『資本論』を読む会の報告

shihonron.exblog.jp
ブログトップ

<   2005年 12月 ( 3 )   > この月の画像一覧


2005年 12月 30日

第5回  12月20日 復習

 12月20日(火)に『資本論』を読む会@所沢 第2期 第5回の学習会を行いました。前回の宿題について議論し、英語版序文を輪読、検討しました。

■前回の宿題について

1.ディーツゲン Joseph Dietzgen 1828‐88
 ドイツの社会主義者。皮革職人。アメリカで生活したり,ロシア (ペテルブルグ) で職工長を務めたりしながら独学,マルクス,エンゲルスとは独立に一種の〈唯物弁証法〉を築いた。 《人間の頭脳活動の本質》 (1869),《一社会主義者の認識論の領域への征入》 (1887), 《哲学の実果》 (1887) などの著作がある。 (広松 渉 「世界大百科事典」)

2.コント 1798-1857
 フランスの哲学者。実証主義,社会学の祖。サン・シモンに学び,フランス革命後の無政府状態を実証科学に基づく人間知性の改革によって克服すべきことを説く。人間精神は神学的,形而上学的,実証的の3段階を通じて進歩するという。晩年,その実証哲学を宗教化し,〈人類教〉を創始した。J.S.ミル,スペンサー,デュルケームらへの影響大。著書《実証哲学講義》(1830年―1842年),《実証政治体系》(1851年―1854年)。  (マイペディア)
 
3.形而上学 けいじじょうがく
 英語metaphysicsなどの訳。この訳語は《易経》の〈形而上を道と謂(い)う〉の語に基づき,《哲学字彙》(1881年)以来のもの。原語はアリストテレスの講義草稿を整理する際,編者のアンドロニコスが,自然学(フュシカ)の後に(メタ)無題の草稿を置いて,〈自然学の後に置かれた諸講義案(タ・メタ・タ・フュシカ)〉と呼んだことに由来する。第二哲学たる自然学に先立つ原理学としての第一哲学,神学のこと。最も基本的には,経験において与えられる具体的・個別的なものを超越して,全体的・究極的・絶対的にみる哲学の部門をいう。17世紀にウォルフが哲学を形而上学(理論)と実践哲学(実践)に分けて以来,カント,ヘーゲル,ニーチェ,ヤスパース,ハイデッガー,ベルグソンらによって批判を含む多様な展開が図られたが,一方で実証主義,マルクス主義,論理実証主義,プラグマティズムなど反形而上学を標榜する思潮もあって帰趨は定めがたい。 (マイペディア)


4.演繹法とは。分析と総合との関連は?(第17段落)
 演繹とは、「諸前提から論理の規則にしたがって必然的に結論を導き出すこと。普通、一般的原理から特殊な原理や事実を導くことをいう」。演繹法は「演繹による推理の手続き。代表的なものに三段論法がある。」 

 帰納とは「個々の特殊な事実や命題の集まりからそこに共通する性質や関係を取り出し、一般的な命題や法則を導き出すこと」。帰納法は「帰納的推理による事象の研究法。F =ベーコンを経て、J = S =ミルにより自然科学の方法として定式化された。結論の蓋然的命題は「自然の斉一性」を仮定することで普遍的法則とみなされ因果関係が確定される。ミルでは、一致法・差異法・一致差異併用法・剰余法・共変法の五方法に類別される。」

 分析とは「 知的活動の過程・方法の一。所与の対象・表象・概念などを、それを構成する部分・要素・条件などに分け入って解明すること。」

 総合とは「(ア)弁証法において、互いに矛盾する、定立の「正」と反定立の「反」の、契機を統一すること。合(ごう)。ジンテーゼ。(イ)ある対象に別のものを結び合わせて、一つの全体的統一を構成すること」 (大辞林)

5.実在論とは(19段落)
実在論〔realism〕
 (1)意識や主観を超えた独立の実在を認め、何らかの意味でそれとかかわることによって認識や世界が成立すると説く立場。唯物論は物質を実在とし、プラトンなど客観的観念論は理念を実在とするが、それぞれ実在論の一つといえる。リアリズム。
 (2)普遍に関する実在論としては、「人間」「動物」などの普遍概念に対応する普遍的なものが、個物とは別に、何らか存在することを主張する立場。中世哲学における実在論。概念実在論。実念論。

