『資本論』を読む会の報告

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2006年 11月 30日

第38回 11月21日 第3章 第1節 価値の尺度

 11月21日(火)に第38回の学習会を行いました。「第3章 貨幣または商品流通 第1節 価値の尺度」の第1段落から第8段落までを輪読、検討しました。

■テキストの内容と議論    
第3章 貨幣または商品流通 第1節 価値の尺度


第1段落

・簡単にするために、本書ではどこでも金を貨幣商品として前提する。

●『資本論』全体での叙述について述べている。金と銀とがともに貨幣とされたこともあるが、結局はただひとつの商品(金)が貨幣になった。

第2段落
・ 金の第一の機能は、商品世界にその価値表現の材料を提供すること、または、諸商品価値を同名の大きさ、すなわち質的に同じで量的に比較可能な大きさとして表すことにある。
・こうして、金は諸価値の一般的尺度として機能し、ただこの機能によってのみ、金という独自な等価物商品はまず貨幣になるのである。

●国民文庫では「または」と訳されているが、新日本出版の新書版では「すなわち」と訳されている。「いいかえれば」ということと理解できるのではないかとの意見が出されました。英語版では「or」です。
The first chief function of money is to supply commodities with the material for the expression of their values, or to represent their values as magnitudes of the same denomination, qualitatively equal, and quantitatively comparable. It thus serves as a universal measure of value. And only by virtue of this function does gold, the equivalent commodity par excellence, become money.

●「金の第一の機能」というのは「貨幣の第一の機能」ということ。

■「第1章 第3節 価値形態または交換価値」では「しだいに、金は、あるいはより狭いあるいはより広い範囲のなかで一般的等価物として機能するようになった。それが商品世界の価値表現においてこの地位の独占をかちとったとき、それは貨幣商品になる。」と述べられていた。(国民文庫132頁・原頁84)

●「諸価値の一般的尺度として機能」= 「一般的等価物として機能」

第3段落
・諸商品は、貨幣によって通訳可能になるのではない。逆である。すべての商品が価値としては対象化された人間労働であり、したがってそれら自体として通訳可能だからこそ、すべての商品は、自分たちの価値を同じ独自な一商品で共同に計ることができるのであり、またそうすることによって、この独自な一商品を自分たちの共通な価値尺度すなわち貨幣に転化させることができるのである。
・価値尺度としての貨幣は、諸価値の内在的な価値尺度の、すなわち労働時間の、必然的な現象形態である。

■〈ある使用価値または財貨が価値をもつのは、ただ抽象的人間労働がそれに対象化または物質化されているからでしかない。では、それらの価値の大きさはどのようにして計られるのか? それに含まれている「価値を形成する実体」の量、すなわち労働の量によってである。労働の量そのものは、労働の継続時間で計られ、労働時または一時間とか一日とかいうような一定の時間をその度量標準としている。〉(国民文庫78頁・原頁53)

■注50で〈商品生産の基礎の上での「労働貨幣」というユートピア主義〉について指示されている参照箇所には以下のように書かれている。〈労働時間を貨幣の直接の度量単位だとする学説は、ジョン・グレーによってはじめて体系的に展開された。彼は、国民のために一つの中央銀行に、その支店をつうじて種々の商品の生産についやされる労働時間を確かめさせようとする。生産者は、商品と引き換えに公式の価値証明書、すなわち彼の商品がふくんでいるだけの労働時間にたいする受領書を受け取る。そして一労働週、一労働日、一労働時間等々のこれらの銀行券は、同時に、銀行の倉庫に収納されている他のすべての商品かたちでの等価物にたいする指図証券としても役だつ。これがその根本原理であって、それは細目にわたって、またすべて現存のイギリスの諸制度にもとづいて、注意ぶかく考えぬかれている。〉と述べ、つけられた注では〈正直者のジョンは、『社会制度論』刊行後一六年たって、同じ発見に対する特許が、発明の才に富んだプルードンに取られようとは、予想もしなかったのである。〉と述べている。(『経済学批判』国民文庫104-105頁)

