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『資本論』を読む会の報告

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2008年 10月 07日

第117 回 10月7日 第1章 商品 第3節 A 2 b

10月7日(火)に第117回の学習会を行いました。 「読む会通信№308」を元に前回の復習をした後、「第1章 商品 第3節 価値形態または交換価値」の「A 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態 2 b 相対的価値形態の量的規定性」の第1段落から最後(第8段落)までを輪読、検討しました。

●は議論の報告、■は資料、★は報告者によるまとめや意見、問題提起です。

■テキストの内容と議論
第1章 商品 第3節 価値形態または交換価値 
A 単純な、個別的なまたは、偶然的な価値形態
2 相対的価値形態 b 相対的価値形態の量的規定性


第1段落
・その価値が表現されるべき商品は、それぞれ与えられた量の使用対象であって、15シェッフェルの小麦とか100ポンドのコーヒーとかいうものである。
・この与えられた商品量は一定量の人間労働を含んでいる。
・だから、価値形態は、ただ価値一般だけではなく、量的に規定された価値すなわち価値量をも表現しなければならない。
・それゆえ、商品Aの商品Bにたいする価値関係、リンネルの上着にたいする価値関係のなかでは、上着という商品種類がただ価値体一般としてリンネルに質的に等置されるだけではなく、一定量のリンネル量、たとえば20エレのリンネルに、一定量の価値体または等価物、たとえば一着の上着が等置されるのである。

★ある商品の価値が他の商品の使用価値によって表現されることを「a 相対的価値表現の内実」で確認した。リンネル=上着 においては、リンネルはその価値(リンネルが価値であること、リンネルには抽象的・人間的労働が対象化されていること)を、上着を自らに等置することによって表現する。リンネルの価値関係の中では、上着は「具体化された価値」(価値体)としてのみ認められ、その上着と等しいということによってリンネルもまた価値であることが表現される。そして、今度は、価値であるということ(質的表現)だけではなく、一定量の価値であること(価値量の表現)がどのようになされるかを問題にしている。

第2段落
・「20エレのリンネル=1着の上着、または、20エレのリンネルは1着の上着に値する」という等式は。1着の上着に、20エレのリンネルに含まれているのとちょうど同じ量の価値実体が含まれているということ、したがって両方の商品量に等量の労働または等しい労働時間が費やされているということを前提する。
・しかし、20エレのリンネルまたは1着の上着の生産に必要な労働時間は、織布または裁縫の生産力の変動につれて変動する。
・そこで次にはこのような変動が価値量の相対的表現に及ぼす影響をもっと詳しく研究しなければならない。

★生産力の変動が、価値量の相対的表現に及ぼす影響をこれからみていく。

第3段落
・Ⅰ リンネルの価値は変動するが、上着価値は不変だという場合。
・リンネルの生産に必要な労働時間が、たとえば亜麻を生産する土地の不毛度の増進のために、二倍になれば、リンネルの価値は二倍になる。
・20エレのリンネル=1着の上着 に代わって、20エレのリンネル=2着の上着 となるであろう。
・というのは、1着の上着はいまでは20エレのリンネルの半分の労働時間しか含んでいないからである。
・これに反して、リンネルの生産に必要な労働時間が、たとえば織機の改良によって、半分に下落すれば、リンネルの価値は半分に低下する。
・したがって、今度は 20エレのリンネル=1/2着の上着 となる。
・つまり、使用価値Aの相対的価値、すなわち商品Bで表された商品Aの価値は、商品Bの価値が同じままだあっても、商品Aの価値に比例して上昇または低下するのである。

●マルクスがここで「20エレのリンネル=1/2着の上着」という等式を書いていることをとらえて、1/2着の上着は使用価値を持たないからこの等式はおかしいと批判する論者がいることが紹介されました。