観念論〔idealism〕
 物質ではなく観念的なもの(イデア・理念・意識など)が根本的本質だとする考え方。生滅変転の現象界に対し永劫不変のイデア界の優位を主張するプラトンの客観的観念論、近代では物の存在を知覚に解消しようとするバークリーの主観的観念論、経験的世界は超個人的な超越論的主観により構成されるとするカントの超越論的観念論など多様に存在する。「観念論」は主として認識論上の語で、倫理的な局面では「理想主義」と称する。また、存在論・世界観上は別に「唯心論」の語を与えることもある。アイディアリズム。

唯物論〔materialism〕
 物質を根本的実在とし、精神や意識をも物質に還元してとらえる考え。唯物論的思想は古代ギリシャ初期、中国・インドなどにも現れているが、近代以後では一八世紀フランスの機械的唯物論、一九世紀のマルクスの弁証法的唯物論などが代表的。マテリアリズム。 (大辞林)

6.I・I・カウフマン(第20段落)
1848-1916 ロシアの経済学者。サンクト-ぺテルブルグ大学教授。貨幣流通と信用に関する書物の筆者。

7.『経済学批判』序文からの引用の内容は?
 いわゆる「唯物史観の定式」を含む部分である。

【資料】「唯物史観の定式」
 私にとって明らかとなった、そしてひとたび自分のものになってからは自分の研究にとって導きの糸として役だった一般的結論は、簡単にいえば次のように定式化できる。
 人間は、彼らの生活の社会的生産において、一定の必然的な、彼らの意志から独立した諸関係に、すなわち、彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係にはいる。これらの生産諸関係の総体は、社会の経済的構造を形成する。これが実在的土台であり、その上に一つの法律的および政治的上部構造が立ち、そしてこの土台に一定の社会的諸意識形態が対応する。
 物質的生活の生産様式が、社会的、政治的および精神的生活過程一般を制約する。人間の意識が彼らの存在を規定するのではなく、逆に彼らの社会的存在が彼らの意識を規定するのである。
 社会の物質的生産諸力は、その発展のある段階で、それらがそれまでその内部で運動してきた既存の生産諸関係と、あるいはその法律的表現にすぎないが、所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展形態からその桎梏に一変する。そのときに社会革命の時期が始まる。
 経済的基礎の変化とともに、巨大な上部構造全体が、あるいは徐々に、あるいは急速に変革される。このような諸変革の考察にあたつては、経済的生産諸条件における物質的な、自然科学的に正確に確認できる変革と、人間がこの衝突を意識し、それをたたかいぬく場面である法律的な、政治的な、宗教的な、芸術的なまたは哲学的な諸形態、簡単にいえばイデオロギー諸形態とをつねに区別しなければならない。
 ある個人がなんであるかをその個人が自分自身をなんと考えているかによって判断しないのと同様に、このような変革の時期をその時期の意識から判断することはできないのであって、むしろこの意識を物質的生活の諸矛盾から、社会的生産諸力と生産諸関係とのあいだに現存する衝突から説明しなければならない。
 一つの社会構成は、それが十分包容しうる生産諸力がすべて発展しきるまでは、けっして没落するものではなく、新しい、さらに高度な生産諸関係は、その物質的存在条件が古い社会の胎内で孵化されおわるまでは、けっして古いものにとって代わることはない。
 それだから、人間はつねに、自分が解決しえる課題だけを自分に提起する。なぜならば、詳しく考察してみると、課題そのものは、その解決の物質的諸条件がすでに存在しているか、またはすくなくとも生まれつつある場合にだけ発生することが、つねに見られるであろうからだ。
 大づかみにいって、アジア的、古代的、封建的および近代ブルジョア的生産様式を経済的社会構成のあいつぐ諸時期としてあげることができる。
 ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の最後の敵対的形態である。敵対的というのは、個人的敵対という意味ではなく、諸個人の社会的生活諸条件から生じてくる敵対という意味である。しかし、ブルジョア社会の胎内で発展しつつある生産諸力は、同時にこの敵対の解決のための物質的諸条件をもつくりだす。したがってこの社会構成でもって人間社会の前史は終わる。               (マルクス『経済学批判』序言 国民文庫15-17頁)


