『資本論』を読む会の報告

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2006年 02月 28日

第9回  2月7日 第2節 商品に表される労働の二重性

 2月7日(火)に『資本論』を読む会@所沢 第2期 第9回の学習会を行いました。「第1章商品 第2節 商品に表される労働の二重性」の第9段落から、最後(第16段落)までを輪読、検討しました。

■内容要約と議論

第2節 商品に表される労働の二重性

第9段落 商品‐価値を問題にする。

第10段落
・価値としては上着とリンネルは同じ実体を持ったものであり、同種の労働の客体的表現である。
・しかし、裁縫と織布は質的に違った労働である。
・二つの労働様式がただ同じ個人の労働の諸変形でしかなく、別々の個人の特殊な固定した諸機能になっていないような社会状態もある。
・資本主義社会では、労働需要の方向の変化によって、人間労働の一定の部分があるときは裁縫の形態で、あるときは織布の形態で供給される。こうした労働の転換が行われる。
・生産活動の規定性、したがってまた労働の有用的性格を無視するとすれば、労働に残るものは、それが人間の労働力の支出であるということである。
・商品の価値は、ただ人間労働を、人間労働(力)の支出を、表している。
・この場合の人間労働は、平均的にだれでも普通の人間が、特別な発達なしに自分の肉体のうちに持っている単純な労働力の支出である。
・単純な平均労働そのものも、国が違い文化段階が違えばその性格は違うのではあるが、しかし、現にある一つの社会では与えられている。
・より複雑な労働は、単純な労働が数倍されたものとみなされる。より小さい量の複雑労働がより大きい量の単純労働に等しいということになる。
・ある商品がどんなに複雑な労働の生産物であっても、その価値は、その商品を単純労働の生産物に等置するのであり、したがつてそれ自身ただ単純労働の一定量を表しているに過ぎない。
・いろいろな労働種類がその度量単位としての単純労働に換算されるいろいろな割合は、一つの社会的課程によって生産者の背後で確定され、したがつて生産者にとっては慣習によって与えられたもののように思われる。
・以下では換算の労を省くために、各種の労働力を直接に単純な労働力とみなす。

第11段落 価値としての上着やリンネルは単なる同質の労働凝固であり、これらの価値に含まれている労働もただ人間の労働力の支出としてのみ認められるのである。

第12段落 上着やリンネルは価値一般であるだけではなく、特定の大きさの価値である。価値量の相違は、労働力の支出の量(時間)による。

第13段落・商品に含まれている労働は、使用価値との関連ではただ質的にのみ認められるとすれば、価値量との関連では、もはやそれ以外には質をもたない人間労働に還元されていて、ただ量的にのみ認められるのである。使用価値との関連では労働のどのようにしてとどんなが問題なのであり、価値との関連では労働のどれだけが、すなわちその継続時間が、問題なのである。
・一商品の価値の大きさは、その商品に含まれている労働の量だけを表しているのだから、諸商品は、ある一定の割合をなしていれば、つねに等しい大きさの価値でなければならないのである。

第14段落・上着の生産に必要な有用労働の生産力が変らないならば、上着の価値量は上着自身の量に比例する。上着の生産に必要な労働が2倍に増せば、1着の上着が以前の2着の上着と同量の価値を持ち、上着の生産に必要な労働が半分になれば、2着の上着が以前の1着の上着の価値しか持たなくなる。といっても、どちらの場合にも上着は相変わらず同じ役だち方をするのであり、上着に含まれている有用労働の良否は相変わらず同じなのであるが。しかし、上着の生産に支出された労働量は変化しているのである。

第15段落・素材的富の増大にその価値量の同時的低下が対応することがありうる。このような相反する運動は、労働の二面的な性格から生ずる。
<例>
  旧 10時間で1着の上着を生産   1着の上着の価値は10
  新  4時間で1着の上着を生産 2着の上着の価値は8  
           素材的富は2倍に増加したが、価値量は8割に減少

・生産力は、つねに有用な具体的労働の生産力であり、与えられた時間内の合目的的生産活動の作用程度を規定するだけである。
・生産力の変動は、価値に表されている労働それ自体には少しも影響しない。生産力は労働の具体的な有用形態に属するのだから、労働の具体な有用形態が捨象されてしまえば、もちろん生産力はもはや労働に影響することはできない。