■【プルードンの生涯】
 プルードンは1809年1月にブザンソンの貧しい家庭に生まれた。伝統的に反政府感情が強いこの地方に生まれたことがプルードンの反中央集権主義や地方分権的な連合主義の思想の背景にあるとはよく指摘されるところだ。
 経済的困難から学業を断念したプルードンは、印刷所で校正係などをしながら独学で勉学を続けた。やがて、彼はブザンソン学士院から奨学金を得てパリへ出向き、ソルボンヌ大学などで哲学や社会思想を学び、『財産とは何か』(40年)、『ブランキ氏への手紙』(41年)、『有産者への警告』(42年)、『人類社会における秩序の創造』(43年)、『鉄道と海運との比較論』(45年)、『経済的諸矛盾の体系、すなわち貧困の哲学』(46年)等の著作を次々と発表した。特に『所有とは何か』で、「所有とは盗みである」と喝破したことでプルードンの名は一躍有名になったが、協会と政府から反逆者の烙印を押され、奨学金を停止された。
 48年の2月革命では彼は新聞「人民の代表」(後に「人民」と改称)を発行して言論活動を展開し、6月の選挙では国民議会議員に選ばれた。しかし、彼が資本家による労働者の搾取撤廃の方策として打ち出した「交換銀行」は、49年1月に「人民銀行」として発足することになったものの、プルードンは大統領に選出されたルイ・ボナパルトを攻撃して3年の禁固刑に処せられ、「人民銀行」も挫折する。
 その後彼は、ルイ・ナポレオンが皇帝に成り上がり、フランスのブルジョア的発展が進む中で著作活動を続け(プルードン派が第一インタナショナル内でかなりの勢力を占めたことは周知の通りだ)、発禁処分やベルギーへの亡命、帰国等を繰り返し、1865年に56歳で没する。

鈴木研一「社会主義観の変遷」より引用

第4段落
・一商品の金での価値表現――x量の商品A=y量の商品B――は、その商品の貨幣形態またはその商品の価格である。いまでは、鉄価値を社会的に通用するように表すためには、1トンの鉄=2オンスの金 というような一つの単独な式で十分である。この等式は、もはや、他の諸商品の価値等式といっしょに列をつくって行進する必要はない。というのは、等価物商品である金は、すでに貨幣の性質をもっているからである。それゆえ、諸商品の一般的な相対的価値形態は、いまでは再びその最初の単純な、また個別的な相対的価値形態の姿をもっているのである。
・他方、展開された相対的価値表現、または多くの相対的価値表現の無限の列は、貨幣商品の独自な相対的価値形態になる。しかし、この列は、いまではすでに諸商品価格のうちに社会的に与えられている。物価表を逆に読めば、貨幣の価値の大きさがありとあらゆる商品で表されているのが見いだされる。
・これに反して、貨幣は価格をもっていない。このような、他の諸商品の統一的な相対的価値形態に参加するためには、貨幣はそれ自身の等価物としてのそれ自身に関係させられなければならないであろう。

■〈すでに貨幣商品として機能している商品での、たとえば金での一商品のたとえばリンネルの単純な相対的価値表現は、価格形態である。それゆえ、リンネルの「価格形態」は
   20エレのリンネル=2オンスの金
または、もし二ポンド・スターリングというのが二オンスの金の鋳貨であるならば、
   20エレのリンネル=2ポンド・スターリング
である。〉(国民文庫132頁・原頁84)

■〈一般的等価物は、他の諸商品と共通な相対的価値形態をもたないのであって、その価値は、他のすべての商品体の無限の列で相対的に表現されるのである。こうして、いまでは、展開された相対的価値形態すなわち形態Ⅱが、等価物商品の独自な相対的価値形態としてあらわれるのである。〉(国民文庫130頁・原頁83)