8.弁証法(第22段落)。
〔(ギリシヤ) dialektik?; (ドイツ) Dialektik〕
 (1)古代ギリシャで、対話などを通して事物の真の認識とイデアに到達する、ソクラテス・プラトンにみられる仮説演繹的方法(問答法)をいう。アリストテレスでは、確からしいが真理とはいえない命題を前提とする推理をさし、真なる学問的論証と区別される。
 (2)カントでは、経験による裏付けのない不確実な推理を意味し、それを純粋理性の誤用に基づく仮象の論理学ととらえる。
 (3)矛盾を含む否定性に積極的意味を見いだすヘーゲルでは、有限なものが自己自身のうちに自己との対立・矛盾を生み出し、それを止揚することで高次なものへ発展する思考および存在を貫く運動の論理をさす。それは思考と存在との根源的な同一性であるイデーの自己展開ととらえられる。ヘーゲル弁証法。
 (4)マルクス・エンゲルスでは、イデーを展開の主体とするヘーゲル弁証法の観念論を批判し、自然・社会および思惟の一般的運動法則についての科学とした。
(大辞林)

9.先験的(23段落)
 〔哲〕〔(ドイツ) transzendental〕⇒超越論的
 (1)カントの批判主義における根本概念。様様な経験が可能となり構成される根拠・条件にかかわるさま。「先天的」とは異なり、先天的認識がいかに可能かを問題とする認識についていう。先験的。(大辞林)

10.モリス・ラ・シャトール(フランス語版序文および後記)
 調べましたが分かりませんでした。出版社の代表者なのかも知れません。

11.「大道」と「王道」(フランス語版序文および後記)
【大道】
 (1)3 大きな道路。幅の広い道。大通り。「天下の―」
 (2) 〔「たいどう」とも〕人の守るべき正しい道。「政治の―」
 (3)〔仏〕 すぐれた教え。仏道。
【王道】
 (1)尭(ぎよう)・舜(しゆん)ら先王の行なった、仁徳に基づく政治。儒家の理想とする政治思想で、孟子によって大成された。⇔覇道(はどう)
 (2)安易な方法。楽な道。近道。「学問に―なし」 (大辞林)

 ここでの意味は「安易な方法。楽な道。近道。」でしょう。
[PR]

by shihonron | 2005-12-30 08:30 | 学習会の報告
2005年 12月 21日

第4回 12月13日

 12月13日(火)に『資本論』を読む会@所沢 第2期 第4回の学習会を行いました。前回の宿題については、準備ができておらず、次回にまわすことになりました。

 第2版後記の第13段落から最後まで、フランス語版序文および後記、第3版へを輪読、検討しました。

 以下のことについて調べることになりました。 

1.ヨーゼフ・ディーツゲン(第14段落)。

2.コント(第17段落)

3.形而上学(第17段落)

4.演繹法とは。分析と総合との関連は?(第17段落)

.実在論とは(19段落)

6.I・I・カウフマン(第20段落)

7.『経済学批判』序文からの引用の内容は?

8.弁証法(第22段落)。

9.先験的(23段落)

10.モリス・ラ・シャトール(フランス語版序文および後記)

11.「大道」と「王道」(フランス語版序文および後記)
[PR]

by shihonron | 2005-12-21 12:00 | 学習会の報告
2005年 12月 10日

第3回 12月6日

 12月6日(火)に『資本論』を読む会@所沢 第2期 第3回の学習会を行いました。前回の宿題について議論し、第2版後記の第9段落から第12段落までを輪読、検討しました。

■前回の宿題について

1.「有機体」の意味
 第11段落で「現在の社会は決して固定した結晶体ではなく、変化することの可能な、そしてつねに変化の過程にある有機体なのだという予感が、支配階級のあいだにさえ起こり始めている」と述べられていますが、「有機体」の意味が問題になりました。
 「大辞林」では「生命現象をもっている個体、つまり生物。有機体においては各部分が互いに関係をもつとともに全体との間に内面的な必然的連関をもち、単なる部分の寄せ集めではない一つの統一体をつくる。広義には、こうした有機体の本質に類比させて社会・国家・民族をもいう。〔organism; organic body の訳語〕」と説明されています。 
 ここでは、社会が固定的で変化しない「死んだもの」ではなく、変化する「生きているもの」という意味で使われているだろうということになりました。