・生産力の変動は、それが使用価値総量の生産に必要な労働時間の総計を短縮する場合には、この増大した使用価値総量の価値量を減少させるのである。逆の場合も同様である。

第16段落・すべての労働は、一面では、生理学的意味での人間の労働力の支出であって、この同等な人間労働または抽象的人間労働という属性においてそれは商品価値を形成するのである。
・すべての労働は、他面では、特殊な、目的を規定された形態での人間の労働力の支出であって、この具体的有用労働という属性においてそれは使用価値を生産するのである。

●議論では抽象的人間労働は商品生産社会に特有な概念であるという意見について疑問が出されました。マルクスの文章を素直に読むかぎり「すべての労働は、一面では、生理学的意味での人間の労働力の支出」だと述べられており、抽象的人間労働もまたあらゆる社会に共通するものだと理解できるとの意見が出されました。

■資料
労働は二面をもつものとして取り扱われなければならない
「社会の生産を見るとき、生産物の費用としての労働を考えないですませることは不可能である。だから、経済学で労働を問題にするときには、どんな歴史的社会におけるものであろうと、労働はつねに、この二つの側面をもつものとして取り扱われなければならない。」

「このように、労働によって富を生産しなければならないあらゆる社会について、労働が、変形作用と人間労働力支出の二側面から考察されなければならないのに、「労働の二重性」は商品生産に固有の概念だとする抜きがたい思い込みが広がっている。このような主張をする人びとは、労働の生産性の発展にともなう、生産物を生産する労働量の減少や、のちに§2で述べる必須労働と剰余労働との区別を問題にするときには、労働を具体的な変形作用の違いを度外視した人間的労働力の支出として、つまりは抽象的労働としてみていることに気づいていないのである。これを抽象的労働と呼ぶべきでないとしたら、そのかわりになんとよぶのであろうか。」
                      大谷禎之介『図解社会経済学』16-17頁
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by shihonron | 2006-02-28 00:00 | 学習会の報告
2006年 02月 28日

第10回  2月14日 第3節 価値形態または交換価値

 2月14日(火)に『資本論』を読む会@所沢 第2期 第10回の学習会を行いました。「第1章商品 第3節 価値形態または交換価値」の最初から「2 相対的価値形態 a 相対的価値形態の内実」の第5段落までを輪読、検討しました。

■内容要約と議論

第3節 価値形態または交換価値

第1段落 
・鉄やリンネルや小麦などが商品であるのは、それらが使用対象であると同時に価値の担い手であるからである。
・それゆえ、商品は、ただ二重の形態、すなわち現物形態と価値形態を持つかぎりでのみ、商品として現われる。言いかえれば商品という形態をもつのである。

【参照】「使用価値は、ただ使用または消費によってのみ実現される。使用価値は、富の社会形態がどんなものであるかにかかわりなく、富の素材的な内容をなしている。われわれが考察しようとする社会形態にあっては、それは同時に素材的な担い手になっている――交換価値の。」(国民文庫第1分冊73頁、原頁50)

第2段落
・商品の価値対象性には一分子も自然素材は入っていない。
・諸商品は、ただそれが人間労働という同じ社会的な単位の表現であるかぎりでのみ価値対象性をもっているのだということを思い出すならば、価値対象性は商品と商品の社会的な関係のうちにしか現われないということもまたおのずから明らかである。

●「価値対象性」とはどういうことか。商品生産社会では、抽象的人間労働が諸物のなかに対象化し、商品である諸物の属性、社会的属性となっている。こうした商品のもつ性格をさして価値対象性と呼んでいるのではないか。簡単に価値性格と言うこともできると思える。

●「対象化」という言葉がなかなか分かりにくい。辞書では対象の意味を「〔英意識・感覚・行動などの作用が向かうもの。主体の作用に対してその目標や相関者となる実在。客体(客観)とほぼ同義」と説明している。英語ではobject、ドイツ語では Gegenstand(Gegenは対してStandは立つという意味。対して立つとのことだそうです)。英語のobjectには「目的語」「物体、物質、物」と言う意味もある。「物質化」や「客体化」と言い換えると少しは分かりやすいかも知れない。ついでに「主体」を意味する英語のsubjectには「主語」「主観」「主題」という意味がある。「研究対象」は英語ではthe subject of one's study.だが、これは「研究の主題」ということのようだ。