第5段落
・商品の価格または貨幣形態は、商品の価値形態一般と同様に、商品の、手につかめる実在的な物体形態からは区別された、したがって単に観念的な、または想像された形態である。
・鉄やリンネルや小麦などの価値は、目に見えないとはいえ、これらの物そのもののうちに存在する。この価値は、これらの物の金との同等性によって、いわばただこれらの物の頭の中にあるだけの金との関係によって、想像される。
・それだから、商品の番人は、これらの物の価値を外界に伝えるためには、自分の舌をこれらの物の頭の中に突っ込むか、または、これらの物に紙札をぶらさげるかしなければならないのである。
・商品価値の金による表現は観念的なものだから、この機能のためにも、ただ想像されただけの、すなわち観念的な、金を用いることができる。
・商品の番人が誰でも知っているように、彼が自分の商品の価値に価格という形態または想像された金形態を与えても、まだ彼はその商品を金に化したわけではないし、また、彼は何百万の商品価値を金で評価するためにも、現実の金は一片も必要としないのである。それゆえ、その価値尺度機能においては、貨幣は、ただ想像されただけの、すなわち観念的な、貨幣として役だつのである。この事情は、まったくばかげた理論があらわれるきっかけになった。
・価値尺度機能のためには、ただ想像されただけの貨幣が役だつとはいえ、価格はまったく実在の貨幣材料のである。たとえば一トンの鉄に含まれている価値、すなわち人間労働の一定量は、同じ量の労働を含むと想像された貨幣商品量で表される。だから、金や銀や銅のどれが価値尺度として役だつかによって、一トンの鉄の価値は、まったく違った価値表現を与えられる。すなわち、まったく違った量の金や銀や銅で表されるのである。

●「20エレのリンネル=一着の上着」といった、単純な価値形態においても、等価物商品である上着は観念的なものだと考えて良いのかという疑問が出されました。ここでは、「20エレのリンネルは一着の上着に値する」とリンネルが言っているのであり、この表現の中での上着は観念的なものと考えて良いのではないかという意見とここでの上着は実在的なものであり観念的なものと捕らえるのは適切ではないのではないかとの二つの意見が出されました。一つの結論には至りませんでした。

第6段落
・それゆう、もし二つの違った商品、たとえば金と銀とが同時に価値尺度として役だつとすれば、すべての商品はふたとおりの違った価格表現、すなわち金価格と銀価格とをもつことになる。これらの価格表現は、銀と金との価値比率、たとえば一対一五というようなそれが不変であるかぎり、無事に相並んで用いられる。しかし、この価値比率の変動が起きるたびに、それは諸商品の金価格と銀価格との比率を撹乱して、この事実によって、価値尺度の二重化がその機能と矛盾することを示すのである。

■ グレシャムの法則
英国の財政家グレシャムT.Gresham〔1519ころ-1579〕の唱えた〈悪貨は良貨を駆逐する〉という法則。素材価値の異なる2種以上の通貨が同一の名目価値で流通する時は,素材価値の高い貨幣は,鋳つぶし,輸出,退蔵などによって流通面から姿を消していき,素材価値の低い貨幣が流通するようになること。(マイペディア)

第7段落
・価格の決まっている商品は、すべて、a量の商品A=x量の金、b量の商品B=z量の金、c量の商品C=y量の金 というような形で表される。ここでは、a、b、cはそれぞれ商品種類A、B、Cの一定量を表している。それだから、商品価値はいろいろな大きさの想像された金量に転化されているのであり、つまり、商品体が雑多であるにもかかわらず、同名の量に、すなわち金量に転化されているのである。
・このようないろいろな金量として、諸商品の価値は互いに比較され、計られるのであって、技術上、これらの金量を、それらの度量単位としての或る固定された金量に関係させる必要が大きくなってくる。
・この度量単位そのものは、さらにいくつもの可除部分に分割されることによって、度量標準に発展する。
・金やむ銀や銅は、それらが貨幣になる以前に、すでにこのような度量標準をそれらの金属重量においてもっている。たとえば、一ポンドは度量単位として役だち、それが一方ではさらに分割されてオンスなどとなり、他方では合計されてツェントナーなどとなるのである。それだから、すべての金属流通では、重量の度量標準の有り合わせの名称がまた貨幣の度量標準または価格の度量標準の元来の名称になっているのである。