2.「資本の有機的構成」の「有機的」とはどういう意味か 
 「有機的」とは「有機体のように多くの部分が集まって一つの全体を構成し、その各部分が密接に結びついて互いに影響を及ぼし合っているさま」のこと。
「資本の有機的構成」とは、資本の技術的構成(生産過程で機能する素材の側面から見た資本の構成)によって規定され、その変化を表現するかぎりでの価値構成(価値の側面から見た資本の構成)のことですが、ここで「有機的」といわれているのは、不変資本と可変資本が「一つの全体を構成し、その各部分が密接に結びついて互いに影響を及ぼし合っている」からだと考えられます。
  
 資本の技術的構成=(充用される生産手段の分量)/(充用される労働の量)

 資本の価値構成=(不変資本)/(可変資本)

   不変資本=生産手段の価値  可変資本=労働力の価値
  
 資本の価値構成は、資本の技術的構成が不変でも、生産手段および労働力のそれぞれの価値または価格の変動によって変化することに注意しておこう。つまり、資本の価値構成が変化したことは、必ずしも資本の技術的構成が変化したことを意味するわけではありません。
 
■第2版後記について

1.普仏戦争 (第4段落)
 1870年から71年に行われた、プロイセンを中心とするドイツ諸邦とフランスとの戦争。ドイツ統一を進めるプロイセンと、それを恐れるナポレオン三世が対立し、スペイン王位継承問題を契機に開戦。プロイセンが大勝し、アルザス-ロレーヌなどを獲得。戦中、ドイツ帝国が成立しドイツの統一が完成。また、フランスでは第三共和制が成立した。

2.ドイツ統一の歴史 (第4段落)
 「きわめて早くケルト人など先住民族を駆逐してヨーロッパに広がったゲルマン人のなかから民族大移動期を経て,次第にドイツ人諸部族が形成された。カール1世のフランク王国が843年3分裂,東フランク王国が成立した時から国家としてのドイツの歴史が始まる。962年オットー1世の戴冠(たいかん)で神聖ローマ帝国が生まれたが,教皇権の介入などで国内統一はむずかしく,13世紀以降帝権は衰退,選帝侯制度が始まり,封建諸侯の割拠時代に入った。15世紀以後ハプスブルク家が君臨したが,宗教戦争,三十年戦争を経てプロイセンが台頭,ナポレオン時代にはその支配下に置かれ,ウィーン会議の結果,1815年ドイツ連邦が成立した。1848年の三月革命は失敗したが,ビスマルクの登場でプロイセンは強大化し,普墺戦争と普仏戦争の結果,プロイセンの指導下に,1871年ドイツ帝国が成立した。」(マイペディアの項目「ドイツ」より)

3.ドイツにおける資本主義発展の特徴 (第5-6段落)
 ナポレオンの侵攻によって、1806年に神聖ローマ帝国は滅亡。300あまりの領邦は約40の中規模国家となりました。フランス軍の侵入が契機となって、プロイセンを先頭に近代化への動きが始まりました。1834年にはドイツ関税同盟が締結され、ドイツ統一へ動きが強まります。の1835年から鉄道の建設が始まり、40年代からは産業革命に突入。1848年にはプロイセンとオーストリアで革命が起こり、成功はしなかったものの反動の親玉メッテルニヒを失脚させました。こうしてプロイセンの工業化も急速に進み始めました。
 綿紡績の紡錘数は、1748年から75年までに約3倍に、石炭の生産量は48年から70年までに約6倍に増加。しかし、イギリスと比べると発展は遅れており、綿織物工業ではイギリスでは1840年頃までにほとんどが力織機になっていましたが、プロイセンでは1875年になってもまだ手織機の法が多かったという状態でした。
 1867年にプロイセンが中心となって北ドイツ連邦が結成され、71年にはドイツ帝国となって統一が達成されます。(浜林正夫著『『資本論』を読む〔上〕』の「Q&A・マルクスの時代のドイツはどういう状態だったのですか」(32頁~33頁)をもとにまとめました)
4.古典派経済学の主要な代表者と特徴 (第7段落)

 資料として林直道編『経済学名著106選』の「経済学説の系譜図」とぺティ、スミス、リカードウ、シスモンディの項が紹介され、簡単に内容を確認しました。

古典派
 古典学派,正統学派とも。経済学の創始者であるA.スミス,マルサス,リカード,ミル父子らを代表者とする経済学者の総称。マニュファクチュアから機械制大工業への資本主義の発展に伴い,その経済関係を分析,労働価値説を基本に,価格,賃金,利潤,利子等の重要概念を究明。資本主義社会を永遠と考え,また利潤等の根源の究明に失敗したが,封建的束縛の廃止と資本の自由な発展とを社会進歩の立場で分析した功績は大きい。 (マイペディア)