第3段落 
・誰でも、諸商品が一つの共通な価値形態――貨幣形態をもっているということはよく知っている。
・ここでなされなければならないのは、この貨幣形態の生成を示すことであり、諸商品の価値関係に含まれている価値表現の発展をそのもっとも単純な目だたない姿から光まばゆい貨幣形態に至るまで追跡することである。これによって貨幣の謎も消え去るのである。

●ここで述べられている貨幣形態とは何のことか。われわれが日々目にしている商品は価格をもっている。あるいは価格が表示されているから売り物=商品であると分かる。(お店に並べられていても「非売品」なんて書いてあるものもある)貨幣形態とは簡単に言えば「価格」のことではないかという意見が出されました。

●「貨幣の謎」とはどんなことか。「『資本論』における価値形態論の目的は、商品の価格すなわち貨幣形態の謎を、そしてそれと同時にまた貨幣の謎を解くことにある。ここに貨幣形態の謎というのは、一般に商品の価値が特殊の一使用価値――金――の一定量という形態で表現されることの謎であり、貨幣の謎というのは、このばあい金の使用価値――本来価値の反対物たるもの――がそのまま一般に価値として妥当することの謎である。」(久留間鮫造『価値形態論と交換過程論』4頁)

第4段落
・最も単純な価値関係は、明らかに、なんであろうと一つの異種の商品にたいするある一つの商品の価値関係である。それゆえ、二つの商品の価値関係は、一商品のための最も単純な価値表現を与えるのである。

A 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態
  Elementary or Accidental Form Of Value

20エレのリンネル=1着の上着 または20エレのリンネルは1着の上着に値する

1 価値表現の両極 相対的価値形態と等価形態The two poles of the expression of value. Relative form and Equivalent form

第1段落 すべての価値形態の秘密は、この単純な価値形態のうちにひそんでいる。それゆえ、この価値形態の分析には固有の困難がある。

第2段落 
・リンネルは自分の価値を上着で表しており、上着はこの価値表現の材料として役だっている。
・第一の商品は能動的な、第二の商品は受動的な役割を演じている。
・第一の商品価値は相対的価値として表される。言いかえれば、その商品は相対的価値形態にある。
・第二の商品は等価物として機能している。言いかえればその商品は等価形態にある。

第3段落
・相対的価値形態と等価形態とは、互いに属しあい互いに制約しあっている不可分な契機であるが、同時にまた、同じ価値表現の、互いに排除しあう、または対立する両端、すなわち両極である。
・リンネルの価値はただ相対的にしか、すなわち別の商品でしか表現されないのである。それゆえ、リンネルの相対的価値形態は、なにか別の一商品がリンネルに対して等価形態にあるということを前提しているのである。
・他方、等価物の役割を演ずるこの別の商品は、同時に相対的価値形態にあることはできない。

第4段落 同じ商品が同じ価値表現で同時に両方の形態で現われることはできない。

第5段落 ある商品が相対的価値形態にあるか、反対の等価形態にあるかは、ただ、価値表現のなかでのこの商品のそのつどの位置だけによって定まる。

2 相対的価値形態
  The Relative Form of value

a 相対的価値形態の内実
  The nature and import of this form

第1段落
・一商品の単純な価値表現が二つの商品の価値関係のうちにどのようにひそんでいるかを見つけだすためには、この価値関係をさしあたりまずその量的な面からまったく離れて考察しなければならない。
・いろいろな物の大きさはそれらが同じ単位に還元されてからはじめて量的に比較されうるようになる。ただ、同じ単位の諸表現としてのみ、これらの物の大きさは、同名の、したがって通約可能な大きさなのである。

第2段落
・一定量のリンネルが多くの上着に値しようと、少ない上着に値しようと、こような割合は、どれもつねに、価値量としてはリンネルも上着も同じ単位の諸表現であり、同じ性質の諸物であるということを含んでいる。
・リンネル=上着が等式の基礎である。 