●「度量標準」と「度量単位」について、それぞれの意味と関連について疑問が出されました。身近にある国語事典でひいてもどちらもそのままの言葉では出てきません。ここでの「度量」は「おしはかる」、「標準」は「よりどころ」「基準」「尺度」といったところであり、「推し量る際の基準」と考えられます。ここでの「単位」は「長さ・質量・時間など、ある量を数値で表す時、比較の基準となるように大きさを定めた量。メートル・グラム・秒など。」のことでしょう。

■重さの単位
1トン=20ハンドレッドウェイト…1016.05㎏
1ハンドレッドウェイト=112ポンド…50.802㎏
1クォーター=28ポンド…12.700㎏
1ストーン=14ポンド…6.350㎏
1ポンド=16オンス…453.592g
1オンス…28.349g

第8段落
・価値の尺度および価格の度量標準として、貨幣は二つのまったく違った機能を行なう。
・貨幣が価値の尺度であるのは、人間労働の社会的化身としてであり、価格の度量標準であるのは、固定した金属重量としてである。
・それは、価値尺度としては、種々雑多な商品の価値を価格に、すなわち想像された金量に転化させるのに役立ち、価格の度量標準としては、この金量を計る。
・価値の尺度では諸商品が価値として計られるのであるが、これに対して、価格の度量標準は、いろいろな金量をあるひとつの金量で計るのであって、ある金量の価値を他の金量で計るのではない。価格の度量標準のためには、一定の金量が度量単位として固定されなければならない。この場合には、すべての他の同名の量の度量規定の場合と同じに、度量比率の固定性が決定的である。したがって、価格の度量標準は、一つの同じ金量が度量単位として役だつことが不変的であればあるほど、その機能をよりよく果たすのである。
・価値の尺度として金が役だつことができるのは、ただ、金そのものが労働生産物、つまり可能性から見て一つの可変的な価値であるからこそである。

●注55で「価値の尺度(measure of value)」「価格の度量標準(standard of value)」となっていることに疑問が出されました。

■英語版では、価値の尺度は「measure of Value」、価格の度量標準は「standard of price」となっている。注55は英語版では「With English writers the confusion between measure of value and standard of price (standard of value! is indescribable. Their functions, as well as their names, are constantly interchanged.」となっている。()内は訳すと「価値の度量標準! 言うに言われません。それらの名前と同様にそれらの機能も絶えず交換されます。」つまり正しくは価格の度量標準というべきものを「価値の度量標準」などと呼ぶ混同がまかり通っていることを述べている。
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by shihonron | 2006-11-30 01:00 | 学習会の報告
2006年 11月 15日

第29回から第37回まで

 7月30日に第28回の報告をアップして以降、担当者が体調を崩したために更新が途絶えてしまいました。
 何度かは中止しましたが、以下のように学習会は継続的に行なわれてきました。
久留間鮫造『価値形態論と交換過程論』をもとにした議論の紹介は、省略させていただきますが、『資本論』本文(「第2章 交換過程」の第14段落以降)についての議論は、後日まとめたいと思います。

第29回 9月5日(火) 「第2章 交換過程」の第14段落から第15段落

第30回 9月12日(火) 「第2章 交換過程」の第16段落から最後まで

第31回 9月26日(火) 久留間鮫造『価値形態論と交換過程論』1頁から9頁

第32回 10月3日(火) 久留間鮫造『価値形態論と交換過程論』9頁から21頁

第33回 10月11日(水) 久留間鮫造『価値形態論と交換過程論』21頁から31頁

第34回 10月24日(火) 久留間鮫造『価値形態論と交換過程論』31頁から40頁

第35回 10月31日(火) 久留間鮫造『価値形態論と交換過程論』40頁から43頁

第36回 11月7日(火)  価値形態の発展について(第二形態から第三形態へ等) 

第37回 11月14日(火) 価値形態の発展について(初版本文の形態四について等)
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by shihonron | 2006-11-15 00:00 | 学習会の報告