ケネー 1694-1774
 フランスの経済学者・医者。1718年医師開業,1749年宮廷侍医となり,ルイ15世の侍医もつとめた。また経済学も学びベルサイユ宮殿内で社会・経済問題を論じた。《フランス百科全書》にも執筆。経済の循環過程を全体的に捕らえた《経済表》(1758年)を公刊し,社会科学としての経済学は彼に始まるといわれる。農業を富の源とする重農主義の基礎を築く。 (マイペディア)

スミス 1723-1790
 英国の社会科学者。古典派経済学の創始者。1751年―1763年グラスゴー大学教授,1787年同大学総長。主著《国富論》(1776年)は経済学最大の古典である。経済行為は利己心を動機とするが,利己心は同感(利他心)という社会的原理を通しておのずから自然の秩序,公共の福祉をもたらすとして,資本主義経済の法則性を追究し,富の源泉を労働に求める労働価値説,労賃・利潤・地代の決定理論などを展開して経済学の基礎を築いた。利己心の自由な発動を唱える自由主義思想は,国家の経済干渉を排し,国防・司法・公共事業だけを国家の任務とする夜警国家論に導く。別著《道徳情操論》(1759年)は,同感の得られぬ行為は道徳的でないとする道徳の基準を論じ,経済学で論じた利己心の根底を貫く思想を示す。法律,芸術,天文学などの領域も研究した。 (マイペディア)

マルサス 1766-1834 英国の古典派経済学者。人口増加が貧困と犯罪の原因と説く《人口論》の著者として有名。地代の騰貴は資本蓄積や人口増による耕地拡張から生ずるもので,地主の利益は社会全体の利益に沿うと説き,過剰生産を防ぐため地主の不生産的消費が必要と唱えた。 (マイペディア)

リカード 1772-1823 英国の古典派経済学の大成者。富裕な商人の子で,14歳から株式仲買に従事し富と名声を得た。穀物法改正問題に際して自由貿易論の立場から経済学を研究し,主著《経済学および課税の原理》(1817年)を公刊。同書でスミスの労働価値説を徹底させ,商品価値は投下労働量(労働時間)により決定されるとし,労働の価値(賃金)は労働者の生計費である等の重要な結論を展開した。また地代を生産物の価値に結びつけて究明し,差額地代論を唱えた。労働価値説に立って貨幣,価格をはじめ,賃金と利潤の相反関係等を一貫して究明し,古典学派の最高水準に達した。1819年以降下院議員。前記のほか《地金の高価》(1809年)等の論著がある。 (マイペディア)

ミル 1773-1836 英国の思想家,経済学者。J.S.ミルの父。ベンサムの友人で,彼の功利主義哲学を普及させ,それを心理学的に基礎づけ,またリカードの経済学の通俗化に寄与した。《イギリス領インド史》(1817年―1818年)を著し,晩年東インド会社に就職。主著はほかに《経済学要綱》(1821年),《自伝》(1873年)など。 (マイペディア)

ミル 1806-1873 英国の哲学者,古典学派経済学者。J.ミルの長男で幼年より天才教育を受けた。長く東インド会社に勤務。功利主義運動に従事したが,功利哲学に疑問をいだき一種の理想主義に転じ,功利哲学の演繹(えんえき)法に対して実証的な帰納法の論理をも展開する《論理学体系》(1843年)を著し,その方法を適用,リカードを修正して《経済学原理》(1848年)を執筆した。労働価値説を離れ生産費説を採用,一時は賃金基金説を説く。また生産と分配を切り離し,前者は自然法則に従うが,後者は共同意志で変え得るとして社会改良を唱えた。《自由論》《婦人の隷従》《自伝》等も著名。フランスのアビニョンで死んだ。 (マイペディア)

5.神聖同盟 (第8段落) ウィーン会議後の1815年ロシア皇帝アレクサンドル1世の提唱でロシア・オーストリア・プロイセン3国君主間で結ばれ,後に英国・オスマン帝国・ローマ教皇を除く全ヨーロッパの君主が加わった同盟。四国同盟はその執行機関の意味を持っていた。キリスト教精神に基づき,諸君主が兄弟のごとく協力して永遠の平和を保つべきことを定めたものだが,実際にはウィーン体制の維持・強化と革命運動弾圧のために利用された。(マイペディア)