★生産物は、使用価値を持たなければ価値を持つこともないというのはその通りだが、価値形態を分析している中でマルクスが「20エレのリンネル=1/2着の上着」という等式を書いていることは誤りであろうか? ここでは、比率の変化が起きることを問題にしているのであって、批判者は、何が課題になっているかを理解していないように思える。さらにいえば、相対的価値形態にある商品の価値は等価形態にある商品の使用価値で表現されるのだが、等価形態にある商品の「使用価値としての使用価値」はここでは問題にならない。等価形態にある商品は、ただ「価値の具体化(価値体)」としてのみ認められるのである。1/2着の上着が、役に立たない=使用価値を持たないというのはたしかだが、「20エレのリンネル=1/2着の上着」という価値表現においては「使用価値としての上着」は問題にならないのである。

第4段落
・Ⅱ リンネルの価値は不変のままであるが、上着価値は変動するという場合。
・このような事情のもとで、たとえば羊毛刈りの不出来のために上着の生産に必要な労働時間が二倍になれば、20エレのリンネル=1着の上着 に代わって、いまでは、 20エレのリンネル=1/2着の上着 となる。
・逆に上着の価値が半減すれば、20エレのリンネル=2着の上着 となる。
・それゆえ、商品Aの価値が同じままであっても、商品Aの相対的な、商品Bで表された価値は、Bの価値変動に反比例して低下または上昇するのである。

第5段落
・ⅠとⅡに属するいろいろな場合を比べてみれば、相対的価値の同じ量的変動が正反対の原因から生じうるということがわかる。
・そこで、20エレのリンネル=1着の上着 が(1)20エレのリンネル=2着の上着 という等式になるのは、リンネルの価値が二倍になるかまたは上着の価値が半分に減るからであり、また(2)20エレのリンネル=1/2着の上着 という等式になるのは、リンネルの価値が半分に下がるか上着の価値が二倍に上がるかするからである。

第6段落
・Ⅲ リンネルと上着の生産に必要な労働量が、同時に、同じ方向に、同じ割合で変動することもありうる。
・この場合には、これらの商品の価値がどんなに変化しても、やはり20エレのリンネル=1着の上着 である。
・これらの商品の価値変動は、これらの商品を、価値の変わっていない第三の商品と比べてみれば、すぐに見いだされる。
・かりにすべての商品の価値が同時に同じ割合で上昇または低下するとすれば、諸商品の相対的価値は不変なままであろう。
・諸商品の現実の価値変動は、同じ労働時間でいまでは一般的に以前よりも多量かまたはより少量の商品が供給されるということから知られるであろう。

●「諸商品の現実の価値変動は、流通の場面ではなく、生産の場面でのみ知ることができる」との発言がありました。

★「一般的に」とマルクスは書いている。「個別的」ではなく「社会的」ということを意味していると思える。価値量を規定するのは、その生産に社会的に必要な労働時間である。

第7段落
・Ⅳ リンネルと上着のそれぞれの生産に必要な労働時間、したがってまたそれらの価値が、同時に同じ方向にではあるがしかし同じでない程度でとか、または反対の方向にとか、その他いろいろな仕方で変動することがありうる。
・考えられるかぎりのすべてのこの種の組合せが一商品の相対的価値に及ぼす影響は、ⅠとⅡとⅢの場合の応用によって簡単にわかる。

★20エレのリンネルの生産に必要な労働時間が10時間から20時間に変動し、1着の上着の生産に必要な労働時間が10時間から40時間に変動するなら、20エレのリンネル=1/2着の上着 ということになる。

★20エレのリンネルの生産に必要な労働時間が10時間から15時間に変動し、1着の上着の生産に必要な労働時間が10時間から5時間に変動するなら、20エレのリンネル=3着の上着 ということになる。

第8段落
・こういうわけで、価値量の現実の変動は、価値量の相対的表現または相対的価値の大きさには明確にも完全にも反映しないのである。
・一商品の相対的価値は、その商品の価値が不変のままでも変動することがありうる。
・その商品の相対的価値は、その商品の価値が変動しても、不変のままでありうる。
・そして、最後に、その商品の価値量とこの価値量の相対的表現とに同時に生ずる変動が互いに一致する必要は少しもないのである。

▼10月27日に誤字を訂正しました。



by shihonron | 2008-10-07 23:30 | 学習会の報告


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