きものには乳を与え 強きものには肉を与え 裸の者は毛で包み 寒い者は毛で覆う)無我の慈悲の象徴。》
http://www.sathya.be/lam-gods.html

第10段落
・要するに、さきに商品価値の分析がわれわれに語ったいっさいのことを、いまやリンネルが別の商品、上着と交わりを結ぶやいなや、リンネル自身が語るのである。
・ただ、リンネルは自分の思想をリンネルだけに通ずる言葉で、つまり商品語で言い表すだけである。
・労働は人間労働という抽象的属性においてリンネル自身の価値を形成するということを言うために、リンネルは、上着がリンネルに等しいとされるかぎり、つまり価値であるかぎり、上着はリンネルと同じ労働から成っている、と言うのである。
・自分の高尚な価値対象性が自分のごわごわした肉体とは違っているということを言うために、リンネルは価値は上着に見え、したがってリンネル自身も価値物としては上着にそっくりそのままである、と言うのである。
・ついでに言えば、商品語もまたヘブライ語のほかになおも多くの、もっと正確な、またはもっと不正確な方言をもっている。
・たとえば、ドイツ語の "Wertsein" [値する]は、商品Bの商品Aとの等置が商品A自身の価値表現であることを言い表すには、ロマン語の動詞 valere,valer,valoirよりも適切ではない。
・Paris vaut bien messe![パリはたしかにミサに値する!]

★《さきに商品価値の分析がわれわれに語ったいっさいのこと》とは、第1節で明らかにされたことである。
 《そこで今度はこれらの労働生産物に残っているものを考察してみよう。それらに残っているものは、同じまぼろしのような対象性のほかにはなにもなく、無差別な人間労働の、すなわちその支出の形態にはかかわりのない人間労働力の支出の、ただの凝固物のほかにはなにもない。こられの物が表しているのは、ただその生産に人間労働力が支出されており、人間労働が積み上げられているということだけである。このようなそれらに共通な社会的実体の結晶として、これらのものは価値――商品価値なのである。
 諸商品の交換関係そのものなかでは、商品の交換価値は、その使用価値にはまったくかかわりのないものとしてわれわれの前に現れた。そこで、実際に労働生産物の使用価値を捨象してみれば、ちょうどいま規定されたとおりの労働生産物の価値が得られる。だから、商品の交換関係または交換価値のうちに現れる共通物は、商品の価値なのである。研究の進行は、われわれを価値の必然的な表現様式または現象形態としての交換価値に連れもどすことになるであろう。しかし、この価値は、さしあたりはまずこの形態にかかわりなしに考察されなければならない。》(国民文庫77-78頁・原頁52-53)

★《価値は上着に見え》というのは、リンネルの価値関係の中では上着は具体化された価値としてのみ、価値体としてのみ認められるということだろう。

■【アンリ4世 (フランス王)】《アンリ3世の命によってブルボン家のナバラ王アンリがフランス王位を継承し、アンリ4世となった。しかしスペインの後ろ盾を持つカトリック同盟は、ローマ教皇から破門されていたアンリ4世を認めず、アンリ4世に戦いを挑んだ。アンリ4世はいったんパリを脱出し、同盟に対する勝利を重ねて軍事的優位に立つことに成功。しかし、肝心のパリを陥落できなかった。ここに至ってアンリは、最愛の女性ガブリエル・デストレの勧めもあって1593年6月25日に「Paris vaut bien une messe」(「パリはミサをささげるに値する都市である」)と宣言、カトリックへの改宗を発表した。これによってなおカトリックが優勢であったフランス国民の広汎な支持を受けることに成功し、1594年2月27日にシャルトル大聖堂で正式に戴冠式を執り行うことができた。さらに1598年4月30日にナントの勅令 を発表した。同勅令はカトリックをフランスの国家的宗教であると宣言しつつも、プロテスタントにカトリックと同等の権利を認め、フランスにおける宗教戦争の終息を図ったものであった。》 (『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%AA4%E4%B8%96_(%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E7%8E%8B)

第11段落
・こうして、価値関係の媒介によって、商品Bの現物形態は商品Aの価値形態になる。
・言いかえれば、商品Bの身体は商品Aの価値鏡になる。
・商品Aが価値体としての、人間労働の物質化としての商品Bに関係することによって、商品Aは使用価値Bを自分自身の価値表現の材料にする。
・商品Aの価値は、このように商品Bの使用価値で表現されて、相対的価値の形態をもつのである。

★《価値鏡》とは、商品Aが価値であることをうつしだすもの、価値であることを表現するものということだろう。

■ブログ「言葉の周辺」の「他者を鏡とするということ」という記事は、この箇所について取り上げている。
 http://d.hatena.ne.jp/chicagoblues/20060819/1155988077

■参考資料・石井伸夫氏の論文「『資本論』における反映概念ノート」 (「高崎経済大学論集」)
 http://www1.tcue.ac.jp/home1/k-gakkai/ronsyuu/ronsyuukeisai/46_4/ishii.pdf
 http://www1.tcue.ac.jp/home1/k-gakkai/ronsyuu/ronsyuukeisai/47_4/ishii.pdf


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by shihonron | 2008-09-30 23:30 | 学習会の報告


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