ウィーン会議 
 ナポレオン戦争後のヨーロッパ政治の再編のため1814年―1815年ウィーンで開かれたヨーロッパ諸国会議。フランス代表タレーランが主張する正統主義の立場から革命前の状態の復活を目ざしたが,会議を指導した英,露(アレクサンドル1世),オーストリア(メッテルニヒ),プロイセンの4大国の利害が対立して会議は難航した。ナポレオンのエルバ島脱出・帝位復帰事件(百日天下)を機に妥協が成立,1815年6月9日最終議定書(ウィーン条約)調印。1.フランス・スペイン・ナポリ・サルデーニャ・教皇領では旧王家が復位,2.ロシアはポーランドを,プロイセンはザクセン北半分とライン地方を,オーストリアはチロル,ザルツブルク,ベネチア,ロンバルディア,トスカナなどを,英国はケープ植民地,セイロン島など海外植民地を,オランダはベルギーを獲得,3.スイスは永世中立を保障され,4.ドイツ諸国はドイツ連邦を結成した。 (マイペディア)
 
6.穀物法 (第8段落) 英国で穀物の輸出入を規制するために制定された法律。起源は中世にあるが,1815年ナポレオン戦争後地主保護のため安価な外国産穀物の輸入を禁じたものが最も有名。これに対して1839年以来コブデン,ブライトら自由貿易論者を中心とする反穀物法同盟が反対運動を展開し,1846年廃止された。
(マイペディア)

7. 「1830年になって、一挙に事を決定する危機が現れた」と書かれているが、どんな事件のことを指しているのか。 (第8段落) 
 ブルジョアジーが権力を握ったフランスの7月革命のことだと思われる。

七月革命 
 1830年7月,フランスで1814年の王政復古以来の正統ブルボン王朝が倒された革命。シャルル10世治下,旧貴族を中心とする保守派とブルジョアジーを基盤とする自由主義派が対立していたが,1830年国王が出版の自由を制限し選挙法を改悪したことから,パリ市民が蜂起(ほうき)。バリケードが築かれて市街戦となり,シャルル10世は亡命しルイ・フィリップの七月王政が始まった。 (マイペディア)

七月王政
 1830年フランスの七月革命で成立したルイ・フィリップの王政。立憲君主制下に制限選挙制をしき,大ブルジョアジー,金融資本家が支配した。この間産業革命が始まり産業ブルジョアジーの興隆と労働運動の発生がみられた。その結果1848年の二月革命で七月王政は倒れた。 (マイペディア)

■議論や出された疑問

 第9段落の「ブルジョアジーはフランスとイギリスではすでに政治権力を獲得していた。そのときから、階級闘争は、実際的にも理論的にも、ますますあからさまな険悪な形をとってきた。」の階級闘争とは、どの階級とどの階級の間の闘いの事かという疑問が出されました。ブルジュアジーの政治権力の獲得までは、封建勢力(貴族など)とブルジョアジー・労働者階級の「三つ巴の闘い」、主として封建勢力とブルジョアジー間の闘いだった。しかし、ブルジョアジーか権力を握り支配階級となった後には、主要な闘いはブルジュアジーと労働者階級の闘いとなったのではないかとの発言がありました。

 また、第9段落で古典派経済学を「科学的な経済学」「私利を離れた研究」「とらわれない科学的探究」とマルクスが評価していることを確認しました。

 第10段落の1848年の革命について調べることになりました。

 第11段落の「フランスやイギリスでは資本主義的生産様式の敵対的性格がすでに歴史的な諸闘争によって騒々しく露呈されたのちに、ドイツではこの生産様式が成熟に達した…」とあるが、ここで述べられている「歴史的諸闘争」とは何かという疑問が出されました。労働者の闘いだろうということになりました。当日は具体的な事件名などは挙げられませんでしたが、フランスにおける7月王政の下でのストライキや183年のリヨンでの絹織物工の蜂起、イギリスにおけるチャーチスト運動などがあげられます。

 第12段落で出てくるバスティアとはどんな人物かという疑問が出されました。
[PR]

by shihonron | 2005-12-10 14:53 | 学習会の報告