第3段落
・リンネルが自分の「等価物」または自分と「交換されうるもの」としての上着にたいしてもつ関係によって、リンネルの価値だけが表現される
・この関係のなかでは、上着は価値の存在形態として、価値物として、認められる。なぜならば、ただこのような価値物としてのみ、上着はリンネルと同じだからである。
・他面では、リンネルそれ自体の価値存在が現われてくる。すなわち独立な表現を与えられる。なぜならば、ただ価値としてのみリンネルは等価物または自分と交換されうるものとしての上着に関係することができるからである。

・リンネルに上着が等置されるとすれば、この関係のなかでは第一に上着はただ価値の存在形態としてのみ認められているだけであろう。そして第二にリンネルもまた価値であることが示されているであろう。
・上着がリンネルに等置されることによって、リンネルの価値がその現物形態と区別されて表現されていることになるであろう。

【参考】
In this relation the coat is the mode of existence of value, is value embodied, for only as such is it the same as the linen.

mode(形態) existence(実在, 実存; 生存, 生活; 万物; 実体.)  embody(形体を与える, 有形にする; 具体化する, 具体的に表現する ) as such (その資格で, それだけで)

この関係のなかでは、上着は価値の実存形態であり、具体化された価値である。(上着は)ただそういうもの(価値)としてのみリンネルと同じである。


On the other hand, the linen’s own value comes to the front, receives independent expression, for it is only as being value that it is comparable with the coat as a thing of equal value, or exchangeable with the coat.

comparable(比較しうる).

他面では、リンネル自身の価値が前面に現われてくる。すなわち独立の表現を受け取る。なぜなら、ただ等価物である上着と比較されうるものとして、あるいは上着と交換可能なものとしてのみ価値であるからだ。

第4段落
・われわれが、価値としては商品は人間労働の単なる凝固である、と言うならばわれわれの分析は商品を価値抽象に還元しはするが、しかし、商品にその現物形態とは違った価値形態を与えはしない。一商品の他の一商品にたいする価値関係のなかではそうではない。ここでは、その商品の価値性格が、他の一商品にたいするそれ自身の関係によって現われてくるのである。

【参考】
If we say that, as values, commodities are mere congelations of human labour, we reduce them by our analysis, it is true, to the abstraction, value; but we ascribe to this value no form apart from their bodily form. It is otherwise in the value relation of one commodity to another. Here, the one stands forth in its character of value by reason of its relation to the other.

mere(単なる) congelation(凝結) reduce(分解する) ascribe(~に帰する)
otherwise(異なった) forth(前へ、見えるところへ) by reason of …のために.

我々が価値としては諸商品は人間労働の凝固だと言うなら、それは正しいが、ただ分析によって抽象的な価値に分解しただけで、その現物形態と区別される価値形態に行き着いたわけではない。一商品の他の一商品にたいする関係においては、他商品にたいする関係によって一商品の価値存在が現われてくる。

第5段落
・たとえば上着が価値物としてリンネルに等置されることによって、上着に含まれている労働は、リンネルに含まれている労働に等置される。
・織布との等置は、裁縫を、事実上、両方の労働のうちの現実に等しいものに、人間労働という両方に共通な性格に還元するのである。
・このような回り道をして、次には、織布もまた、それが価値を織るかぎりでは、それを裁縫から区別する特徴を持っていないこと、つまり抽象的人間労働であることが、言われているのである。
・ただ異種の諸商品の等価表現だけが価値形成労働の独特な性格を顕わにするのである。というのは、この等価表現は、異種の商品のうちにひそんでいる異種の諸労働を、実際に、それらに共通のものに、人間労働一般に、還元するのだからである。

■資料

A use value, or useful article, therefore, has value only because human labour in the abstract has been embodied or materialised in it. How, then, is the magnitude of this value to be measured? Plainly, by the quantity of the value-creating substance, the labour, contained in the article. The quantity of labour, however, is measured by its duration, and labour time in its turn finds its standard in weeks, days, and hours.

したがって、ある使用価値または財が価値をもつのは、そのうちに抽象的人間労働が対象化または物質化されているからにほかならない。では、どのようにしてその価値の大きさははかられるのか? それに含まれている「価値を形成する実体」、すなわち労働の、量によってである。労働の量そのものは、その継続時間によってはかられ、労働時間はまた、時間、日などのような一定の時間部分を度量基準としてもっている。
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by shihonron | 2006-02-28 00:00 | 学習会の報告